皇国十二魔将
場所は変わって、アグアの街から北西。
見上げるほどの山々であるピレルア山脈の奥を行ったところ。
一際高い山…アネトゥ山、その頂上付近にて、
「ふぅ……」
鼠色の髪を持った使用人の格好の女性が、額の汗を撫でる。
三千メートルを超える高度では、酸素も薄く、気温もとても低い。
吐いた息が白かった。
山々に囲まれた山頂では、場違いな服装だろう。
彼女については、人によっては…マリ姉と答える者もいるだろう。
そう…マリ・タイゾンは現在、アネトゥ山を訪れていた。
ここまで来るのに、苦労した。
アグアの街から、ここまで直線距離で数十キロ。
しかも、山道なので傾斜である。
自身は転移が使えるとは言え、短距離型の転移であるため、差して距離を縮ませる事は出来ない。
ピレルア山脈には主にワイバーンが生息しているが、それだけで無く、他にも強力な魔物がいる。
マリは一息付いてから、また山頂に向けて歩き出す。
歩き出してから暫しすると、眼前に巨大な岩で形成された壁………と言うか、最早…砦が見えてきた。
山頂を囲うように、数十メートルの岩壁が立ち塞がっていた。
驚く事なかれ、これはたった一人の魔法使いによって作られたものだ。
マリが岩壁の前に行くと、人知れず壁に人が一人通れるほどの隙間が空く。
マリは迷わず、その隙間を通り、壁の向こう側に行く。
そこへ、
「誰だぁ、お前ぇ!」
マリの前に、一人の男が現れる。
油色の髪に、目付きは鋭い。
耳には鉄で出来たピアス、首には鉄製のネックレスを付けている。
「ドリ翁に誰か来たから見に来てみれば、こんなところに使用人?」
マリは胸に手を当て、頭を下げる。
「”マリアーナ・ヴェルスペース”と申します」
マリは自身をマリアーナ・ヴェルスペースと言う。
「知らねぇな。ぶち殺すかぁ?!」
男の体から大量の魔力が湧き出る。
それだけでも、男が尋常では無い魔法使いであるのが分かる。
男が魔法でマリを攻撃しようとしたところで、
「待て、その者は味方だ」
今にも攻撃しようとした油髪の男に、制止の声を掛ける者が現れる。
墨色の長い髪を持った男だ。
エスパル王国とは違う黒い軍服を着ており、纏う魔力の量から、この男も魔法使いだと分かる。
寧ろ纏う魔力は油髪の男よりも上だ。
「貴公はマリアーナ・ヴェルスペース殿か」
「ご無沙汰しています、ポリアゾル殿」
マリはポリアゾルと言った男にも、頭を下げる。
「何だぁ、ポリアゾルさんよ。この女ぁ?」
「口を慎め、ファンガ。この方は”ヴェルスペース公爵家”、マリアーナ・ヴェルスペース殿。空魔法の使い手だ」
「はぁ?!コイツがあの?」
油髪の男は訝しげにマリ……改め、マリアーナを見る。
マリアーナ・ヴェルスペース……それはマリ・タイゾンの真名。
代々、フリランス皇国に仕えているヴェルスペース公爵の次女である。
数百年前に建てられた家であり、現在もフリランス皇国のために任務を下される任務を全うしている。
ポリアゾルと呼ばれた黒い軍服の男は、ため息をつく。
「ファンガ、お前も第十二席とは言え、皇国十二魔将の一人だ。皇国の主要貴族の顔と名前を覚えろ。それと言葉遣いもだ」
「うぇ…めんどくせぇ」
皇国十二魔将……それはフリランス皇国が誇る、強力な力量を持った魔法使い十二人の事である。
フリランス皇国の切り札であり、皇国の力の象徴でもある。
名称の通り、皇国十二魔将には十二人の魔法使いがおり、番号が若い順に強い。
「して、ヴェルスペース殿は何故ここに?」
「私はアグアでの任務を完遂したので、ここへ戻りました。ブラウド兄様の長距離転移で皇国に戻るつもりです」
それを聞いて、ポリアゾルは頷く。
「なるほど。しかし、現在ブラウド殿は少し前に転移で皇都へと行っております」
「分かりました。では、ここで待機します」
「了解です。それにしても……半年前から始まった、こちらの方もいよいよ大詰めですね」
そう言って、ポリアゾルは後方を見る。
マリアーナもそちらを見る。
そこには、同じく黒い軍服を着た多くの者がおり、何より目を引くのがまるで注射器を巨大化したかのような建造物が数本の柱を支えに、建てられていた。
針のような建造物は端の部分に当たる箇所を地面に向けており、針の先の地面には深淵に繋がるかと思うほどの巨大な穴が広がっていた。
巨大な穴からは、ここからでも分かるぐらい途方もない膨大な量の魔力が絶えず、放出されていた。
この穴の名前は”竜穴”。
