いちにちめ 被食者を忘れるな?
一日目。
窓からさす陽の光。……暖かなそれに霧空が再び気が付いた時には、部屋のベッドに仰向けで寝ていた。吐いた胃液と引っ掻き傷から滴り落ちた血で汚れた入口付近の床には、汚れを吸ったティッシュが散乱していて。
一切記憶はないが、自身は必死に汚れを取ろうとし、力尽きてベッドに倒れ込んだのだろうと推測出来た。
「あんな状態で床の汚れを優先って、我ながら……」
すっかり落ち着いた吐き気の代わりに、込み上げる自虐的な笑み。服についた汚れは取りきれておらず、口には鼻につくすえた臭いと胸に残る気持ち悪さが残っている。一方で体は軽く、動くことにもう問題はない。部屋の壁伝いに進み、照明をつけると目がくらむ。
この部屋は寝具とテーブル以外にこれといった物や家具もない。非常にスッキリしているが、床や壁に所々何かを擦ったような跡が残っている。
「かつてここに、誰かが住んでたのかな」
この部屋は集合住宅の一室のようになっており、クローゼットなどはもちろん、水回りの設備も備えつけられていた。人間は寝起きでふらつきつつも洗面台へ赴き、水を顔に被り。白いケープの汚れは目立っていたが染みつく素材ではなく、水ですすぎながら擦ればたちまち落ちていく。そのままハンガーで引っかかる場所へ干すと部屋のゴミ袋を拝借し、淡々と玄関の片付けを行った。
__ピーンポーン。
「はーい!」
インターホンのチャイムによそ向きの声を上げた霧空は一瞬、自分はずっとここで生活をしていたのではないかと錯覚した。これはあまりにもかつて自身が過ごしていた日常の一風景である。
誰にも見られていないと言うのに咳払いをし、インターホンに近付いて通話ボタンを押す。扉の前の者と通話ができるそれはカメラ付きだ。画面に映ったのは……
「おはようございますっす、ユースティさん!」
少々変わった口調の白いアウィス。見間違いかと目を擦るが、画面の前の鳥は確かにそこにいた。
「__マーケ、? ……忍び込んできたなら帰りなよ、何されるかわかんないぞ?」
あまりにも予想外であるそれに言葉を失いつつ、まじまじと画面を見つめる霧空の様子はマーケには伝わらない。
「大丈夫っすよ。おいらもここで五日間過ごすことになりましたんす!
ここにユースティさんが居るって聞いて昨日も来たんすけど、既に寝てらっしゃったのか反応がなくて」
「ああ……!」
不法入国の下界の商人。そうソレイユが言っていたことを思い出す。マーケならまた道の途中で気を失ったりして、成り行きで空の国に来てしまっていた可能性がある。
……ユースティは、苦笑をこぼした。
「ちょっとまってて、今出るから!」
片付けを終わらせて扉を開ければ、確かにマーケがそこに居た。ヒトの良い雰囲気を全身でまとっている彼の、 薄灰色の瞳が 真っ直ぐに見つめてくる。
「こんにちは、ユースティさん。お元気っしたか?」
諸々の事情を見透かすようなそれにユースティは一度、扉を閉める名目で目線を逸らして。玄関から一歩外に出てから相対した。
「うん、いつも通りかな! マーケも違う部屋を借りてるのかい?」
「おいらは……、そうだ!」
マーケは照れたように言葉を濁そうとしたが、はっとしたように顔を明るくし、ユースティの手を両翼で包む。その暖かさに心を解される感覚を覚えながら、ユースティも顔をあげた。
「折角なんで一緒に探検しませんっすか?
