嫉妬深い悪役令嬢は、僕の可愛い婚約者
僕は転生者で王太子。
名前はエリク・ド・リール。
この世界が、前世で妹がしていたゲームだと気がついたのは、7歳の時だった。
そして、婚約したのも7歳だ。
婚約者は、後に悪役令嬢と呼ばれる、ディアーヌ・マルゴワール侯爵令嬢。
髪の毛は真っ赤な紅葉色で、瞳は紫。顔は、はっきりした綺麗な顔立ちだ。
本当はゲームを思い出した時に、絶対にディアーヌだけは避けて生きようと思っていた。
何せ、王子が好きすぎて追いかけ回し、ヒロインに嫉妬して闇落ち。最後にはヒロインに毒殺を企てて幽閉される人物なのだから。
彼女に一番最初に会ったのは、婚約者候補の令嬢3人をお茶会に招待した時だった。
その中でも、猛烈に僕を気に入ってくれたディアーヌ。
他の候補者を威嚇しながら、必死で僕の横の位置をキープする姿に、少々たじろいだ。
でも、真っ直ぐで無垢な瞳を輝かせて『大好きです!!』って言うんだ。
邪な感情が全く無い彼女の言葉に感動してしまった。
あの時から彼女は、僕一筋に愛してくれている。
きっと僕以外の人物が王子だったら、会えば朝から鬱陶しいほどに寄ってくる彼女を疎ましく思ったかも知れない。
だが、考えて欲しい。
こんなにも情熱的に好きだと伝えて来てくれる女の子を、嫌がる理由なんてない。
前世の僕は、草食系で好きな子に想いすら伝えられないヘタレだった。
女子がぐいぐい来てくれたらと、都合のよい事を考える典型的ダメ男。
そんな男にディアーヌは、『エリク様大好きぃ』と伝えてくれるありがたい婚約者だ。
悪役令嬢ということもあって、少々ドレスはいつも派手な装いだが、似合っているから問題はない。
僕は度々連絡を取ったり、会いに行ったりしてディアーヌが嫉妬しないように気を付けている。
闇落ちなんてされては大変だからね。
だが、ゲーム通りに僕たちは学校に行くことになった。
16歳になり、家庭教師ではなく王族も学校に通うのだ。
今日は愛しいディアーヌと一緒に入学式だ。
入学式に、髪の毛が赤なのにドレスも真っ赤という、ど派手な衣装で登場したディアーヌには、ちょっと驚いたけど・・・。
しかし、健気にも息せき切って一目散に掛けてくる。
「エリク様ぁ、今日は入学式で新入生のご挨拶をされるんですよね?」
「そうだよ。学長の挨拶の次に僕の新入生代表の挨拶がある。・・ところで、今日のドレスはいつにも増して真っ赤だね」
入学式は皆、落ち着いた水色や薄いベージュの服が多い中、ド派手な衣装が浮いている。
「エリク様が赤が好きって仰ってたから、今日、緊張した時に私のこのドレスを見て落ち着いて貰おうと思いましたの!!」
僕が昔、ディアーヌの真っ赤な髪の毛が紅葉のようで綺麗だったから、『その赤、素敵だね』って言ったんだけど、勘違いされちゃったみたいだ。
あれ?
ディアーヌの目の下・・・。
彼女の目の下に隈が出来ている。
「ねえ、ディアーヌ。どうしてそんなに顔色が悪いの?」
ディアーヌが恥ずかしそうに、慌てて顔を手で隠す。
「見ないで下さい・・・。あの、エリク様が大勢の人前で話をされると思うと、緊張して眠れなくなったんです」
「僕の事なのに?」
「う・・。そうです。今も心臓がばくばくしてます」
かわいいーーー!
この可愛い生き物のどこが悪役令嬢なんだ!
入学式が始まり、僕が壇上に立つと手を合わせて僕がトチらないように祈ってるディアーヌ。
ここからでは聞こえないけど、ずっと呪文を呟いているよね?
