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◎裁判員裁判(法的な評価等に争いのある事件)2日目その2

 休廷が終わり、これまで同様の、書記官、弁護人側、検察官・被害者側、裁判長、被告人、裁判官・裁判員の入廷その他が進み、裁判長の開廷宣言の後、被告人が証言台の席に腰掛けた。


裁判長「それでは、弁護人、休憩前から引き続いての質問をどうぞ。」

 主任弁護人が立ち上がって質問を再開する。


主任弁護人「これまでいろいろと事件のことを聞いてきましたが、飽田さんは今現在、山田さんに対して、待ち伏せをし、灯油をかけ、着火ライターを持って山田さんに近づき、火を付けてしまおうと思ったことについてはどう考えていますか。」

被告人「今は悪いことをしたと反省しています。」

主任弁護人「飽田さんは、火を付けられそうになったときの山田さんの気持ちは分かりますか。」

被告人「火を付けられたら、やけどでものすごく痛いと思いますから、大変な恐怖を感じたと思います。私も、今回、山田さんに骨が折れるほど叩かれて、治った後も右手の痛みが残って辛いですから、そういう目に遭わせなくて済んで良かったです。」

主任弁護人「飽田さんがこの裁判の後、社会に戻れたとして、どんな生活をしますか。」

被告人「今の貸してもらっている家の荷物は引き払って、ひとまずは、近井さんのところでお世話になりたいと思います。その後は、生活保護が受給できるように急いで手続をして、年金と生活保護の範囲内で一人暮らしをしていきたいと思っています。」

主任弁護人「息子さんに支援できないことに思い悩む前にまず飽田さん自身の生活を立て直さないといけないですよね。」

被告人「はい、分かっています。」

主任弁護人「今後、飽田さんが、自分でどうにもならない状況に陥った時に、どのようにしようと思いますか。」

被告人「苛立ちを他人に向けるのはとんでもないことだと分かりましたので、周りの人や役所によく相談するとか、自分なりに気持ちを落ち着かせるなどして、やけにならないようにしたいと思います。」

主任弁護人「飽田さんは、今後二度と犯罪を犯さないということを、この法廷で誓うことができますか。」

被告人「誓います。」


 主任弁護人が裁判長の方を向くと、尋問の終了を告げた。裁判長が検察官に反対質問を促すと、検察官が立ち上がった。


検察官「それでは、検察官から質問していきます。」

検察官「本件当日となる令和5年1月31日、本件犯行にあたり、被告人が持ってきたものとしては、灯油の入ったペットボトル2本、着火ライターと話していた点火棒、包丁、小型のこぎりといったもので良いですね。」

