◎裁判員裁判(法的な評価等に争いのある事件)1日目その4
休廷時間、少なくない学生は疲労困憊の様子を示していた。廊下の長椅子にもたれたり、立って伸びをしたり、洗面所で顔を洗って眠気を振り払おうとしていた。
中にはやけにスッキリした表情の者もいて、法廷を追い出されない程度には誤魔化しながら休息を取っていたのか、あるいは裁判員のアンケートに「傍聴人の傍聴姿勢に疑問があった」と書かれてしまう未来があるかもと、不安を感じつつ、「残りは被害者への補充尋問と情状証人の尋問だけなので頑張って傍聴してほしい」と声をかけた。
反応はあまり芳しくないが、今回も、ともかく場をわきまえた行動はできているということに安堵しつつ、再開を待った。
法廷内にさきほどと同じ人物配置がされたところで、裁判長が法廷に向けて開廷を宣言し、証人尋問の続きが始まった。
裁判長「補充尋問に入りたいと思います。裁判員の方からお尋ねしたいことはありますか。」
裁判長が左右を向きながら質問を促すと、向かって右から2番目のお年寄り(男性)が手を挙げる。
裁判長「では、裁判員の2番さんならご質問をどうぞ。」
裁判員2「あ〜、ちょっと貴女に尋ねたいんだけどね、飲食業って体力勝負なところがあるから、なかなか女性がやってくってのは大変でさ、そんなにいらっしゃらないように思うんだけどね、そんな中で貴女は事業を広げてきたわけでしょ。そうするとね、なんか、周りの同業者からさ、疎外されるとか、普通の男性経営者なんか以上に、やっかみとか妬みみたいなのは結構あったんじゃないのかなと思うんですけど、どうですかねえ。」
偏見というか、自分の常識を大前提とする何となく怪しげな質問が裁判員から出される。
証人(山田)「それは時々感じることがありました。」
裁判員2「そうするとさ、貴女が気付かないうちに、飽田さんからね、嫌われたり妬まれたりなんかをされていたりしなかったんですかねえ。」
もっと軌道から外れた凄い話をしてくれるかと思いきや、早くも、動機の有無の確認という事件に即した無難なところに着地してしまった。
証人(山田)「もしかしたらそういうこともあったかもしれませんが、飽田さんのことはあまり記憶にないもので、どうだったかは分かりません。」
裁判員2「何年か前のイベントで、飽田さんと出会った記憶があるというんだけど、そのとき、彼のプライドに障るような出来事があったんじゃないかな。」
証人(山田)「そのときのイベントのことはあまり覚えていなくて、関係を丹念に尋ねられて、ようやく思い出したことで、何かちょっとお願いをしたかも、というくらいの記憶です。」
裁判員2「そうすると、貴女は、飽田さんに恨まれるような覚えはないのか。」
証人(山田)「・・・記憶を辿ってもそういうことはなかったと思います。」
裁判員2「そうなんだね、ありがとう。」
裁判長「では、他の裁判員の方から質問はありますか。・・・裁判員4番さん、どうぞ。」
手を上げた裁判員4番が裁判長から指名される。
裁判員4「では、裁判員4から質問させていただきます。あなたが襲われたときの周囲の明るさはどうでしたか。」
証人(山田)「玄関のライトが点灯していたので、明るかったです。」
裁判員4「相手の顔や服装の様子も見えるくらいでしたか。」
証人(山田)「相手に対応するのに精一杯で、相手の顔や服装にきちんと意識が向けられませんでしたが、明るさとしては、それが可能なくらいではありました。」
裁判員4「それでも、被告人が右手に何か持っているかには気付けなかったのですか。」
証人(山田)「そうですね。」
裁判員4「ありがとうございました。」
裁判長「他に質問のある方はいませんか。」
裁判長が声をかけながら左右を見回し、質問者がないことを確認すると、向かって右の女性裁判官に手振りで発言を促した。
左陪席「では、裁判官の左野から質問いたします。証人が被告人を叩いたりしたことで被告人が怪我をされたようですが、それはそういうことでよろしいでしょうか。」
証人(山田)「はい、それはそのとおりだと思います。」
左陪席「そのことで、証人自身に、何か処分などはありましたか。」
証人(山田)「私も検察官に確認させていただいたのですが、特段のお咎めはないということでお話しいただいています。」
左陪席「ありがとうございました。」
裁判長が向かって左の男性裁判官に顔を向けて質問を確認すると、男性裁判官は首を小さく左右に振って、質問がないというジェスチャーをした。
裁判長「それではこれで証人尋問を終了します、証人の方はお疲れ様でした。では、被害者参加席に移動してください。」
山田証人は証言台のところで立ち上がって一礼したあと、検察官側に向かい、検察官の後方の人物の横の席に腰掛け、衝立は隅に片付けられた。
裁判長「続いて、情状証人の尋問に入ります。証人の方は、バーの横から入って証言台まで来てください。」
被告人席そばの傍聴席にいた高齢の男性が柵内に入り、証言台の前に立った。
裁判長「名前を述べてください。」
証人(高齢男性)「近井綱狩です。」
裁判長「年齢、住所、職業は証人カードに書いたとおりですね。」
証人(近井)「はい。」
裁判長「これから証人として話を聞きます。紙を渡しますので、最初に嘘をつかないという宣誓をしてください。」
書記官が宣誓書と思しき紙を持って情状証人に近づいて、紙(宣誓書)を渡す。
裁判長「ではどうぞ。」
証人(近井)「宣誓、良心に従って真実を述べ何事も隠さず偽りを述べないことを誓います。」
近井証人は書記官に宣誓書を渡し、書記官は裁判長に宣誓書を渡した。
裁判長「今宣誓をしてもらったとおり、わざと嘘をついたりすると偽証罪として処罰されることがあるので注意してください。」
裁判長「では、弁護人から尋問をどうぞ。」