ああ、息を止めて祈っているから、顔が真っ赤になっているよ。
僕は自然と入学の代表挨拶が早口になる。
ここは、婚約者の命を優先するために挨拶を大幅にカットした。
少し短いが、大丈夫だろう。
僕が話し終えるとディアーヌが漸く顔を上げた。
僕は笑いそうになったけど、少し嫌な物を目にしたので、気持ちが切り替わった。
僕をじっと見つめる一人の少女が目に入ったのだ。
僕はその彼女を知っている。
このヌルゲーのヒロイン、マリン・ピカールだ。
目は異様に大きく、潤んだ瞳は緑色。もふもふした灰色のカールヘアーは羊を思い起こす。
僕と目が合うとにっこりと微笑む。
まるで人形のように正確な微笑みで気持ちが悪い。
ヒロインからすぐに顔を逸らし、婚約者のディアーヌを見ると、やっと安心した表情になっていた。
僕が席に戻ると、宰相の息子のパスカル・ユルフェが「お疲れさまです」と迎えてくれた。
彼は眼鏡をくいっと上げると、自分の婚約者を横目で見てため息をついている。
「王太子殿下の代表挨拶中に、あくびをするなんて、後で注意をしないと・・・。」
「あのさ、僕を理由に喧嘩をするのはやめてね」
パスカルの融通の利かないところは本当に治して欲しい。
学校長の挨拶もそうだが、長い挨拶なんて、いつの時代も眠いものなんだから。
入学式が終わり、廊下でディアーヌを待っていた。
ディアーヌは相変わらず僕を見つけると嬉しそうだ。
こんなに毎回喜んでくれる女の子が他にいるだろうか?
ずっと顔を合わせていれば飽きるだろうに・・・。
彼女は毎日でも新鮮に、喜びの感情を見せてくれる。
「ディアーヌ、屋敷まで送るから、一緒の馬車で帰ろう」
「エリク様と一緒の馬車?」
子供がおかしを貰った時のようにあどけなく笑う。
ほっとする笑顔。
「エリク様、お待ちください」
引き留められ振り返ると、ヒロインとその友人二人が立っていた。
「何か用かな?」
「先ほどの入学式のご挨拶はとても素晴らしかったですわ」
ヒロインのねっちょり視線が気持ち悪いが我慢しよう。
「ああ、ありがとう」
「特に『一人一人の頑張りも大切だが、仲間となった皆さんと切磋琢磨し、困難を乗り切る力をつけていきたい』と仰ったのが心に響きましたわ」
挨拶の内容まで覚えているなんて、流石ヒロインだな。
ヒロインがディアーヌを見る。
獲物を見つけた捕食者の目だ。
「殿下の婚約者でいらっしゃるディアーヌ様は、心に響く言葉はどこでしたか?」
狙いはそれか!!
ディアーヌは頭を捻って、思い出そうとしているが・・・。
無理だろう。
何せ、ひたすら僕の挨拶が無事に終わるようにと、ずっと祈りを唱えていたんだから。
「えっと、殿下のお声が素敵だなと思ってました」
ヒロインと友人が顔を見合わせて、微妙な笑顔を作る。
「王太子の婚約者ともあろう人が、まさかお聞きになられてなかったのですか?」
嫌味ったらしい言い方に、うんざりする。
「殿下がお可哀想ですわ・・・」
お前達に可哀想と言われる覚えはないんだがな。
このままではディアーヌが塞ぎ込んでしまう。
「しょげないで、ディアーヌ。君は僕が失敗しないように祈るのに忙しかったのだろう? 君の祈りのお陰で挨拶を乗り切れたのだよ。ありがとう」
泣きそうだったディアーヌの顔が綻ぶ。
ここで、マリンが僕の腕をとって自分の腕を絡めてくる。
「まあ、そのようにお優しい言葉を掛けてばかりいらっしゃるなんて、ディアーヌ様が羨ましいですわ」
なんで婚約者でもないマリン嬢が、僕の腕を取っているのだ?
