第63修 行き着くものの息はつけず?
__一方。鬱蒼とした森の中に確かに存在する、空気の澄んだ聖域。
すぐ近くには大きな湖があり、美しい水が上から勢いよく滝となって落ちてきている。ほどよい湿り気と、反射してきらきらと薄く降り注ぐ陽の光。そんな場所で寄り添うように並ぶ、豊かな緑の庭に囲まれた木造建築のある集落があった。
その場所に響くのは、複数の柔らかな怒声。……怒声なのに柔らかと感じるのは、勢いが遅く、そのトーンも高くあるからだ。
「待って、君はここにいるんだよ、オプファー!」
複数に追われて逃げるように走り去る、一人の小さな子ども。精巧な華柄を象った木造の衝立へ片手をつき、道に飛び出た。赤茶の癖毛をゆらし、上着を翻して先へ着地する。
「待たないっ。さっきも言った通り俺はユースティと一緒に旅をするんだ、オプファなんて名前でもないしっ」
「危ない、そこ、屋根だよ……!」
「えっ」
2階建ての建物の高欄、そこから外側へと飛び出たら、着地する先は地面か一階の瓦屋根しかない。バランスを取れずに滑った足と支えをなくした体。少年はまるで坂を下るボールのように転がった。
「うわぁあぁあいたっ、わぁぁっっ」
屋根からも落ちる。体の羽を開こうにも上着で遮られているし、使ったこともないために上手く飛べもしない。
ぼちゃん。下にあった庭の小池に沈む。
一部始終をみていた追手たち__こちらも黒い影のように真っ黒な全身である__彼らは、全員屋根の先まで歩み寄り、心配そうに見下ろす。
「だいじょぶー?!」
「どんくっさ。お前、本当にオプファかよ!」
泡の中からじきに、むっとした表情が浮かびあがる。
「うるせーっ。俺はソルリアだっ。
さっきからオプファオプファって変な名前で呼ぶな、ばかっっ」
「ばっ……?!」
追手の一人がその場に膝から崩れ落ちる。ソルリアは池から出ることも忘れて困惑した。
「な、なんだよ。どうしたんだよ」
「ばかって言われた……ひどい……」
「そこかよっ」
「だけども捕まえるのは諦めない!」
「うわぁあ切り替えは早いっ」
本気で凹んでいる様子だったが、すぐに切り替えて池に飛び込んできた。ソルリアもすんでのところで退き、掴もうとしてくる腕を避け、池から上がる。
ここに居ても乱暴されたわけではなかったのだが、ただただ幽閉される事が好ましくない。ソルリアは離れてしまったユースティのことがひどく気がかりで、早く合流したいと考えていた。
「待てー!」
そんな中でも、次々と池に飛び込んでソルリアを追いかけてくる者たち。彼らに先回りするという手段は浮かんでいないらしい。びしょ濡れなのも気にかけないため、走る途中でくしゃみが聞こえる。
「嘘だろ、俺なんか追っかけて風邪ひくなよっ。というかここどこだよほんっ……?!」
なんだか追手のことも心配になってきた少年はそのまま、黒い毛並みにぶつかり跳ね返ってしまった。
少年がぶつかったのは大きな狼の前足だった。長くスッと伸びた鼻先、薄く開かれた口から覗く……
「わあごめんなさ……ハザックっ」
とにかく既視感を覚えて相手を見上げれば、間違える筈もない、鋭い赤目の狼。ハザックだ。
「何やってんだ、テメェ」
「丁度いいところに、助けてっ」
「はあ? なんでオレサマが」
「いいから早く、捕まりたくないんだっ」
面倒くさそうな顔をされるも、ソルリアはハザックの後ろ足に隠れる。
「おいおい、テメェには救世主サマがいるんじゃないのかよ」
「誰って?」
「テメェが外に出てきてるってことは、あの人間が連れ出したんだろうが」
「ユースとは、はぐれたんだ。だからここから出て、探しに行こうとしてたっ。
お前もあいつに会いたいんなら、俺に協力してっ」
「あぁ? あんなのに会いたいのはテメェだけだろうが」
ハザックはありえない、といった表情で肩をすくめた。しかしここで少年の追手を無視したとして、結局は巻き込まれてややこしいことになる……そんな未来が想定出来たらしい。舌打ちをし、すぐに狼男の姿へと変身していく。
「ひ……ひぇ……!」
筋肉隆々としたハザックの大きな体。ギロリとした眼光にあてられ、影の追手たちは走り去って逃げて行った。
ソルリアはそんな彼らを申し訳なさげに見送ったあと、目の前で変身した大男の背を見上げ、まじまじと見つめる。
「おい」
ドスをきかせた声に、あわてて意識を引き戻した。
「オレサマを使っておいて礼もなしか」
「ごめん、ありがとう。
……その変身ってさ、魔法なんだよな?」
ソルリアの今までのようなオドオドとした反応を想定していた分、今度はハザックがまじまじと彼を見つめる番だった。
「そうだが?」
「そっか。
よし、お前には助けてもらったから、早くあいつを探さないとだな」
「アテはあんのか」
「ない、けど早く合流しなきゃっ」
ハザックはわずかに眉間をひそめつつ、ふさふさな手__しかし大きく頑丈で鋭い爪もある__で軽く頭をかいて呟く。
「やれやれ、早速似てきたか……?」
……その時だ。突然空から落ちてきた何かにハザックが背中から下敷きにされ、石畳に倒れ込んだ。
「ぴっ」
突然のことに声をあげたソルリアだが、こうした流れの既視感に、表情が明るくなる。
「まさか、ユー……」
しかしそこに居たのはユースティでも、全身影のような者でもなく。黒の布で全身を隠したヒトだった。
「スじゃ、ない……?」
