第5歩 赤の記憶
巨獣を一度通り過ぎて崖を遠回りし、坂道で降りた先の合流地点。そこはまるで空にかかる虹にはっきりとした境目が無いように、草木が赤から橙色へと移り変わっている。
再び一行の先導をしだしたアザーディの足は、森の色の変わり目を大きく飛び越すようにして。着地と同時に橙の葉が数秒、確かに浮遊してから落ちていった。
「……不思議だな」
ユースティはまじまじとそれを見てから、彼と同じように境目を飛び越える。同じように浮遊し、ゆっくりと落ちていく葉。見回せば橙の森は木々の質感が赤の森よりもふわふわしているようだった。木の幹に触れると、中身が空洞に近いような軽い感触が返ってくる。耳元で微かな羽音を残し、霧の中を小さく黒い羽虫が飛んでいった。
「ん? もしかしてオレがウンブラ族の元長ってことがかー?」
「いいや、まずこの森のことだよ。色ごとにそれぞれ特徴があって、生態系もちょっとずつ違うんだろうな、って考えたらさ__」
「ほんと不思議なんだよ。今思えば長の継承って決闘をするのにさ。元長っていうオレが何で今生きてるんだろーなあー」
「……」
どうやらどうしても聞いてほしい話らしく、まるで話が通じないアザーディ。ユースティはそんな彼に立ち止まってじとりと視線を向けたが、その背が気にする様子は全くない。後から欠伸をしつつ一定の速度で歩いて来たハザックが、心底どうでも良さそうな声色で男へと言葉を返す。
「簡単だろ。テメェは決闘をしてないんだ」
「そんなのあり? オレが何もなしで引き下がるとかありえないんだが!」
それに対して不満げに振り返ろうとしたアザーディは、身に纏っている黒い布の裾を踏んでしまう。足を取られて後ろに倒れそうになって。
「な、アルムっ__」
「おっとあぶねっ」
支えようとしてユースティが駆け寄る前に、自分で姿勢を整えた。
「ん、アルムって誰だ?」
「あ……えっと、」
「まあいいや!」
滑り出たその名前に言及はしたが、聞く前にさっさと進んでいってしまう。結局何も言わずに済んで安堵したユースティへ、ハザックはやれやれと息をつく。
「何を気にしてるのかは知らないが、アレに気遣いなんて無用だろ」
ユースティは離れていく男の背中を見つめながら目を細め、力なく苦笑した。
「わかってはいるつもり」
「お人好しが」
「なんやかんやついて来てる君もね」
この後の予定はなかったのかい? なんて訊ねてみれば、隣の狼男は呆れ混じりの奇妙な表情をしてみせた。
「……あっちは、オレサマが行くまでもないだろうしな」
「なんだよお前ら二人だけでコソコソとー!」
立ち止まって話していた二人にようやく気付いたようで、アザーディは早歩きで戻って来る。驚いた人間はしばらく目を瞬かせたが、軽めの意趣返しを試みた。
「ああ。丁度君の悪口を言ってたんだよ」
「そんなの聞こえなかったぞ! オレへの気遣いは確かにいらないけど嘘は良くない!」
「うわ、コソコソしたのに筒抜けじゃないか」
人間の下手な意地悪は、地獄耳の彼には通用しなかった。そんな二人のやりとりの横で、ハザックがふと鼻先でとある木を示す。
「コイツもオレサマもテメェとの時間をさっさと終わらせたいからか、光る葉がすぐ見つかるな」
そこには一本の枝に共生している、光る赤の細長い葉が顔を出していた。霧があるとはいえ上の方で光っているため、今回はかなり見つけやすい位置にあるといえる。
「えー!! オレ絶対こんなの見つけらんないぜ、ナイスハザック!!」
本音か冗談か際である言葉さえスルーし、アザーディは軽々と飛び木を登っていく。今にも折れそうなその枝の場所まで来た彼はどんどん赤い葉へ近寄るが、無邪気に体が柔らかくしなっている様子は同じヒトの……それも健康的な中年の見た目をした体とは、どうしても結びつきにくいものだった。
「とれた!」
そんなアザーディはあっという間に赤い葉を手にし、ハザックたちの元へと着地して。
「よーし。今度の記憶はどんなのだろなあ」