不快に思い、手を振り払おうとするより先に、ディアーヌがマリンの手を払いのけ、自分の腕を回してきた。
「で、殿下は私の婚約者です。勝手に触らないで」
ディアーヌの手が震えている。
「まあ、そんなに嫉妬ばかりしていると、殿下に嫌われてしまいますわよ」
『僕に嫌われる』と言う言葉が刺さったのか、ディアーヌが怯んだ。
「ねえ、ディアーヌ。君は僕の婚約者だろう? ちゃんと嫉妬してくれて嬉しいよ」
執着? 嫉妬? どんどんしてくれ!
可愛い婚約者が嫉妬してくれるなんて、どんなプレゼントより嬉しいよ。
ディアーヌが安心したのか、僕を掴む手が緩んだ。
その手の上に僕の手を重ねると、頬が真っ赤になる。
「さあ、ディアーヌ。送るよ。君達も気をつけて帰ってね」
ヒロインが口をポカーンと開けて見送っている。
残念だね。ヌルゲーだとこの時に
バカな王子はすっかりヒロインの虜になるんだろう?
でも、考えてよね。
代表挨拶を聞いていないぐらいで、婚約者を捨てるって、そんな男、最低でしょ?
マリン嬢がこめかみの血管が切れそうなくらい、歯を食い縛ってディアーヌを睨んでるけど、邪魔はさせないよ。
二ヶ月後。
マリンは方向転換をしたようだ。
僕ではなく、狙いやすいパスカルに狙いを定めたようだ。
パスカル・ユルフェ。
彼の婚約者はオリビア・ローレン。少しポッチャリでお菓子作りが大好きな、お母さんタイプだ。
彼女は困っている人がいれば手を差し伸べる優しい人だ。
僕の婚約者のディアーヌが、おどおどしているとすぐに助けてくれるので、有り難い存在である。
融通の利かないパスカルが、今まで浮かずに学校生活をしていられるのも、彼女の縁の下の力持ちのお陰だ。
彼はそれを分かっていない。
数日経ったある日。
「エリク様?」
癒しの声が聞こえる。
「やあ、ディアーヌ。どうしたの?」
ディアーヌは辺りを警戒するようにキョロキョロする。
そして、顔を近づけてこそこそと話し出した。
「あのね、オリビア様の元気がないの。エリク様は何かご存知ない?」
ああ、また他人事なのに、自分が傷つけられたように落ち込んでいる。
また何日眠れてないのだろう?
目の下の隈が濃いよ。
「うーん。よくは知らないけれど、きっとパスカルの事で悩んでいるのだろう?」
ディアーヌがまるで神々しい者を見るように、僕を見つめている。
「エリク様はなんでも、ご存知なのですね? 私はオリビア様のお友達なのに、全く分からなくて・・・。お友達失格です」
青菜に塩とよく言うが、まさにディアーヌの萎れ具合が酷い。
「こんなにも、友達を思って苦しんでいるディアーヌが友達失格なら、大概の友達は失格だよ」
萎れた菜っぱは元気なく頭を傾げた。
「そうでしょうか?」
これは早く、この問題を解決しなけりゃ、ディアーヌが病気になってしまう。
「この件は、僕に任せてくれるかい?」
「・・・はい。どうぞよろしくお願いします」
全くパスカルは何をやっているのだ!!
攻略しやすいキャラとは言え、オリビアという得難い婚約者を蔑ろにするなんて、許せないな。
まずは、オリビアにパスカルとは距離を置いてもらおう。
少し、パスカルは頭を冷やしてもらうのが一番だ。
数日経つとパスカルの周囲に明らかな変化があった。
パスカルが委員の一人に声を掛ける。
「おい、ライヤット。図書館の本の整理は終わったのか?」
パスカルが図書委員のライヤットに声を掛けるが、言われた男子生徒は一瞥して、返事もせずにパスカルの横を通りすぎた。
「なんなんだ? あいつは!!」
パスカルの周りではこんなことがよく起きている。
返事をする者もいるが、「はいはい、分かりましたよ」と、ダルそうに言う。
パスカルが憤慨して、僕の学校内での執務室に入ってきた。
えらく機嫌が悪い。
不機嫌の理由を知っているが、僕から尋ねるつもりはない。
かわいい僕の婚約者であるディアーヌを間接的ではあるが、泣かせたのだから。
「エリク殿下・・・。最近、皆の私への態度がおかしいのだが・・。理由をご存知でしょうか?」
やっと、相談してきたか。
「ああ、知っているよ」
「え? 知ってたのですか?」
それなら、何故放置してるのかと言わんばかりに眉を寄せた。
「パスカル、君はいつ頃からこうなったのか心当たりはないのかい?」
ほら、あるだろう?
