辺境伯
「え?消えた?…………消えたってのは、逃げたということですか?」
「逃げたんじゃなくて、消失したんだ。抽象的な意味ではなく、物理的にな。私も何が何だか、分からない。今、辺境伯の騎士たちがマカ中を捜索しているが、消えた男に加えて、シュルツと氷漬けにされたラリアーラが見つかった報告は出てない」
「それで…あんなに騎士が忙しそうに周っていたんですか」
俺は現在、少し前までシュルツと氷漬けにされていたラリアーラが拘束・安置されていた辺境伯屋敷の敷地内にある倉庫に訪れており、ここで起こった状況をミランから説明されていた。
クラルからの長い説教が終わった後、ようやく解放され、夕飯を食べようと考えていたら、うっかりラリアーラを氷漬けにしたままの状態であることを思い出した。
あれでは尋問は出来ないだろう。
クラルに関しても、辺境伯の屋敷にいるミルの元に向かうつもりなので、俺は測らずとも彼女と一緒に辺境伯の屋敷に行った。
しかし屋敷に向かう途中で、マカの街を巡回する騎士が慌ただしくしているのを見て、俺達は違和感を持った。
屋敷の場所を知っているクラルに付いていきながら、駆け足気味に屋敷に向かう。
辺境伯の屋敷はアクアライド家の屋敷の数倍は大きかった。
…………当たり前だけど。
屋敷の敷地内には、多くの騎士がいた。
騎士に指示を出している男……貴族服は着つつも腰に剣を刺し、金髪の髪を短く纏めていて、立ち姿からただ物ではないと分かる。
あの人が辺境伯なのかな。
なかなか強そうだ。
敷地には騎士だけでなく「銀山」と「双酒」の皆んな、そしてミルに、ギルド長のミランがいた。
俺を見つけたミランは、俺を倉庫に案内した。
そこで、ミランと辺境伯とミルがこの倉庫でシュルツを尋問している最中に、謎の男がいつの間にか倉庫内に侵入し、気づけばシュルツとラリアーラが男と一緒に消えていたという事の次第を聞かされた訳だ。
「ここで…その正体不明の男とやらは、シュルツと氷漬けのラリアーラごと消えたって訳ですか。そんな事って可能なんですか?」
「知らん。だが、恐らくその男は何らかの魔法を使って消えたと、私は思っている。だからお前に聞いているんだ。お前の方が魔法に詳しそうだからな」
「ふむ……」
俺は男が最後に消えたという場所にさらに近づき、水蒸気による探知魔法を発動する。
「〈水蒸気探知〉」
それは自身からの水蒸気の放出と、すでに空気中にある水蒸気の解析により、周囲を探索する魔法。
俺は自身が放出する水蒸気を集約させ、空気中にある水蒸気の解析を一点に集中させる。
そうすることで、探知の効果範囲を絞るのだ。
「〈水蒸気探知・解析〉」
普通、探知魔法は索敵や調査のためにあるものだから、範囲を広げるものだ。
しかし、これは逆に範囲を小さくすることで、より解析の精度を上げるのだ。
一方方向の探知範囲を広げる〈水蒸気探知・エコロケーション〉とは、また違ったベクトルの〈水蒸気探知〉の応用魔法。
文字通り、解析だ。
これを使って、男が消えた場所を調べる。
すると、解析結果が俺の脳内に入ってくる。
これは誰かの魔力。
「………………微かに何者かの魔力の欠片がありますね。謎の男がここで魔法を使ったのは間違いないですね」
誰かの微量な魔力の跡を解析した。
魔法使いが魔法を行使すると、どれだけ消費魔力を抑えていても、微量な魔力がその場に残ってしまうのだ。
それにミランが驚く。
「何?!そんなことが分かるのか?それどんな魔法だ?」
「いや、解析できたのは魔力の有無だけで、それが何の魔法の魔力かまでは分かりませんよ。でも、う~ん……消えたとなると…………透明…になる魔法でも使ったのかな?」
