第6修 あたたかな繋がり、強制連行
──……眠りの中、ユースティは体を揺さぶられるような感覚に意識を浮かび上がらせる。しかし目を開けることはおろか体を動かすことさえままならない。金縛りのような状況に困惑し、口を開いた。
「……ん……あれ、声は出る。あの、誰かいませんかー……」
【いるよ】
「うわぁあ近いッ?!」
気配もなく顔の真上から返ってきた、無機質な透明さが感じられる声。ついつい大きくなってしまった反応に相手も驚いたのか、呆れたのか。何も言われないまま気まずい空気が流れる。……ここはどこか、相手が何者なのか。会話をすることでわかるかもしれない。そう考えたユースティから話を振ることにした。
「き……君は? おれはユースティ、研修中の探求者なんだけど……」
沈黙が続く。
「……あのー……?」
【あなた いろんなものを知りたいし 皆を助けたいんだね みてても いい ?】
「スルー?!」
そもそもこちらの声が聞こえているのかさえ怪しかった。
「……でもまぁそれが今、おれが生きている理由だと思う。別に見ててもいいけど、手伝ってくれたりしたらもっと嬉しかったりするんだけどなー……なんて…………?」
それでも一歩進んで協力をもらおうと試みれば、訪れるのは再びの沈黙。流石のユースティもそんな中で自分を貫ける性格ではなかったため、早々に折れてしまった。
「……ああうん、普通に、みてていいよ……」
【やった あのね 名前を「ユースティ寝ぼけてんのかーっ。朝だぞ、起きろーっ」
すっかり聞きなれた少年の声が混ざり、揺さぶりが激しくなる。ようやく開けることが出来た目の前にはソルリアがいた。どうやら上に乗って飛んだり揺らしたりして、全力でこちらを起こそうとしていたらしい。
そこは昨日からお世話になっているアイシャ夫婦の家の一室であり、先程までが夢だったと言うことが理解出来た。
「ソ、ルリア……。もう朝なのかい……?」
「そうだぞ、朝だっ。なんか喋ってたけど、夢でもみてたのかーっ」
起きていても揺さぶりをやめる気はないらしく、ぐわりぐわりと体ごと頭が揺らされる。もともと寝起きはあまりよくない方であるユースティは、寝ぼけ眼をこすり必死に返答を試みる。
「う……ん……誰かに話しかけられてた。でもおれは口しか動かせなかったし、相手の姿は見られなくって……」
「あぁーそれは続きが気になるやつだな。同情するよ。
でも今日は兄貴、いや。長様に会いに行く日だから早く起きろーっ」
──昨日の様子とはうってかわって遠慮の欠片もない少年。先日人間の堂々とした振る舞いをみてすっかり開き直ってしまった故であるのだが、人間も無自覚で取ってしまった態度である以上、そのことを理解するのは難しい。
「あ゛ー……気になるどころじゃないよ、ようやく、会話出来そうだったんだ! もしかしたら大事な未来予言の途中かもしれなかっただろ……!」
「はいはいそんなことないない、大丈夫大丈夫っ」
本当に聞いているのかもわからないほどの早さで頷き、聞き流される。しばらく揺さぶりは続いたが、少年はふと止まって察してしまったと言わんばかりのにやけ顔を浮かべた。
「あ。代わりに俺が予言してあげる。その夢に出てきた誰かは、ユースティが将来ずーっと一緒になる人だあ」
「えぇ?! 適当なこというんじゃないよ!」
突拍子もない発言に飛び起きれば、上にいたソルリアは吹き飛ばされる前に素早く降り、くすくすと笑う。
「へーんっ、ざまあみろ。今日もアイシャさんがご飯用意してくれてる。食べた後は役所に行くんだから、急げーっ」
「何がざまあみろなのかわからない! でもお兄さんに会ってほしいのはすごくわかった、わかったからっ。絶対行くから急かさないでってば!」
