第4歩 自由戦闘狂変質者男
橙の森の方面へ走り出したユースティ当人は、視界の先が開けて霧だけになったことに違和感を覚えて足を止める。
その先は崖。十五メートルほど下には橙の森が広がっており、ぎりぎり留まった足元からは削れた土がパラパラと落ちていく。
「っ」
見下ろした先の橙の森にはぼんやりとだが、こちらに走って来ている旅人の影がある。そのさらに後方からは鈍い地響きと足音。それから逃げて、逃げて……崖のすぐそばまで走ってきていた旅人を、どうにかすれば逃がすことが出来るかもしれない。
「風船斧くんを、」
咄嗟にケープを探ったまではいいが、それがとうに破壊されたものだと思い出す。どうにか他の手段は。
動いていた崖上の人間の影に気付いたのか、旅人は必死に手を伸ばした。その間にも、背後の草木が次々と薙ぎ倒されていき。
牙だらけの大きく開いた口が、旅人を一瞬で飲み込んだ。
「ひっ……!」
霧の中から現れた巨獣は勢いをとどめきれず、口から崖にぶつかる。ユースティは衝突した揺れによろめき、力の入らない足で後ろに尻餅をついて。その弱く細い悲鳴が、ヒトの骨が噛み砕かれた音と同化した。
____見つかれば、次は自分だ。
高さはあれど、あの巨獣に越えられないものではない。咄嗟に口を抑える。早まる心臓の音。ドスン、ドスンと揺れる地面とすぐ側で暴れる巨獣の体。
どうやら第二の獲物には気付かなかったらしい。巨獣はしばらく暴れたあと、崖の下の開けた場所で丸まり、いびきをかきはじめた。
「は……」
脅威は去ったが、上手く動けない。強張った体が震えている。
「……はは……。まだ、生きたいって思ってるのかよ、おれ……」
確かに恐怖を感じ、目の前の命より自身を優先した生への欲求を自覚して。人間は自嘲気味に笑い、体を前のめりで抱くようにしてうずくまった。
「おあー。今回は旅人が餌になったみたいだな!
昔から全体の勝率は五分五分っぽいし、実はオレたち丁度いいパワーバランスなんだぜー」
ハザックとともに人間へ追いついたアザーディの歩みが、崖のすれすれで留まる。
「おっと危ねっ!」
そのまま慌てて一歩下がるが、彼の饒舌さは変わらない。
「まー崖沿いに山道あるし、そこから降りれば橙の森だな。……それにしてもあの同胞、ずいぶんデカくなったなあ。今はあんな怪物になっても戦うのが流行ってる噂は聞いてきたけどさー……」
制御できてなくて森ボッコボコじゃん。そう長々とした独り言を語ったあと、ようやくユースティへと目線が向けられた。
「どうした、ユースティ?」
「……なんでもないよ。同胞ってことはあれもウンブラ族なんだよな。変身の魔法かい?」
「いんや」
立ち上がりつつ恐怖の色が残った声で訊ねたユースティに、アザーディは真っ先に否定の声を返す。魔素が暴れてはいても、ちゃんと魔法として並べかえた形跡を感じられないらしい。
「オレたちには名前がない、つまり存在を縛るものがないともいえる。だからキッカケになる物さえあれば、どんな姿にもなれるんだよ。
だから、あれもなんか食べてああなったんじゃねえ?」
ウンブラ族は意思疎通に便利だから、元々の人の形でそのまま生きているだけ。定形を持たないからこそ、先程みた記憶のアザーディも獣の腕と自身の身体を同化し、傷を塞ぐことができたという。
「それならどうして君は……アザーディって名前を?」
「ウンブラ族の特権である影じゃなくなってる時点で、オレには一度名前がついてたってことだ。どうせならお前らといる上で名前をつけたくなったんだよ。
オレは名前と定形があるのも、なんでか悪くないとは思うしなー」
そんな全身を覆うように黒い布を被った男はそう告げるが、説得力がない。
「……じゃあ、その黒い布は?」
「ん? 目覚めたときに持ってたから、気分で着てるだけだぜー!」
あっさりと言い切り、霧の空に向かって両手を広げる。
「ウンブラ族元来の利点を捨ててまで、名前を持てる自由な強者。弱肉強食を掲げるオレたちにとって、これ以上のことはないと思わないか?」
堂々と言い切ったその姿に、ハザックが目を細めた。
「随分な前向き思考だな」
「背中を見るより楽だろー?」
それにしてもいい食べっぷりだった、とアザーディは巨獣を見下ろしながら続ける。
「あれがウンブラ族の長になれば、人間食も、あの変な戦い方も。もーっと広がるかもなあ」
「……!」
それを聞いた人間は、巨獣を見据えて忍ばせた銃へ手を伸ばし__
「まあ物だけに頼ってるようじゃ、現長やオレには勝てねぇーな。お前もだぜユースティ」
「!」
その言葉で自身の無意識からの行動に気付き、驚くユースティと横目でにたりと笑うアザーディ。
「けどその考え方はサイコー」
「ちがっ……」
真っ先に否定の言葉が出かかるが、そうすると今の自身の動きの説明がつかない。
「く、……ないな……」
争いを止めるためだけではなく、確かに人間はその選択肢を選ぼうとした。そもそもこの銃だけで相手に勝てるのか、それさえも危うくあるが。
「どちらにせよもう食われたやつは戻ってこねえ。食べた奴もその味は忘れないしな」
自覚した現実にしばらく結ばれていた口が渋々と開かれる。
「……そうだな。少なくともおれは、魔物の糞は二度と食べたくない」
「ん? それはどうだろうな。あの時のお前の目の輝き、オレは忘れてないぜ!」
何も考えず、懐からフンスートの糞が入った袋を取り出し人間の目の前でぶらつかせるアザーディ。
「ほら、なんならまだまだ新鮮なストックが__って痛ぁ?!」
指で額を弾かれた。いわゆるデコピンというものをくらわせた人間は、痛がった男を一瞥すると、橙の森に下る坂道へと歩いていった。
「えっなんで?! しかも今の割と本気で痛い、何かの戦闘術か?!」
「本気でわかんねぇなら、テメェの額はすぐにこの森みたいに真っ赤になるだろうな」
ハザックもざまあみろ、と言わんばかりに目線を向けた後に歩き出す。呆然としたアザーディにユースティは振り返り、少しだけニヒルな笑みを浮かべた。
「何こんなので痛がってるんだい、最強のくせに。早く行くぞ、フリーダムコンバットマニアサイコマン!」
「ほら人間様がお呼びだ。早く歩け、フリーダムコンバットマニアサイコマン」
「ちょ、お前ら!
フリー……なんちゃらマンってオレのことー?!」