「透明になる?そんな魔法があるのか?!」
ミランが食い気味に俺に顔を寄せる。
「いえ、俺が適当に言ってみただけです」
「何だそりゃあ!」
でも、現状消えたという事からは、透明になったしか思い浮かばない。
「ここで消えた以外に、その男は何かしらの魔法を使ってました?」
「ああ…そう言えば、その男が倉庫の隅に現れたときに、ヴィルパーレ殿と私が切りかかったんだが、突然目の前で消えたと思ったら、ここに一瞬で移動していた」
それを聞いて、俺は小さく呟く。
「一瞬で移動……………………何だかウィルター様の話で聞いていた……”あれ”みたいだな。だが………………まさかな」
「ん?なんか言ったか?」
「いえ、何でもないです。でも今の情報だけだと、何の魔法か分かりませんね」
その後…一応、倉庫内のいくつかを〈水蒸気探知・精密探査〉で解析したけど、一度ミラン達の目の前で消えた辺りで同じ魔力の反応を検知した以外、何か目ぼしい発見は無かった。
俺とミランは倉庫を後にした。
外に出ると、グウウウ……と、腹が鳴ってきた。
今日は昼食はミランから貰った携帯食だけで、結局まだ夕飯は食べていない。
解凍するはずだったラリアーラは謎の男と一緒に消えたわけだし、俺はここらで御暇させてもらうか。
そう思っていたら、俺に向かって歩いてくる者がいた。
金髪を短く纏めた貴族服の男。
「君がミナト殿かな?」
「そうですが……」
「ああ、私はこのマカの街の辺境伯をさせて貰っているヴィルパーレ・トレルという者だ。宜しく」
「よろしくお願いします」
やっぱり、この人が辺境伯の人だったか。
出された手を、俺は握って握手をする。
手のひらは剣だこが多くあった。
長く剣を振ってきた証拠だ。
俺の父親とは比べるのも烏滸がましいレベルで威厳がある風貌。
精悍な顔付きで好感が自然と持ててしまう。
元男爵嫡男として、尊敬の念すら覚えてしまう。
きっと有能なんだろうな。
彼はジッと俺の顔を凝視する。
「えっと……」
「おっと、すまない。君には前から噂で聞いていてね。是非、無剣の剣士と呼ばれている魔法使いに会って話がしてみたいと思っていた」
無剣の剣士…俺が訓練場の壁を壊した罰として、商業からの木材加工の依頼をしている時に付けられた通り名だ。
ノコギリなどを使わずに得意の〈水流斬〉でスパスパ斬っていたためだ。
あれによって街中に、無剣の剣士なんていう通り名が広まった。
…………でも、実は割と俺もこの通り名を気に入っていたりする。
「突如、一月前に現れ、Cランクになった少年。その少年は見たことも聞いたこともない魔法を屈指する水魔法使い。正直……君が何者で、どこから来たのか非常に気にな……………………いや、すまない。冒険者に素性を尋ねるのは無粋か」
「………」
Cランクは、ただクラルをぶっ飛ばしただけなんだよな。
それにしても素性か。
素性……つまり俺がアクアライド家の者であるかどうかを話すのは判断に迷う。
「水之世」に関しての事は、ウィルター様から出来る限り公言しないように言われたが、俺がアクアライド家であることは別段、そこまで深く隠す必要は無いように思える。
実際、そばにいるギルド長のミランは俺の素性を知っているわけだし。
俺がそんな事を考えていると、辺境伯が急に頭を下げ始める。
「今回の防衛線では、君の活躍が大きく貢献したと聞いている。深く感謝する」
「ど、どうも」
「それに加えて、黒亀王の討伐。……もしあれがマカを襲っていたら、町は壊滅していただろう。君のおかげだ。繰り返し礼を言う」
