水剣技流奧伝
二年かけて、剣術に基礎。
一年かけて、水剣技流・初伝の技。
一年半以上かけて、水剣技流・中伝の技を習得した。
ここまで来るのに、振り返ってみれば、呆気ないと思う反面、やはり苦労はした。
シズカ様による稽古は厳しかった。
何度、剣を持つ手の皮が剥け、豆ができ、剣ダコが出来て行ったか。
身内贔屓無しの…………いや、身内だからこそ、先祖と子孫の関係であるからこそ、厳しく稽古をさせ、俺に強くしようと考えているのだろう。
剣なんて辞めてしまいたい……と、思ったことは正直何度かある。
だけど、それでも続けた。
続けられた。
やっぱり、剣は面白いからだ。
生まれてから、シズカ様に出会うまで剣なんて禄に降ったことも、握ったこともない。
ずっと父親から魔法を練習するように強要されていたのだ。
勿論、魔法だって面白い。
ウィルター様からの魔法の指導と訓練は大好きだ。
けど、剣も好きなのだ。
剣を振るのが、こんなに楽しいとは知らなかった。
だからこそ、俺には目標がある。
それは、”水剣技流の全て”を収めることだ。
水剣技流の全てを収めてこそ、剣の師匠であるシズカ様に報いたことになる。
初伝と中伝は習得した。
では、次は………………、
『ここまでよく頑張ったでござる』
シズカ様が俺を褒める。
『ミナト殿は、良くぞ水剣技流の初伝と中伝を全て収めたでござる。これは、水剣技の創始者として、ミナト殿の師匠として、とても嬉しい限りであるでござる』
「シズカ様の指導あっての賜物ですよ」
『そう言って貰えると、教えた拙者としても、師匠冥利に尽きるでござる』
シズカ様は一旦深呼吸をしてから、
『さて……ミナト殿。ここからは、ようやく………奧伝の習得に入るでござる』
「や、やった!!」
俺は、つい声に出して喜んでしまう。
それを見て、シズカ様はクスリと笑う。
『そんなに奧伝を教えられるのが、楽しみだったのでござるか?』
「はい!楽しみです!あんな凄いのを、これから習得すると考えると!」
『楽しみなのは、何より』
シズカ様は一回頷き、真剣顔になる。
『しかし、奧伝は純粋に、我武者羅に頑張れば習得できるものでは無いでござる』
「そうなんですか?」
『左様。以前、水剣技流の中伝の中でも、剣と魔法を融合させた水剣技が、水剣技流の真髄と言う話をしたでござるが、奧伝の習得に欠かせないものとは、”心”でござる』
「心………」
心とは、何だか単純な気もするが。
『水剣技流の奧伝は、剣と魔法だけでなく、心を融合させた…まさに、剣心一体。いや、”剣魔心一体”のもの。剣と魔法と心の三位が、全て一体となることで為せる業でござる』
シズカ様は、奧伝に関して熱く語り始める。
『時に、ミナト殿。【象形拳】という言葉を知っているでござるか?』
「しょう……けい………けん?」
俺にとっては、全く聞き覚えのない言葉だった。
「いいえ、聞いたことはありません。何ですか?」
『【象形拳】とは、エスパル王国から西……ヨーロアル諸国よりも遥か西にある大国にある伝統拳法の一つ。動物の動きや性質を模した技法を取り入れた拳法でござる。要は、その動物を自身の身体で表現するのでござる。例えば、虎の動きを模した虎拳や蛇の動きを模した蛇拳、鳥の動きを模した鳥拳など、様々でござる』
「動きを模すって、何だか…カッコよさそうですね」
人以外の動物は、基本的に頭の良さを除いて、生物として人よりも優秀である。
それを模すというのは、理に適っている。
