父への思い
俺が〈瞬泳〉で獄中場に辿り着いたときには、既に多くの人達がいた。
格好からして、リョナ家の剣士達だ。
雰囲気からして、物々しい。
俺は急いで、許可無しで獄中場に入る。
「おい、お前!」
当然何人もの剣士に呼び止められるが、無視する。
目的の場所を目指して、早足で進む。
そして、進んで行く途中で何人もの死体を見る。
服装からして、看守だ。
俺が行きたい場所の道に沿って、死体があることに益々嫌な予感がする。
心臓がさっきから激しく動いていた。
進む足が、早足から駆け足になる。
ここは俺がつい昨日来た場所であるのだが、獄中場内部は入り組んだ地形になっている。
万が一、脱獄が発生した際に簡単に外へ辿り着けないようにするためだ。
何となくの道は知っていたつもりであったが、途中で迷ってしまう。
しかし、偶然にも、
「ミ、ミナト殿?!」
俺は初老の男性…アグアの領主であり、リョナ家の当主であるフルオルと出くわした。
フルオルは訝しげに俺を見る。
「ミナト殿、どうしてこちらに?」
「ここが襲撃された聞いて、来ました。馬鹿父の安否を確かめたくて」
それを聞いて、フルオルは目を見開く。
そう…獄中場が襲撃されたと聞いて、俺が急いでここに来たのは、父親が無事かどうかを確認するため。
勿論、俺はあんな父親を心配しているわけでは無い。
ただ…息子として、一応の安否確認は大事かなと思い、来たのだ。
だが、フルオルは俺の言葉を聞くなり,何故か戸惑い、次に表情を厳しいものにしていた。
まるで図星を付かれたように。
ドクン……。
俺の心臓が一際大きく振動する。
まさか………だよな。
獄中場が何者かに襲撃された件には、マリ姉が絡んでいる。
そして、マリ姉はアクアライド家を疎んでいた。
実際、小さい頃から俺に魔阻薬を飲ませていたし、昨日は俺に襲いかかったりもした。
そんなマリ姉がアクアライド家に関して、ここで何かするとしたら、一つぐらいしか思い浮かばない。
頼むから、その思い浮かんだことは俺の杞憂であってくれ。
「ああ…無事かを確かめたら、ここを直ぐ出て行き……」
「ペドロ殿は死にました」
「………………………………………………………は?」
俺は途端に頭が真っ白になる。
何だって、馬鹿父が………………死んだ?
嘘だよな。
嘘だって言ってくれ。
けれど、そんな俺の願望とは裏腹に、フルオルは一つ大きなため息を吹いた後、残酷に詳細を告げる。
「ペドロ殿の事に関しては、今日中に貴方に連絡するつもりでした。私も先程、遺体を確認したばかりで。遺体事態、損傷が激しく、悲惨なものですが、その遺体は間違いなく…………………ペドロ・アクアライドの者と思われます」
フルオルは言葉が殆ど耳に入ってこなかった。
「一通り、獄中場は捜索したのですが、看守の遺体以外、ペドロ殿の遺体しかありませんでした。つまり、今回の襲撃はペドロ殿の殺害が目的かと。遺体もナイフで何度も刺された後がありましたので」
淡々と述べられた事実に、俺は無言になることしか出来なかった。
暫く無言の状態が続くと、
「遺体はこちらです。ご確認しますか」
俺は無言で頷く。
フルオルに連れられ、俺は獄中場の奥へ進み、父親の死体と対面した。
フルオルの言った通り、馬鹿父の遺体は悲惨なものだった。
体中を何かに突き刺された跡があった。
それは体だけで無く、顔にも多くの刺し傷があった。
だから、一瞬父親では無いのではと思ったが、ボサボサの伸びた髪に、ボウボウに生えた無精髭。
二日前に対面した父親の特徴と一致する。
間違いない、これはあの馬鹿父の成れの果てなんだ。
「………」
それを意識した俺はゆっくりと父親の遺体に近づき、その遺体を抱く。
遺体は僅かに熱を残していた。
殺されていてから、そこまで時間が経っていないようだ。
暫し、遺体を抱いていた俺は、思い立って、勾玉を取り出す。
これは錬金道具であり、内部の機構や原理を把握しないと、扱えないものだ。
俺がこれを貰ってから、今までに解読できた機能は、あらゆる液体を貯蔵し、それを取り出す事。
