天才
剣と魔法を教えて欲しい。
イチカの言った事に、俺は目を丸くさせる。
「剣と魔法を、俺から?という事は………」
「うん!お兄ちゃんの水剣技流と水魔法を教えて欲しいの!」
そう言ったイチカの顔に、迷いなどは無かった。
「私、これからミル様………じゃなくて、ミルお姉ちゃんの使用人として、お兄ちゃんと一緒に行動するでしょ?だから、私…強くなりたいの!私、お兄ちゃんの足を引っ張りたく無い!」
イチカの懇願は真に切実なものだった。
俺はハッとさせられる。
妹であるイチカに危険が及べば、俺が守ってやればそれで良いと思っていた。
だが、よく考えれば…常日頃からイチカの側にいられるわけでは無い。
表向き、俺はクラと同じミルの護衛。
ミルそっちのけで、イチカを守るのは難しい。
だったら、イチカ自身を強くしてやる事こそが、本当の守りではないか。
「分かった!今日から俺がイチカに剣と魔法を教えよう!」
「本当!ありがとう、お兄ちゃん!」
イチカは大喜びしてくれた。
それを見るだけで、俺も嬉しい。
しかし、そこで気づく。
俺は五年間、ウィルター様とシズカ様に、それぞれ魔法と剣を教わったが、俺が誰かに教えた経験はない。
さて…どうやって教えようか。
「イチカが今、使える魔法は?」
「氷魔法の〈アイス〉だけ」
イチカは水魔法の派生魔法である氷魔法の使い手。
基本四魔法と違って、特異魔法と同等に、詠唱が存在しない。
始めから無詠唱であるが、どんな魔法があるか分からない。
「やはり最初は基礎作りか」
魔法はウィルター様から教わった。
その際に、最初は水魔法の基礎中の基礎である〈水分子操作〉の習得の修業をした。
水分子一つ一つを自在に操れれば、理論上どんな水魔法も行使できる。
俺の魔法は全て四級水魔法〈ウォーター〉から始まったのだ。
イチカは俺と同じ水魔法使いでは無く、シズカ様と同じ氷魔法使いであること。
魔力を直接、氷に変換している。
俺が氷を作るときは、魔力を水に変換して、水分子を操作させ、折れ線型の水分子を正四面体、そして六角形に形成する。
ならば、イチカの場合は氷の最小単位である、結晶構造の六角形の一つ一つを自在に操れることが、氷魔法の基礎作りになると思われる。
「よし…イチカ。まずは氷の分子結晶をしっかり操れるようにするか」
「へ?………氷の……ブ、ブンシ?…………ケッショウ?」
イチカは目を激しく開閉させ、困惑する。
あ!そっか…そこからか。
イチカは物理や化学に関して、全く知らないんだ。
「イチカ…物は全て、原子と呼ばれる…とてもとても小さい物が集まって、形が作られているんだ。原子っていうのは、中心に中性子とプラスの電気を帯びた陽子が同じ数で集まって出来る原子核と言う物があって、その周りにマイナスの電気を帯びた素粒子である電子が周っているんだ。因みに原子によって、存在する電子の数は違うんだ。まぁ…電子が原子核の周りを周っていると言っても、実際は決まった軌道を周っている訳じゃなくて、雲みたいに…ぼんやりと存在する不確定性があるんだよな。俗にいう、これが電子雲。ここが原子の面白い所」
「へ、へえ~…そ、そうなん……だ」
イチカは言葉を途切れ途切れに、何とか頷いて見せる。
「勿論、水にも原子はある。水素原子が二つに、酸素原子が一つだ。これが水分子。分子と言うのは、原子同士が結ばれた状態。さっき原子によって、原子の数が違うと言ったけど、水素電子の電子の数は一個、酸素原子の電子の数は八個。電子は不思議で、数によって安定か不安定かがある。電子一つだけというのは、とても不安手で直ぐに別の原子の電子とくっ付こうとするんだ。だから、水分子はH2Oという訳だ」
「ほ、ほ、ほえ~」
何か、イチカの眼がグルグルに回っている様に見える。
どうしたのだろうか?