『ふふ…カッコいいでござるか。【象形拳】で、最も大切なのは、模した動物を”心に宿す”ことにあるでござる。虎なら虎の心、蛇なら蛇の心、鳥なら鳥の心。心技体とは、良く言ったもの。心を宿さない限り、【象形拳】が完成するは無いでござる』
「なるほど……………あ!」
シズカ様の説明を聞いて、俺は何かに気づく。
「じゃあ、水剣技流の奧伝は、【象形拳】のように、”何か”の心を宿すことで扱えるという事ですか?」
『その通りでござる!』
俺の回答を聞いたシズカ様は、自身の用意した問いに対して、生徒が正解した時の先生のように、嬉しそうに微笑んだ。
『では、何の心を宿すのかと言うと、それは……………………』
俺は半身になり、両足を開き、右足を前に、左足を後ろに出す。
そして、〈氷刀〉の柄を左腰に、切先を下げつつ左足よりも後ろに置く。
剣術における抜刀した状態での居合の構えである。
体中の魔力を掻き集め、滾らせる。
溢れだす魔力を腕だけでなく、胴体や足、頭部にも、体の全ての箇所に行き渡らせ、静かに纏わせる。
魔力の全解放であるが、決して荒ぶるような纏い方をしてはいけない。
水剣技流は『水』を体現した剣。
その一挙一動は”平穏”でなければならない。
しかし、平穏でありつつも、内に秘める力の放流は、爪を研ぐ獣の如し。
あたかも、嵐の前の静けさのように。
「ふぅ…ふぅ…ふぅ…」
俺は努めて、深呼吸を繰り返し、心拍数を整える。
シズカ様は言った。
水剣技流の奧伝とは、【象形拳】と同等の物だと。
いや………………【象形拳】ではない。
【象形剣】だ。
模倣する生き物の動きを、剣の動きや流れ、軌道などによって、真似るのだ。
では、何を模倣するかと言うと、それは虎でも蛇でも鳥でも、はたまた獅子でも鬼でも悪魔でも無い。
それは、この世で最強の存在。
【龍】を模倣するのだ。
竜では無い。
龍だ。
『水剣技流の奧伝は、まさに龍を模倣した剣でござる』
「りゅう?リュウ?…………竜?ドラゴンですか?」
ドラゴン自体は、勿論知っている。
というか、知らない人なんていないんじゃないのか。
ドラゴンは竜とも呼ばれる存在で、この世界に置ける全ての魔物の頂点と言われている。
そもそも、魔物そのものが人を遥かに超えた生物であるので、実質この世界の最強生物と言える。
『ドラゴンはドラゴンでござるが、竜では無く、龍。龍でござる』
「何が違うんですか?」
『拙者の師匠である竜人が、エスパル王国から遙か東方に存在する極東の地の島国から来たと言った事があるでござるが、龍とは…その極東の島国にいるドラゴンの事でござる』
シズカ様は腕を大きく広げる。
『皆が思い浮かべる竜は、大きな胴体に巨大な翼、長い首に尻尾と、竜の眷属と言われているワイバーンと似たような形状を思い浮かべるござる』
「確かに、そうですね。俺の住んでいた屋敷にある絵本にも、ドラゴンはそんな感じの絵で描かれています」
『しかし、極東の島国にいるドラゴン、すなわち龍は…これとは異なる形状をしており、その姿は一見すると、巨大な空に浮かず蛇のよう』
「蛇?」
蛇と言うのは、手足が無い紐のような形状の生き物だが、それに似た形状のドラゴンが、極東の島国にいるそうだ。
しかも、空を飛んでいる。
『だが、姿自体が蛇に似ているとは言っても、蛇とは似ても似つかない存在。威風堂々たる姿と圧倒的な神聖の覇気。あれこそ、まさに龍。龍だけでなく、ドラゴンが皆、”神の眷属”と呼ばれる意味を否応にも理解するでござる』