三人の中心で一層増した輝き。再び透明な鉱石に溶け込んだ赤色の光に包まれ、共に意識が連れられていく。
__________
そこは霧に囲われた、木々の開けた場所。視界はスッキリとしており、管理された庭園や池、建物がいくつかある。しかし民家のようなものは一切なく、仕上がった街並みに黒い人影が歩いている。その一人に、橙の記憶でウンブラ族の長と戦っていた青年__先程より少し足取りが跳ねるように幼げで、どこかで拾ったのかオレンジ色のキャップをかぶっている__がいた。
片隅にある大きな水場にある穏やかな滝から、突然真っ黒な人型の影が生まれる。それにいち早く気付くと、駆け寄って腕の中へ受け止めて。
『おはよ。ハッピーバースデー!』
目を覚ました女は、自分を受け止めた青年を見つめてから……首をひねって辺りを見回す。
『……ここは?』
『ウンブラ族の村、ヨンギの森だ』
『あんさん、なんで真っ黒なん?』
『お前も真っ黒だよ。オレたちは誰かの大切だったモノが捨てられ、意志を持って発生した、不完全な影。なんだってさー』
誰かに聞いた文言をそのまま告げているように、区切り区切り棒読みで伝える青年。女は自身の体を見、抑揚のない感嘆をあげてから話し出す。
『生まれたばっかりやけど、ウチは真っ黒じゃない自分を知ってて、ヒトってやつの知識が中途半端にあるみたいやわ。だからこの状況にすっごい違和感ある。
なんのために生まれたんやろ、一体どうすればいいんや……?』
『? ま、先輩として色々教えてやるよ。気になること聞いてみ?』
無知そうな青年が自信満々に胸を張ったものだから、女はくすりと笑って言われた通りにした。
『じゃあ早速。あんさん、帽子はつけとるけど、服はないん?』
『今も服は着てるぜ』
『え?』
『ずっと着てると、嫌でも同化しちまうんだ!』
そう言う青年のオレンジ色のキャップが、なんと一瞬で真っ黒に同化した。
『なにそれ、わからん』
『こういうもんなんだよ。お前、オレと同じ自然発生なのに、難しいこと考えるタイプなんだなあ』
『こんなん初期の情報収集でしかないで、先輩』
案の定適当な回答をした彼が、何事もなかったかのようにキャップを頭から引きちぎる。するとかつてキャップだった影はバラバラに崩れてなくなってしまった。女はそれを勿体なさそうな目で見つめてから、質問を続けていく。
『それで、自然発生って何やの?』
『ウンブラの、二種類あるうちの一つの生まれ方。もう一個は確か契約発生っていって、大切なものと……ルクス族から名前をつけられる生まれ方!』
『ルクスっていうのは?』
『ウンブラの対になる部族だな。元は一緒だったんだけど、なんか二つの勢力に分かれて喧嘩した。そん時ルクス側が勝って、ウンブラ側は今みたいな影にされたとかなんとか!』
『ふうん……? そしたらルクスはとんでもない敵なんか__』
女が言葉を続けようとした時だった。青年は何かに気付くと女の体を引き寄せ、頭上から現れた者の不意討ちを跳んで避ける。
『きゃっ?!』
先程まで二人がいた場所に剣を突き刺し、立ち上がった者。それは黄色い肌を持った人間の少女だった。青いマントを翻し、鎧を纏う茶髪の三つ編みをおさげにした、目、耳、鼻のある凛々しい顔立ちのその少女。距離を取って着地した青年と女へ、刺すような敵意と冷たい視線を向ける。
その口を開き何か言っているようだが、全くわからない。女は引き寄せられた青年の胸にときめいた様子でしばらく固まってしまっていたが、異常事態にすぐ動揺を振り切る。
『な、何言っとるん、あいつ』
『わかんねえけど、ルクスとはちょっと違うな。もう一つの部族、あえか……ってやつかもな?』
『またわからんのがでてきた!』
『地上にいたルクスとウンブラとは違って、空に逃げて生き延びてきた奴らだよ。オレも会うのは初めてだし……ここにいろよ、後輩!』
『あっ、ちょっと』
青年は逃げることもできたが、未知の襲撃者に心を躍らせ飛びかかっていく。相手は盾を持っており初撃は受け止められた。しかし力は青年の方が勝っており、蹴りだけで相手を押すことができている。
