授業をサボって
いじめに関する描写が有ります。
ーーまるで、空から降ってきたようなーー
春から通っているこの、クソみたいな高校の、屋上。梅雨が明けたばかりのじっとりとした空気の中で、おれは一人音楽を聞いていた。寝そべって足を組む、投げやりなスタイル。誰が置いたのか、時代遅れの小さなトランジスタラジオからは、ときおりノイズが発生し、鳴き始めたばかりのセミと張り合っている。授業は今、何時間目なんだろう?
不意に、視界の端に、見逃せない変化がーーそう、まるで空から降ってくるようにーーふわりと着地する少女の姿が飛び込んできた。実際には、錆びた給水塔から飛び降りたらしく、そして、目が合った。
ヤバい、厄介ごとの予感がプンプンするぞ。こっち来んなーーでも、分かってる。そう思えば思うほど、厄介ごとばかりがおれに降り掛かるんだ。
その時、少女が微かに笑ったように見えた。
音も無く近づく少女。黒い髪が、夏服の肩を緩く撫でている。そして、身を起こしかけたおれの側に来ると、顔を覗き込んで言った。
「なにしてるの、授業中に?」
「べ、別に……」
おれはしどろもどろになる。だって、女子と話すのなんて、いつぶりだろう?
「サボり?ふふっ、不良だね」
「自分だって」
おれがそう言うと、少女は大きな目をぱちぱちさせて微笑んだ。つやのある髪に白い肌が、髪が勝手に伸びる人形(呪いの)を彷彿とさせて、容姿は整ってるーーと言えなくもないが、どこか近寄り難い雰囲気を醸し出していた。
「私には学校も、試験も何にも無い、ってやつなの」
んっ、何処かで聞いたことのあるような……⁉︎
「ふふっ、実は私、ユーレイなのです!」
得意げにそう言うと、肩のあたりで手をだらんと垂らす、古風な幽霊ポーズを取った。
「お、おう……」
おれは戸惑うばかりだった。
「えっと、"ユーレイ"さん……」
「りり」
「リリーさん……」
「りり。伸ばさないの」
おれは起き上がるとーー正直言って、警戒心マックスだーーあぐらをかいて、自称"ユーレイ"と向き合った。"りり"と名乗る少女は、女の子の座り方(呼び方は知らない)で、コンクリートに直に座っている。たしかに、普通じゃない感じだぞ。
「そこから飛び降りて、死にました」
屋上の端の柵を指差して、あっけらかんと言う。自分のことだから、"不謹慎"という感情は無いのだろうか。
「何で、その、シ……」
「ふふっ、死んだのかって?それはね……」
「いじめッ‼︎それはッ‼︎退屈な学校生活における、最大の娯楽ッ‼︎自分より"弱い"モノ、"キモい"ヤツ、何だかよく分からないけど"気に食わない"アイツ、の尊厳を、ないがしろにしッ、あわよくばッ、排除ッ、するッ‼︎」
おいおい、急に何だ?演説か?少年マンガのナレーションか?危ないな、この人……
「はっ、私ったら、つい、死ぬほど辛い日々を思い出したら、熱がこもっちゃって……」
恥ずかしそうに俯く少女。意外と気さくなのか?表情がころころ変わって、妖しい雰囲気とのギャップにおれは戸惑うが、同時に、ある疑問が浮かんだ。
「そんな元気なのに、自殺したんだね」
それだけの熱量が有れば、生きることもできたのではないかーーいや、何で会ったばかりのヘンな女の命を惜しんでいるんだ、おれは。
「元気を奪うのが、いじめなんだーー追い詰められて、病んで、そして……」
深刻な表情を見せる少女。ああ、全部とは言わないが、気持ちは分からなくもない。だって……
「あそこから飛び降りたんだっけ」
おれは立ち上がると、先ほど少女が差した方向へ歩き出した。グラウンドが一望できる場所。彼女はここを最期の場所に選んだのか。