自分の口から、言って降参してしまえ。
「あります・・・。」
「ほう? それは?」
「それは・・・。オリビアと別れてからです・・・。」
「なんだ、ちゃんと分かっているんじゃないか」
でもパスカルは、なぜオリビアがいる時といない時ではこんなにも違ったのか、そこまでは理解していないようだな。
仕方ないな。答え合わせをしよう。
「オリビアがいる時の君といない時の君が周囲にしていることは一緒さ。だが、オリビアは君が横柄な態度を取った相手に、すぐにフォローをしていたんだ。それがなくなった君は、ただの態度のでかい嫌な奴になってしまったんだね」
「なんだって? オリビアが?」
頭を抱えて座り込んだパスカル。
自分の事は分からないものだよねーと、慰めてはやらない。
僕は根に持つタイプなんでね。
「その大事なオリビアを放っておいて、最近は他の女子に入れあげてるらしいじゃないか」
パスカルが分かりやすく動揺している。
だが、急に顔を上げて、僕に熱く語り出した。
「誰も本当の私を分かっていないんだ。それをマリン嬢は、『私だけはあなたの良さを分かってる』って言ってくれたんだ」
「ほう、なるほど。それは誰にでも言えて誰にでも出来るお手軽な方法だな」
パスカルが何か言おうとしたが、聞いてやる必要はない。
「君の良いところをマリン嬢だけが知っていればいいのか? それが本当に君にとっていいことなのかい? それなら僕も君のいいところを知っているよ」
ハッとして僕の顔を見るパスカル。
「でも、君の良いところをもっと知っているオリビアは、それが分からない人に丁寧に伝えて、君が誤解されないように、分かって貰えるように走り回っていたんだよね? そっちの方がどれほど大変なことかわかるだろう?」
パスカルは項垂れている。
まだまだこれからだよ。
「心にもない『わかってあげる』って言葉に騙されて、その挙げ句に真心こもった婚約者の行動を退けた君って本当に・・・愚かだね」
今度は顔が真っ青だ。
パスカルって案外打たれ弱いんだ。
でもね、ここで終わると再びマリン嬢に付け入られてしまうから、もう少し頑張ろう、パスカル。
「ああ、そうそう。美術の先生のシメオン・ロロット先生にも、マリン嬢が同じセリフを言ってたよ。流石に先生は、笑って聞き流してたけどね」
あっ。パスカルが膝から崩れ落ちちゃった。
「私はバカだ・・・」
項垂れるパスカル。
うん、やっとわかったのかい。
「オリビアが私のフォローをしてくれてたなんて知らず、自分の力でみんなが協力してくれてると思ってた」
「いやー、それはないよね。だって、パスカルは愛想もないし、人にものを頼む時にも高圧的な態度だし、好感度ゼロだよ」
あっ、うっかり言ってしまった。
床にめり込むくらいに顔から落ちたよ。踞って動かないパスカル。
ここらで、少し立ち直る材料を渡してやるか。
「君が本当に反省しているなら、オリビア嬢に謝りに行けば許してくれるかも知れないよ?」
僅かにパスカルの額と床の間に隙間が出来た。
「今さら、会いに行けない・・」
「そうだね。本来ならどの面下げてきたんだって追い返されるね」
「・・・。」
「でも、オリビア嬢は、諦めずに怒った生徒にパスカルの良さを分かって貰うために、何度も足を運んでいたなぁ」
パスカルはむっくりと体を起こして、やっと僕を見た。
「オリビアの怒りがずっと収まらなくても、謝り続けます。それしか出来ないから・・・」
決意したパスカルが廊下を走って行く。