被告人「はい。」

検察官「何故、包丁やのこぎりを使った直接的な暴力ではなく、灯油をかけて火を付けるという方法を選んだんですか。」

被告人「山田さんの方が若くて強そうな雰囲気があったので、少し距離を取りながら、と思ったからだと思います。」

検察官「少し距離を取りながら、どうする、ということですか。」

被告人「……攻撃する、ということです。」

検察官「灯油は家に置いてあったものですよね。」

被告人「はい。」

検察官「何に使ってましたか。」

被告人「灯油ストーブで冬の寒さが厳しい時に使うことがありました。」

検察官「灯油ストーブの火災の危険性なんかを見聞きしたことはありますか。」

被告人「ニュースで灯油をこぼしたりして引火して火事になってしまうと言っていたのを見たことがあります。」

検察官「そうすると、本件前から、灯油も、火がついたら燃え続けて人の生命を奪ったり、人を傷つけてしまうことのある危ない物だということは分かっていましたね。」

被告人「はい。」

検察官「被告人は、本件犯行の際、山田さんにどんなふうにして灯油を掛けたのですか。」

被告人「少し離れたところから山田さんの上半身に向けて、ペットボトルを斜め前に出したり戻したりする動作を繰り返して何度か掛けました。」

検察官「どのくらいの量の灯油が掛かったのですか。」

被告人「よく分かりませんが、方向がそれて上手くかからなかったことはなかったです。」

検察官「被告人が点火棒を右手に持ち替えたとき、灯油入りのペットボトルはどうしましたか。」

被告人「その辺に投げ捨てたと思いますがよく覚えていません。」

検察官「被告人が山田さんに向けた点火棒ですが、火は付くものだったのですか。」

被告人「リュックサックに入れて持ち出す前に使い方をおさらいしようと思い、自宅の庭で引きがねを引いて火を出したりして確認はしておきました。」

検察官「山田さんから被告人が右手を叩かれたときの距離はどの程度でしたか。」

被告人「2メートル足らずだと思いますが、私にも山田さんにも動きがあったので、自信はありません。」

検察官「被告人が山田さんに叩かれて西側道路の方に向かっていった後で転倒しますが、その際、山田さんの方を向いていたりしますか。」

被告人「向いていません。前方向に倒れました。」

検察官「転倒時、山田さんが右脇腹に肘や膝を入れてきたみたいな話をしていましたが、山田さんのどういう部位が当たり、どんな意図でやったというところは、山田さんの方を向いて、その挙動を見ていない以上、確認できないのではないですか。」

被告人「見ていなかったですが、倒れるときの痛みのイメージや一連の印象などから、そうだったんだろうと思いました。」

検察官「痛みのある場所といっても、狙ってなくてたまたまその部位に入ったとかも考えられるのではないですか。」

被告人「力が強くて、痛みもはっきりしていたので、わざとやってきたんだろうと思っただけです。」

検察官「被告人が逮捕後に連れていってもらった病院の診断書にも右脇腹の怪我は載っていませんから、あなたの印象が強かっただけで、実際にはそこまでの打撃ではなかったんじゃないですか。」

被告人「診断書の記載が何故そうなっているか分かりませんが、右脇腹は確かに相当痛かったです。」

検察官「話は代わりますが、結局、本件での被告人の動機はどういうことになりますか、お金がなくて、住む場所もなくなりそうで、生活がどうにもならないから、逆恨みしていた山田さんに攻撃した、ということなのですか。」

被告人「……上手く言葉にできないですが、ちょっと違うような気がしますが、そのように言われても仕方がないとも思います。」

検察官「家主の手伝いがなくなったと分かった時点で、アルバイトでも何でも探して収入を補えばよかったではないですか。」

被告人「体の調子も良くないし、今さら、若い人たちに混じって新しい仕事をするのも大変そうで、なかなか探す気にはなれませんでした。」

検察官「被告人は、犯行当日、歩いて何キロも離れた山田さんの家まで行っているのですから、まだまだ体は動くのではないですか。」

被告人「あのときは、休み休みでしたし、膝や腰も辛いですが、それ以上に、仕事をするとなると自分の手首や肘、肩が痛んで厳しいです。」

検察官「本件の3、4か月前のことですが、被告人は、わざわざ、新しく開いた山田さんの店に行って、店の人に食ってかかったりしたというのは、この時にはもう、山田さんに対して強い怒りの、攻撃的な感情を抱えていたという理解で良いのですか。」

被告人「あのときは、かなり酒を飲んでいたので、そのせいで嫌な気持ちが強められていたのかとも思います。」

検察官「最終的に、山田さんを攻撃しようと決めたのは、本件の前日ですか。」

被告人「そうだと思います。」

検察官「そのため、被告人は、わざわざ山田さんの家まで行ったということになりますか。」

被告人「そうですね。」

検察官「何故、この日にそういう決断に至ったのですか。」

被告人「借りれそうな最後の当てみたいなところで、恥を忍んで頑張ってみたのですが、上手くいかないで、恥だけかいて、これ以上はもううんざりだと強く思ったことが、山田さんへの怒りとつながった、そういうことだと思います。」

検察官「山田さんに怒りをぶつけても、被告人の現状は改善しませんよね。」

被告人「今、冷静に考えればそのとおりで、1円の得にもなりません。」

検察官「それと、奥さんからの無心、子供さんの学費の関係でも、工場が撤退する前などの、商売が順調で羽振りの良かった時にきちんと学資保険に入るとか貯金をしておくとかすれば少しは良かったのでないですか。」

被告人「はい、ただ、良かった時でもそこまで稼げたというものではなかったです。」

検察官「バーなどでの散財なんかあったりして、この当時の被告人のお金の使い方については、奥さんも不満をもっていたんじゃないですか。」

被告人「確かに夜の店で多少散財したことはあったと思いますが、そこまで酷くはなかったと思います。」

検察官「お子さんの教育費としての貯蓄は、その頃にもほとんどできていなかったということで良いですか。」

被告人「それはそうです。」

検察官「それと、お店が繁盛するしないはそれぞれの商売のセンスや実力あるいはその時々の運もあるかもしれませんが、いずれにせよ、被告人自身の商売が上手くいかなかったことを、山田さんのせいにするのは間違っていませんか。」

