閑話 隻眼の魔翼⑤
レッカは、ノルウェルとノルトンとテッドがいる三人の元へ全速力で駆ける。
「ギャアア!!!」
ふと…後ろを見ると、ワイバーンが大きな口を開け、牙を見せながら、喉の奥を赤く光らせていた。
この後に来るのは決まっている。
「ブレスだ!!ノルウェル!ノルトン!守ってくれ!!」
「「聳え立つ石の壁よ、その堅牢を持って我らを守る巌となれ。〈ストーンウォール〉」」
レッカの指示に、すぐに反応し、ノルウェルとノルトンが〈ストーンウォール〉を展開する。
ゴオオオオ!!!
遅れてくるワイバーンの灼熱の炎。
何とか、三人の元まで辿り着けたレッカは〈ストーンウォール〉の後ろに隠れる。
一秒もしない内に、石が焼ける匂いがする。
石が解ける程の熱量に、テッドは顔を恐怖に染める。
「これが…………ワイバーンのブレス。こんなに近くで感じたのは初めてです」
Dランク冒険者の彼にとっては、ワイバーンなんて目にするだけで足をすくむ存在。
数日前に、ワイバーンの襲撃に逢って、ワイバーンの姿自体は見たことがあるが、こんなに近くまで見たことはない。
ましては、ブレスを何とか土の壁で塞いでいる状況。
無意識に、テッドの足は小刻みに震える。
そんなテッドの手元に、紫色の薬草…トキソイド草が渡される。
「え?」
「これをモンシェの元まで持って行ってくれ!!俺達がここを食い止める!!」
トキソイド草を渡され、キョトンとするテッドに対し、レッカは強い意志を持った顔で言う。
ノルウェルとノルトンも、絶対にワイバーンをここで足止めする意思を表情から感じる。
「で、でも………皆さんが?!」
テッドが逡巡している間に、ワイバーンのブレスが止む。
「俺たち事は気にするな!絶対に、その薬草をモンシェに届けてくれ!」
「頼む、モンシェを」
「助けてくれ、モンシェを」
レッカ、ノルウェル、ノルトンの声掛けに、テッドの足が動く。
先輩冒険者の言葉を受けて、モンシェとバン、ミティが隠れている地下室まで全力で走った。
後方からワイバーンの雄たけびが聞こえるが、テッドは後ろを振り向いている余裕は無かった。
テッドは彼の人生で最も全力で走ったのではないかと思うぐらいの速度で走った。
「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……」
何とか、地下室がある民家の前に来れた。
口からは肺の空気が全て押し出されたかような量の空気が出て、それを戻るかのように吸い込む。
しかし、悠長に呼吸している場合ではない。
テッドは急いで、地下室の扉を開け、中に入る。
「テッド!」
帰ってきたテッドをミティが迎える。
傍目には、余り表情が変わっていないよう見えるが、付き合いの長いテッドにはミティが喜んでいるのが分かった。
ミティはテッドに駆け寄り、体の至る所を触わる。
「大丈夫?怪我は無い?」
「だ、大丈夫だよ!」
「良かった」
ミティは心底、ホッとした様子を見せる。
気恥ずかしいテッドは頬を掻く。
そして、トキソイド草をミティに見せる。
「それは!」
「うん、これだよね?トキソイド草」
「合ってる。これだよ」
ミティが正確であると言う。
「見つかったのか!トキソイド草って奴」
バンが確認を取る。
テッドがバンの方を見ると、目を閉じて横たわるモンシェの左腕に包帯を巻いていた。
モンシェの左腕は根元より先が無かった。
どうやら、バンとミティによって、左腕は難なく切断できたようだ。
片腕を失ったためか、モンシェは顔を真っ青にして、横になっていた。
「ええ、見つかりました。レッカさんたちのお陰です」
テッドは持っているトキソイド草をバンにも見せる。
「それじゃあ、これで薬の調合が出来るんだな!」
バンの期待の籠った視線に、ミティは小さく頷く。
早速、ミティはトキソイド草をテッドから受け取り、それを彼女の持ち物であるすり鉢の中に入れ、すり棒で磨り潰し始める。
「だけど、レッカとノルウェルとノルトンは何処にいるんだ?」
ミティが薬の調合をしている最中、バンがテッドしか帰ってこなかったことに疑問を持つ。
「そ、それが…………」
テッドは言い辛そうにしながらも、話す。
トキソイド草を見つけたは良いものの、レッカたちがワイバーンを足止めする間に、自身がここまで来たことを。
「マジか……じゃあ、レッカ達は」
バンは言葉を詰まらせる。
続きを言わなくても、テッドはバンの言いたいことが分かる。
Cランク冒険者とは言え、ワイバーン相手に三人だけでは無謀だ。
最悪の場合、既に………。