あの規則にうるさい男も、こんな時は廊下を走るんだな。
まあ、その方がいい。
アンドロイドパスカルに、血が通ったのだから、大目に見てあげよう。
数日後。
オリビアと一緒に、図書委員のライヤットに図書の整理を頼んでいるパスカルを見た。
「ライヤット、手が空いている時でいいんだが、図書の本の整理をお願いしたい。いいかな?」
ライヤットが今までのパスカルと、態度が違いすぎて戸惑っているが、「うん、やっとくよ」と返事をしていた。
その返事に、パスカルが嬉しそうにオリビアをみる。
まるで、褒めて貰うのを待っている子犬のようじゃないか。
あの姿のパスカルは笑えるな。
「エリク殿下」
背中をツンツンと突っつくかわいい声。
「ああ、ディアーヌ。あれを見てごらんよ」
主人に構って欲しい子犬を指差す。
「うふふ、知っています。あの二人、今じゃ学校で有名なカップルなんですもの。殿下のお陰ですわ。ありがとうございます」
もとはディアーヌのために頑張ったのだ。
だが、気に入らない。学校の噂になるカップルは、僕とディアーヌのはずだろう?
まあ、いいか。
僕の素敵な婚約者が笑っているなら。
「あの二人が上手くいったのは、君がオリビアを支えてあげてたお陰だよ」
僕は、ディアーヌのおでこにチュッとキスをする。
「ふお?」
こんなんで真っ赤にならないで欲しい。唇にするまでに、少しずつ慣らさないと。
「でも、僕も頑張ったからご褒美は今度貰うね」
「ご、ご褒美ですか?」
「そう今度はここに」
僕がディアーヌの唇を触ると、髪の毛よりも真っ赤になってしまった。
ああ、癒される。
◇□ ◇□
先日、ペンを忘れたと騒ぐマリン嬢に、ガラスペンを貸したんだ。
だが、侍従に取りに行かせても、マリン嬢が返却してくれない。
困った。
このガラスペンのイベントを、思い出したのが貸した後だった。
執拗に『ペンがない、ペンを忘れた』と言うので面倒になって貸してしまったのだ。
妹がゲームで、王子に物を貸してもらうと、借りたものを返却する時にイベントがあると言っていたような・・・・?
つまり僕が自ら取りに行くと、碌でもない事が起きるのだ。
そう、思って問題を放置していたのが悪かった。
事件は僕のいない教室で起こってしまったのだ。
マリン嬢は、これ見よがしにディアーヌに僕のガラスペンを見せつけていた。
「このペン、エリク様が私にって・・・」
見覚えのあるガラスペンにディアーヌが、反応する。
「その綺麗な水色のガラスペンは、エリク様が使いやすいからと、とても大事にされていたものよ。私がエリク様に返しておくからマリン様、私にお渡しください」
ディアーヌは、大切なエリクのペンを、マリン嬢がつまんだ状態で手荒く振っているのが、許せなかった。
「あら、嫌よ。これは、エリク様と私の物なの」
マリンがガラスペンに口づけするかのように、口許に近付けた。
「止めて!! それは、エリク様の物よ!!」
止めようとしたディアーヌの手が触れる前に、マリンの手からガラスペンは床に落ちて割れてしまう。
僕が騒ぎを聞いて駆けつけたのは、その場面だった。
「まあ、エリク様!! お返ししようと思っていたガラスペンを持っていただけなのに、ディアーヌ様が叩き付けて壊してしまったのよ!! 怖かったわ」
マリン嬢は、怯えたような演技で、割れたガラスペンを指差す。
「わ、私は・・」
ディアーヌが割れたガラスペンを拾おうと、手を伸ばした。
ディアーヌの指が傷つく!!
