◎裁判員裁判(法的な評価等に争いのある事件)控訴審(控訴申立て後から控訴趣意書提出、弁論期日まで)
控訴期限内に控訴申立書が出せれば控訴の手続が進行していく。
被告人である飽田氏に、山河地裁から控訴審での弁護人の選任をどうするのかという問い合わせの書類が届き、貧困により国選弁護人の選任を希望するとの書類を送り返すと、しばらくして国選弁護人が選任され、4週間弱ほど先の日付に定められた控訴趣意書の最終提出期限の通知を受けた。
控訴審での弁護人は、山河高裁にある記録を謄写するなどして事件記録を入手して、その際、被害者の住所が一審では公開法廷での秘匿対象となっていたことに注意喚起もされた。
控訴審の弁護人が一審記録を検討し、被告人との接見との合間も挟んで被告人が一審判決のどのような部分に不服を持って控訴したかを確認し、記録とも照らし合わせながら、その内容を法的に意味のあるものに整理していくことになる。
一方で判決後の情状となるような事情にも取り組んでいく。弁護人は、被告人の了承のもと、従兄弟の近井さんに対して、被告人の月々の年金を実質的な担保することで、保釈保証金として出してもらった金銭を使わせてもらうこととして、近井を説得し、この原資をもって、被害者との示談交渉に入った。
その結果として、要旨、以下のとおりの控訴趣意書を提出するに至る。
「令和5年 (う)第●●●号 殺人未遂被告事件
被告人 飽田治郎
控訴趣意書
令和5年●月●日
山河高等裁判所 刑事部 御中
弁護人 ▲▲▲▲
被告人に対する頭書事件について、控訴の趣意は以下のとおりである。
第1 はじめに
原判決は、被告人に殺人未遂罪が成立するとした上で、被告人を懲役3年に処している。
1 事実誤認
原判決は、被告人が殺意を有していたとするが、被告人が殺意を有していたとは認められないから、この点について原判決には事実の誤認があり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない。
2 法令適用の誤り
仮に前記事実誤認がないとしても、原判決は、被告人の行為が刑法203条、199条の殺人未遂罪に該当するとしたが、被告人の行為は殺人未遂に該当する行為ではなかったのに殺人未遂罪を適用した点につき法令適用の誤りがあり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない。
3 量刑不当
仮に前記事実誤認も前記法令適用の誤りもなかったとしても、宣告刑の点につき、量刑不当があるので、原判決は破棄されるべきである。
第2 事実誤認
1 原判決の要旨
原判決は、被告人が被害者に対し灯油をかけた際の状況を踏まえた上で、「相手に対して可燃性の液体を浴びせた上で火を付けてその人体を燃やすことは、常識に照らしても、相手の生命を失わせる危険性のある行為であると理解できるものであ」って、「被告人も中華料理店を営んでいたものであり、火についての常識的な危険性は知っていたことを争っていない」ことに照らして、「自身の行為の危険性を認識していたと認められる」として、弱い殺意を認めている。
また、原審弁護人の主張である「①被告人は灯油の火力性能に関する認識が乏しい」などという点につき、原判決は、①「被告人は灯油や火に関する一般的な認識は当然有していた」などとして排斥している。
2 原判決の誤りについて
しかしながら、以上の原判決の判断に誤りがある。
すなわち、被告人は、灯油事故のニュース等を知っていたとしても灯油ストーブなどの暖房器具でのイメージであり、生の灯油に点火棒で火をつけてもどの程度強い火力となり、どの程度の火傷を負わせるか具体的なイメージは持っていなかった。被害者の被害についても焼かれて痛むのだろうという以上のものはない。
また、原判決は、被告人が中華料理店を営んでいることを上げる。その趣旨は判然としないが、中華料理が火を使うことが多いからというのであれば、そこから危険性の認識を推認するのは論理の破綻も甚だしい。中華料理店での調理は、ガスによる強力な火力であるが、コンロにおいて制御されており、むしろ火は安全で便利なものでしかない。
また、一般的な認識、常識としても、灯油が掛かってそれに火が付いたとして、その人がどうなるかと思うかといえば、火傷しそうとか怪我をしそうという程度か、あるいはよく分からないとなることが想定され、人が死ぬ危険を認識するのが常識というのは常識の濫用という他ない。