被告人「そう言われればそうかも知れませんが、そう思いたくなるほどの落差があったので、山田さんが何か特に上手いことやったという気持ちは、どうしてもあります。」

検察官「最後に1つ確認ですが、本件犯行の日、もし山田さんが帰宅しなかったら、翌日以降はどうしていたと思いますか?」

被告人「……分かりません。もしかしたら、犯行は辞めていたかもしれません。」


 検察官が、一呼吸置いて後ろを向くと、山田さんの隣にいる男性に声を何やら声をかけ、男性が検察官に紙を渡している。そして、検察官が裁判長に向けて告げた。

検察官「事前にお伝えてしてあったとおり、ここで、被害者による心情意見陳述のため、被害者から被告人に対する質問の申し出があります、質問事項は被告人の反省・謝罪について、今後の生活について、です。質問は被害者の委託弁護士から実施します。検察官は、この申し出につき相当と思料いたします。」

裁判長「弁護人のご意見はどうですか。」

主任弁護人「しかるべく。」

裁判長「では、被害者からの被告人質問を許可します。」


 これまで検察官の後ろに座っていた小太りの中年男性が前列にでてきて質問を始めた。


委託弁護士「それでは、被害者の委託弁護士から質問します。先ほどの、被告人の店の顛末と、被害者の店の現状についての被告人の回答を聞くと、今も被害者を恨んでいる、妬んでいる、そして、反省もしていない、そう感じられるのですが、違いますか。」

被告人「いえ、山田さんにはとても怖い思いをさせたと反省しています。」

委託弁護士「店を成り立たせていくのには、商品の品質と価格の満足度の両立、サービス提供をする店舗の質の維持、継続的なメニュー開発の努力など、日々さまざまに目を配り、アイデアを考えて試行錯誤し、あるいは予期せぬトラブルにも対応するといったことの連続、積み重ねがあるわけですが、どうして今も被害者の店が上手くいっていることに、意識を向け続けているのですか。」

被告人「……今、指摘されて思いましたけれど、いつまでも、山田さんとのことについて、イライラしてはいけないと思いました。」

委託弁護士「あなたの商売のあれこれと、被害者の商売のあれこれは別問題であって、この裁判で踏ん切ってすっぱり忘れられますか。」

被告人「はい、そうしたいと思います。」

委託弁護士「被告人は、先ほどから怖い思いをさせたなどと口にしてますが、こういう危険なことは決してやってはいけないことだと理解できていますか。」

被告人「はい、分かっています。」

委託弁護士「今回、たびたび被告人は、反省したとか、山田さんに申し訳ないと言ってきましたが、言葉にする以外に、その気持ちに基づいた行動というのはありますか。」

被告人「……反省して、社会に戻ったらきちんとした暮らしをして、同じようなことをしないと決めていますが。」

委託弁護士「いやいや、被害者に申し訳ない、反省している、というなら、こうやって法廷での審理が始まる前に、被害者に対して、どう気持ちを理解し、何を反省したのか、その上で謝罪のひとつでもして、被害弁償のなにがしかも出してくるっ、というのが、当たり前の行動じゃないですか。」

被告人「言葉が上手くまとまらなくて謝罪文を書くところまでは行きませんでした。被害弁償も、したい気持ちはありましたが、生活さえ難しいところで、金銭の当てもなく無理でした。」

委託弁護士「被害者に対し、反省及び謝罪の手紙も出せない、駄目にした衣類の弁償も、怖い気持ちは分かると言いながら慰謝料の提示もない。結局、口先だけじゃないですか、あなたの反省とやらは。」


 ここで、主任弁護人が立ち上がって異議を出した。

主任弁護人「裁判長、異議があります。今の質問は質問者の意見の押し付けです。被告人は既に現実の行動に移せなかった本人なりの事情を話しています。」

裁判長「委託弁護士、異議に対するご意見は。」

委託弁護士「質問を変更します。では、被告人は、この後、被害者に対して、謝罪その他の具体的な行動をとる見通しはありますか。」

被告人「できるかどうか、考えてみたいと思います。」

委託弁護士「話は変わりますが、被告人が社会にいずれ戻ってきたときに、住む場所について、被害者のことを考えて、遠方に住もうなどと考えたことはありますか。」

被告人「遠方といいますと。」

委託弁護士「市外あるいは県外ですが。」

被告人「いや、長年、この地域に住んでいましたので、他所に住むことは全く考えていませんでした。」

委託弁護士「被害者からしてみれば、今回みたいなことをした犯人が、社会に戻ってきたときに割と近くに住み続ける、となったら、大変不安を覚える、ということが分かりませんか。」