慌てた僕は意図せず大きな声を出してしまう。
「触るな!!」
ハッと顔を上げて僕を見るディアーヌ。
「うっ・・・」
泣きそうな顔になったディアーヌは、教室を走り出してしまった。
しまった。
ディアーヌを傷付けてしまった。
追い掛けようとしたが、このままでは、この場に残ったマリン嬢に悪役令嬢にされてしまう。
すぐに追い掛けたかったが、堪えた。
「何度言ってもペンを返却してくれないマリン嬢に私は困っていた。だから、ディアーヌは自分が返しておくと言ったのではないかな?」
一番近い女子生徒に、飛びっきりの笑顔で尋ねると、見たままを教えてくれる。
「そうです。エリク様が大事にされているものだからって、仰ってました」
おお、百点満点の答えだ。
「ありがとう」と笑顔でお礼を言うと、とても満足そうにもう一つ周囲に聞こえるように付け足してくれた。
「でも、マリン様がペンは私の物だと言い張って・・・」
ああ、この生徒!!最高だな。
「そうなのか。僕の大切にしているものをディアーヌは本当に自分の物のように扱ってくれて。割れたガラスペンまでも拾おうとするから、つい彼女の手を心配するあまり、大声を出してしまった。可哀想なことをしてしまった・・」
僕は大袈裟に、首を振りディアーヌが走っていった方を見る。
「エリク殿下、どうぞディアーヌ様を追い掛けてあげて下さい」
横にいた女子生徒が僕に声をかけてくれた。
「うん、ありがとう」
僕は脇目も振らず、追い掛けた。
くそっ。こんな茶番などしなくていいなら、すぐに追い掛けたさ。
だが、これだけ言ったならマリン嬢が小芝居を打っても、誰も相手にしないだろう。
中庭の花壇の前に踞るディアーヌを発見。
「ああ、やっと見つけた」
「私・・・」
「何も言わなくても分かっているよ。マリン嬢から私のペンを取り返そうとしてくれたんだよね」
涙目で鼻が真っ赤になった顔を縦に一度、力無く頷く。
「ありがとう。それと、『触るな』と言ったのは君の手がガラスで傷付くと焦ったからだよ。僕の大切なディアーヌの手が傷付かなくて良かった」
僕はディアーヌの手の甲に軽くキスをした。
「ひえ」
表情が可愛くて、さらに指先にもキスをする。
「ふあ・・・」
惚けた表情も可愛すぎる・・・。
僕はすっかり、イベントが終わり安心していた。
長期休みの前に、ダンスパーティーが開かれる。
これは学校創立時に、ダンスの授業の成果を見るために行われていたのだが、いつのまにか本格的な舞踏会になっていた。
このダンスパーティー。
ゲームでヒロインはパートナーの王子と出席する。
もちろん、僕のパートナーはディアーヌだけどね。
パスカルが僕の所に、先生からの舞踏会に関するプリントを持ってきてくれた。
その手紙には、今回の舞踏会の衣装は『青または紺色』の衣装で参加すること、と書いてあった。後は舞踏会終了後に、異性同士で夜遅くまでうろつかないなどの注意事項が書かれいる。
「紺色か。それなら礼装で紺色があったからそれでいいな。パスカルはどうするの?」
「いや、私はその・・・」
なんだ?歯切れの悪い。
「ああ、オリビアと一緒に衣装を作るのか?」
「・・・、他の男に取られないように同じデザインにしようと思いまして・・」
パスカル・・・。お前、結構独占欲が強いタイプだったんだな。
