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おしえて、研修生!  作者: きりぞら
第参章 踏み出せ、掴め。ヨンギの風
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第1歩 その名は自由


 少年の少し汚れた靴は、砂混じりの白い石畳を踏みしめた。フッブの国の景色は旅立つ前と変わらず、夜の肌寒さはあるものの輝く星々が一望出来る美しい場所だ。



「帰ってきた」



 あっという間だった。突然落ちてきた人間ユースティとの出会い。外の魔物と戦い、夢幻のような泡にも確かに触れた。魔樹の麓では異種族の者に頓珍漢な名前を呼ばれ追いかけられ。遥か空の浮島では自分ではどうにも出来ないような壁を感じた。



「本当のこと、なんだよな」



 ふと自身のミトンをつけた手のひらを見つめ、軽く握りながら目を細める。深呼吸をしたあとに目の前の扉を開けて中を覗けば、そこには同級生であるルリをはじめとしたフッブの民たちが居た。その中に親しい隣人のアイシャやヴァリータ、執事のショウは居ない。



「あれ。皆どうしてここに?」



 思わず疑問の声をあげた少年へ、一斉に視線が向けられる。場の全員に緊張が走ったが、やがてルリが顔を綻ばせた。


 

「おかえりソルリア。外は面白かった?」


「ただいまルリちゃん、みんな。えっとね……」



 外の出来事をどこからどう伝えるべきか。少年が迷った時、奥の扉からフッブの国の長であり少年の兄でもあるエトワールが顔を見せた。



「長様、ソルリアが帰ってきましたよ!」



 民の一人がそう言えば、彼は飛び出して革の装丁がされた分厚い本を床に投げ、膝をついて。少年へめいっぱい抱きついた。

 


「わっ」


「ソル、おかえり!」


「ただいま、兄貴……?」



 ぎゅっと包まれ、じんわりと伝わってくる熱。驚きつつ抱擁を受け入れた弟とそのまま離そうとしない兄、思わず苦笑する民たち。



「長様、熱烈」


「当然ですよっ、こうして弟が無事に顔を見せにてきてくれたんですから!」


「あはは、気持ちはわかります。俺達もなんやかんや、騒ぎの元が居なくて寂しかった」



 彼らの談笑する様子から、すっかり自然体で馴染んでいることがわかる。その暖かさが心地よく__少年ソルリアは体の力を抜いて、微笑んだ。



「ねぇ兄貴、その本投げてよかったの?」


「えあっ」



 指摘すればエトワールは慌てて床の本を取り、表紙を軽く払いつつ照れ笑う。



「み、見なかったことにしてくれるかい」


「あはは、うん」


「ありがとう。……ユースティさんは、一緒には居ないみたいだね?」


「うん、あいつはちょっと、色々あってさ……。どう、言えばいいかな」



 再び答えに迷えば、優しくソルリアの口元に指が添えられる。指の主であるエトワールはまっすぐに、優しく弟を見つめていた。



「__そのことなんだけどね。僕からも伝えておかなきゃいけないことが色々とある。

 帰ってきて早々で申し訳ないけど、付き合ってくれるかな?」



 対してソルリアも、兄の目をまっすぐに見つめた。



「うん。……俺も、兄貴にいっぱい聞きたいことがあるんだ」




__________




 その頃。空の国の下に位置する神樹の麓にある七色の森。霧がかなり薄くかかっている、赤色の草木の中。人間が瞼を開く。



「__」



 まだ、生きていた。

 どうやってここに来たんだっけ。


 全身に少し痺れを感じるが、しばらくすれば問題なく動けるようになる程度のもの。辺りを警戒して目線を向けた、すぐ隣。そこには黒い布を纏った者が大石に腰掛けるようにして座っていた。首元には何かの鉱石……装飾された透明なペンデュラムがかかっている。



「……!」


 

 その者は布に隠れていた左腕を出し、フードを解く。出てきたのは水色のツンツン頭。無精髭があるものの、その特徴はかつて人間と共に居た者にそっくりだった。



「ア__」



 その名前を呼ぼうとした口を抑える__彼はもう居ない。しかし微かに漏れた声は聞き逃されなかったようで、その男が様子を窺うように見つめてくる。



「∷∶∵∴∵∷?」



 何か喋っているようだが全く聞き取れない。聞いたこともない異言語だ。反応出来ない人間に男は同時に不思議そうに首を傾げ、目の前でコンコン、とノックするような仕草をして見せた。