「シズカ様は、その龍という存在を見たことがあるのですか?」
『うむ。拙者は、生きている頃、旅の途中で極東の島国に訪れたことがあるでござる。そこで、その龍とも会ったでござる。拙者の水剣技流は、その時に完成したでござる』
神の眷属というのは、よく分からないが、シズカ様の口調的に、とんでもない存在なんだろう。
けれど、悲しきかな。
「俺は………その龍という存在を見た事がありません。見た事も無いものを、模倣するのは………………」
これから習得する奥伝は、龍を模倣した物だそうだ。
でも、見た事がない物を模倣するというのは、至難の業だろう。
『問題ないでござる』
そう言って、シズカ様は腰に佩いてある刀を抜く。
それは、シズカ様が死んでから、今もこうして英霊となり、霊体の姿になってもなお、腰に刺し続けているシズカ様の愛刀『氷鬼丸』である。
シズカ様の百九十センチという超長身に合わせて、作られた大太刀。
その刀身は、氷と言う名のもとに、白く美しく、刃の部分にはシズカ様の髪色と同じ水色の波紋が描かれていた。
一目で最高の業物であると分かる。
この大太刀以上の武器が、この世にあるのか疑問視するほどの。
『拙者が龍になれば良いでござる』
俺を目を見開く。
「龍になる?」
『例え、拙者の姿かたちが人でも、龍を心に宿せば、龍にすらなることが出来るでござる』
シズカ様は『氷鬼丸』を構え、一回深呼吸を行う。
それだけで、シズカ様とその周囲が別の空間になったかのような錯覚を覚える。
『龍を模した剣…水剣技流奧伝を、今からミナト殿に全て見せるでござる』
「っ?!」
俺は息を飲む。
シズカ様の姿が何かに変わったのだ。
いや、物理的に姿が変わったのではない。
俺の目には、幻影が見えるのだ。
シズカ様を覆うように、巨大な何かの幻影が。
『これが龍でござる』
………………………………その時、俺は龍を見た。
「………………何だ?」
ファングは目を限界まで細め、視線の先にいる黒髪の水魔法使いを見る。
水魔法使いの姿自体は、全く変わっていない。
水色の反りのある剣を下斜めに構えて、待機しているように見える。
だが、何かの幻影を見えるのだ。
まるで、巨大な生き物の幻影が。
あの水魔法使いは強い。
腸が煮えくり返そうなほどムカつくが、強い。
自身の中では、最弱である水魔法使いの常識が悉く覆される。
自慢の鉄が斬られ、粉々にされ、打ち破られた。
こちらの攻撃が意味を成さない。
初めての事では無い。
師匠との模擬戦では、いつもそうだからだ。
だから、この水魔法使いは、下手すれば自身の魔法の師匠であるドリアン・メトロポリアスと同等の強さかもしれない。
師匠は、フリランス皇国に置いて、皇国十二魔将・第六席の位置を持つ魔法使い。
皇国十二魔将は、数字が若いほど強いと言われ、第六席からは”人外”の領域だとされている。
それと強さが同等など、只事ではない。
師匠と同等の強さを持った魔法使いをどう倒せばいいんだ!
俺は一度も師匠も勝ったことが無い。
じゃあ、あの水魔法使いにも勝てねぇだろ!!
「このまま、負けられねぇ!!」
最後の意地だ。
仮に負けとしても、コイツも道ズレだ。
ファングは覚悟を決める。
目の前の鉄魔法使いのファングに動きが起こる。
「てめえごと、潰してやる!!!」
ダン!!
突如現れたのは、またしても巨大な鉄の腕。
それが八本。
懲りないなぁ。
そう思っていると。
ザン!!
今度は、八本の腕に続いて、無数の黒い鉄の棘が出現。
さらには。
ドドド!!