側近の意外な一面に驚いた。
そのプリントは、ダンスの授業中にディアーヌにも配られていた。
だが、そのプリントを配っていたのがマリン嬢だった。
前から順番に配っていたが、ディアーヌの時に先生が用意したもの
とは違う内容が書かれたプリントをディアーヌに手渡した。
真剣にプリントを読むディアーヌを、横目で嗤うマリン。
「うふふ、今回は男性の衣装は青色、女性は白なのよね。どうぞ、ディアーヌ様だけは真っ赤なドレスでいらしてね」
舞踏会当日。
急に公務が忙しく、僕は遅れて出席となった。
まさか、大事な婚約者が窮地に立たされているなんて思いもせずに、呑気にディアーヌのドレス姿は美しいだろうなと思い描いていた。
学校の一番大きな講堂で行われている舞踏会。
僕が入ると既に音楽が流れているが、誰もダンスをしていない。
「あれ? まだ始まっていないのか?」
中央に来ると、ディアーヌが一人ポツンと真っ赤なドレスで立っている。
その前には、ダンスの先生とマリン嬢がいるではないか。
しかも、男性は全員青色の衣装で、女性は白のドレスだ。
その中で、ディアーヌの真っ赤なドレスが目立っている。
「どうしたんだ?!」
慌ててディアーヌに尋ねるが、彼女はショックで言葉にならないようだ。
「困った方ですわ。皆さん、きちんと先生のお手紙通りに白いドレスを着用しているのに、ディアーヌ様ったら、ご自分だけ目立ちたいからって真っ赤なドレスを着てくるなんて」
マリン嬢が先生を味方に付けて、わざとらしくため息をつく。
「私の配られたお手紙に、赤いドレスを着用の事と書いてあったので・・・それで・・・」
今にも消えそうな声だ。
「まあ、それでは、先生が間違えたプリントを配られたと仰るの? 先生は、きちんと『白色のドレス』って書かれましたわよね?」
社交界一厳しい先生をマリンが煽る。
「ええ、わたくしはお手紙に、きちんと白色のドレスでと書きましたわ」
なるほど、大体の事はわかった。
「エリク様が可哀想ですわ。こんな不出来な女性といずれ政略結婚させられるなんて」
「ほんとよね」
「私の方が殿下の隣に似合うわ」
まずい。
廻りの女達も、自分の方が僕の婚約者に相応しいと、勘違いも甚だしい声を上げ始めた。
「手紙も読めない生徒がいるなんて、思いもしませんでしたわ」
先生まで、声を上げてディアーヌを非難しだす。
ああ、なんて煩い奴らだ。
こんな汚い奴らが僕の大事な婚約者を罵るなんて、絶対に許さない。
僕は静かにするように手を上げた。
僕の怒りが全員に伝わる。
だが、マリン嬢だけは期待でワクワクした瞳で僕を見つめてくる。
チッ。腹立たしい。
もしかして、ヌルゲー通りにここでディアーヌに婚約破棄を言いつけて自分を選ぶとでも思っているのか?
あのゲームでは、悪役令嬢がヒロインを苛めて婚約破棄の流れだろう?
今ヒロインがディアーヌを苛めているよな?
フーーと怒りを抑えて深呼吸。
「我ら王族の結婚式は、ここから始まるのだという意味を込めて、白い装束を着て結婚式に臨みます。つまりそれ以前に白いドレスや衣装を着ることはないのです。先生はご存知だったからこそ彼女には赤いドレスと書かれた手紙を配ったのでは?」
そんな事も知らずに、ダンスの作法を教えていたのか?
