閑話 一方その頃、マカでは①
これはミナトがマカの街を出て、アグアの街に着く少し前の話。
「え?ミナトさんが「水之世」で行方不明になったアクアライド家の嫡男だという事を、リョナ家当主のフルオル男爵に通達したのですか?」
「ええ…伝書鳩にてアグアの街へ飛ばしたので、ミナト殿がアグアの街に辿り着く前に届くでしょう」
Aランク冒険者であるミルの質問に、マカの街の領主であるヴィルパーレ辺境伯が答えていた。
ここはヴィルパーレ辺境伯が所有する屋敷の敷地内。
「フルオル殿は私の旧知の友人でして、礼儀正しく、人格も優れています。きっとアクアライド家であるミナト殿を無下に扱うことはしないでしょう」
さも当たり前のようにミナトが、今は落ちぶれて、実質的な爵位剥奪になったアクアライド家であるのを知っている。
別段、ミナトが自分で教えた訳ではない。
マカの強襲があった日の翌日に、興味を持ったヴィルパーレ自身がミナトの事を深く調べただけだ。
落第貴族と呼ばれていたアクアライド家の嫡男であるミナトがどうしてあれほどの強さを持っていることは知らない。
それでも黒目黒髪、水魔法、ミナトと言う余り聞かない名前から推測を立て、それをミランやミルに軽く確認したところ、推測が正解になったということである。
ミランもミルも貴族としても優れ、人格者として知られているヴィルパーレに教えるのは、やぶさかではなかった。
きっとミナトもヴィルパーレになら、教えても大丈夫と言うだろう。
「それにしても何故、フルオル殿に伝書鳩を使ってまで教えたのですか?」
ミルの疑問に、ヴィルパーレは少し困ったような顔を作る。
「ああ、それは………こう言っては何ですが………ミナト殿とは少し会っただけですが、彼はかなり臨機応変なタイプと言いますか、とても行動力のある方です。ですので、もしかしたら行った先のアクアライド家…いえ、リョナ家で問題を起こすのではないかと思いまして…………本当は、問題は起こらない方がいいのですが、その場合に問題がスムーズに解決するようにと思い、勝手ながらフルオル殿にミナト殿の事を通達されていただきました」
言葉を濁してはいるが、率直に言えばミナトは無鉄砲なところがあるから、問題が起こっても大丈夫なようにミナトの事をリョナ家当主であるフルオルに伝え、無粋に扱わないように手紙をしたためたのだ。
「それに関しては激しく同意します」
ミルのそばにいたクラルが腕を組んで、うんうんと言う。
ミナトが「水之世」から出て、付き合いが最も長い彼女は、ミナトが計画性皆無の行き当たりばったり野郎であることを知っていた。
実際、ミナトはこの数日後にリョナ家の門の前で騎士達に「指導」を加えているので、ヴィルパーレが取った行動は大正解であるのだが。
その時、ヴィルパーレ達の耳にガン…ガン…ガン…と何かと何かが打ち付け合う音が入る。
それはヴィルパーレ達のいる屋敷の敷地内のすぐ近くにある訓練場から聞こえた。
そこでは普段、辺境伯直属の騎士団が日々の鍛錬のために素振りや互いでの模擬戦に使用されているが、今日は指南役がいる。
「おお、いいぞ。エルミア!この前より、剣に体重が載っているな」
「はい、ミラン殿!しかし、まだまだです!」
マカ辺境伯騎士団・第三部隊隊長であるエルミアは、指南役であるマカのギルド長であるミラン相手に何度も模擬用の剣で打ち込みを入れていた。
それを刃の部分に厚い布を巻いた彼女の愛武器である魔斧ネグログリアで応戦していた。
ミランはヴィルパーレの頼みでギルド長でありながら、時々辺境伯家に訪れて、騎士団に稽古を付けているのだ。
騎士団の練度向上のため、ミランの日々の事務作業の息抜きのために。