……まず、体勢を崩すことが優先だ。間を与えずに蹴りや拳で攻撃を続けた青年だったが、少女も青年の死角を狙い剣を振り下ろす。速い。見える全てが既に残像であるかのような斬撃。一度喰らえば時間差であっという間に斬り刻まれるだろう。
青年は自身の攻撃の合間に水飛沫を大きく立て、僅かでも少女の意識を分散させようとした。少女も覚悟が決まっているのだろう、跳ねた水に視界と思考を乱されながらも鋭く青年を見据え続けた。
『__あは、あはははッ!』
強き者との対峙、これから始まる死闘への高揚。笑みが隠せない青年が次に狙うのは少女の剣。いくら速くとも一度定着した剣の扱い、そのクセが少しでもわかれば奪うのは容易い。先手をうとうとした__その時だ。
『止まれっ!』
青年が奪った長剣が、少女の頭蓋を貫く手前で。少女が秘密裏に忍ばせていた中剣が、青年の首を断つ手前で。かけられた大きな声に両者の動きが止まる。
……お互いが息を切らし、その切っ先を見る。避けることはできただろうが、戦いが続けばどちらも無事ではすまなかった。
『なんだよ、いいところだったのに』
青年はその事実を感じつつ引き下がる。戦いを止めた声の主はウンブラ族の長だった。確かな存在感を発しながら、こちらへ歩む波紋が広がっていく。
長は少女の隣で立ち止まると、何か言葉を話し一礼をした。少女はしばらくの沈黙の後、武器をおさめて長へと礼を返す。
『長。あんたの知り合いには見えないが』
不貞腐れた様子の青年を見た長はずい、と顔を寄せた。
『村での戦いは許可を取れってあれほどいったろうが! しかも生まれたてがいるのに何を見せるつもりじゃ馬鹿者!』
『はー?! あいつが先に喧嘩ふっかけてきたんだもん!』
『もん! じゃないちっとも可愛くないわ!』
騒ぎのきっかけであり青年に指をさされた少女は、先程の敵意はどこへやら。一転して柔らかな表情でおどおど、こちらのやりとりを見ていた。青年はより不貞腐れてそっぽを向く。
『はいはい、さーせんっした!』
ため息をついた長が、また少女と何かしら言葉をかわし。村の中へと歩いていく。それとは反対方向の村の外へ歩いていく青年。
『ちぇ。さっさと長倒して、自由になって。誰にも邪魔されずあんな強いやつと戦いまくるんだ……』
不完全燃焼で不満気な青年に、置いていかれそうになった女が駆け寄っていく。
『なあ、先輩』
『なんだよ後輩、今オレはちょーブルーなんだけど』
『将来、ウチと結婚してくれはる?』
『嘘だろお前』
突然の求婚に思わず歩みを止めて体を引いた青年だったが、女はまっすぐ見つめてくるだけだ。頭をかき、まあ……と続ける。
『次の長になるのはオレだ。そんなオレにお前が勝つ日が来たら、考えてやらなくはないかな』
『ほんま? 約束やよ?』
『できるならやってみろよ。結婚とかわかんねえけど、未来の長に二言はないぜ』
さらなる野心を燃やした青年はその日、ついでにそんな口約束もしたのだった。
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記憶はそこで途切れる。今度はハザックもきちんと参加できていたようで、ユースティが向けた目線に目を細めることで答えた。
「なんだこの記憶、恋物語でも始まるのかー?」
よくわかんねえけど! そう呑気にぼやくアザーディ。彼らを襲った謎の少女は……今はおいておくとして、生まれた女の方は恐らく現在のウンブラ族長そのものであった。
宝物庫から盗んだペンデュラムといい、決闘未遂の可能性といい……彼女との関係の雲行きはよろしくなさそうだ。ユースティはアザーディの手の中で光を失った葉をまじまじと見つめた。
「どうしたユースティ? この葉がほしいのか?」
「え? いや、」
「それなら言えよなー。さっきの橙もお前が持ってるんだっけか。遠慮すんなって!」
赤の葉を押し付けられた……