だったら、何も言わずにそういう事にしておけと圧力を掛けた目でそう促す。
僕の表情から流石にまずい展開だと悟ったようだ。
王族の婚約者に『結婚前に白いドレスを着せようとした教師』なんて非常識なレッテルを貼られるだろう。
「うっ!!・・ああ、そうでしたわ」と顔をひきつらせている。
「ディアーヌが赤いドレスを着てくれたお陰で、僕らの結婚式は守られたよ」
僕は満面の笑みをディアーヌに向ける。
何か言おうとしているディアーヌの耳元で囁く。
「ここは僕に任せて」
「ああ、こんなにも手が冷たい。ディアーヌの体調が悪いようなので一旦中座させて貰うよ」
こんな悪意の真ん中にディアーヌを置いておけない。
すぐに御姫様抱っこで、会場を抜けた。
誰もいない東屋で二人っきりになった途端、ディアーヌが今にも溢れそうな涙を瞳に溜めている。
瞬きすれば、あっという間に流れ落ちた。
「私みたいな不出来な婚約者は、エリク様の足手まといにしかならないです・・・でも、誰にもエリク様の隣を譲りたくない・・・」
マリンが言った言葉がディアーヌを苦しめている。
「ねえ、ディアーヌ。僕の廻りに沢山の人間がいる。その殆どが僕に上辺だけの言葉を掛けてくる。上辺だけの言葉って軽くて気持ちが悪いんだよ知っている?」
ディアーヌがふるふると頭を横に振る。
「彼女達の『好き』って言葉には愛情なんて欠片も込められてないんだ。だから僕には全く響かないし、そもそも届かない」
「でも、マリン様はとても情熱的にエリク様に『好き』って言ってますわ」
あのマリンの言葉なんて、何の意味も持たない。
僕はじっとディアーヌの瞳を覗き込む。
涙に潤む紫の瞳に光が入って輝いている。
「僕の大切な婚約者、ディアーヌ。僕には君からの『愛してる』しか届かない。僕は時々汚れた言葉に埋もれそうになる。そんな時に、君の言葉だけを聞いてすごせたらって思うよ。だから、僕を一人にしないで欲しい。ずっと君の優しい言葉を聞かせて欲しい。」
ディアーヌが僕を包み込むようにぎこちなく抱き締めてくれた。
やっぱり優しいな。
「ディアーヌ、愛している」
ヘタレの僕が、、ようやく言えた。
僕の頭の上で小さく「私も愛しています」と聞こえた。
ああ、やっぱり君の言葉は素直に心にくる。
さあ、僕の婚約者をこれほど苦しめるヒロインに『ギャフン』をしてあげよう。
ダンスの会場に戻ると、あんなことがあったのに、僕に近づいてきたマリン。
「ディアーヌ様は大丈夫でしたか? 私心配してましたの」
「へー、君が糾弾してたのに?」
僕の堪忍袋の緒はとうの昔に切れてるんだよ。
「ねえ、君はやり過ぎたね」
「え?」
「もう、君に残っているシナリオは、バッドエンドしかないんだ。残念だったね」
「バッドエンド? シナリオって殿下はもしかして!!」
「先程学校に連絡があって君の父親がカジノで大負けしてしまったらしい。早く帰って少しでも家財道具や金目のものを持ち出した方がいいよ」
マリン嬢が何かを言おうとしたが、大慌てで会場から出ていった。
後日、学校にマリン嬢の噂が飛び交った。
マリン嬢の父親がカジノにハマっていて大負けしてしまったと。
その借金の返済に貴族籍を売り、その名前すら売ったのだ。
もう彼女に名字はない。
平民となってしまったマリン。
前世の記憶があるなら、逞しく平民で生きていけるだろう。
やっと落ち着いて学生生活が送れるはずなのだが・・。
僕のディアーヌの嫉妬が激しくなったんだ。
ヒロインもいなくなったのに、何故だ?
今日も教室でディアーヌと雑談をしていただけなのに・・・。
「エリク様よー。あんなに婚約者を大事にしてくれるって素敵よね~」
「私も妾でいいから大事にされたーい」
いつもの事ながら、勝手な事をいっているな。
でもディアーヌが『妾』の一言に強く反応しちゃって、女子生徒を全て敵に回しそうな顔で睨んでいる。
ヤバイ。王妃になるんだから、女性人気も必要なんだ。ここでそれ以上睨んだらダメだよ。
僕はディアーヌの顎を指でこちらに向かせる。
そして、耳元でそっと囁く。
「ねえ、ディアーヌ。そんなに他の人を見つめるなら、僕を見て欲しいな」
コクコクコクと真っ赤になって頷くディアーヌ。
そうだよ。嫉妬してくれるのは、嬉しいけれど、よそ見はしないで。
僕は君の笑顔を見たいのだから。
ーーーーENDーーーー