俺の氷は鉄より硬い鋼だ
馬車が前方に大きく速度を上げ、ワイバーンの姿が〈望遠鏡〉無しの肉眼でも、段々とはっきり見えてくる。
俺は窓から顔を引き、移動中の馬車の扉を開け、そこから馬車の屋根に飛び移る。
ワイバーンに急接近する馬車の上を、バランスを取りながら立った。
馬車がワイバーンに近づいたことで、ワイバーンの近くにいる冒険者が馬車に気づく。
「ん?何だ?馬車が……………お、おい!こっち来るな!ワイバーンがいるんだぞ!」
冒険者の一人が大声を出して、俺と御者が乗る馬車に向かって叫ぶ。
しかし、冒険者が馬車に気づいたと同様に、ワイバーンも馬車に気づく。
ワイバーンの血のようなドス黒い目が、馬車の方……俺の方に向けられる。
五歳の頃に初めてワイバーンの討伐隊に参加したとき、あの目を向けられ、まだ幼かった俺はビビり上がった。
そして恐怖で気絶した。
それから時々、夢の中でワイバーンが出てきて、うなされることがある。
あの時の雪辱を、ここで果たさせて貰う。
ワイバーンが新しい獲物を見つけたと言わんばかりに、こっちに飛翔してきた。
「あのミナト殿!このままだと、ブレスが来ます!」
「大丈夫です。俺が防御します」
御者の騎士の言うとおりに、こちらに飛んで来たワイバーンの口から、炎の赤い揺らめきが零れる。
次の瞬間には、馬車に向けられ、ワイバーンが口を開く。
一直線の炎の線が迫る。
視界が赤く染まる。
ブレスに先走って、むせ返るような熱気が俺の前髪をかき上げる。
「〈氷壁・囲〉」
馬車を引く馬ごと、氷の壁で囲う。
直後に、氷と炎が衝突する音が響く。
そしてジュゥ……と、氷が溶ける音も聞こえてきた。
ブレスが晴れると、馬車を囲っていた厚さ十センチの氷の壁が八センチまで溶けていた。
やはり空を飛ぶだけのトカゲとはいえ、ブレスの火力は一丁前か。
俺はブレスを放った後、馬車の上を通り過ぎ、今は馬車の後方を飛行する無防備なワイバーンの姿をとらえる。
隙だらけだ。
今度はこっちが攻撃の番である。
俺は〈氷壁〉を生成する際の、水分子が六角形になる様子をイメージしつつ、それを槍の形に創造させる。
「〈氷槍〉」
それは氷で作られた、俺の伸長を超える半透明の長い槍である。
先端は長い刃が備え付けられ、長い刃の元には左右に短い刃が付いている。
まるで十字架を逆さまにしたような形状。
さながら十文字槍の形である。
それを一直線に、ワイバーンの右翼に目掛けて放った。
シュン!
氷の槍が日光に照らされ、光沢を放ち、空を貫きながら進む。
〈氷槍〉は狙いたがわず、ワイバーンの右翼を貫いた。
ワイバーンは空中でバランスを崩す。
もう一丁。
「〈氷槍〉」
俺はさらにもう一本〈氷槍〉を生成して、ワイバーンの左翼を貫いた。
ワイバーンは雄たけびを上げながら、地面に落下していった。
それを確認して、馬車に張った〈氷壁・囲〉を解除し、ワイバーンの所に行ってみる。
「ギュアアアアアア!!!」
ワイバーンは両翼を氷の槍で貫かれたことで、地面の上で体をばたつかせ、暴れている。
俺が暴れるワイバーンに近づく最中で、ワイバーンの方も近づく俺の事に気づいた。
獰猛な顔をこっちに向けてくる。
今にも俺を食らいそうな顔つきをしている。
昔は滅茶苦茶、その顔が怖かったが、もう怖くない。
ただのトカゲにしか見えない。
とどめを刺すことにした。
「〈氷槍〉」
ワイバーンの口の中に〈氷槍〉をお見舞いしてやった。
ワイバーンは一瞬痙攣し、そして上体を下ろし、そのまま動かなくなった。
暫く待って観察してもワイバーンは動かないままだった。
絶命したのだ。
俺は思わずガッツポーズを取る。
ようやく小さい頃につけられた、ワイバーンを見ただけで気絶した貴族の嫡男という汚名を返上できたからだ。