そんな広くはないけど、約一週間お世話になる場所なんで、確認はしないと!」
「ああ……そうだね。行こうか!」
「やった! 一人だと心細かったんすよ!」
廊下を戻り、二人で訪れた休憩室。そこには空の国の代表者たち……室内でも帽子を欠かさないお洒落なロディとお付きの執事、兄弟で並んで座っているライズとディセント、隣に色褪せたロボットが既に居る__何とも言えない目線をこちらへと向けてきた。
「「おはようございます」」
無機質な声。休憩室から繋がるキッチンへの廊下から出てきた案内役のロボットと、ライズに付きっきりの色褪せたロボットが一礼する。するとライズが先日よりも無造作に跳ねている髪をそのままに、見えない目元の代わりとでも言わんばかりに大きな口を開けて手を振る。
「いらっしゃいお前らーッ!」
一方スプーンを使い食べ物をライズの口に運んであげていた弟、ディセントからは沈黙で迎えられる。優雅にホットコーヒーを味わっていたロディもくすりと笑う。
「お仲間を貶した見知らぬヒト達との幽閉生活が、今日から始まるわけだけど……気分はいかがかしらねえ」
冷ややかにそういった彼は返事を待たずに目線を外す。会話は求められていない。それだけでなくロディの隣にいる執事から、マーケに向けて何やら異質で熱烈な目線が向けられていて……
「ええと、君も一悶着あったの?」
「執事の彼に至ってはずっとあんな感じなんすよ。おいらの羽根は暖かくもふわふわでもないんすけど、昨日は羽毛抱き枕扱いされまして」
「わあ」
まともにヒトとして歓迎されているとはお世辞にも言えない。ただ仕事をこなすのみのロボットたちはともかくとして、ライズはフレンドリーに話を続けてくれている。
「あ、そうだ。見知らぬ、といえば。オレもディセントは兄弟だけど、他の人たちとの交流は年一回ぐらいでわりと少ないんだぜ。だから安心しろよなッ!」
「あ、ありがとう……?」
「ああッ!」
本当に安心出来るかはさておきとしてユースティが感謝を伝えれば、嬉しそうに頷く。そのやりとりの直後にキッチンからブロンドショートの毅然とした雰囲気の女性__それにしては上下が橙と白ラインのジャージ姿で不相応にも見える__ソレイユが出てきた。両手にスクランブルエッグやレタスなど、朝食のお皿をもっている。
「おはよう。ここは皆の共用部だ。キッチンで調理するもよし、のんびりするだけでもいい。
基本朝昼晩は彼らが作ってくれる」
光の具合で色の変わる綺麗な瞳で、静かにこちらを見つめる。彼女が示したのは、かつては折りたたんでいた足を人間と同じように使っている案内役のロボット。白と黒の給仕服をつまみ、一礼した。
「お二人の分も朝食が出来ております。どうぞ」
ぼんやり、ウォロスで出会ったうるふを思い起こすユースティ。マーケと共に席の一つに案内され、運ばれてきた食事に手を合わせる。
正直心中は食事どころではない。しかし香りと見た目の誘惑には勝てず、思い切ってそれを口に含む。
「……おいしい!」
いつしか普段通り夢中で食べるユースティ。マーケは目をぱちくりさせたが直に笑みを浮かべ、穏やかに見つめていた。
「あれ。マーケは食べないのかい?」
「お腹空かないんでいいっすよ。ユースティさん、おいらの分も食べてくれます?」
「いいの? 勿論さ!」
マーケの分も受け取って、美味しい美味しいと食べ続ける。そんな人間を見守りながら頬杖をついた。
「やっぱりユースティさんは、気持ちよく食べるっすねえ……」
「へへ、美味しくてつい!」
「ははっ……あー、危ないっすよ、ほら」
マーケは咄嗟にユースティの腕に触れ、軽く持ち上げる。驚いたが、カトラリーを取ろうと伸ばした際に袖がケチャップに触れかけていたらしい。
「ほんとだ、ありがとな!」
「いえいえ、__」
マーケの言葉の途中で、ガシャン。……隣から軽く机がたたかれ、浮いた食器が大袈裟に甲高い音を立てて揺れる。二人が驚いて見上げれば、そこには朝食を食べていたはずのソレイユが静かに圧をかけてきていた。
「……すまない。美味しく頂く姿勢は良いのだが、静かに食への感謝を噛みしめることも必要だ。せめて私の食事中は話さずに味わってくれないか」