だから、俺は勾玉に取り込んである霊水を父親の遺体に掛けた。
あらゆる回復効果がある霊水は、瞬く間に父親の遺体にあった刺し傷を塞いでいき、綺麗な遺体へと変えた。
「おい、馬鹿父」
俺は父の遺体に呼びかける。
しかし、肝心の父親が目を開けることは無かった。
俺は無心で霊水を掛け続ける。
それでも、目覚めない。
床に大量の霊水が満たされ、いつしか勾玉から霊水が出なくなった。
勾玉に貯蔵されていた霊水が切れたのだ。
「嘘……嘘だよな?」
予想はしていた。
幾ら、霊水とは言え、死者を蘇らすことは出来ないと。
「……………ミナト殿、残念ですが、ペドロ殿は既に亡くなっています」
フルオルの言葉が決定打になったのか、俺の目から液体が零れ落ちる。
「う……うう…………」
一度零れ落ちた液体は、それからとめどなく、流れ出る。
目の中の何処に、これほどの大量の液体を保管していたのか、疑問に思うほど、溢れ出た。
口からは嗚咽も出てきた。
俺は遺体を抱きしめながら、声を上げて、泣いた。
それは父の死を悲しむ、一人の息子の姿だった。
俺の父親は、俺が物心ついたときから厳しかった。
父親自身も大した実力が無い癖に、弱かった俺を事あるごとに罵倒し、殴りつけた。
おまけに娼館に行く始末。
だから、父親のことは心底大嫌いだった。
こんな父親の息子でいる自分を恨んだ。
「水之世」から出て、父親が投獄されていると聞いたときは、清々した。
ざまあみろと思った。
なのに……………何で、こんなに悲しいんだ?
何故、俺は泣いている。
どうして嗚咽なんてしている。
分からない。
分からない。
分からない。
分から…ない。
分か…ら……ない。
分か……ら……な……い。
分から…………………いや、分かった。
ここでようやく、俺は父への思いを自覚する。
俺は馬鹿父から…………………ずっと、愛されたかったんだ。
俺が小さい頃から、魔法を上手く習得しようと頑張っていたのは、マリ姉の応援があったからと思っていた。
勿論、その理由も会ったが、馬鹿父に愛されたかったという俺の密かな欲求もあったからなんだ。
でも、父親に愛されること無く、「水之世」の地下墓地でレイン様と出会った。
そして、いつしか父親に愛される事は諦め、レイン様を父親と重ねた。
実の父親に見切りを付け、自身の欲求を満たそうとした。
実の父親に愛されることは無いと諦めていたのだ。
だけど、五年ぶりに会った父親は俺との再会に、涙を流し、喜びを表した。
俺が生きていたことを心の底から、嬉しそうにしていた。
あたかも俺を愛しているかのように。
それは生まれてから、ずっと実の父親からして欲しかったことだ。
ふざけるな!
こっちは、とっくに見切りを付けたのに、今更なんだよ。
今更、父親らしいことをするなよ。
だからこそ俺は、その時の父親の反応に憤りを覚えたのだ。
けど、自分でも無意識のうちに、実の父親に心配してもらえた事実に嬉しく思っていたのだろう。
父親に少しでも愛されていると思えば、俺はそれで満足だったんだ。
この気持ち、もっと早くに気づくべきだった。
本当に、今更だが。
十分ほど、その場で泣いていたのかな。
俺は父の遺体をそっと、地面に降ろし、フルオルに向き直る。
「誰が俺の父をこんな目に?」
俺の顔を見たフルオルは何かに恐怖するような反応をした。
「?!…………は、はい!状況から見て、複数犯による襲撃と見られます。獄中場が襲撃をされたという通報があり、私達はすぐにここへ急行しました。看守達が殺されているのを確認した後は、城壁の全ての門衛に連絡を入れ、怪しい者たちが出入りしていないか聞きましたが、見ていないそうです。どうやって、ここに侵入したのかは分かりませんが、襲撃犯達はこの街にまだいると思われます。それも……………」
フルオルが言葉を続けようとしたところで、
「まだ、ここにいる可能性が高いと?」
「そ、そうですね!!」
この時のフルオルは戦慄していた。
ミナトの目付きに。
殺意が籠もった目に。