被告人「言われてみればそうかと今分かりました。」

委託弁護士「将来的な住居について、何か法廷で誓えることはありませんか。」

被告人「住民票もこちらにありますし、協力してくれる従兄弟の家もこちらの方なので、こちらで生活をさせていただきたいですが、その中で山田さんの家からはできる限り遠いところに住めるよう、住居探しについては考えたいと思います。」

委託弁護士「委託弁護士からは以上です。」


裁判長「弁護人から再主質問はありますか。」

主任弁護人「弁護人からは特にありません。」

裁判長「それでは休憩に入りまして、昼休みを取った後、午後1時20分から裁判員・裁判官から被告人に対して質問を行い、その後は被害者の心情意見陳述をして、長めの休廷をとり、検察官の論告、弁護人の弁論を聞き、被告人の最終陳述を行い、結審したいと思っております。」


 休廷後、学生たちに対し、各自で昼休みとして時間までには傍聴席に戻ってくるように伝えた。自分は、食堂でのランチとした幾人かの学生とともに、他愛のない話をしながら、食事と昼休みの休憩を取った。開廷時間の5分前、傍聴席に戻り、補充質問を待ち受けた。やはり同様の入廷等が行われ、裁判員が揃い、被告人が証言台の椅子に腰掛けたところで、裁判長の声かけを受けて、裁判員からの補充質問が始まった。

 

裁判長「それでは、裁判員1番さんから質問をどうぞ。」

裁判員1「裁判員1番から質問します。飽田さんは山田さんの家に行くときに包丁や小型のこぎりも持っていっていますよね、何に使うつもりだったんですか。」

被告人「……具体的にどう使うかは考えていなかったです。」

裁判員1「では、どういうつもりで準備したのですか、教えてください。」

被告人「……自分でもよく分かりません。」

裁判員1「そうですか、ありがとうございます。」

裁判長「続いて、裁判員2番さん、どうぞ。」

裁判員2「飽田さん、あんた、女に商売で負けて悔しかったということかいな。」

被告人「……えっ。」

裁判員2「女に負けて男のプライドを傷つけられた、違うか。」

被告人「……そういう部分もあったと思います。」

裁判員2「そうだろうな。」

裁判長「では、次に裁判員6番さん、どうぞ。」

裁判員6「裁判員6番になります。よろしくお願いします。」

裁判員6「飽田さんが灯油を掛けた玄関あたりには灯りはありましたか。」

被告人「はい、山田さんの家のセンサーライトが付いていました。」

裁判員6「灯油を掛けられているときの山田さんの表情はどうでしたか。」

被告人「逆光で見えにくかったですが、たしか、驚いたような顔をしていたと思います。」

裁判員6「はい、ありがとうございました。」

裁判長「では、裁判員5番さん、どうぞ。」

裁判員5「裁判員5番ですが、家から追い出されるという話の後に、被告人としては、近井さんにお金を貸してもらおうとしましたか。」

被告人「いや、その時の近井さんには頼んでいないです。」

裁判員5「どうしてですか。」

被告人「破産した直後頃の生活費が不足したとき、真っ先に近井さんに相談したところ、『自分も生活に余裕はないし、子供らに迷惑をかけたくもない。これはやるが、今後、金の無心を絶対にしてこないでくれ』と五万円渡されて言われましたので、その後は、近井さんにお金の相談はしませんでした。」

裁判員5「そうすると、今回、どうして近井さんに証人として来てもらったんですか。」

被告人「弁護人の先生と今後の生活について話していたとき、先生から誰か協力してくれそうな人はいないのか、と尋ねられて、近井さん以外思い浮かばなかったのですが、今話したような経緯があるからお願いできないと言ったら、先生が状況もだいぶ変わっているから事情は分かったけど一度頼みに行ってみましょうと言ってくれて、連絡を取ってもらい、証人として来てくれることにもなりました。」

裁判員5「次に、近井さんがいろいろ証言していましたが、例えば写経をしながら反省をしてもらうとかそういうお話もありましたが、被告人としては、そのような活動をすることについてどう思いますか。」

被告人「せっかく近井さんが提案してくれたことなので、前向きに考えたいと思います。」

裁判員5「他にも近井さんは、同居して、生活保護取って、というプランを話していましたが、社会に復帰するときは、そのプランに沿ってやっていくつもりだと聞いて良いんですか。」

