水剣技流初伝
俺が水剣技流の技を本格的に、シズカ様から教わり始めたのは、「水之世」の墓地の間に落ちてから、二年後の事だった。
『今日まで、ミナト殿は良く剣の基礎訓練をやってきたでござる。そこで…今日から本格的に、水剣技流の技を教えていくでござるよ』
「やったー!!」
その時、まだ十二歳であった俺は無邪気に飛び跳ねて、喜びを露にした。
それまでの二年間は、ひたすらに剣を振り続け、時折シズカ様と模擬試合をして、基礎剣術の向上に努めたのだ。
地味で泥臭い印象の強い素振りは、何の修業にもならないと考える者がいるが、その者は一旦重みのある棒を手に取って、十回ほど真剣に振ってみると言い。
素振りなど今までしたことが無い、もしくは殆どしていない者は、たった十回振っただけで、手や腕が痺れるだろう。
素振りは、やり方次第で高重量の肉体労働に化けるのだ。
シズカ様が俺に剣を教える時、まず最初に言った言葉が、
『良いでござるか、ミナト殿!強い剣士になるための近道は一つ。それは誰よりも剣を振ることでござる!』
と言うことであった。
素振りの効果は、剣を振るう上での太刀筋を整えること。
水剣技流は、他の剣術とは比較にもならない程、精密で正確な太刀筋を要求される。
だから、剣筋に一寸の狂いもあってはならない。
だが、素振りの目的は、それだけではない。
剣を何度も振ることで、剣を持つ手の握力や腕力を鍛えられ、より剣を振るうのに”適した体”になるのだ。
剣を扱うのに適応した体に変化するとも言えよう。
それによって、剣が今までもよりも振りやすくなるだけではなく、無駄な動きが削られる。
剣を一回振るう際の疲労が軽減され、長い時間剣を振るうことが出来る。
強い剣士は皆、剣を何度も振っているからこそ、強いのだ。
強い剣士を目指すのならば、絶対に、素振りで手を抜いては行けない。
だからこそ、二年間は水剣技流の技を学ぶのではなく、素振りを数千回、数万回、数十万回とやったのだ。
お陰で、長時間剣を振ったところで、簡単に疲労が溜まる事も無くなり、狙った場所に一ミリも間違い無く、剣戟を叩きこめるようになった。
でも、水剣技流を学べない事に、不満が無かったと言う訳では無い。
『水剣聖』と呼ばれた水剣技流の創始であるシズカ様から、水剣技流を早く教わりたいという願望が常にあった。
『我が剣術である水剣技流は、『水』を体現した剣。剣を振るう際の動きを極限まで削ぎ落し、隙を見いだし、最小限の動作で決定的な一撃を繰り出す剣でござる。そんな水剣技流には、技とも業とも呼べるものがあるでござる。基本の技を込めた『初伝』に、その応用の『中伝』。そして…水剣技流の”真髄”である『奧伝』。主に、技はこの三つに分けられるでござる』
そして、シズカ様は右手の平を開いて見せる。
『ミナト殿には、今から水剣技流の存在する"五つ"の『初伝』を全て習得してもらうでござる。基本の技とは言え、生半可な修練では会得出来ないでござる。ミナト殿、拙者が身命を賭して、伝授するでござるよ』
「よろしくお願いします!!」
こうして、俺はシズカ様から水剣技流の初伝を教わることになった。
だが、シズカ様の言う通り、生半可な修練では身に着けることが出来ないほどの練度の高い技だった。
初伝は、「水詠み」「流流」「零閃」「波浪」「河乱れ」の五つである。
どれをとっても、習得難易度が極めて高い技だった。
だけど、どれもが水剣技流を表す技。
「水詠み」は、最小限の動作で相手の攻撃を紙一重で躱しつつ、躱しざまに反撃を叩きこむ、謂わば後の先である。
「流流」は、相手の攻撃を正確に見極め、攻撃の方向に合わせて、垂直から剣を押し当て、最適にベクトル方向を逸らす、謂わば受け流しである。