「まさか…ワイバーンを単身で」
御者の騎士は眼を見開いて、生き絶えているワイバーンを確認する。
「はい、雪辱を果たしました」
「雪辱?」
「あ、いえ…こっちの話です」
雪辱という言葉に騎士は首を傾げながらも、今もワイバーンの身体を貫いている氷の槍を見据えて、好奇心からか…触り始める。
「いやーそれにしても、凄いですね。ミナト殿の氷は。ワイバーンの硬い鱗をいとも簡単に貫くとは」
騎士は俺が作った氷の槍を手でコツコツと叩きながら、強度を確かめる。
「ミナト殿の氷は、まさに"鉄"のごとき硬さですね」
その時、俺は騎士が言った鉄という単語に待ったをかける。
「いいえ。"鉄"ではありません。それより硬い"鋼"です!」
「?」
俺はドヤ顔で、自信満々に言い切る。
けれど、言われた騎士は何のことだか、さっぱりと言った表情だ。
「その二つは、何か違うのですか?」
「全く違います」
そこで俺は騎士のために、「鉄」と「鋼」の違いを分かりやすく説明することにした。
「鋼とは、鉄に少量の炭素が混ざった物ですね」
俺が今言ったように、鋼は別の言い方で鋼鉄と呼ばれることから、鉄との合成物である。
大体0.02%~2.0%の炭素を混ぜたのが、鋼だ。
「炭素?」
けれど、騎士は炭素という言葉には、馴染みがないようだ。
「あ、炭素というのは、炭の素と書いて炭素です。火で物を燃やした時に出る黒いやつの事です。これを鉄と化合させます。鉄は酸化しやすいですからね、そのままにしておくと、錆びついちゃいます。だから炭素とくっつけて、酸化しにくくしてるんですよ」
「は、はぁ…」
段々と騎士の返しが、空返事になっていく。
「それで鉄は強度自体は高いですが、靭性自体が低いんですよ。だから鉄に微量の炭素を含ませることで、靭性を高めて、変形しづらくさせます」
「………」
とうとう騎士は口を半開きに開け、固まる。
ミナトの話が理解できていない様子だ。
まぁ…当然と言えば、当然だ。
先程ミナトが説明した鉄や鋼、炭素、酸化、靭性等々の事は、全てミナトがウィルターから物理法則というものを学んだお陰で分かることだ。
物理法則そのものを知らない騎士が、それを理解するのは非常に困難である。
「え~と……簡単に言うと、鍛冶とかでトンカツを使って、鉄を叩いていますよね。ああやって、鉄を鍛えることで出来たものが鋼なんです」
「あー!それなら分かります」
鍛冶を踏まえた話で、騎士はようやく納得の意を示した。
「話が長くなりましたが、つまり俺の氷は鉄より硬いってことです」
ミナト講座はこれにて終了した。
そして馬車はまた街道に戻り、アグアの街に向かった。
けれど、この時の俺は完全に忘れていた。
俺が来る前まで、ワイバーンと戦っていた冒険者達の存在の事を
俺がワイバーンを討伐してから、彼らは口をポカーンとして、俺や馬車を遠巻きにずっと見ていたのだ。
後に、正体不明の白いマントをつけた少年がワイバーンを単独討伐したという噂がアグアの冒険者ギルドで話題になるのは、もう少し先の話。
ダンジョン「水之世」でレイン様と出会ってから、五年経った。
本当は「水之世」から出た後すぐ向かおうと思ったけど、いろいろ予定が狂ってしまい、一か月もかかった。
だが、ついに…ついに…俺の目の前にアグアの街の城壁があった。
馬車はゆっくりと城壁の扉に向かっていく。
本当に懐かしい。
でも、感動は抱かなかった。
この街には良い思い出が殆どないからな。
幼かった俺が街の中を歩いても、住民からはいつも恨みがましい目つきで見られるだけ。
理由は分かる。
落ちぶれたアクアライド家が治めている領地の街の住民は、訪れる旅人や商人から下に見られることが度々あるからだ。