「∵∴∷……あ、あー……通じるかー?」


「っ」



 そして男の口から突然慣れ親しんだ言葉が耳に入れば、途端に体ごと跳ねて距離を取る。



「おいおい、そんなビビるなよ! ……ってことはこれが正解か。言語の違いに無関心になれば、ちゃんと通じるみたいだなー!」



 男はそれを見ておかしそうに笑うと、手真似も追加して伝えたい意志がわかりやすいようにした……が、正直独創的であり、手真似だけでの意志の疎通は出来そうにない。



「どうして……って顔してるなー? これはウンブラの伝統的なまじないなんだぜ!」


「ウンブラ?」



 積極的に続いたコミュニケーションに、人間もようやく一言応えられる。そうすれば男は嬉しそうに口角を上げた。



「そ。影がそのまま動き出したー、みたいな奴ら。お前なら見たことあるだろ。そいつらの部族の名前!」



 人間は未だに驚きを隠せないまま、その男の頭から足元までを見つめていく。ウンブラのまじないを使う彼には、影そのものの特徴はない。



「確かに、あるけど……だとしたら君はウンブラ族じゃないよな?」


「いや、実はウンブラなんだよ。オレに残ってる記憶がそう言ってる!」


「記憶は喋らないぞ?」


「比喩だっての!」


「残ってる記憶ってどういうこと? それにウンブラはヒトも食べるんだろ、おれに何の用? そもそも君は誰?」


「オレ、記憶喪失で他の記憶がなくてさ。確かに食べるけど腹へらねーし、なんならひたすら戦いたいだけだし……──あー、一つずつ話すから落ち着け! どうどう!」



 質問の塊に食らい付かれた男は手のひらを見せ、ストップの意を示す。人間がそれに大人しく引っ込めば、やれやれと笑った。

 ……こうしたやりとりにも、既視感がある。



「まず自己紹介だな。オレはどうやら、ウンブラの長だったらしい。ウンブラはみんな名前を持たないから、自己紹介はそれだけ!」



 男はその言葉以降満足気にしたが、どう対応するかの判断をするにはあまりにも情報が少なすぎる。



「えっと……じゃあ、君の好きなものは」


「わからん! 全部好きだな!」



 男自身を軸にした質問だと有益な情報は出にくい。そう察し視点を変えて訊ねてみる。



「ウンブラってのが名前を持たないなら、普段仲間内ではどうやって呼び合うんだい?」


「んなもん、お前ーとかあいつーとか、そこの奴ーとか色々方法はあるだろ?」


「ああ……確かに」



 しかし問いはすぐ勢いを失い、人間の表情が険しく気まずそうに、段々と目線も合わなくなっていく。……流石に今の状況で話を進展させるのは難しいよな、と男も一人反省したようで、懐からあるものを取り出した。

 


「そうだ、これやるよ。今のお前はビミョーだけど、これを構えてた時のお前となら戦ってみたいと思ってるんだー!」



 金古美の蔦装飾があしらわれた白い銃。それは人間が瀕死の際にこの地で拾い使い始め、空の国を魔物から護っていた英雄……ソレイユの殺害に使われた凶器と判断されたもの。



「……それ、一体どこで?」


「ん、倒れてたお前を襲おうとした奴らから奪い返した!」



 その銃は空の国の兵士たちに、事件の証拠として回収されていた筈だ。ここは弱肉強食を謳うウンブラの住む森。目の前の男の好戦的な発言。そして、多少の汚れは目立たないであろうその黒い布……人間は青ざめていく。