「あちらこちらから運動部の声が聞こえて、吹部の楽器の音もしてーーでもその中には、私をいじめていたやつらもいるの。私一人を置き去りにして、"輝かしい青春"を謳歌している、憎い奴らに、刻みつけてやりたかったから、わざと目立つところにしたの」
思わず震えてしまいそうなほどの、強い怒りがこもっていた。おれはたじろぎながらも、そっと指さした。
「あれ、おれの机なんだ」
グラウンドの端に転がる、机。ノートを取ったり、弁当を食べたりする、あの机。何故だか分からないが、謎の儀式ーー"やつら"流の言い方をすると、"イジり"ーーの標的になっていた。いつでもとは限らないが、時々、朝登校すると、机が無い。それを拾いに行って、必死に抱えて持ってくるのを見て、笑い者にする、という、当人たちからすれば他愛もないイタズラなのだが、される側としてはたまったものではない。また、怒ったら"シャレが通じないやつ"というふうに扱われ、それでも食ってかかれば、もちろん殴られた。教師は見て見ぬふりーーだって"他愛もないイタズラ"だから。今も、机など存在しないかの如く、体育の授業が行われていた。
「それで、授業をサボって、日の当たる場所に居たと」
ラジオから流れてくる古い歌のような、フレーズ。学校に居場所がないやつって、いつでもどこにでもいるんだろうな。
「うん、やつらの思い通りになるのは、シャクだったし」
おれは不良でもなんでもなかったが、この反抗心ーー誰がお前らの思い通りになるか、という、心の底から湧き出る気持ちだけが、おれの心を支えていた。そして、それはいじめをさらに加速させていく一番の燃料でもあるーーそれは分かっているけれど……
「つらい?」
驚くほど穏やかな表情で、少女が言った。同情でも哀れみでもない、澄み切った瞳。
「悔しいよね?」
「……ウン」
感情が揺さぶられて、涙が出そうだ。どうしたらいいーー
「よし、ブッ飛ばしちゃおう!」
「エッ⁉︎」
「やられっ放しじゃないって、"やつら"に見せてやろうよ」
だが、それが出来たら、既にやっている。多勢に無勢、いや、一対一でも誰にも勝てないーーそんな感情が、おそらく表情に出ていたのだろう。少女は拳を握って微笑んだ。
「ユーレイを、舐めるなよ!」
ラジオの音はもう聞こえない。いつしか、込み上げた涙も消え失せてしまった。
「話ってなんだよ」
ガラの悪い、威圧するような声。その日の放課後、おれは一人の男を屋上に呼び出した。"イジリ"の中心人物であり、クラスの人気者であるこの男ーーやはりというかなんというか、一人ではなく、おれは一人対五人の無謀な戦いを強いられることになった。屋上の柵を背に、おれは声を張り上げた。
「なあ、しょうもない"イジリ"は、や、やめ、やめ……」
声が震えてうまく言えない。膝もガクガクして、やがて、男たちの笑い声がした。
ーーギャハハハハハーー
ーーカミカミじゃんーー
恥ずかしさと怒りに顔が赤くなる。
ーーインキャがチョーシこいてんジャネーヨーー
ーーサクッとボコってかえろーぜ、インキャーー
クソ、クソ、クソ……言いたいこと言ってろ、今からおれは……
おれは柵を乗り越えると、屋上のへりに立った。そう彼女、"りり"が飛び降りた場所。
「近づいたら、飛び降りるぞ!」
声の震えも止まって、自分でも驚くほどの大きい声が出た。
ーーギャハハハ、チョーウケるーー
ーーオ・チ・ロ!オ・チ・ロ!ーー
絶対言うと思った。こういうやつらなんだ。やれやれーー
おれは屋上のへりに手をかけて、ぶら下がった。
ーーちょっ、ヤバくね?ーー
ーーおいおいおい、待っーー
やつらが近づいて来る。まずは、片手、そしてもう片方の手も……