俺は〈水分子操作〉を使って、氷の六角形の結晶構造を水を使って、空に描く。
「それで氷は水分子同士が重なり合って、こんな形の分子構造が無数に形成されているんだ。これが自然界最硬陣形の六角形だ。ハチの巣とか、亀の甲羅とかが六角形は知っているか?あれは六角形が最も荷重に耐えられる構造だからだ。話は少し逸れたけど…イチカには、この氷の分子結晶を一つ一つを完璧に操れるようになってほしい。俺ののは〈水分子操作〉だから、イチカは〈氷結晶操作〉の習得を目指すことだな」
「………」
無言になるイチカ。
何故か、目に少しだけ涙を浮かべている。
そして、何故か一緒に俺の話を聞いていたクラは目を固く閉じて、目じりを揉んでおり、ミーナは口を大きく開け、無表情だった。
二人共、俺に呆れている雰囲気は伝わってくる。
イチカが手を上げる。
「お兄ちゃん、質問だけど……そのブンシって、どれくらいの大きななの?」
俺は親指と人差し指で3センチの幅を作る。
「大体、3センチの一千万分の一だな。イチカの場合は氷だから、これよりは数倍大きいけど」
「ち、小さい!」
イチカは頬を引きつかせる。
「が、が、頑張る!!」
今にも泣き出しそうな顔で、イチカは両拳を握り締める。
「ぐ、具体的に、どうすればいいの?!」
「何度も〈アイス〉を唱える」
「………」
「………」
「え?それだけ?」
「??……それだけだが」
目をパチクリさせたイチカは両手を胸の前に持っていく。
「〈アイス〉」
イチカの両手に、小さな半透明の塊が生成される。
「うんうん!いいぞ!それを何度も唱えることで、感じるんだ!魔力を!氷を!」
かつて俺に〈ウォーター〉を何度も唱えろと言ったウィルター様の言葉を真似て、イチカに言った。
それからイチカは〈アイス〉を唱え、拳台の氷を作っては、また唱える。
イチカの足元に、コロコロと氷が転がり始める。
暫く、〈アイス〉を唱えていた後に、ふと…イチカが俺に顔を向けた。
「ち、因みに…お、お兄ちゃんは、ブンシを操れるようになるまで、どれくらいかかったの?」
「ん?え~と、ざっと三年間だな」
「さ、さ、三年間??!!」
イチカは目が飛び出しそうな程、驚愕した顔を見せる。
付け加えるなら、俺が修行していた場所は水魔法が扱いやすくなる「水之世」なので、普通の場所で修業していたら、もっとかかっただろう。
驚愕はしたが、再びイチカは真面目に〈アイス〉を唱えて、氷を生成しては、また唱える。
それを繰り返し始める。
俺は満足げに、イチカを見ていると…………ゴンッ!
頭に軽い拳骨が降りてくる。
クラの仕業だった。
「何すんだ?」
クラは俺に近づき、イチカに聞こえないように、小さい声で言い出す。
「ミナト……ゲンシやら、ブンシやら、意味不明な説明はこの際置いておくとして。本当に、その鬼畜トレーニングをイチカにやらせるつもりか?」
俺は首を傾げる。
「へ?鬼畜トレーニング?」
「〈アイス〉を何度も唱えさせる事だ。何だ、その非効率な修行法は」
「非効率とはなんだ、非効率とは。これは俺の魔法の師匠が、初めに教えた基礎作りの修行法だ」
「お前の魔法の師匠がどんな人か知らないが、その人がミナトに施した修行法に対して、イチカが当てはまるとは限らないぞ」
ウィルター様の教育方針が間違っていたというのか、不届きな奴だ。
そう思って、イチカを見る。
「む?」
ここで、違和感を感じる。
〈アイス〉を唱えている時のイチカの体から、かなりの魔力が漏れていることに。
とても初期魔法と思われる〈アイス〉を唱えた時に感じる魔力量ではない。
それは、小さい容器に詰められた膨大な魔力が少しの隙間から濡れ出ているかのように。
俺は気づく。
「もしかして…………イチカは”持ってる側”なのか」
「持ってる側?」
何のことか分からないクラは、首を傾げ、目を細める。
俺はイチカに寄る。
「イチカ、〈氷結晶操作〉習得の修業は急遽やめて、魔力放出の修業にするぞ」
「え?!わ、分かった!でも、どうすれば?」
「〈アイス〉で生成した氷に魔力を込めるんだ。イメージとしては、作った氷に力を注ぎこんで、氷をさらに大きくさせる様な」
「や、やってみる!」
大きく頷いたイチカは、〈アイス〉を唱えて、魔力を注ぎ込もうとする。
「力を注ぐ……力を注ぐ……力を注ぐ……」
「イチカ、目を閉じて、イメージするんだ!氷が大きくなるイメージ」
イチカは言われたとおり、目を閉じる。
恐らく、頭の中で両手の中の氷が大きくなる想像をしているのだろう。
すると、何とイチカが生成した氷が大きくなり始める。
「おお?!」
俺は驚愕する。
大きくなり始める氷と似たように、イチカの体から大量の魔力が溢れる。
その魔力量は、下手をすれば…俺に迫る量だ。
見る見るうちに、イチカが作り出した氷は拳台から両手で抱える大きさ、イチカの体と同じ大きさになる。
氷はイチカの手から離れて、空中に浮かび、どんどんと大きさを増していく。
「力を注ぐ……力を注ぐ……力を注ぐ……」
目を閉じて、イメージしているイチカは気づいていないだろう。
自身の生成した氷が…………家一軒分を圧し潰すほどの大きさになっている事に。
巨大化した氷で日光が遮られ、俺やイチカ、クラ、ミーナに影が差しこむ。
俺は巨大になった氷を見て、呟く。
「て、て、天才?!」
俺は大きく驚愕する。
間違いない…そう確信する。
凡才である俺と異なり……イチカは、まごうことなき天才であることに。