被告人「はい、そのとおりにして一刻も早く迷惑をかけない状態に戻りたいと思っています。」

裁判長「被告人は、山田さんが剣道の有段者だったということは知っていましたか。」

被告人「具体的には知らなかったですが、身のこなしが良いとは前々から感じていたので、今回それを知って納得しました。」

裁判長「裁判所からは以上ですが、当事者のほうで何かありますか。」


 裁判長からの問いかけに各当事者はいずれも質問はないという仕草をして、被告人質問が終了し、被告人は元の席に戻された。


裁判長「引き続いて被害者の心情に関する意見陳述を実施します。被告人との間に衝立ついたてを置きますので、職員は準備をしてください。」

 裁判長の指示に従い、傍聴席にいた職員が動き、隅に置かれていた衝立ついたてを2人で運び、被告人のいる場所と証言台の間に置いた。職員が、弁護人、被告人の側に回って弁護人側から証言台が見えるか、被告人から証言台辺りが見えなくなっているかを確認すると、裁判長の方を向いて頷くと、職員らは傍聴席に下がった。

 裁判長が被害者やまだに呼びかけると、被害者やまだは証言台のところに移動して持っていた紙を広げると陳述を始めた。


山田「裁判官、裁判員、補充裁判員の皆様、改めて私の話をお聞きいただく時間を取っていただきまして、ありがとうございます。」

山田「令和5年1月31日に本件が起こるまで、私は事業者として、忙しいながらも充実した毎日を過ごしてまいりました。しかし、本件で灯油をかけられ、焼き殺されそうになるという被害に遭ってからは、夜道を1人で歩くときはもちろんのこと、あるいは日常のふとしか瞬間にも、言いようもないような恐怖、苦しさを感じるようになってしまいました。また、何故、犯人である被告人が私を襲ったのか、全く分からないままであったことから、周囲の人がいつ豹変して襲いかかってくるのではないか、との神経質な不安にもさいなまれてきました。そのため、しばしば過呼吸の発作を起こして、時には救急車を呼んでもらうこともあります。」

山田「そんな本当に苦しい日々が続いている中、ようやく裁判の期日を迎え、良きにつけ悪しきにつけ犯行の理由が分かり、少しは気持ちを整理できるかと期待していました。しかし、今日、被告人の話を聞いても、全くその理由は明らかにされませんでした。今後も引き続き、この苦しさや不安を抱えていかなければならないのかと思いました。」

山田「確かにこの事件では、私は肉体的には傷を負いませんでした。しかし、その心は大きく傷つきました。そうであるのに、法廷での被告人からは、形ばかりの謝罪と反省の言葉が出されるばかりで、事件についても、私の苦しさや不安についても、大したことは何も考えていなかったのだと思い知らされました。」

山田「今日この日まで、被告人からは、謝罪や反省の手紙、あるいは慰謝料といった話は全くありませんでした。もちろん、実際に謝罪や反省の手紙を送ると言われても、私としては戸惑うばかりで結局受け取りたくないという回答をしたかもしれません。とはいえ、それならそれで、法廷という場で話すことについて、被告人にはしっかりと考えてきてほしかったのです。」

山田「私の苦しさや不安は短い期間で解消されるようなものではないと感じています。そして、これらは、被告人が社会で自由にしていると思えば、より一層酷くなりさえするのではないかとも感じています。この程度の事件では一生被告人を刑務所に入れておくことは叶わない願いだとは理解しています。ただ、ごくごく非力な一市民である私としては、この傷がどうにか被告人の存在に耐えられる程度に癒されるまで、時間を作っていただけますよう、被告人を一定期間であっても今すぐは社会に戻さないという選択をしていただけますよう、裁判官、裁判員、補充裁判員の皆様には、心からお願い申し上げる次第です。」

山田「ご静聴いただきましてありがとうございました。」

裁判長「山田さん、今お話いただいた内容が、お手元の紙に書いてあるのでしたら、記録にその紙を綴って、お話しされた内容としたいのですがよろしいですか。」


 被害者やまだが裁判長の言葉に頷くと、書記官が近付いて紙を受け取って裁判長にその紙を渡した。

 そして被害者やまだが元の席に座ると午後4時から論告、弁論、最終陳述が案内がされた後、休廷が宣言され、ある程度長い休憩に入った。もっとも、検察官、弁護人は、これから論告、弁論の準備があるため、全く休むことはできないだろう、と思われた。

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