結局、その貴族が低く見られると、その貴族が治めている領民も低く見られるのだ。
それによって、人の移動や物流が滞り、不況になりやすくなる。
そして住民の心は鬱憤が溜まっていく。
その鬱憤先は貴族や領主に向けられる。
逆を言えば、その街の住民が満足げな顔をしていれば、その街の貴族もしくは領主は優秀という事だ。
代表例を挙げれば、直近で出会ったマカの領主であるヴィルパーレ辺境伯かな。
あの人からは、滲み出る強い心と自信を感じた。
実の父親から絶対に感じないものだ。
それにマカの住民や冒険者ギルドの人たちも、どことなく満たされている表情をしていた。
街が経済的に潤っている証拠だ。
マカは貴族として、お手本の街だ。
俺が貴族と領民の関係について、しみじみと考えている間に馬車は城壁の扉の前に着いた。
俺は身分証明として冒険者を示したプレート、御者の騎士はマカ辺境伯所属騎士団のエンブレムを見せて、アグアの街に入った。
当然と言えば当然だが、扉を守衛していた騎士達は俺がアクアライド家の嫡男であるなんて、まったく気づいていなかった。
冒険者のプレートには、ミナトっていう名前が載っていたが。
街内に入った後は、馬車を格納する車庫に行った。
ここで俺は騎士の人とお別れだ。
俺は御者を務めた辺境伯の騎士に、マカからアグアまで送ってくれた事のお礼を言った。
「ここまで送っていただきありがとうございます」
「いえ、お礼なんて…大したことはしていませんよ。それにミナト殿には、マカが襲撃になった際にお世話になりましたから、これくらい当然です」
騎士は当然のことをしたまでと返す。
道中の野宿はミナトの氷の壁のお陰で魔物に対して、しっかりと休むことが出来た。
騎士からしたら、本当に大したことをしていないと思っている。
騎士と別れた俺は、車庫から真っすぐアクアライド家の屋敷に向かった。
五年前まで、この街に住んでいたので迷わず進める。
アグアの街は五年前と比べて、何一つ変わっていなかった。
良い意味でも、悪い意味でも。
「この噴水も懐かしいな」
屋敷に向かう途中に、街の中心にある噴水………アグアの街のシンボルを見て、また懐かしさが込み上げてくる。
噴水の中央には、上半身は女性、下半身は魚の”人魚”の銅像があり、その周囲から水が噴き出している。
高さは十メートル以上と、噴水とは思えないぐらい規模が大きく、さながら一つの建築物。
まぁ…それもそのはず。
実は噴水自体は、浄化された綺麗な水を生み出す巨大な錬金道具なのだ。
これと同じ物が、この街には何個もある。
水を生み出す噴水はそこを起点として、水路に水を流している。
その水路は住宅の至る所に通っている。
水路の水は、この街の住民の生活用水になるのだ。
ちなみにこの噴水を作ったのが、俺の師匠であるウィルター様だ。
つまり千年前に作った魔道具が今も問題なく、稼働しているのだ。
やっぱりウィルター様は凄い。
そうそう、今目の前にあるこの噴水………街の中心に位置する、この人魚の銅像がある噴水はアグアの街の噴水の中で一番大きく、ここだけ人魚の銅像があるのだ。
住民から「人魚の憩いの場」と親しみを込めて、呼ばれている。
この街のたくさんの子供が、ここで水遊びをする。
俺も幼いころは、内緒で他の子どもたちに混じって、遊んだことが何度かある。
アグアの街には、良い思い出が殆どないと言ったが、ほんの一部分だけの良い思い出がこの噴水での思い出だ。
もっと、この噴水を見てみたい気持ちはあるが、今は足を強制的に屋敷の方に向けた。
この街にいる限り、噴水はいつでも見ることができる。
だから今は屋敷の事、マリ姉の事だ。
そうして街の中を進むこと暫し………五年ぶりに我が家を視界に収める。