序盤はミランが受けに回るだけであったが、徐々に反撃する回数が増えていき、ついにはミランの斧がエルミアの模擬用の剣を弾き飛ばす。
模擬用の剣を弾き飛ばされたエルミアは切れかかっている息を整えながら、頭を下げる。
「今回もご指導、ありがとうございました!」
「剣筋は良くなっている。後は体力を伸ばすのが課題だな」
エルミアに対して、ミランは的確なアドバイスを出す。
エルミアとミランの周囲には、多くの騎士達がいた。
彼らはエルミアの前に、ミランと模擬試合をして、休憩をしている者達だ。
それでも、彼らはエルミアとミランとの試合を瞬きを忘れて、食い入るように見ていた。
他人の模擬試合からも学べることがあると思って。
「はぁ…ちょっと休憩。水飲みてぇ」
そう言って、ミランは水を飲みに水筒のある場所に行く。
水筒を手に取って、水を喉に流し込む。
「ふう~」
「………………キュル」
すると、ミランの足元から鳴き声がする。
「ん?ああ、ごめん。お前も水飲みたいか?」
「キュル!!」
ミランは手に持った水筒を自分の足元で可愛らしく鳴く生き物に水を分け与える。
その生き物はミランからの水を美味しそうに飲む。
「あの………ミラン殿、少し宜しいですか?」
この時、エルミアがミランに尋ねる。
「お、何だ?」
「あの……えっと、かなり前から気になってはいたのですが、ミラン殿のそばにいる、その生き物は黒亀王の…………幼体ですよね?ほら、少し前に卵から帰った」
エルミアが指し示す先いる生き物は今、ミランの膝に顔をスリスリしていた。
黒い鱗、そして四つの足に、甲羅。
一見すれば、どう見ても亀。
大人の膝の高さぐらいまで大きい事を除けば。
「そうだが、それがどうした?」
「危険では無いんですか?その………………討伐はしないのですか?」
エルミアは自分で討伐はしないのかと言っているが、母親に甘える子供のようにミランにくっ付いている黒亀王の幼体を見ていると、討伐する気が失せ来る。
どうやら完全にミランの事を母親だと認識しているようだ。
少し余談となるが、成体の黒亀王は産卵期になると海岸周辺を訪れ、卵を産みに来る。
産んだ後は、成体の方は生まれた子供を見る前に、再び海に戻るのだ。
そのため、卵から生まれる幼体は母親の顔を見ることは無い。
今回はミランが母親である黒亀王の血を体に纏っており、魔石を手に持っていたので、刷り込み現象が起こったのだ。
「最初は私もそうしようと思ったが、ミルがな………絶対に討伐するなって、うるさくてよ」
「は、はぁ…Aランク冒険者のミル殿が…………」
「そうですよ、エルミアさん」
その際に、討伐するなと言った当人であるミルがミラン達の会話に入ってきた。
ミルはミランに甘えている黒亀王の幼体に近づき、頭を撫でる。
「こんなに可愛い子を討伐なんて、許されるはずがありません。ギルド長や辺境伯の騎士団と言えど」
「は、はい!」
エルミアは条件反射でミルの言葉に賛同する。
そうせざる負えないぐらい、ミルから凄みを感じたからだ。
いつもの茶色いローブで顔は見えないが、ゴオオオ……という効果音が幻聴で聞こえる程、ミルからは黒亀王の幼体に手出しはさせないオーラが出ていたのだ。
そんな様子のミルに、クラルは珍しく額に手を当て、主人に対して少し呆れていた。
そう…………ずっと付き添っているクラル以外は殆ど知らないが、ミルは可愛いものが大好きなのだ。
「ちょっとここで待ってろ」
「キュル!!」
ミランの指示に黒亀王の幼体は素直に従い、その場に座り込む。
「まぁ…エルミア。黒亀王の幼体も、この通りミラン殿の指示に従っている。少なくとも、今すぐ討伐するほどでもないだろう」
「わ、分かりました。辺境伯様」
エルミアは取り敢えず、自分を納得させることにした。