多くの灰色の鉄の槍が顕現した。
しかも、それで終わりではなく、鉄の玉に、鉄のノコギリ、鉄の剣など…まさに、鉄のフルコース。
怒涛の雨の如くあらゆる鉄が生成される。
圧倒的な攻撃密度と圧倒的な手数。
今までの鉄魔法のほぼ全てが現れる。
しかも、これだけの攻撃量なので、俺だけでなく、ファング自身にも直撃する。
これだと、ファング自身もただでは済まないだろう。
実は、余り知られていないことだが、自身の魔力によって生成された魔法の攻撃を本人が食らっても、余りダメージが無いのだ。
元々が本人の魔力なので。
だが、この攻撃多さなら、少なくない傷を負うのは確かだ。
なるほど、俺もろとも捨て身の攻撃をやるつもりか。
「ふぅ…」
一回息を吐き、目を閉じる。
ならば、俺は…その全てを斬るのみ。
俺は、より一層に〈氷刀〉を握る手に力を入れる。
そして、身体の魔力の全てを集約させる。
さぁ…イメージしろ。
龍を心に宿す自分を。
俺自身が龍になるんだ。
あの時、シズカ様がなった龍のように。
俺は龍だ。
俺は………龍だ。
俺は………………龍……そのものだ。
この世の最強の存在だ。
段々と自分の心が、魂が、別の物に変わる感覚がする。
それは蛇のように長い胴体に、晴天の如き青い鱗。
さらには、しなやかな髭は天候をすら操り、手足に生えている水色の鍵爪は、この世のあらゆる名剣よりも切れ味を誇る。
極めつけは、眼である。その青い眼は、見る物によっては恐怖を抱いてしまうが、その奥には優しさと慈悲を兼ね備えていた。
ドン!
自分の心臓が大きく鼓動する。
そして、自分の身体が、心が、魂が、龍へと変わる。
俺はゆっくりと眼を開ける。
それは龍。
極東の島国を守る龍。
四神の一柱である………………、
「青龍だ」
その時、俺は確かに龍……青龍になっていた。
確信を持って言えた。
龍になった俺は何も恐れる物は無い。
「喰らえ!!!」
ファングが全ての魔法を放つ。
視界が鉄で染まる。
無数の鉄が俺に迫る。
だけど、全てが止まっているように感じられる。
辺りの音は聞こえず、静寂の世界。
俺は、その静寂の世界の中で、剣を振るう。
「はっ!!!」
気合と共に、俺が放つのは、龍の一閃。
左腰に構えた居合の状態から、左下から右上への逆袈裟斬り。
言葉にすれば、それだけ。
だが、その斬撃は…まさに、『龍の爪』の如く。
多分、俺の一閃を見ている者は皆、龍が爪を振るった光景を想起させるだろう。
「水剣技流奥伝・青龍爪【昇龍晴天閃】」
奧伝が放たれる。
それは青き龍による爪の薙ぎ払い。
天を昇る龍の如く舞い上がり、太陽の光を遮る雲を散らし、大地に晴天の光をもたらす。
龍の姿を模した龍の爪が、ファングの魔法に接触。
ザン!!!
一際大きい音が響き渡る。
そして、全てを斬り裂く。
轟音が一瞬響いたと思ったら、今度は世界の音が消え去る。
まるで、時間が止まったかのように。
龍の爪が音ごと斬り裂き、飲み込んだのだ。
これが水剣技流奥伝の一つ、青龍爪【昇龍晴天閃】である。
それは、龍の爪による一撃を模した技。
昇龍も持って、晴天を閃く。
龍の爪は万物を断つ。
その爪を模倣した剣技は当然、万物を断つ。
だからこそ、最初から無意味だったのだ。
ファングの鉄など、龍の爪の前では、紙一枚の効果も無い。
だから、龍の爪が通り過ぎた後は、何も残らない。
ファングに捨て身の攻撃もろとも、ファング自身も斬り裂いたのだ。
「…………ば………馬鹿……な」
ファングは何が起こったのか理解出来ていない顔であった。
最後の渾身の一撃を一瞬で斬り裂かれ、飲み込まれたのだから、当然か。
「………………うう」
ファングはゆっくりと崩れ落ちる。
起き上がることは無かった。
完全に戦闘不能状態になったみたいだ。
「ふうう………」
剣を振り切った後、俺は大きく深呼吸をする。
役目を終えた俺の心の中にいる龍は、ひっそりと消えたのだ。
こうして、俺とファングとの戦いは一旦幕を閉じた。
ようやく…ファング戦が終わった。
書いてみると、長かったな。