暗に五月蝿いと言われている。やはり彼女の圧力は強く、体が強張った。
「……スミマセン」
「距離も遠い。途中で取り落としたら勿体無いだろう」
ついでに食べているお皿の位置が体から離れていることも指摘し、ソレイユは自分の座席に戻った。
そんな彼女の食べ方は作法もしっかりとしており、遥かに上品なもので。ユースティは改めて自身の姿勢を見直すことになった。
それっきり黙々と早々に食べ終われば、平らげた食器はロボットがお盆ごと持ち上げる。
「お預かりいたします」
ユースティは食事を黙々ととっているソレイユの方をちらりと見てから、ロボットに告げた。
「とても美味しかったよ、ごちそうさま」
「それは何よりです」
メイド服で奉仕する案内役のロボットの額には、2と書かれている。1はライズとともにいる色褪せたロボットの額にあった。
「あの子達は2号と1号、って呼ぼうかな」
ユースティは頭を掻きつつ立ち上がる。マーケもつられて立ち上がり共に離れると、くすくすと笑った。
「……これがシェアハウスの短所ってやつっすかねぇ?」
「はは……まあ、おれが五月蝿くしすぎたのは事実だしさ。……そうだ、マーケの部屋って結局何処なんだい?」
「あそこっす!」
マーケが指差したのは、休憩室から扉なく自由に行けるキッチンともう一つの部屋。そちらに歩いて覗き込めば、先の部屋には何もないが、布団が2枚だけ並んでいた。
「あそこで、執事の方と雑魚寝なんすよ!」
知らない場所に来て、扉もなく布団だけの場所で他人と雑魚寝。しかもいわくつきのロディに仕える執事が隣におり、抱き枕として見られている…………ユースティは顔を引き攣らせ、マーケを見た。
「あ、後で部屋変わろうか……?」
「『駄目だ、原則就寝時はきちんと指定の場所で寝てもらう』」
背後から再び厳しい口調の注意。びくりと体を跳ねさせつつ振り返れば、そこにはディセントが居た。どうやらソレイユの真似をしていたらしい。
「あはは、ごめんね。生真面目なソレイユなら、そう言うと思うよ。止めといたほうが良いと思う」
あまりにも部外者扱いされていた二人に同情したのか、苦笑いで手を振り休憩室を出ていった。その後にライズも食事が終わって席を立ったが、何故か床で滑りかけ、ロボット1号に助けられている。
……マーケは自身の境遇に絶妙に納得していない様子を見せてはいたが、すぐに頷く。
「まあ、まず布団が用意されていたことが驚きっしたし……文句は言えないっすね!」
「その布団は、羽毛がたっぷり入ったものですよ」
次はいつの間にやら近くに居たロディの執事が告げる。あからさまに青ざめて後退ったマーケを庇うよう、ユースティが立ちはだかった。
「ま、まさかとは思うけど、マーケの羽根は取らないであげてね?!」
「こちらはあれが羽毛布団だと、お伝えしたまでのことですよ」
口元のみで笑みを浮かべる、黒髪に赤目、端正な顔の執事。発言中もわざとらしく、マーケの全身を品定めするような目を向けている。
「と……とにかく駄目だからね!! マーケがぷりぷりの丸裸になっちゃったら、
……なっちゃったら、どうなるんだろう……?」
「ユースティさん……?!
というかおいらは水鳥じゃないんで布団には適さないっす、毟るだけ無駄っす!」
ユースティが好奇心にのまれる前にマーケも訴えるが、執事の態度はやはり変わらない。それどころか乗り気で話を続けてきた。
「まあ陸鳥の羽毛布団も一興でしょう。あなたの肉も一切無駄にはしませんよ」
「うわああ食べる気満々じゃないっすかあ!」
「ははは」
生き物に感謝しつつ無駄の無いようにする生活の知恵。それは時に残酷で恐ろしいものである。冗談だと理解はしつつも本気でやりかねない空気を察知したユースティは、食事を終えたソレイユを見て叫んだ。
「っソレイユ、マーケを……彼をおれの部屋に避難させることは……?!」
「認めるわけがないだろう。個室への入室はカードキー所有者一人のみ許されている!」
「ですよねっっ」
その後も何度か交渉は行ったものの、マーケは執事から逃れることを許されないまま。就寝時間を迎えて二人は別れることになった。