「零閃」は、体全ての箇所を脱力させ、縮み切ったバネのように体の力を完全に抜き去り、その脱力からの強力な瞬発力で高速移動を可能にする、謂わば剛の移動法。
「波浪」は、最小限の足捌きと体捌きを持って、相手の攻撃、特に範囲攻撃や波状攻撃に対して、うねる波の如く無駄を削いだ回避を可能にする、謂わば柔の移動法。
「河乱れ」は、無数の力の流れが存在する河に対して、棒を突き立て、河の流れを狂わせるが如く、精密に力の流れを把握し、要を突くことで乱す、謂わば崩し。
この五つの技を完璧に身に着けられれば、あらゆる攻撃や状況を乗り切ることが出来る。
『ミナト殿!脇が甘いでござる!それだと、敵の攻撃を諸に食らうでござる!』
「は、はい!」
シズカ様の教えは丁寧で合ったけど、厳しくもあった。
『今から、ミナト殿には拙者の攻撃を全て、回避もしくは受け流してもらうでござる。一発でも当たれば、最初からやり直しでござる!』
「ひ、ひぃ!!」
時には、悲鳴を上げる時も。
『良い動きでござる!前よりも無駄な動きが無くなっているでござるよ!さぁ!もっと!もっと!動きの無駄を無くすでござる!』
「が、頑張ります!!」
でも、徐々にではあるが、自分自身でも分かるほど動きが洗練されてくるのを感じる。
感覚的な話になるが、こう言う動きをするためには、こうして体を動かせば、より効率的に、効果的に剣を振えると分かるのだ。
もっと感覚的な話になるが、何だか…体が『水』になるような。
俺が初伝を五つ全て習得したのに、丸一年かかった。
『ミナト殿は今日より、水剣技流の初伝を全て収めたことを、ここに認めるでござる』
「はい!ありがとうございます!」
シズカ様は満足そうに頷く。
認められた俺は誇らしげに笑顔になるが、その笑顔に少しの影がさす。
実は、俺は内心とても嬉しい反面、若干の悔しさがあった。
「でも…収めるのに、一年も掛かりましたけど」
シズカ様という最高の剣士が、俺と一対一で教えてくれているのに、一年もかかった事が悔しかったのだ。
俺がそう言うと、シズカ様は苦笑いしながら、俺の方に手を置く。
『ミナト殿、自信を持つでござる。娘のナイルでも、水剣技流の初伝を一年で収めるのは出来なかったでござる』
「『青騎士』のナイル様でも…ですか?」
水剣技流と聞くと、何かと創設者であるシズカ様が上がるが、シズカ様の娘の一人である長女のナイル・アクアライドも水剣技流に置いて、有名である。
四代目アクアライド家当主であるナイル・アクアライドは、シズカ様の『水剣聖』と似たように、『青騎士』という異名を持っており、シズカ様の次に水剣技流に精通した人とも言われている。
そんな人でも、初伝の習得に一年以上かかったのか。
『左様。ナイルは筋は良かったのでござるが、如何せん身体が………………。まぁ…兎も角、ミナト殿には才能があるでござる。もしかしたら、ミナト殿は魔法では無く、剣の方が向いているのかもしれないでござるな』
「お、俺に才能がある?!」
『そうでござる。ミナト殿には、剣才があるでござるよ』
シズカ様は気体の籠った視線を俺に向けていた。
『はは………それは、ミナト君に魔法を教えている僕の身としては、複雑だな』
少し離れたところで、コッソリ聞いてきたウィルター様は苦笑いをする。
これには、俺も驚きだった。
ウィルター様からは、俺の魔法の才能は凡才だと言われたが、まさか剣に才能があると言われるなんて。
シズカ様は冗談を言う人では無い
ならば、本当に俺には剣の才能があるのかもしれない。
生まれてから四級魔法も上手く扱えず(マリ姉が俺に飲ませた魔阻薬の影響のせいでもあるが)、父親や周囲から無能の水魔法使いと言われてきた。
だから、無意識に俺には何の取り柄も無いと思っていたが、シズカ様は違うと言ってくれた。
だったら、その才能に会った努力をして、技量を備えないと。
俺は人知れず、決意した。