二人がバタバタとやり取りしながら部屋を出れば、食欲を誘われる香りに包まれる。この家に住む夫婦は既に起きており、テーブルに食器を並べている最中だった。その部屋は昨日とは違ってお香は一切焚かれていない。
「アイシャ、これはこっちでいいかのぅ」
「ええ、ありがとうねぇ」
夫婦はお互いがお互いを気遣いつつ、てきぱきと家事をこなしていく。何気ない日常。その空間は暖かく、穏やかな明るさがあった。
「「おはようございます!」」
「おはよう、はは、ソルと食いしん坊さんが起きてきたぞ、アイシャ」
「あらおはようさんねぇ。今日は昨日のカレーを少し甘めにしてみたのさぁ。ほら、食べて食べて」
「やった、いただきますっ」
早速席につき、手を合わせて。ソルリアも続いて、ミトンを付けた手でスプーンを持つと大口を開けて口へと運ぶ。変わらず美味なそれはさらにまろやかな甘味を帯びていた。さらに触感のよい果実のようなものも入っていた。
「あ、これもしかして、デーツかな?」
すっかり目も覚め、ユースティがうきうきしながら尋ねれば、アイシャはこくりと頷く。
「すごいわねぇ。正解よユースティさん」
「なんでわかったんだ。デーツってユースティの国にもあるの?」
「天然物ではないけどあるよ。栄養価が高くて、この辺りですごく重宝されている果実だって聞いてる!」
「案外知られてるもんなんだな。俺はお前の国のことなんて、全然知らなかったのに……」
周りに聞こえるか聞こえないか位の音量でそう呟くソルリアの隣で、たちまち一皿を平らげてしまう。
「おかわり、お願いします!」
「あいかわらず早いな」
「嬉しいねぇ。明日はこの国の創立記念日だから、栄養を蓄えておかなきゃいけないものねぇ」
それに応えて綺麗に平らげられたお皿をとり、おかわりをよそうアイシャ。フッブの創立記念日は初耳であるため、ユースティは話題にも食い付いていく。
「創立記念日ってことはお仕事とかがお休みなのかい? 栄養を蓄えるって、どういうこと?」
「必ずしもお休みではないけど、うちの国の創立記念日は神様に感謝して、1日三回祈りを捧げるのさぁ。断食もするんだよ」
「断食も?! ……耐えられるかな、おれ」
「ふふ、とっても食いしん坊さんだもんねぇ。でも大丈夫、ユースティさんは旅人だから、がっつり食べちゃっても誰も文句いわないからねぇ」
そう笑っておかわりのお皿を持ち歩いて行こうとした時、足を少し踏み間違えたアイシャ。そのまま倒れそうになった彼女の体を、スィームがさりげなく支えて微笑む。
「大丈夫か、アイシャ」
「あら……ありがとうねぇ、スィーム」
太陽がまだ少し低い位置にある穏やかな朝、優しい笑顔があふれるその空間。
「……二人、本当に仲が良いんだな」
「へへへ、だろ? 見てるこっちも幸せだよなぁ──……って、どうしたユースティ」
「え」
「涙」
瞳から涙が溢れていたことをソルリアに指摘されると、本人も困惑したように袖で拭う。
「うわほんとだ。痛いとかじゃないから大丈夫。心配させてごめん」
「そう? それなら俺はいいけどさ」
少年は食事中何度か心配そうに人間を見ていたものの、それ以上言及はせず、やがて普段通りに戻っていく。食べ終わった食器を片付け、ユースティは再び手を合わせて。命を頂いたことへの感謝を祈った。
「とっても美味しかった……ごちそうさまでした!」
「ふふ、喜んでもらえてよかったわぁ」
その時……ポーン。という音と共に、リビングの壁にかけられているランプが点滅する。
「あら、きっといつものお香の売り子さんねぇ」