路面のアスファルトに飛び散った、赤、赤、赤。手足はどこに行ったのか?胴体だけがやたらと目立っている。覗き込んだ"やつら"の目に映ったのは、"おれ"の成れの果ての姿だった。ここからは見えないが、屋上でも、地上でも、大変な騒ぎだ。
「始まったよ、お祭り騒ぎだね」
りりはそう言いながら、おれを受け止めた。つなぎ合った手を頼りに、なるべく重量がかからないように窓の辺りを足掛かりにして(もちろん事前に調べておいた)、教室内に転がり込む。不自然な体勢で、もし彼女が受け止めてくれなかったら、怪我していたかもしれない。
「幽霊なのに、触れるんだね」
今更なことを言ったのは、女子と密着していることに対する照れ隠しだった。間近で見る彼女の顔。胸の動悸がうるさい。
「飛び降りがあった屋上は、当然使用禁止になるでしょ?誰が開けたと思う?」
「確かにそうだけど」
「……机、見えてたから。いつか来ると思ってた」
もし叶うのなら、それは殆ど偶然のようで、きっとおれが最初の一人ではなかったのだろう。
「なんで、そこまで……」
言いかけたおれの言葉に覆い被さるように、彼女の声が響いた。
「悔しかったから。"病気も何にもない"状態になると、元のままの自分の感情が蘇ってーー皮肉だね、死んでるのにーー悔しくてたまらなくなったの」
二人密着したまま、何となく、そのまま動けなかった。
「だから、待ってたんだよ、ラジオの音に誘われて、さびしんぼうが来るのを。キミみたいなコと一緒に、今度は盛大に仕返ししてやろうって」
「……そうか」
触れ合った肌に温もりは無くて、温めてやれればいいのにと思った。
二人起き上がって、窓から覗き込む。人だかりが出来ていて、その中心には、美術室から拝借した胸像と盛大にぶちまけた赤い塗料があった。
「美術部の人には謝らないとな」
そう言いながら、おれはポケットからスマホを取り出した。
「おお、謎の機械!」
彼女は物珍しそうな表情を浮かべる。いったい彼女、いつの時代の人なのだろうか?おれはレコーダーアプリを再生した。
「ばっちり録音できてるね、"やつら"の声」
「こいつを拡散して炎上させてやる」
「拡散?ラジオみたいな?」
「ああ、そんな感じ」
仮におれが本当に死のうが、どうせやつらの武勇伝になるだけだ。未成年の犯罪は"ヤンチャ"の一言で片付けられ、「昔は悪かった」なんて、アクセサリーのように、自分を飾り立てて何がしかの内容のある人間であるかのように見せる大人を、たくさん見た。あろうことか、人前で話して金を稼ぐ輩もたくさん見た。誰が死んでやるものか。音声と、個人情報流出で社会的に死ぬのはやつらだ。おれも捕まるかもしれんが、"ヤンチャ"で済まさせてもらうし、誰にも自慢したりはしない。
「どうしたの?悪そうな顔して」
首を傾げる少女。日が暮れかけて、教室をオレンジ色に染め上げている。
「お楽しみはこれからだ」
明らかに調子に乗っているおれ。いいだろう、今だけ、そう……
「ふふっ、良かった……ねえ?」
「なに?」
「なんかすごく……眩しいね」
「ああ」
不意に、頬に冷たい感触。それは幽霊のキス。
「りり……」
「ごほうび、なんちゃって……」
彼女の方に向き直ると、西日が目に飛び込んで、本当に眩しくて、なにも見えなくなった。
そして、次の瞬間、教室にはおれ一人だった。
その日の晩、早速音声と個人情報をインターネットで拡散し、次の日からは仮病を使った。"やつら"のSNSアカウントは炎上、学校には抗議の電話がひっきりなしで、大変な様子である事がネット越しにも伝わって来た。
そして数日して、"やつら"が全員学校を辞めたのを風の便りに聞いた。
ざまあ!
……でも正直、それもどうでもいいんだ。また屋上に行けば、彼女に会えるのかな……?