またの名を”ドラゴンロード”。
大いなる力の通り道である。
フリランス皇国でも、はっきりと解明された訳では無い。
この世界の遙か地下深くには、地上の国々を消滅させるほどの大いなる力が眠っており、その力が世界に数本しか無いと言われている”竜脈”という道を通って、地上に現れたのが竜穴だ。
ピレルア山脈こそ、その竜脈の一つであり、ピレルア山脈最高峰であるアネトゥ山の山頂に、竜穴があるという訳だ。
彼らがここで何をしているかというと、竜穴から湧き出る魔力の抽出だ。
半年前から、フリランス皇国はエスパル王国に知られずに、ピレルア山脈にある竜穴を占領し、魔力抽出の準備を進めていた。
注射器のような建造物の目的はそれだ。
ワイバーンなどの邪魔な魔物を蹴散らし、竜穴からの魔力を抽出してから蓄えることが出来れば、フリランス皇国は大きく発展する。
それに…この場所を占領すれば、五年前から計画されていた「エスパル王国侵略」がスムーズに進む。
まぁ…率直に言えば、フリランス皇国がエスパル王国を侵略するのは指して難しくは無い。
エスパル王国自体がイベリ半島の一部であり、周りが海に囲まれていく中、国境の大部分にピレルア山脈がある。
唯一、山脈地帯の高度は低い場所にあるスラルバ要塞はエスパル王国最大の要塞、エスパル王国最精鋭の王国魔法団も常に従事している………とは言え、フリランス皇国が本気で攻め落とそうと思えば、落とせた。
今まで落とさなかった理由は立地もあったが、一番は…………、
シュッ。
その時、魔力抽出装置の近くに鼠色の髪の男が突如、現れる。
誰もいなかった場所から突如として。
転移である。
マリアーナは転移してきた男に声を掛ける。
「ブラウド兄様」
「ん?マリアーナか。アグアでの任、ご苦労」
「いえい…………っ??!!」
転移してきた男…マリアーナの兄であるブラウドにマリアーナが近づいた、その時であった。
身の毛がよだつ。
額からは滝のように汗が流れる。
マリアーナの本能が今までに無いレベルで働いた。
その原因はブラウドの後ろにいる一人の少年。
歳は顔の造形的にミナトと同じ、十五歳程。
黒い軍服を着て、何の素材か分からないが、漆黒のマントを羽織っている。
結構整った顔立ちであり、特徴的な短い白髪の頭に、燃え上がるような赤い眼。
百七十センチ以上の身長に、やや細身でありながらも肉質のある体躯。
少年と目が合う。
視界に赤い眼が入る。
「ひっ!」
情けなく、小さく悲鳴を上げてしまった。
威圧している訳でも強力な魔力を纏っている訳でもないのに、蛇に睨まれた鼠のような気分にされる。
足が小刻みに震え、今にも逃げ出したい気持ちで一杯だ。
幼少の頃より培われてきた相手の戦力を瞬時に見抜く力が全力で訴えかけてくる。
この少年には絶対に勝てない。
幸いにも、少年はマリアーナに気を遣ってか、眼を逸らし、少し距離を置いてくれた。
マリアーナは必死に口を動かす。
「ブ、ブラウド兄様!そ、その方は?!」
「…………ああ、マリアーナ。お前は会うのが、初めてだったな」
ブラウドは踵を返し、少年の方を向く。
「こちらは皇国十二魔将・第一席殿だ」
「だ、だ、第一席!!」
マリアーナは口から心臓が飛び出るほど、驚いた。
フリランス皇国最精鋭である皇国十二魔将、その第一席殿と言うことは、フリランス皇国最強の魔法使いと言うことだ。
フリランス皇国の魔法力はヨーロアル諸国随一。
つまり、目の前の少年はヨーロアル諸国で最も強い魔法使いという意味だ。
第一席と呼ばれた少年は、貴公子のように丁寧な諸作で、胸に手を置いて、一礼する。
「お初にお目に掛かります。ヴェルスペース公爵のマリアーナ殿。フリランス皇国皇帝から皇国十二魔将・第一席を貰い受けております……ヒビト・ソルテウスと申します」
ヒビト・ソルテウス……それはフリランス皇国の貴族ならば、誰でも知っている名前。
だが、それ以上に。
フリランス皇国だけで無く、周辺国でも知っている異名を彼は持っている。
曰く、『炎神』。
魔法一撃で街を壊滅し、魔物の大群を焼き殺し、山を灰にしたと言われている規格外の魔法使い。
「マ、マ、マリアーナ・ヴェルスペースです!!」
マリアーナは急いで、頭を垂れる。
何故、炎神がここに来たかは後で兄に聞くとして、マリアーナは内心、別のことを考えていた。
それは今見た、炎神の顔についてだ。
マリアーナはこう思った。
………………ミナト様に似ている?