「……」
胸元にある、黒いペンデュラムが光る。その者は踏んづけたハザックに対して悪気がなさそうに、しかしぺこりと頭を下げた。
「チッ」
ハザックもある程度既視感を感じていたのだろう、最早怒る気力もなさげに漏れた舌打ち。相手はもう一度軽い会釈をするとソルリアに向いて、指でとある方角を指し示した。
「??」
意図を理解出来ず見つめるだけのソルリアだったが、その者はそちらへ走りだして行ってしまう。
「ついてこいってこと……? 待ってっ」
そのまま森へ駆けていく小さな背中に、ハザックは目を細めながら起き上がる。
「ったく。とんだ災難だな……」
湿度の高く鬱蒼とした森の中、霧がかっている道を真っ直ぐ走った先。追いかけていた筈の者をすっかり見失ってしまう。その代わりに見つけたのは、こちらに歩いてくる一人の影。
ふらふらとした重い足取りで、だらりとした手には何かを持っている人間。ソルリアは少し身構えた……が、その姿がはっきり見える距離になった途端、顔色を変えて駆け出した。
「ユースっ」
聞き慣れた声に、人間もすぐに顔をあげる。
「……ソルリア?」
「ユースティ、俺だよっ」
嬉しげにその足元へ飛びついたソルリア。ユースティはそれを体で受け止めてさえも暫く呆然としていたが、遅れて手に持ったものをケープへ隠してしゃがみ込み、その両肩に手を添える。
「ソルリア、大丈夫だったか?! 何もなかった? ……ってびしょ濡れ、このままだと君も風邪ひいちゃうぞ!」
ソルリアは話を聞いているのか聞いていないのか、ひたすらに抱きついていて……ふと、肩に置かれたユースティの手を目線で示し、尋ねる。
「手、触ってもいい?」
「え? 構わないけど」
ミトン越しの細い手が、肉球のついた人間の手のひらに触れる。
「ふにふにしてるな」
「うん、まあ」
「ほんとに変わったままなんだな、治るかな」
「……うん」
人間の目は伏せられるが、少年の表情は変わらない。どこか確かめるように、その手を両手で包んでから離した。
「そうだユース、さっき集落みたいな場所があってな。影みたいな奴らがたくさんいたんだ」
「! それならおれもみたよ。長って呼ばれてるヒトと会った」
「長……ってことは、この辺りは治められてる場所か」
「調べたら出てくるかな」
二人でブラックボードくんを覗く。影、集落、長の存在。断片的な情報を二人で出し合い検索をかけ、候補として出てきたものをユースティが読み上げる。
「『神樹の麓』……七色の森がある場所だ。こんな場所だったんだな」
「知ってるの? おしえて、研修生」
「勿論さ」
ユースティはケープから一冊の手帳……地上に来る前から持っていたそれを開く。
「そのノートにまとめてるの?」
「うん。ここに来る前に書いてたものもあるんだ。そのままおれ自身も、ぼんやりとしか覚えてなくて……ここを見返したら、ちゃんと書いてた」
手元を見つめてくるソルリアの横で、ぎっしり字が書かれたそれらのページを素早くめくり、とある記述のあるページを指で留める。
「神樹っていうのは……そう、これ。人柱を使って産まれた、下界を浄化した大樹。空の国の下に位置してて、とっても大きいんだ」
「げかい、を浄化?」
「大分昔大きな争いがあって。下界……地上は一度、空から落とした兵器によって滅びた。その兵器がもたらした災厄は、地上で再び人がまともに生きようとするには、かなり有害だったんだって」
理解が遅れて言葉が詰まる少年に頷きながら、ユースティはノートの内容を読み上げる。
「そこで空の国が頼ったのが神様のお告げ。人柱にそれぞれ課された試練を果たし、その生をヒトとはかけ離れた性質……不老長寿などに変質される代わりに、神樹の種が授けられた。
瞬く間に成長した神樹は穢れを吸い、地上を浄化して。ヒトの行動可能範囲を広げてくれたんだよ」
横からノートをユースティと一緒に見つめながら、ソルリアは呟く。
「世界を滅びさせる兵器と、それを浄化した神樹か…………」
「空の国で前者は秘匿すべき重罪、後者は信仰対象の一つさ。……だけど神樹は、浄化と同時に魔物を生むようになったから、魔樹とも呼ばれてるらしい。ハザックが教えてくれたんだけどね」
あくまでも言い伝え。何処までが本当なのかわからない話だ。ノートを閉じ、ユースティはソルリアを見る。
「話は戻るけど、おれたちがいるここが七色の森なら。まだこの時点で緑色しか見てない。きっとまだまだ広いよ」
「もしかしてウォロスの前に来たのも七色の森の一部だったりするかな」
「洞窟だと思ってたけど……青や藍色の森といってもよさそうだったね」
「魔樹の話が本当なら、ヤテベオみたいな魔物もきっと沢山いるよな……」
脅威となる存在を意識し、息を飲む。しかし同時に隣で鳴り響くのは空腹を知らせる音だった。一拍ほど遅れてユースティがへなへなと崩れ落ち……ソルリアはへらりと笑った。
「ユース、やっぱり空腹には勝てないかあ」
「ご……ごめん!」
「いいよ、なんだか安心した。俺もお腹すいてきたし。……よし、こんな時のためのっ」
ポーチから持参した食料を取り出そうとしたソルリアに、冷たく大きな鱗を持った何かが絡み付いた。
「え」
「っソルリア?!」
瞬間にその体が攫われる。ユースティが咄嗟に伸ばした手が届くことはなく、目の前の少年は再び居なくなってしまった。