「どうして」


「追われてたんだろ、お前。戦わないと一方的にやられるだけだぞ」


「それでもっ」



 開き直った様子で銃を渡そうとしてきた男の手を払い、退ける。



「それでもヒトを傷付けるのは駄目なことだ!」



 一方、助けた筈の相手に理不尽な怒りをぶつけられた男。唇を尖らせるようにしてふてくされた。




「……お前に感謝はされど、怒られるような覚えはないぜ」



 納得のいかない様子で告げられたその言葉に、人間は表情を歪ませて俯く。静かに男から離れて歩き出した。



「助けてくれたのはありがとう。でも、君が他を傷付けるのが前提なら、もういらない。それでおれが死ぬなら、そこまでだったんだ」



 理不尽な怒りの後に感謝を投げられるとは思っていなかったのか、男はしばらくきょとんとして突っ立ってから人間についていく。



「なーんだお前。急に怒ったと思えば静かになって。腹空いてんのかあ?」


「空いてない」



 男とは目線も合わせず、話をしない意志を見せる。そんな人間の腹からは低く響くような音がはっきりと鳴った。



「……空いてるじゃねぇかー?」



 すかさず指摘されれば、人間は居辛そうに男へと振り返った。



「あのさ、君の言う銃を持ってたおれならともかくとして。今のビミョーなおれには構わなくていいだろ。他をあたってくれ」


「いやお前に構ってるのはちゃんと他の理由があってだな……って、お前こそ行く宛はあるのかよ。そっちは魔樹に逆戻りだぞ!」



 魔樹は神樹と同じものを指す。人間本人は追手から逃げる意志は無くなっているが、ここまでの道を戻ってしまうのも憚られた。ただでさえ見知らぬ土地で、視界が悪い霧の中。一人ではどこにも行けはしないであろう事実に、とうとうその場で俯いてしまう。


 現時点のままでは一方的なコミュニケーションであることに変わりない。男はその場で唸る。



「あーもう。これじゃ間がもてない」



 そう人間にぼやき、ふと全く別の方向へ目線を移した男は……途端に顔を綻ばせ、走り去ってしまった。



「そうだよ。よりにもよっておれと居る必要はないさ」



 人間は安堵か寂しさか、そう呟いて一息つく。


 自分と初対面。そう言わんばかりの男の態度に偽りはなさそうだ。記憶喪失という点が引っかかるが、あの様子なら彼一人でも心配はいらないだろう。

 目的すら無くした人間の足がすっかり止まってしまった中、しばらくして……先程の男が戻ってくる足音に気付き、目線を向ける。



「あのさ、おれが君に何か出来るとは思えないんだ。頼むからもう一人に」


「へへ、こいつはお前の仲間だろ?」


「__」



 男が連れてきたのは、黒い毛並みの狼男だった。引きずられるようにして連れられてきた彼は最早抵抗するのは無駄と悟ったのか、その場であぐらをかく。



「さっきぶりだな、ユースティ」



 ……しばらく何も言わなくなった人間、ふとその口角が上がる。



「お」



 名もなき男の口から出かかった感嘆は、底冷えするような霧に飲まれる。人間……ユースティはこの一瞬で、すっかり元通りの様子で話し出したのだった。



「……__君もまだこの辺りに居たんだな、ハザック!」


「急に引きずられてきたんだよ、テメェの周りは騒がしい奴ばかりだな」


「えっ。彼、君の知り合いじゃなかったのかい?」


「ってことはテメェも違うのか」



 そんな二人からの目線が突き刺さった男は少々戸惑いつつも、それぞれへ人差し指を向けていく。



「ええと、ユースティ? ハザック? っつうの? なんでおしえてくれなかったんだよ!」



 マイペースにも程がある男の言動に、ハザックが呆れ返った顔をする。その隣でユースティは眉を顰めつつも答えた。



「いや、どのタイミングでおしえればよかったの……というか、ウンブラ族は名前を呼ばないんだから、必要ないよな?」


「いや、呼ぶ! 呼ぶから待って!」



 男は焦った様子でまた手のひらを二人に向けてから、頭を両手の人差し指でぐりぐりし始める。悩んで、悩んで、悩み抜いて__



「ア__アザーディ!」


「はあ?」


「なんかお前らの名前に寄せた、オレの名前! これで呼んでくれー!」



 興奮した様子で二人に駆け寄り、片手ずつ掴むとぶんぶんと振る。



「よろしくな、ハザック、ユースティ!」



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