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ミナト VS マリ




 背後にマリ姉がいると認識した瞬間、前方に転がった。


 頭から地面に付けて転がるのではなく、肩から地面に付けて転がることで、転がり終わった時に後ろを向く態勢になる。


 マリ姉の方を向きながら、刺されたであろう背中の場所に手を当てる。


 背中は刺されて…………………なかった。


 「あれ?背中をぐさりと行ったはずなんですが、全く手ごたえがありませんでしたね。ミナト様、何かしたんですか?」


 それは俺が一番聞きたい。

 別に俺は背中部分に〈氷鎧〉を着けている訳ではない。


 「う~ん…ミナト様が来ている、その真っ白いマントのせい?確かに、それはただのマントでは無さそうですね」


 マント…………?

 マリ姉がこう言う通り、今着ているマントのお陰なのだろうか。


 これはシズカ様が着けていたものを選別として、俺にくれたものだ。


 始めは百九十センチの超長身であるシズカ様に合った大きなものであったが、俺が着けると俺に合うように小さくなったことから、普通のマントではない事は知っていた。

 まぁ…それ以上の事は分からないけど。


 強いて言えば、良い匂いがするぐらい。


 俺は〈氷刀〉を構え直す。

 マントの事は気になるが、今はマリ姉を無力化するのが先だ。


 空気を大きく吸い込み、数瞬して、肺に溜まった息を一気に吐き出した。


 それによって俺の心は幾分か落ち着いた。

 古今東西、深呼吸は気持ちを切り替えさせる方法として使われる。


 さっきは敵であるマリ姉に攻撃を当てたことで動揺してしまい、不覚を取った。

 いや、それ以前にマリ姉が魔阻薬を俺に飲ませていたという事実に、ずっと動揺し続けていた。


 水剣技流として、心を乱すなど愚行も愚行。

 シズカ様に叱られてしまう。


 マリ姉がどうやって消えるようにして俺の背後を取ったのかは分からないが、感覚を研ぎ澄ませ、気配を読み取っていれば、背後からの攻撃は避けられたはず。

 次は不覚を取らない。


 「よく分かりませんが、次はそうは行きませんよ!」


 マリ姉の魔力が変動するのを感じた。

 これは魔法の兆候。


 次の瞬間、マリ姉がまたしても消える。

 何の跡形もなく。


 直後に俺の右側からナイフも持ったマリ姉が迫る。


 俺は即座に後ろに下がる。

 それによって、マリ姉の攻撃を紙一重で躱した。


 今回はしっかりと感覚を研ぎ澄ませる事で回避できた。


 躱し様に〈氷刀〉を横薙ぎするが、またしてもマリ姉が消え、〈氷刀〉が空を切る。

 そして気づけば、マリ姉は俺の左隣にいた。


 今度はナイフの切り突きが左側から襲ってくる。

 左足を後ろに下げることで回避する。


 消えてから左隣に移動するまで、全く移動の瞬間が見受けられない。


 まただ!

 俺の背後に突然現れた時もそうだ。


 マリ姉はまるで移動している時間だけカットされたかのように、いきなり俺の右側に現れた。

 マリ姉の動きが速すぎて、動きが捉えられなかったとか、そんな話では無い。


 直前に魔力の変動から、これが魔法によるものであると思われる。

 一瞬で移動する魔法なんて、ずっと前にウィルター様の魔法雑談で聞いた、”あの魔法”みたいじゃないか。


 ちょっと待て、これと同じような事をマカのギルド長であるミランから聞いたことがある。

 確か、謎の男が辺境伯の倉庫を襲撃して、一瞬で跡形も無く消え………………、


 「くっ!」


 後ろ斜めに移動してきたマリ姉の突きを上半身を反らして、躱す。


 深く考えている場合では無かった。


 少し戦っただけで、分かる。

 

 マリ姉の近接戦の技量はクラルに匹敵…………それ以上かもしれない。

 時折投げられる小さなナイフも厄介だ。


 それだけならまだしも、マリ姉には場所を一瞬で移動する魔法がある。


 一瞬で俺の死角に移動し、何とかそれに対処しても、また死角に移動され、攻撃される。

 その繰り返し。

 反撃の余地がない。


 どうすれば。









 …………………もっと心を穏やかにでござる、ミナト殿。


 反撃も碌に出来ない状況で俺の頭に過ったのは、俺の剣士の師匠であるシズカ様の言葉だった。


 それは「水之世」で俺にいつも剣を教えていた時のシズカ様がよく言っていた言葉だった。


 『ミナト殿…水剣技流だけで無く、物事において、常に冷静さを保つのも、また強さでござる』

 「冷静さですか」

 『そうでござる。自身を暗闇の中に立たせるイメージを持つように、雑念の一切を払うでござる。それによって、見えてこなかったものが見えてくる事もあるでござる。ミナト殿もどうしようも無い状況に直面したら、一旦心を平穏にするでござる』