以上によれば、被告人が人の死ぬ危険性を認識しながら灯油をかける行為をしていた、殺意があったとは認められない。原判決には判決に影響を及ぼす事実誤認がある。
第3 法令適用の誤り
原判決は、「被告人が点火棒を持って近付いた行為は、遅くともその時点で、未遂処罰に足りるだけの現実的かつ具体的な法益侵害の可能性を生じさせていたと認められ、したがって、被告人の本件行為は殺人の実行の着手に該当する。」とした。しかし、被告人の行為は、未だ殺人の実行の着手に至っているとは言えないので、原判決には殺人未遂の解釈適用において誤っており、暴行罪が適用されるに過ぎない。
この点、被害者に対し、灯油をかけ、顔に火傷を負わせようと、チャッカマンのレバーを引いたがロックがかかっていたために火がつかなかった事案である長野地裁令和5年3月17日判決(別添1のとおり)では、「なお、検察官は、被告人が胸元に隠したチャッカマンに右手を近づけた時点で実行の着手が認められると主張する。しかしながら、被告人は、本件の数日前、被害者に塩水をかける行為に及んでいる。この点を踏まえると、本件においても被害者に灯油をかけて、チャッカマンに手を伸ばそうとしただけでは、被告人の内心はともかく、行為の客観面からすると、チャッカマンを示して脅迫に及ぼうとしていた場合との区別がつかない。」などと指摘している。
本件においても、被告人は右手に点火棒を握って近づき、前に突き出そうとしていただけであり、被告人の内心はさておき、行為の客観面からすると、点火棒で火をつけようとするものか、点火棒を示して脅迫に及ぼうとしていたのか、区別がつかない。
前記長野地裁判決の解釈判断は、未遂犯の成否の区分として、処罰範囲を過度に拡張することのないものであり、実行の着手における行為の客観面の重要性を的確に捉えたものであり妥当である。ひるがえって、原判決は単に危険性という不明確な感覚に依拠したものであり、適切な処罰範囲を画するものとはいえないから、その解釈適用は誤っている。
他には、大阪高裁昭和57年6月29日判決(別添2のとおり)もある。建物内にいる相手を建物を燃やすことで殺害しようとして天然ガスを漏出させたが、点火するには至らなかったという事案で、「建造物に対する放火が殺人の手段となっている場合においては、放火の着手が同時に殺人の実行行為の着手にあたるもので、」「右放火の準備として屋内にガスを漏出した上、簡易ライターを手に持っていたにとどまる被告人の右行為は、いまだ殺人の実行行為に着手したものにあたらず、殺人を目的とした殺人予備の行為に該当すると解するのが相当である。」と判断して、殺人罪の実行の着手を否定している。
また、放火罪についてではあるが、裁判例としては、灯油を撒布する行為単体で、実行の着手を肯定した例は見当たらないとされている。灯油の引火点の低さや揮発性等に着目した裁判傾向であって妥当であり、本件における法令適用を考えるに当たっても重要な視点であると考えられる。そして、これを敷衍して、「Xが愛人Aを殺害するために、Aの住居ごと焼き尽くす目的で、(中略)就寝中のAの体と寝室内に多量の灯油を撒布したが、ポケットからライターを取り出そうとしていたときに、目を覚ましたAの反撃にあって火をつけることができなかったという事例の場合、灯油の引火点は高くはないということを考慮すれば、灯油の撒布時点では未だ結果発生の具体的危険が発生したとはいえず、予備にとどまるとの解釈が妥当であろう」旨述べる論文も存在する(別添3のとおり)。原判決は、灯油の危険性を過大に見積もって不合理な法令適用をしたものと評価すべきである。
以上のとおり、本件の被告人の行為につき殺人未遂に該当するとの解釈適用は誤りであり、被告人は暴行罪により処断されるのが相当である。
第4 量刑不当
仮に、事実誤認も法令適用の誤りもないとしても、本件の事情に照らせば、被告人を懲役3年の実刑に処した原判決は重過ぎて不当であり、執行猶予を付するのが相当であった。
原判決は「被害者がけがをすることはなかったが、生命を奪い、そうでなくとも火傷等の後遺症を残すおそれのあった危険で悪質性の高い犯行である」とする。しかし、被害者が負傷した場合としなかった場合とでは、現実の法益侵害が生じていないのであるから、一応言及する程度の評価では考慮が全く不十分であり、より大きく有利な犯情として考慮すべきであった。
