空魔法
私はミナトと彼の妹であるイチカが抱き合いながら泣いている様子を見て、
「そんな事、どうでもいいか………………ミナトらしい」
今し方…ミナトが異母兄妹…それも娼館との子供であるイチカという女の子に言った言葉を反芻する。
「私……弟がいるのだけれど、側室の子なの。私は正室の子で弟とは、余り上手くいって無いのよね」
近くにいたミーナが顔を俯き、そう言った。
「私も妹がいるが、関係が悪いな」
私もミーナに同意するように言い、俯く。
私とミーナは共に長女。
しかし、私は(恐らく)平民との子で、妹は正室の子。
私もミーナも異母兄弟を持ち、それぞれ関係は良くない。
エスパル王国での貴族は少なくとも、基本的に正室を持ちつつも側室を持っている。
側室の数は一人だけもあれば、二人、三人……中には五人もの側室を持つ貴族家もある。
正室だけの貴族は寧ろ少数だ。
子供は一人産むだけでも、母親にとってリスクが大きい。
子を為すのも貴族の仕事を内であるので、妾を取って子を増やすのは当然と言えば、当然だ。
だが、大抵の異母兄弟同士は仲がそこまで良くない。
親が半分違うと言うだけで、いがみ合い、当主の座を巡って争うのは、王国においては貴族界での、しきたりみたいな物になっている。
とは言っても、大体…異母兄弟同士の仲が余り良くない原因は、母親同士の仲が良くない事が起因している。
正室は貴族家の令嬢、側室は愛人だった女性の場合が多いからだ。
互いの母親が子供に対して、別の母親とのことは仲良くするなと教えるのだ。
「今までは、母親同士が犬猿の仲だったから、弟と仲良く出来ないのは仕方が無いと思ってたけど。………………何だか、ミナトには人間的な部分で負けた気がする」
ミーナはこう言っているが、私も同じ気持ちだ。
ミナトは異母兄弟でも関係なく、肉親を愛せる優しい奴だ。
俺とイチカが泣き止んだのは、かなり長い時間が掛かった。
俺達は目を赤くさせ、涙の跡を残している状態で、フルオルとミルに頭を下げた。
「見苦しいところを見せました」
「申し訳ございません、領主様」
俺とイチカは、それぞれフルオルとミル様に謝罪する。
フルオルとミルは、気にするなと言う。
「フルオル男爵、イチカちゃんは私達と一緒に連れて行くと言うことですよね?」
ミルの確認に、フルオルは頷く。
「はい。まだ七歳で幼いですが、賢い子です。飲み込みが早いので、是非…ミスティル王女殿下の役に立つかと」
「………ん?」
俺は僅かに首を傾げる。
七歳?つまり、イチカが生まれたのは七年前。
何気に、俺は気づいた。
俺が「水之世」で行方不明になったのは、五年前。
フルオルの説明から、俺が行方不明になったことで自暴自棄になった親父が娼館に入り浸り、その結果イチカが生まれたと思ったが。
時系列的には、イチカは俺が行方不明になる五年前より以前から既に……………いや、考えるのは止めよう。
頭が痛くなる。
「では、イチカちゃんには私の使用人になって貰うと言うことで、私達と同行。それでいいですね?」
「ありがとうございます。イチカをよろしくお願いします」
ミルはイチカに向き直る。
「イチカちゃん…それで良い?」
「は、はい!お兄ちゃんと一緒にいられるなら、何処でも良いです!」
「う……イチカ」
イチカの言葉に、俺はまたもや涙を流し始める。
「ふふ…じゃあ、これから宜しくね」
「よ、よろしくお願いします!!ミ、ミル様!!」
イチカがぎこちなくも、頭を下げた。
クラがイチカの側に来る。
「クラルだ。呼ぶときは、クラで良い。宜しくな、イチカ」
イチカがクラを見て、また頭を下げる。
「よろしくお願いします、クラお姉ちゃん」
しかし、ここでミルがイチカの袖を引っ張る。
「イチカちゃん………どうして私は”ミルお姉ちゃん”では無いの?」
「へ?」
イチカがキョトンとする。
「私も、お姉ちゃんが良いです」
「あ、あの……ミル様は………王族で、高貴な方なので………………」
「ミルお姉ちゃん]
「あ………え…」
「ミ・ル・お・ね・え・ちゃ・ん!」
「ミル………お姉ちゃん」
「はい!」
お姉ちゃん呼びに、ミル様は満足げに喜ぶ。
イチカの話題で逸れたが、
「半年前からワイバーンがピレルア山脈から頻繁に訪れるのは、アネトゥ山にあるワイバーンの住処で何か異常な事が起きたからでしょう」
ミルが話をまたピレルア山脈の調査の件に戻させる。
ピレルア山脈は、エスパル王国の中でも最大の山脈地帯。
エスパル王国の東と北東部分を大々的に分布している。
フリランス皇国との国境にあるスラルバ要塞は、山脈の高度が比較的低くなっている地点にあり、そこを除けば、ピレルア山脈がフリランス皇国との自然の要塞を築いている。
その山脈の中央にある、ピレルア山脈最高峰の山…アネトゥ山が数多のワイバーンの住処になっている。
「ワイバーンを上回る強力な魔物が現れたのか、それともアネトゥ山が住めなくなったのか。何にせよ行ってみないことには、分かりません」