 「はい!」









 ふぅ…甘かった。


 俺は何処かでマリ姉の事を甘く見ていたのかも知れない。

 所詮は使用人、簡単に無力化できると。


 これは俺の悪い癖だ。


 「水之世」で鍛えられる前、散々周囲に見下された反動なのか、今の俺は無意識下で相手を見下してしまう癖がある。 


 認識を改める。

 もう、マリ姉を甘くなんて見ない。


 ここからは”本気”でいく。


 厳密言えば、先程から本気を出していない訳では無かったが、俺はまだ水剣技流を使っていない。


 自称水剣技流の剣士達だけで無く、水剣技流の神髄をマリ姉にも、教えて上げないと。


 俺は一度、大きくバックステップを取り、部屋の隅に移動する。


 背後と左右斜め後ろには壁。

 これにより、俺の前方にしか移動できないという寸法だ。


 マリ姉が警戒して、攻撃の手を止める。


 それを確認した俺は不意に目を瞑り、重心を落とし、〈氷刀〉の剣先を下げる。


 それを見て、マリ姉は不審がる。

 客観的に見て、目を閉じて、剣先を下げるなど、戦いを放棄したと思われるだろう。


 「おや?ミナト様、ようやく諦めてくれたんですか?」

 「………」


 俺は無言だ。


 何故なら、マリ姉の声が頭に入ってこないぐらい集中しているからだ。

 少し前まで感じていたマリ姉への怒りや不信感を掻き消すほど、精神を研ぎ澄ます。


 研ぎ澄ますと同時に、自身の纏っている魔力を練り、魔力の波を消す。


 自身という存在を消す。


 そうすることで先程まで感じ取れなかった気配や自身の周りに取り巻く力の波が、徐々に感じ取れるようになる。


 瞬きする間の時間が過ぎるたびに、段々と俺は無に近づく。


 「……………っ?!ミナト様の気配が!!」


 マリ姉が気がついた時には、もう遅い。


 既に俺は「凪」と化していた。

 目に見えているのに、まるでそこにいないかのように錯覚する気配の無さ。


 「水剣技流・凪ノ型」


 これこそ一切波が立たない無風の水面、沈黙と平穏を体現した無我の極地である。


 マカに現れたホウリュウの弱点を探る際に使用した水剣技流の体技である。

 自身を凪にすることで、知覚を強化し、周囲の気配を探るだけで無く、あらゆる力の流れを認識する。


 凪ノ型を使っている俺は周囲だけで無く、屋敷中にいる全ての人の気配が知覚できる。


 それだけで無く、マリの姉の発する呼吸や体温、心臓の振動、額を流れる汗、俺の気配が余りにも無くなった事実にマリ姉が唾を飲みこみ、一歩後退る姿まで………目を瞑っていても、マリ姉の動きが手に取る様に分かる。