「ぼ、冒険者ですから……ま、街を救うなんて当然ですよ!」
「いや、君の功績は賞賛されるべきものだ」
元男爵の嫡男である俺に対して、ずっと位が高い辺境伯の唐突なお礼に、俺は戸惑ってしまう。
言葉が乱れ、街を救うなんて当然……なんていう柄にでもない事をつい口走ってしまった。
「………クック」
そんな俺を見て、ミランは後ろで笑いを堪えるために手で口を押えていたのは知る由もなかった。
「さて、ここまでの功績だ。君には私から、きっちりと報酬を持たせたいんだけど、何か要望はあるかな?」
「報酬と言いましても………………別に欲しいものは………あ!」
報酬なんて特に思い浮かばないと思っていたら、今朝のことを思い出す。
「ん?何かな?」
「俺は今日、本当はここから北東の街アグアに行く予定だったんですよ。でも、定期馬車は今日の襲撃で中止になりまして。俺は明日にでも、また行こうと思うんですが、場所の手配をすることは出来ませんか?」
それを聞いたヴィルパーレは少子抜けた顔をする。
「………そんな事でいいのか?確かに、街に襲撃をかけられた今の状況では、数日は定期馬車は出ないだろうな。ふむ、アグアの街か。…………分かった。私が保有している馬車を使ってくれ。御者は騎士に任せよう」
「ありがとうございます。………………………あ、それともう一つ良いですか?」
折角、辺境伯が報酬をくれると言っているんだ。
これぐらい頼んでも言いよね。
「美味しい夕飯をご馳走してください」
「え?」
ヴィルパーレが首を傾げるが、俺としては大まじめだ。
お預けを食らって、腹が減ってどうしようもないんだ。
腹の虫がさっきから鳴ってんだ。
「分かった。すぐに食事を用意しよう。折角だから、ここにいる皆の分も」
流石、有能な人。
俺の頼みに対して、すぐに答えてくれた。
その後はヴィルパーレ辺境伯の敷地内では、祝賀会みたいなちょっとした立食パーティが開かれた。
参加者は俺だけでなく、クラルやミル、ミラン、「銀山」、「双酒」もいる。
俺は本当に明日、今度こそ実家に帰るので、幼馴染のクラルや先輩冒険者の「銀山」、「双酒」、ギルド長のミランに今までのお礼と、お別れを言った。
思えば、今日の朝に帰ろうとした際にはまだ、この人たちにお礼もお別れも言っていなかったな。
そう考えれば、今日の実家帰りが無くなって、良かったのもかもしれない。
マカの街から離れたところでは、
「おお、貴公か」
「ゲルダ……ラリアーラとシュルツの回収には成功した。これより我らは祖国に帰還する」
「やっと帰れんかよ。早く帰らせてくれ!」
シュルツの軽口を聞いてもゲルダは反応せず、一人悔しがる。
今回の襲撃は大本の暗殺目的は失敗したからだ。
標的は暗殺できなかった。
それを見た男は、
「暗殺には失敗したが、標的の魔法の力量、そして未確認の不穏分子を発見することが出来た」
「不穏分子?」
「ラリアーラを氷漬けにした奴だ」
「氷漬け?………な?!」
そこで漸くゲルダは男の後ろにある氷漬けにされたラリアーラを確認する。
人が氷漬けなんて、あり得るのか?
「私も直接見たわけでは無いが、これをやったのは十中八九、黒亀王を討伐した少年だろうな」
「あの黒髪のマントの餓鬼か」
男は推測を述べ、シュルツはミナトの姿を思い出し、顔を歪める。
「生きているかどうか分からんが、貴重な樹魔法使いだ。急ぎ、祖国に戻るぞ」
「了解しました」
ゲルダは男に近づき、服の一部を掴む。
シュルツも同じようにする。
男の方は氷漬けにされたラリアーラに手を触れ、
フッ…………、
消えるのだった。
彼らはまるで、別の場所に一瞬で移動したかのように。