そう言われて若い方の弁護人が立ち上がった。
弁護人(若井)「弁護人の若井から質問します。横から質問しますが証人はできるだけ前を向いて答えるようにしてください。答えも急がなくて結構ですので、大きくゆっくりとお答えください。」
弁護人(若井)「まず、飽田さんと証人はどういう関係ですか。」
証人(近井)「治郎とは私が5歳上になる、いとこどうしの関係になります。」
弁護人(若井)「ここ最近、どの程度の交流がありますか。」
証人(近井)「昨年、母の葬儀があって参列してもらいましたし、普通に親戚同士の付き合いがあり、数か月に1度くらいは電話なり会ったりしています。」
弁護人(若井)「証人のお住まいは市町村でいうとどこになりますか。」
証人「桜宮市内です。」
弁護人(若井)「飽田さんが今回どんな事件で裁判になっているかは分かりますか。」
証人(近井)「はい。」
弁護人(若井)「どんな内容ですか、覚えている内容を教えてください。」
証人(近井)「治郎が女の人に灯油をかけたということで、殺人未遂だということですね。」
弁護人(若井)「ええ。飽田さんが、今回の事件について、したことは争っていませんが、それは殺人未遂にはならないんだと争っていることもご存知ですね。」
証人(近井)「はい。」
弁護人(若井)「飽田さんがそのようなことをしたと聞いてどう思いましたか。」
証人(近井)「どうしてしたかという話は聞いていないのでよく分からんけど、私が知っている彼の性格だと、そこまでのことをするような度胸はなかったと思っていました。」
弁護人(若井)「そこまで、とは何までということですか。」
証人(近井)「灯油撒いたり、人を殺そうとしたりというのがちょっと今でも信じられないですね。
」
弁護人(若井)「殺人未遂ということで起訴されていることについて、あなたとしても驚いているということですね。」
証人(近井)「はい、そうです。」
弁護人(若井)「こういう飽田さんの立ち直りについて証人の方で、協力できる、ということはありますか。」
証人(近井)「事件の反省なんかは本人がすることなのであまり力になれそうもないですが、もし、社会復帰するのに行く場所がないというなら、協力してやりたいとは思っています。」
弁護人(若井)「行く場所がないときの協力についてもう少し具体的に言えますか。」
証人(近井)「そうですね、行く先がないなら、しばらくはうちに同居してもらってもかまわないです。それと、一人暮らしのアパート探しなんかも手伝ってやれると思います。」
弁護人(若井)「他に、再び飽田さんがこういう衝動的な犯行に及ばないように、何かしてもらえることはありませんか。」
証人(近井)「本人が反省するのが一番だと思いますが、ストレスを溜めないように、日常的に、嫌なことや不満なことなどの、話を聞いてやりたいとは思います。」
若い弁護人が着席すると、検察官が立ち上がる。
検察官「検察官からお尋ねします。まず、証人は一人暮らしですか。」
証人(近井)「いや、息子家族と同居ですね。」
検察官「では被告人を同居させるという話について、息子さんたちにもきちんと了解を得ていますか。」
証人(近井)「……確か話題にはしたとは思うんだけど、ちょっとの間なら大丈夫だという話はしたと思います。」
検察官「被告人が事件を起こしたのは、あなたの認識ではどういうことが原因だと思っているのですか?」
証人(近井)「正直良く分からんのだけど、いろいろなストレスを抱えていたせいじゃないかな、と思っております。」
検察官「被告人は、事件前、家賃の支払を滞納していたなど、経済的な問題もあったようですが、この点については何かあなたの方で協力できるのですか。」
証人(近井)「金銭的な支援というのは、私も年金暮らしなんで、治郎には悪いけど、そこはできんわね。」
検察官「検察官からは以上です。」
裁判長「弁護人、今、再主尋問ありますか。」
主任弁護人「いえ、結構です。」
裁判長「では、証人にする質問は予定した部分までできましたので、今日はこの辺で終わりにしまして、明日の午前10時から、裁判所から近井証人に対するの補充質問をしたいと思います。証人の方は大丈夫ですね。」
証人(近井)「はい。」
裁判長「では、証人からは明日も来ていただくのでよろしくお願いしまして、その後は、引き続いて、被告人質問をして、同じ日の夕方には論告弁論最終陳述をして、結審したいと思います。」
裁判長「当事者の方で何か確認しておくことはありますか。」
検察官・主任弁護人「いえ、結構です。」
裁判長「では、本日の審理は以上で終了して、閉廷することとします。」
裁判長が立ち上がり、他の人達も立ち上がった。裁判長が一礼するのに合わせて、他の人達も礼をした。
そのまま、陪席裁判官と裁判員らが退廷し、被告人が手錠腰縄をされて退廷していった。
私も立ち上がり、周りの者を促して傍聴席から退出した。
「今日は、お疲れ様でした。明日は情状証人の話の続きと、大事な被告人質問、時間を空けて、当事者双方の主張をぶつける弁論手続があるので、午前9時50分にこの法廷前の廊下に集合してください。では、今日は解散とします。」
法廷前の廊下で簡単に話をして解散を宣言すると、学生は三々五々に退出していった。その中で一人、女学生が残って声をかけてきた。
「先生、質問があるのですが、よろしいでしょうか。証人の方を、今日、明日と分けていますが、今日1日で終えたほうが、皆さん時間の節約で助かると思うのですが、何か理由があるのでしょうか。」
「良い着眼点ですね。あれは多分、裁判員や補充裁判員からの補充質問を準備する時間を考えると、後ろの時間がきついということで、こういう日程になったと思います。」
……などと質問に答えながら裁判所の庁舎から出ていくのであった。