そういうと、アイシャは入り口の方へ歩いて行く。ユースティはその様子を見つめながら興味深そうに口に出す。
「売り子さんが直接家に来るんだね」
「ああ。昔はよくあったんだが、確かに今は中々に珍しいのぅ」
スィームが懐かしむように頷く。
そうして家の扉をアイシャが開けた先にいたのは、白いフードを深くかぶっていて、大きな籠を──中にお香の素が入っている__背負う行商人。目が合うと、すぐにその場で一礼をした。
「いつものを届けに来た。助かっている」
「いえいえ、こちらこそ。これ、ずっと嗅いでいたいいい香りだからねぇ。これからも是非よろしくね」
黒く丸い塊を渡して、代わりにアイシャからお花の贈り物のようなものを受け取る。そうして行商人は再び一礼し、その様子を見つめていたこちらを一瞥してから、去って行った。
「ふふ。初めて買ってから、なんだかほかのお香じゃ物足りなくなっちゃって。ずぅっと一週間ごとに来てもらってるのよ~」
珍しそうにしている人間、そんな隣で静かに見つめていた少年、そしてほんわりと見守っていたスィームへ。くすくすと微笑みながら言うと、アイシャは思い出したように続けた。
「そうだ。あなたたちは今日、長様のところへ行くのよねぇ?」
「うん、ソルリアが行け行けってうるさいからな!」
「なんだよその言い方、ユースティも会ってくれるっていったじゃんかっ」
「ふぉっふぉっ。それだけ気心の知れた友達だと聞いたら、エトワールもきっと喜ぶのぅ」
エトワール。それが長の名前らしい。かつてそのまま話が流れたが、ヴァリータもその名前を口にしていたことをユースティは思い出す。
そして狼男たちによれば長もまだ子どもらしいが、一体どこを基準にしてそう言われているのだろうか。弟であるソルリアとはいくつ差があるのか。そもそも種族の特徴があることも仮に想定すると、ソルリアの実年齢も定かではない。
疑問を浮かべたユースティを知ってか知らずか、ソルリアはその裾を引っ張るようにして急かし始める。
「ほら早く行くぞ、ユースティっ」
「っはいはい、わかってるってば……! じゃあいってきます、二人とも!」
「俺もいってきますっ」
そのまま雪崩れるように立ち上がれば、引っ張られるままに玄関へと向かう。そそくさと声だけで挨拶をした二人に、アイシャとスィームは微笑みつつきちんと返す。
「いってらっしゃいのぅ」
「いってらっしゃいねぇ。
ソルちゃん、洗濯物を忘れずにねぇ!」
玄関の扉を閉める。的確な見送りの言葉に少年は慌てて立ち止まった。
「っほんとだっ、昨日干したやつ砂まみれになるとこだっ」
「この国は乾燥してるし、風で砂が飛んできちゃうよな」
「そうなんだよ。兄貴が結界を作ってくれてるからましなんだけど、それでも砂は舞ってる。しっかり叩いて落としていかないと!」
干していた布団たちはしっかりと乾いており、二人で家の中へと運び、もとの場所へと戻していく。
「ははっすごい、もうすっかり乾いてるし暖かいし、ふわっふわだな!」
「だろ? よし、こんなもんでいいや、行こうぜっ」
その時点で既に汗が滲むくらいには日が高くなってきている。先日と変わらぬ晴れ渡った青空に、二人の気分はさらに高揚していく。
「この道をこっちに出ると市場が広がる大通り。そこから真っ直ぐ下ると、兄貴がいる役所があるんだっ」
少年の説明と共に建物と建物の間の細い道を二人で歩き、市場のある大通りへ出た。そこにはパラソルや簡易なキャンプテントなどで仕切られた様々な店が並んでおり、それぞれたくさんの商品が並べられている。
「わあ、すごい……!」