また、原判決は「犯行動機も、被告人が自身の経済的な困窮を健全な努力で解決しようと力を尽くしているとは見られず、安易に被害者の成功を妬んで身勝手にも本件犯行に及んだものであると認められ、酌量の余地はない。」とする。しかし、被告人は主観的に無力感にとらわれ、ヤケになっており、原判決が考えるような冷静な判断ができない状態に陥っていたのであるから、その経緯動機には一定の同情の余地があると評価すべきであった。
このほか、原判決は、被告人の反省、被告人の従兄による支援や監督、量刑に影響するような前科前歴がないことを有利な事情として指摘しているものの、その宣告刑に照らせば、これらの有利な事情を軽くみて、十分に考慮していない。
以上のとおり、指摘した個々の事情からも、あるいはこれらを総合的に評価すればなおさら、被告人に対する懲役3年の実刑というのはあまりにも重すぎて不当であり、過酷ですらあるから、被告人については原判決を破棄して執行猶予付きの懲役刑に処するのが相当である。
なお、被告人は、被害者との間の示談に向けて努力しており、このような判決後の情状も加味すると、ますます執行猶予付きの判決がふさわしい。」【※別添判決文・文献は省略】
弁護人が、控訴趣意書を最終提出期限までに提出すると、高裁での弁論期日の調整に移り、書記官に対し示談交渉の進捗具合も伝えつつ、約3週間ほど先のいくつかの空き日付を伝え、まもなく期日指定を受け、被告人も召喚状の送達を受けた。
弁護人は、弁論期日までの間に、被害者に対しては普通の裁判では得ることが難しい条件を提示するなどして、被害者との間の示談にこぎつけたため、控訴趣意書を補充する書面と、高裁での事実取調べを求める書面を提出した。
「令和5年 (う)第●●●号 殺人未遂被告事件
被告人 飽田治郎
控訴趣意書補充書
令和5年●月■日
山河高等裁判所 刑事部 御中
弁護人 ▲▲▲▲
被告人に対する頭書事件について、以下のとおり控訴の趣意を補充する。
被告人は、原判決後、従兄弟からの支援を得て、被害者に対して被害弁償として150万円を支払うなどして示談しており、被告人においても更に反省を深めている(当審弁護人請求証拠1、当審における被告人質問)。このような判決後の情状からしても、被告人には執行猶予付きの判決がふさわしい。」
「令和5年 (う)第●●●号 殺人未遂被告事件
被告人 飽田治郎
事実取調請求書
令和5年●月■日
山河高等裁判所 刑事部 御中
弁護人 ▲▲▲▲
頭書事件につき、下記のとおり事実の取調べを請求する。
記
1 示談書
作成者 飽田治郎代理人弁護士▲▲▲▲
山田チサト代理人弁護士●●●●
作成日付 令和5年●月▲日
立証趣旨 被告人と被害者との間で示談が成立したこと、被告人が被害者に示談金を支払ったことなど。
2 被告人質問
尋問時間 主尋問10分
尋問事項 一審判決を受けて考えたこと、示談に至る経緯など。」
弁論期日当日。
指定された法廷に立会書記官、検察官、弁護人に、被告人とそれを連れてきた刑務所職員が時間を待つ。
しばらくすると、裁判長を先頭に3名の裁判官が専用口から入廷し、在廷者が立ち上がり、裁判長らの礼に合わせて礼をし、着席した。
裁判長から刑務所職員に対して被告人の解錠指示が出され、被告人の手錠腰縄が解かれる。
裁判長が開廷を宣言し、被告人を証言台の前に立たせる。被告人に対する人定質問がなされる。被告人は、一審段階の保釈の際に元の住居を引き払ったため、「今は、住所がありません。」と答えることになった。
住居変更等があるときには必要があれば事前に弁護人から裁判所に伝えておくことも普通だが、今回は、引き払ったのが一審段階で、そのときの住居は保釈の制限住居地ということで問題なく、控訴審では身柄拘束中のため送達の問題もないということで、住居を明らかにする必要がなかったので、この人定質問の時点で明らかにされたということになる。
被告人に対する人定質問が終わって元の席につくと、裁判長が「弁護人、控訴趣意ですが、弁護人作成の●/●付け控訴趣意書及び●/■付け控訴趣意書補充書のとおり、量刑不当ということでよろしいですか。」と尋ね、弁護人が「そのとおりです」と答え、さらに裁判長が「陳述というのでよろしいですね。」と言い、弁護人が「はい、陳述します。」と応じた。
続いて、裁判長は「検察官、控訴趣意に対する答弁をどうぞ。」と促し、検察官は「控訴の趣意には理由がありませんので、控訴は棄却されるのが相当です。」と告げた。
