「幸せ感」って何? 5
長閑な昼下がりに何くだらないこと考えてるんだろうとつくづく情けなくも有り、しかし心の中だけでは自己満足するかのように苦笑いしていた。
「はい、樋口です」
「ワ・タ・シ」
「あぁ、ごめん、連絡するの遅れちゃって」
「いいのいいの。アップしたんですってね、どうもご苦労さんでした」
「そうなのよ、ちょうど電話しようと思ってたところだったの」
「午前中いなかったじゃない。だから編集長に聞いたのよ。なかなかのものだってお誉めを頂いたわ」
「そうそう、さすが折り紙付きよね。とっても楽だったわ、リライト無しだったから」
「半休してたの?体調でも悪いの?」
「大丈夫、ただの骨休みよ」
最近夢見がよく、ついつい今朝は寝坊してしまったとはさすがに言えなかった。
「それならいいけど。ちゃんと食事とりなさいよ」
「ハイハイ、分かってる、分かってる」
そう繰返しながら、相沢のことを尋ねた。
「相沢さんは元気?ちゃんとお礼言っとかないとね」
「相沢?昨日からまた取材にでかけた」
「何処に?ロンドン?」
思いつくままにそう呟いた。
「え??違うよ。今度は東北、震災その後をレポートしに行ったの。でもなんでロンドンなの?」
受話器の向こう側でクスッと笑われているのがわかった。
「えーと、ほら、この間来たとき、ロンドンに近い内にもう一度行きたいっておっしゃってたから。なんだか、いたく植物園がお気に召したらしいわよ。レポートにも熱が入ってた。マリアンヌ・ノース・ギャラリーとやらにね」
心の中を見透かされたような気がして、慌てて言い訳をした。
「そうみたいね。中でもセイシェルの絵が素晴らしいんですってね。何回も聞かされたわよ、私も。だからできあがりが楽しみなのよ私も」
そのさり気ない言い回しを少しだけ羨ましく思えた。
苑子とは毎日そんな話に華をさかせていたのか。
心の左胸ポケットから小さめの嫉妬の虫が顔を覗かせ、あたりを見回すとまだ出番が早いとばかりにすごすごと引っ込んだ。
〈セイシェルの絵か・・・〉
確かに気に入っていた。
セイシェル諸島の中のプララン島にある巨人の谷にしか生息しないと言う双子椰子「ココ・ド・メール」この双子椰子には性別があるらしい。そしてマヘ島の深い緑に覆われた密林風景など、数多い油絵の中でもセイシェルを描いたそれらの作品は、ひときわ印象深いものだった。
「土曜日空いてる?」
「ええ、何?別に予定はないけど・・・」
「じゃあ、打ち上げやりましょうか。レポート完成を祝ってね。金曜日には帰ってくるから。ゆっくりまた聞きたいでしょう? 相沢の話。聞き役になってあげて、彼ももう少し説明したかったみたいよ。私が相手じゃなんだかものたりないみたい。芸術センスに差があり過ぎるようでね」
「そうなの?そうだね、あまり連絡しなかったしね。質問することなく出来上がっちゃったのよね。ほら、文章は完璧だったから」
口から飛び出したかわいい嘘がさすがに羞恥心を揺り起こし、バクバクと顔じゅうに火照りを送り付けた。
「大丈夫よね、土曜日。また当日電話するから」
「分かった。話も聞いてみたいしね」
苑子は編集長によろしくと言って電話を切った。
にやけ気味にもう一度パンフレットを開き、セイシェルの双子椰子の絵を見つめ直した。
土曜日の朝、久しぶりに早く目覚めた。
心の奥にある微かな襞が、何処からともなく入り込んで来るそよ風に震えている。
ベッドの中で不思議な心地よさに包まれていた。
こんな快適な朝は久しぶりだと感じた。
心も身体も妙にウキウキしている。
身体はボロボロなのに何でこんなにハートは元気なんだろう、自分でもおかしくなるぐらいだった。
跳ねるようにベッドから起き上がり、ドレッサーの椅子にこしかけ、髪を掻き上げながらミラーの前に顔を近付け、いつものように観察を始めた。しかし、元気なのは心だけなのだということが証明された。
眼を閉じ瞼の上を指先でゆっくり押えつけ、そしてもう一度恐る恐る覗き込んだ。