いつか、絶対に水剣技流の全てを収めて、シズカ様の期待に応えると。
「食らえ!!」
俺の視界には、さっきよりも二本も多い…合計八本の巨大な鉄の腕が俺を襲おうとしていた。
腕の一本一本が俺を倒すのに十分な威力を誇っていた。
普通の人なら、自身に巨大な腕が何本も迫る光景は恐怖でしかないだろう。
だが、俺に恐怖なんてものは無かった。
「ふぅ…………」
俺は強制的に肺に溜まった空気を全て外に押し出す。
こうすることで、自動的に新しい空気を取り込める。
大きく深呼吸をした俺は集中する。
「水剣技流・凪ノ型」
使うのは、水剣技流において最も基本の技であり、全ての水剣技の型、もしくは零の型「凪ノ型」。
水剣技流に存在する、あらゆる技は、皆全て「凪ノ型」を使っていることを前提に作られている。
体内に波打つ魔力を沈め、気配を消す。
そして、体を無風状態である凪に近づけさせる。
これにより、自身の気配が消え、周囲の気配や魔力と言った、様々な力の流れを感じ取れる。
周りの光景がやけに遅く見える。
感じる物の中で、より明確に感じるのは、ファングの魔力。
限界突破による莫大な魔力で強化されているので、「凪ノ型」の使うことで、魔力の強さを、より肌で感じる。
俺を〈氷刀〉を正眼の構えに持って行く。
八本ある鉄の腕の内の一本が、俺の至近距離まで迫る。
当たると思われた瞬間、俺は上へ飛びあがり、紙一重で躱す。
そして、躱しざまに、〈氷刀〉を振り下ろす。
「水剣技流初伝・水詠み」
相手の攻撃を紙一重で避けながらの反撃が、水剣技流初伝・水詠み。
絶妙なタイミングでのカウンターによって、一本目の鉄の腕が両断される。
さらには、息も付かぬ間に、二本目の腕が迫る。
俺は今度、〈氷刀〉を横に構える。
「水剣技流初伝・流流」
そのまま俺は、迫る二本目の腕の側面に〈氷刀〉を沿え、巧みに受け流す。
家を丸ごと潰す威力を持った巨大な腕なのに、あたかも落ちる木の葉を払う落とすかのように軽かった。
続いて、三本目と四本目の腕に対しては、俺は体を深く脱力させる。
次の瞬間、
「水剣技流初伝・零閃」
脱力により生まれた瞬発から、三本目と四本目の腕の攻撃圏内から離脱する。
その後の五本目と六本目と七本目、計三本の腕の攻撃には、
「水剣技流初伝・波浪」
うねる海の波の如く、最小限による移動で、三本全ての攻撃を回避する。
そうして、残る八本目の腕に関しては、俺を握りつぶそうと、大きな手を広げて、迫ってきた。
俺は〈氷刀〉の先を突き出す。
「水剣技流初伝・河乱れ」
一寸の狂いも無く、〈氷刀〉の先は、八本目の腕の掌の中心を貫く。
そして、八本目の腕は突き出された刺突によって、崩壊する。
流れる動作で、俺は水剣技流・初伝の型を全て出した。
「なっ?!」
ファングは理解できない表情であった。
さっきまで、鉄の腕は俺の斬鉄の剣でも斬れなかったのに、糸の容易く斬ったことに納得を言っていない顔であった。
今の俺は「凪ノ型」を使用し、ファングに強力な魔力の波長を感じ取れるのだ。
魔力は波のように、一定に強い強度を保っている訳では無い。
時間や場所と共に、強いところと弱いところが変動しているのだ。
マカの街に襲来したホウリュウの皮膚を張り巡らせている硬い魔力の強弱を見極めたように、ファングの魔力の強弱を感じ取っているのだ。
魔力が弱い部分には、俺の刃も通せる。
その後も、俺に向かう攻撃は、水剣技流・初伝の前では無力だった。
俺は水剣技流における初伝を全てを確かめるように、繰り出す。
「舐めるな!!」
ファングは次の攻撃を繰り出そうと、体に纏っている油色の魔力を発散させる。
それに対し、俺は落ち着いて、次の技の準備をする。
”準備運動”は、これくらい。
さぁ…次は水剣技流・初伝の、さらに洗練された業。
水剣技流・中伝だ。