さらに、裁判長は「弁護人からの事実取調請求は、●/▲付け事実取調請求書のとおりでよろしいですか。」と聞き、弁護人が「はい、弁1号証として示談書を、また被告人質問を請求します。」と言い、裁判長が「検察官、ご意見は?」と言えば、検察官が「事前にお伝えしているとおりですが、示談書が同意、被告人質問が原判決後の情状に限りしかるべく、です。」と述べるので、裁判長は左右を見た後、「いずれも採用します。弁護人は、まず、示談書の内容の要旨を告げてください。」と言う。
弁護人は、「弁1号証、示談書は、被告人と被害者との間の示談の成立及びその内容を示すものです。被告人が被害者に対し本件につき150万円を支払うこととし、示談の席上で実際に150万円を支払ったことを確認したということになります。これに加えて、被告人は被害者に今後一切接触しないことを約束し、これを守るため、被告人は被害者に対し、被害者の店舗、住居の建物敷地に立ち入らない、立ち入った場合は一回30万円を支払う、被害者の住居がある町には公共交通機関等で通過する場合を除き、立ち入らない、立ち入った場合は1回10万円支払う、ということを約束しました。これらを除き、本件に関し被告人と被害者の間に債権債務はないとの清算条項も定めました。以上です。」
弁護人が原本を書記官に渡しつつ、「原本調べの写し提出でお願いします。」と頼み、裁判長「原本確認をした上で写し提出ということにします。」と応じ、陪席裁判官とともに示談書を手元の写しと同一か確認した。
次に裁判長は、「では、被告人は前に来て、証言台の椅子に座ってください。」と指示した。被告人が席につくと、尋問の一般的な注意事項を簡潔に告げ、弁護人に対し、「では、弁護人から質問をどうぞ。」と促した。
弁護人「それでは、弁護人から質問します。」
弁護人「一審判決で懲役3年の刑を受けましたが、どのようなことを思いましたか。」
被告人「はい、自分が大変なことをしたのだと、裁判員の皆様に突き付けられ、深く反省しました。」
弁護人「具体的に、判決前の被告人はどのようなところが浅かったのですか。」
被告人「被害者のかたの受けた恐怖、苦しみをしっかりとわかっていなかったように思います。殺されると感じさせるような行動を取ってしまい、本当に申し訳なかったと改めて謝りたいですし、被害者のかたの精神的な苦痛が1日でも早く解消されることを心から祈り続けたいと思っています。」
弁護人「示談の点について聞きますが、お金は誰に出してもらいましたか。」
被告人「近井さんです。刑務所に入れば年金を使うこともないので、月5万円を30か月分割払いの150万円貸してもらいました。執行猶予になった場合は仕事を見つけて、同様の金額を分割で返済しようと考えています。」
弁護人「150万円の支払の他に、いろいろな条件がありますが、これはどうしてですか。」
被告人「被害者のかたが、150万円程度では今回の様々な被害や精神的苦痛に見合わないと難色を示されたことから、弁護人の先生からアイデアを出してもらったのを受けて、被害者側に提案したところ、示談に漕ぎ着けられたということになります。」
弁護人「被害弁償は済ませましたが、付け加えた条件はずっと続くものです。きちんと守り続けられますか。」
被告人「同じ市内でも広いので、被害者の住んでいるエリアからは大きく離れたところに住所を定めるようにして、二度と会わない、近寄らないこととの条件を一生守っていきたいです。」
弁護人が着席したので、裁判長は検察官に反対質問の有無を尋ねたが、検察官「特にありません。」として終わった。裁判長は、被告人質問の終了を宣言して、被告人を証言台から元の席に戻らせた。
裁判長が「以上で、事実取調べは終了ということで良いですね」と確認し、弁護人・検察官から異論がなかったので、当事者の予定を確認しつつ、3週間後の午後1時半に、判決宣告期日を指定した。
(参考文献)
末道康之「放火罪の実行の着手をめぐる一考察」慶應義塾創立一五〇年記念法学部論文集 (2008) p.165-187
https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/BA88453207-00000003-0165.pdf%3Ffile_id%3D119508&ved=2ahUKEwj88Lb4uvqNAxUU4zQHHWiqGKoQFnoECBsQAQ&usg=AOvVaw0-LE5QcF7yVhdb0EXehM5b
佐藤輝幸「放火罪の実行の着手」刑事法ジャーナル2025-Vol.84 96頁
高裁判決は作成しない予定。