いかん、これは。
低血圧ぎみの青白い輪郭の中に、見るからに不健康そうなそれぞれのパーツが並んでいる。
慢性的な寝不足による窪んだ眼、その下は浮きでるように黒ずみ、肌は荒れ唇は紫色に沈んでいる。しかし眼の奥だけは異様にギラギラと輝いていた。
いつものため息を吹きかけた。そしてミラーの中の自分を掻き消すように首をぐるぐる廻すと、やはりいつものようにすこし目眩がした。
よろけながら立ち上がり浴室に向かった。
便利になった湯船を体温と同じ温度にセットし、しゃがみ込んで、その温度に到達するまで時間をたっぷりかけ頭からシャワーを浴びた。
摂食障害は続いていた。
相変わらずまともに食事をとっていない。
この数日間もチョコレートとコーヒー、それと眠るための強制手段としてのアルコールしか喉を通過していなかった。
食欲がわかない。
きっと胃が徐々に小さくなってしまっているのだろう。
酷い目眩と手の震えが定期便のように襲っていた。
この摂食障害の原因を研究したことがある。
卒業論文として自身の摂食障害を題材に使った。
いわゆる「やせたい」という願望からはじめたダイエットから、自分自身がどのように摂食障害と呼ばれる状況に陥っていったかを克明に追究した。
原因はたわいもない言葉からだった。
女子高時代、友人たちから口を揃えて言われた言葉「佳織は良いお母さんタイプね」という台詞が引金だった。
「良い女」ではなく「良いお母さん」という表現をされたことに大きなショックを感じた。
原因は身体つきにあるのだと思った。
決して肥満というわけではないのだが、いわゆるお母さん体型。
周囲に気づかれないようにその日からダイエットを始めた。
一年間は、止めたり始めたりを数週間おきに繰り返していた。しかし、さまざまな精神的苦痛も後押しし、しだいに食べるというその行為に魅力を感じなくなってしまっていた。
それ以来、日常生活を維持していける最低限度の食事さえ取れれば、それ以上欲しないような身体になっていた。
精神的に追い込まれ、人との接触の扉を自分の意思で閉ざしてしまっていた時期があった。
それなりに名の通ったアートグラフィックの製作会社に役員として勤める父親は、中学校に入学する頃になると、中長期の海外での勤務が増え、自然に樋口家は母子家庭になっていた。そして中学三年、思春期の真っただ中で出口の見えない迷路に迷い込んでしまった。
その年、二つ違いの弟雅彦が中学に入学すると、母はいきなり意を決したように仕事を再開した。
美大卒である母は、弟が生まれるまではグラフィックデザインの第一線で働いていた。
アートグラフィックの製作会社に勤める父とは、職場が縁で知り会った。
仕事が忙しくなっていくにつれ、母は家事全般や弟の世話を私に頼むようになった。
父親と同じように母親までもが自分だけの世界に行ってしまう。
そんな母を逃げていったと確信していた。
弟の食事を用意しながら、二人はこのマンションの一室に取り残されたのだと思った。
つまりは、捨てられたのだとも思った。
必死になって弟の世話をした。
身の回りはもちろん、話し相手になり勉強の手伝いもした。
雅彦も空気を察したのだろう、勉強するという行為に集中した。
可哀想に、まるで家庭内のストレスを勉強という壁にぶつけるようにそこに集中した。
高校生になってから気づいたことであったが、母が仕事に熱中する原因の一つには、父の女性関係もあったらしいのだが結局真実はわからなかった。
母もまた、逃げ込む安息の場所を求めていたのだろうか。
逃げる場所もなく、母親という話相手も失った私は、自分の心の中に閉じこもるしかなかった。
唯一の心のはけ口は毎日綴っていた日記と、親友である苑子とのたわいもないおしゃべりだけだった。
両親の冷め切った夫婦関係を見ているのが辛くなっていた。
もうこれ以上母の疲れ果てた一方的な愚痴を聞く気になれなかった。
既に我が家は崩壊している。
そう思っていた。