 ん?扉の外に誰かいるな。

 この気配は………いや、今は良いか。


 俺は剣先を下げた状態で数歩、前に進んで、部屋の隅から離れる。

 それに合わせ、マリ姉も警戒して後退する。


 部屋の中央に来た俺はゆっくりを目を開け、言う。


 「来い、マリ姉」

 「………」


 俺の雰囲気が変わった事に、マリ姉は警戒しつつも深く息を吐く。

 重心を下げ、ナイフを再度構える。


 「行きますよ、ミナト様」


 こうして始まったマリ姉との第二ラウンドは、またしてもマリ姉の一瞬で移動する魔法による背後からの奇襲だった。


 マント越しからの攻撃は意味が無いと判断してか、マリ姉はマントに覆われていない俺の左肩にナイフを振り下ろす。

 それを俺は右に半歩行くことで、紙一重で躱す。


 続く、振り下ろしからの横薙ぎも上半身を少し前へ傾けて、これまた紙一重で躱す。


 さらに続く、横薙ぎからの突き刺しも左足を九十度に反時計回りに動かすことで、三度…紙一重で躱す。


 突きを放った際の、マリ姉の目と俺の目が躱し様に合う。


 マリ姉の目は驚きに包まれていた。

 死角からの攻撃であるはずなのに、自身の放った三回の攻撃が紙一枚の隙間で悉く躱されたからだ。


 そこからはマリ姉が攻撃、俺は回避だけの攻防であった。


 剣先は下に降ろしたまま、足の移動や体重移動、体捌きで躱す。

 もう〈氷刀〉で受けたりはしない、その必要が無いからだ。


 視覚で捉えなくとも、俺にはマリ姉の気配が、動きが、僅かな攻撃の兆候が”観える”からだ。

 マリ姉の一挙一動の全てを感じるからだ。


 凪となった俺はマリ姉の攻撃に対し、最小限かつ最適な動きで避けるだけ。

 あたかも、そよ風に小さく凪ぐ一本の花のように。


 第三者が俺とマリ姉の攻防を離れた場所で見ていたなら、激しく動くマリ姉とは対照に、俺が先程から部屋の中央より少しも動いていないことに気づくだろう。


 マリ姉の攻撃の速度と手数が、始めより増していく。

 全く攻撃が当たらない事に、焦りや苛立ちを感じ始めたのだろう。

 だが、それは俺が望んだ状況だ。


 もう……終わりにするか。


 躱し続けていた俺はずっと伺っていた。

 反撃の機会を。

 マリ姉が攻撃を神経を注いでいる、今がその機会だ。


 俺は〈氷刀〉を握る手に力を込め、タイミングを計る。


 それはマリ姉が俺の背後に一瞬で移動した時。


 背後は、人の根本的な死角。

 故に背後を取った状況で、反撃への警戒は無意識に低くなる。


 マリ姉は俺の右肩に突きを放つ。


 俺は腰を屈み、突きをすれすれで避ける。

 そして降ろしていた剣先を床に字を描くように、下に向けながら右後ろへ払う。


 「水剣技流初伝・水詠み」


 〈氷刀〉は見事にマリ姉の左足に直撃した。


 反撃に一撃は水剣技流初伝でお馴染み、水詠みだ。

 ワイバーン討伐でも使った、この技は最小の動きを持って、敵を制する技。


 この水詠みを習得するのにも苦労したが、この技をあらゆる状況、あらゆる構えからでも放てるようにするのにも大変苦労した。


 「ぐっ!!」


 この〈氷刀〉は刃を潰してあるので、斬られることは無いけれど、骨は折れただろう。


 今まではマリ姉の攻撃を受けてから反撃だったため、一瞬で場所を移動され、当てることは出来なかった。


 だから、俺はマリ姉が突きを出したのと同時に、反撃を食らわせた。

 攻撃する瞬間だけは避ける余地がないからだ。


 左足をやられたマリ姉は歯を食いしばりながら、何とか右足で立つ。


 しかし、誰がどう見ても決着だ。

 あれで戦闘続行は無理だろう。


 俺は深呼吸して、凪ノ型を解く。


 「終わりだ、マリ姉」

 「う……あ、足への攻撃なんて、貴族や騎士らしくも無い剣ですね」

 「水剣技流は実戦最強の剣だからね」


 上品さが求められる貴族や騎士が使う剣術は足への攻撃は無いだろう。


 けれど、さっき行ったように水剣技流は実践を想定した、徹底的な合理主義の剣。

 どのような体勢からでも的確な一撃を繰り出す、実利を追求した剣だ。


 俺は剣先を降ろしてはいたが、これは下段の構え、もしくは土の構えを呼ばれている構えの一種。


 下段、つまり足などの下半身への攻撃に対応した構えだ。


 「その足だと、もう戦えないよね?」

 「…………………はぁ…そのようですね。しかし、益々困りますね。ミナト様は魔法だけで無く、水剣技流も達者なようで」

 「師匠が最高だからね」

 「本当に困るんですよね。数百年も掛けて、アクアライド家の血筋を落ちこぼれにしたのに。水剣技流だって、雑魚剣術にしたのに。これじゃあ………”振り戻し”です」

 「振り戻し?」

 「おっと口が滑りました」


 マリ姉は口元に手を当てる。

 俺は眉根を寄せ、一歩踏み出す。


 「それに関しては、いろいろと聞かないとね。マリ姉が俺に魔阻薬を飲ませた理由。アクアライド家を敵視する理由について」


 レイン様達は血筋が途絶えなければ、アクアライド家は別に無くなったって良いと言ってくれた。


 でも、俺は気になるんだ。

 千年前に詠歌を誇ったアクアライド家が落第貴族まで呼ばれるぐらい、ここまで落ちぶれた理由が。

 レイン様とウィルター様とシズカ様が築き上げてきたものを壊された理由が。


 その答えをマリ姉が持っているなら、聞きたい。


 「残念ですが、話は終わりです。ミナト様、貴方はいずれ後悔することになるでしょう。強くなって、今更戻ってきたことに。強くなったことも問題ですが、帰ってくるのにも時間をかけすぎた」

 「それは…………どういう」

 「一つ忠告しておきます。今のうちに、エスパル王国から出ることです。そうですね、西に隣接しているポール公国とか、どうでしょう」

 「エスパル王国を出ろって……訳が分からない」

 「数年後に分かりますよ。”エスパル王国は無くなります”から」


 そう言い残したマリ姉は何の前触れも無く消える。


 また一瞬で移動してからの奇襲かと思ったが、部屋の何処を見渡してもマリ姉はいなかった。


 まさか…………逃げられた!!


 俺はすぐに索敵魔法である〈水蒸気探知〉を使用し、屋敷内部から屋敷周辺を探索する。

 マリ姉の反応は何処にも無かった。


 マリ姉は一瞬で場所を移動する魔法を使って、逃げたのだ。

 その事実に俺は、


 「マリ姉ぇっっっ!!!


 声を張り上げて、彼女を叫んだ。




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