現在進行系で、多種多様な種族による賑やかな交易が行われている。商品を売る者、楽器演奏や他のパフォーマンスをしている者。それを気に入った通りすがりの旅の者が前で立ち止まっては見とれていく。……ユースティもその一人だった。というより、自分から色々な売場に顔を出しては片っ端から声を投げ掛けていった。
「歌が上手だね、練習の賜物?」
「ありがとう。ふふ、そんなところです」
目に見えるもの全てが珍しいといった様子で、次はお茶菓子を広げていた露店へ。
「美味しそうっ、これどうやってできてるのっ」
「ソラマメやミュールンのお肉で作ったタネをパイで包んで蒸したものだよ」
よかったらおすそ分け、と試食にしては大きな一切れをもらって美味しそうにぱくついた。
「こんにちは、これってお花だよね!」
「フッブは手紙に添えるお花も、想いを伝える要素となります。そのため当店では多種多様な花言葉を持つ花を取り扱っております」
「へええええ…………!」
どんどんと一人で突き進み、新たに得た知識をノートへと書き込んでいく。
「ちょっと、ユースティっ。いろんな気になるのはわかるけど進まなきゃっ……あー、聞いちゃいない」
目を輝かせてあちらこちらへ行く落ち着きのない人間。ソルリアはついていくのが精一杯で、まるで手におえない。
「……ぼ……ちゃ…………!」
そんな中、ふと誰かの呼び声が聞こえたような気がして固まる。
「……ま、…………っちゃま……!」
それも一度ではなく二度、三度と繰り返されている。気のせいではない。ソルリアが前にいるケープの裾を思い切り引っ張ると、ユースティはようやく気付いて耳を傾ける気になったようだ。
「なんか、誰か呼んでる声が聞こえるよな、ユースティ」
その言葉に、辺りをきょろきょろと見回し目を閉じる。
「……ほんとだね。一回聞いたことあるような声だ。でもいつどこで聞いたっけ……声量も増してない? ぼっちゃまー!! ……って…………」
「ぼっちゃま? ……ってまさかそれ、じいや……っ」
段々と近付いてきた呼び声に振り返り、後ろから走ってきた存在……じいやを視認したソルリア。すぐに逃げ出そうとするも手遅れで、追い付かれて首根っこで掴まれ……いや、鎌の先端で上着を引っかけられて容易く宙に浮かされてしまった。
「うぎゃあっ」
「ぼっちゃま! 昨日は一日中お探ししたんですぞ、ほんとに! 今日こそはきちんと授業を受けていただきますよ!」
姿勢よく燕尾服を着ている、茶色のカマキリ──ソルリアがじいやと呼び、彼もソルリアをぼっちゃまと呼んでいるため、従者でもあるらしい。今回は学校の先生として、ソルリアを迎えに来たようだ。
「いやだ、助けてユースティっ、俺達は今から兄貴のところに行くんだろっ」
その腕に抱きしめられ、連れられるソルリア。ユースティもある程度状況を把握して、その後ろから駆け足でついていくことにした。
「ソルリア、今日も授業だったの? それなら前逃げた分出席しとかなきゃな!」
「おまえも敵かーっ」
変わらずパタパタと暴れているが、じいやと呼ばれた者には敵いそうにない。つよい。……いや、ソルリアの力が弱いだけだ。じいやはちらりと人間を見ると足を止めずに尋ねる。
「あなた様は……ヴァリータ様からお伺いしました。ソルリア様の新しいご友人の方ですかのぅ?」
「うん、そんな感じさ!」
「なら授業に少しばかりお付き合いいただけますかな」
「えっいいの、是非!」
「なんでそんなにキラキラ出来るんだよユースティっ」
「そりゃあおれは研修中の探求者ですから。愚問としか言わざるを得ないよ、ソルリア!」
ここに味方は居ない。そうなるとソルリアはもう強制連行を受け入れるしかなかったが、それでも叫んだ。
「なんだよそれぇえーーっ!」