ミルが原因を推測する。
「それにしても…………」
考え込んだミルは、頤に手を当てる。
「半年前からのワイバーンの頻繁な襲来に、数日前に起こったペドロ・アクアライドの暗殺。私には、この二つのことが全く無関係とは思えません。………………それに、マリ・タイゾンの事も」
「マリ姉が?」
俺はマリ・タイゾンという言葉に反応する。
「目撃情報から、ペドロ殿を暗殺した者達の手助けをしたのは、恐らくマリ・タイゾン」
ミルやクラ、ミーナにも、かつて俺の専属使用人だったマリ姉との数日前の出来事を話した。
俺が好物にしていたアオナジュースの中に飲んだ者の魔力操作を阻害する魔阻薬を、ずっと前から飲ませていた事やマリ姉と戦闘になった事。
恐らく、親父の暗殺に何かしら関わっている事。
「マリという方が最後に言っていた…数年後にはエスパル王国が無くなるという発言も気になりますが、ミナトとの戦闘も気になります。クラに匹敵、もしくはそれ以上の近接能力。それに加え、目にも止まらないほどの移動魔法」
しかし、俺は首を振る。
「いえ、最初は目にも止まらないほどの高速移動を可能とした魔法を使っていると思ったのですが、多分違います。あれは瞬間的に場所を移動………まさに”瞬間移動”でした」
「瞬間移動?!」
ミルが大きく驚く。
どうしたのかと思っていると、一気に難しい顔を作る。
「私がまだ王城にいた時、王城備え付けの図書室で歴代エスパル王国の国王の手記を読んだことがあります。その一部に、魔法で詠歌を誇るフリランス皇国には、空間を瞬時に移動できる魔法使いがいると。確か、その魔法は……………”空魔法”だったはずです」
「空魔法………」
俺は押し黙る。
「もし、マリ・タイゾンが空魔法の使い手なら、彼女はフリランス皇国の者。今回、ペドロ殿を暗殺したのは身なりからして、明らかにマカで私達を襲撃してきた者と同じ人達」
ここで、何かを察したクラが自身の考えを言う。
「マカでミル様を襲撃した者達の首謀者は恐らく、ミル様のご兄姉………すなわち王族の誰か。それは詰まるところ、エスパル王国の王族とフリランス皇国は繋がっている」
「え?!」
「まさか…そんな」
驚く、ミーナとフルオル。
俺はと言うと、
「………」
五年前にウィルター様との会話を思い出していたからだ。
それは、ウィルター様との魔法の訓練の休憩中の会話。
「ウィルター様」
「はい。何ですか、ミナト君」
「素朴な疑問なのですが、ウィルター様にとって最強の魔法って何ですか?」
「最強の魔法?それは勿論、水魔法です!」
ウィルター様は眼鏡をクイッと挙げ、ドヤ顔で宣言する。
綺麗な長い黒髪と知的な顔に、同性の俺でもつい…見惚れる。
「あ…えっと、水魔法が最強は知っているんですが、水魔法以外で最強って何ですか?」
「水魔法以外で最強………う~ん」
ウィルター様は暫く悩んでから、結論を出す。
「空魔法ですね」
「空……魔法?」
初めて聞く魔法に、首を傾げる。
「文字通り、空間魔法です。系統としては特異魔法」
「そんな魔法があるんですか?」
「ええ、あります。あれは特異中の特異ですね。空間を操るという出鱈目な魔法ですから。場所を移動する瞬間移動は序の口。空間を歪ませ、物を異次元へ収納したり、空間そのものを断絶したりします。ハッキリ言って、水魔法を除けば、超絶チート魔法です」
「ん?チート?」
「あ!いえ、こっちの話です」
そう言って、ウィルター様は昔を思い出す感じで腕を組む。
「あれは、まだ僕が父様から当主の座を譲る前の事ですね。ひょんな事から、僕は空魔法使いと戦うことになったのですが、滅茶苦茶強かったですよ。油断していたら、負けてたかもしれません」
「ウィルター様が負けていたかも?!雷王のウィルター様がですか?!」
俺は驚愕した。
俺にとって、最強の魔法使いはレイン様だ。
だが、魔法の知識や技巧、練度においては、ウィルター様が最高だ。
ウィルター様が負けそうになる姿など、予想も付かない。
つまり…ウィルター様でも空魔法というのは、とても強い魔法らしい。
そんな魔法をマリ姉が…………。
ウィルター様はクスクスと笑う。
「ふふ……雷王。懐かしい名前ですね。ミナト君には、是非とも僕の最強の魔法を習得して貰いたいです」
「……………ミナト?おい……ミナト?」
ウィルター様との会話を思い出していたので、クラからの声に反応できなかった。
「ミナト!!」
「わっ?!」
大声で呼ばれ、ようやくクラの声に気づく。
クラは俺を真顔で見て、
「ピレルア山脈では、何かきな臭いことが起きている可能性がある。何にせよ共に護衛として、私とミナトでミル様をお守りするぞ!」
「ああ、分かってる。頑張ろうな!」
俺は力強く頷き、拳をクラに向ける。
クラは困った顔をするが、嫌がることは無く、俺に拳を合わせてくれた。
この時の俺達は、ピレルア山脈でとんでもない事が起きていると、まだ知らなかった。