最悪の可能性がテッドの頭の中に浮かぶ。
しかし、肝心の仲間であるバンは首を振って、嫌な思考を排除する。
「考えても仕方ねぇ。今はモンシェの治療。仲間の安否を確かめるのは、その後だ」
数十分後、ミティによるトキソイド草の調合が終わる。
トキソイド草とミティが持っていた薬草とを混ぜた薬剤をモンシェに飲ませる。
「モンシェ…飲みにくいが、これを」
「うう………」
モンシェは苦し気な声を出しつつも、バンから飲まされた薬剤を何とか飲み干す。
飲み干した後、またモンシェは横になる。
心なしか、表情はさっきよりも軽そうだ。
「これでモンシェは治るんだよな?」
バンがミティに聞く。
「…………すぐには効果が現れないけど、これでもう火傷風が悪化することはない」
「そうか」
バンは安心する。
だが、即座に表情を引き締め、
「レッカたちが無事か確かめないと」
バンは横たわるモンシェを置いて、一人で仲間を探しに、地下室から出ようとする。
「僕も行きます」
同行に、テッドが名乗り出る。
「テッド……」
ミティがまたしても外に出ようとするテッドを心配する。
「大丈夫だよ、ミティ」
テッドはミティの両肩に手を置き、そう言う。
「私も………行く」
ミティの申し出に、テッドは首を左右に振る。
「駄目だよ。ミティは、ここにいて。モンシェさんを看病して欲しい。心配しないで、また帰ってくるから」
「…………分かった」
ミティは渋々頷く。
バンとテッドは準備をしたのち、地下室を出る。
そして、レッカたちが教会に行った時と同じように、崩れた建物などの物陰を利用して、教会に近づく。
教会に近づいた後は、さっきと同じ教会の広場に通ずる通路を進む。
広場に到着したバンとテッド。
けれど、レッカたちの姿も、ワイバーンの姿も無かった。
「ワイバーンもいない。レッカ!ノルウェル!ノルトン!」
バンはワイバーンに聞こえてしまうかもしれない不安を抱えながらも、仲間が心配なため、小さくない声量で呼びかける。
返答は無かった。
その代わり、バサ…バサ…バサ…。
大きな羽ばたき音が聞こえる。
鼓膜に、その音が入った瞬間、バンとテッドは上を見上げる。
同時にバンとテッドに影が差す。
二人に降りる大きな影のシルエットは、大きな胴体と翼。
言わずもがな、ワイバーンだ。
隻眼の魔翼が二人の前に降り立つ。
状況は、ここでレッカ達四人がワイバーンと対峙した時よりも悪い。
今はたった二人である。
「テッド!煙玉は一つしかない。俺が煙玉を投げたら、急いでモンシェの元に戻るぞ」
「わ、分かりました!」
バンが懐から煙玉を取り出す。
「五枚刃」が一度、ユーカリの街から退散しようとして、ワイバーンに使ったものだ。
あの時は、ノルウェルとノルトンの〈岩槍〉による牽制があったから、確実に当てられたが、今はその二人はいない。
タイミングが重要だ。
「ギャア!!」
その時、ワイバーンが雄たけびを上げる。
ここだ!
反射的に、バンはワイバーンの顔目掛けて、煙玉を投げる。
煙玉は狙い通り、ワイバーンの顔に直撃…………しなかったのだ。
バシッ!
何と、長い尻尾で煙玉を弾いたのだ。
弾かれた煙玉は壁に激突し、大量の煙を巻き散らす。
そして、煙玉を弾いた尻尾は、そのまま煙玉を投げたバン襲う。
咄嗟の判断で、バンはナイフで防御する。
襲い来るワイバーンの尻尾による殴打。
ナイフでガードしたとはいえ、凄まじい衝撃がバンに与えられる。
破城槌で吹き飛ばされた気分だった。
「かは?!」
バンは後方へ吹き飛ばされ、壁に激突する。
そのまま、バンは口から少量の血を流し、気絶する。
「バンさん!!」
テッドが叫ぶが、バンは起き上がらなかった。
テッドはワイバーンを見る。
ワイバーンは、鋭い目でテッド睨んでいた。
もう逃がさんと言わんばかりに。
次の瞬間、ワイバーンの口が開かれ、口の中が赤く光る。
来る、ブレスが。
テッドにブレスを防ぐ手段など無い。
今度こそ、終わりである。
ごめんね、ミティ。
帰れそうもない。
心の中で、テッドはミティに謝罪する。
覚悟を決めて、テッドは目を閉じる。
次いで、テッド目掛けて、放たれる炎のブレス。
テッドなど一瞬で焼き尽くされる火炎の息吹が迫る…………その時、
「燃え上がる炎よ、その灼熱をもって我らを守る赤き壁となれ。〈ファイアウォール〉」
テッドの耳に、誰かの声が聞こえる。
気のせいか。
何度待っても、ブレスで体を焼かれることが無い。
目を開けると、金髪の細身の男性が、炎の壁を作り出して、ワイバーンのブレスを防御していた。
〈ファイアウォール〉…………もしや。