第59修 しずけさ
朝の冷えた空気の中瞼を開く。いつの間にか寝落ちてしまっていたらしい。ソルリアがベッドと布団に挟まれた体を起こせば、やけにすっきりとした目覚めを味わった。
暖炉の火は消えており、辺りを見回しても誰も居ない。ソファに残された白のタトゥーチョーカーがニつ分、残されている。
「あれって、あいつらのチョーカー……?」
布団から降りてそれを手に取り見回してみるが、特に変わった所は見当たらない。手作りの継ぎ接ぎだらけのそれは空虚な想いさえ感じられて、テーブルへ置き直す。
ソルリアは窓から雪景色を見る。そこには、落ち着かない様子で辺りを見回していた人間がいた。
「……ユースティっ」
「ソルリア、おはよう! 肌寒くて起きちゃった。早起きの外はいいね!」
「お前が起きたときにはもう三人はいなかったのか?」
小屋を出るなりそう訊ねたソルリアに、笑顔を見せていたユースティは少し俯いてから、静かに頷く。そうして何を言うこともなく、二人で姿の消えた三人組を探し始めた。
「アルム、ラルム、ノルムーっ。君達から来てくれたのに、何も言わずに出ていくなんてびっくりするだろー!」
一番に向かうのは、いつも訓練に来ていた壁の向こう側。ユースティが叫んだその声に返事はなく、誰にも会わないままウォロスを覆う膜まで辿り着いてしまう。
「お願いだから、居たら返事をして、……」
膜のすぐ近くに生える木の下、雪が乱れた場所が見えた。そこには刃先が濡れた黄色の柄の短剣と、黒くなった血が散っていて。
「あれは?」
そこから乱雑に脱がれた大人の男のものと考えられる靴と、膜に向かって進み、途切れた足跡。
膜は触るだけなら何もない。しかし強く力を加えた者を外に追い出し、何事もなかったかのように元の形へと戻っていく性質があった。
場所が場所だけに、嫌な想像が二人の頭を過る。
「……」
もしそうだとして、何故そんなことをしたのだろうか? そもそもこれがアルムのものだと断言出来る訳ではないが、これがもし別れとなってしまうのなら当然、納得出来るような理由が欲しくなる。
本人の姿が確認出来ないこの状況で、答えは出ない。ユースティは一度言葉を飲み込むと、ソルリアに呼びかける。
「ソルリア。昨日の話からして、アルムたちは先に歯車側にいるかもしれない」
「えっ……そうだとしたら、どうやって辿り着けばいいんだ……?」
「おれについて来てくれ!」
頷いたソルリアと共に目指すのは、昨日も話した歯車があるウォロスの裏側。ユースティが自分の意志で降りることが出来た、秘密の通路の中にある道へとソルリアを連れて行く。
「ユースティ、そっちって確か」
変わらずそこは光がさしこみ、下へ降りられるようだった。
「ここから降りるんだ、大丈夫だから!」
「アルムが罠だとか言ってなかったかっ、なにが大丈、わわわ待ってっ」
迷うことなく飛び込んだユースティを咄嗟に追いかけ、自分も飛び込んだソルリア。水中へと沈むようにゆっくりと落ちながら、反転する重力。視界に広がるのは仮初の空と歯車仕掛け。
「よいしょっと」
「うわわわわ……っ、みぅっ」
ニ回目であるため慣れた着地を見せたユースティは、全身でわたわたと泳ぐように慌てていたソルリアの体を抱きしめて安定させ、地におろす。
「ほら、大丈夫だったろ?」
「な……ほんとにここに、繋がってるのかっ。ふわふわしてびっくりしたっ」
「っはは、やっぱり最初はびっくりするよな!」
「ばっ、お前っ。自分だけさっさと降りて……心の準備をさせろっての、ばかっ」
「ごめんごめん」
「絶対許さないってばっ。ったく……」
いつものようなやり取りをし、普段の様子に戻れそうだったのだが。二人の表情は周囲の景色を視界に入れたと同時に、再び引き攣ってしまった。
「ユースティ。これ、どういうこと」
倒れた黒い布の者たちと、それを下から大きく貫く黒い棘。垂れて下に溜まっている血。歯車はぶにゃぶにゃとした屍にまみれ、二度と回ることはない。
「……わからない」
一拍ほど遅れた返答。見回す限りの惨劇の跡に奪われる言葉。屍と共に存在する黒い棘は、後にも先にも道のように続いていた。
息をのみ、先へ一歩ずつ歩き出すユースティを見て、ソルリアもその側を離れないようについていく。溶けてぐじゅぐじゅになった雪道を歩く音だけが辺りに響き、長い沈黙が感じられた。ふと黒い棘の道が視覚的に途切れたと思えば、足元が少しずれるような感覚と共に周囲の景色が変わる。
歪みを通ったのだ。二人の目の前にはウォロスの中心である城への架け橋が現れた。黒い棘の道の終着点。そこに居たのは、黒い布を巻いているもう見知った二人組。
「ノルム、ラルム」
ユースティが咄嗟に駆け寄るが、その体は動かない。脈を見るために上体を起こすが、既に酷く冷たく、重い。そして二人は胸の辺りで割れた丸い核を小さな黒い棘で貫かれており、微かに煙をあげていた。その光景の既視感をたどって出た答えは。
「魔物の、核……」
「おい、なにがあったんだよっ」
ソルリアが改めて声をかければ、微かに二人の口が開いた。ささやかな声で紡がれる言葉は、ユースティにはわからない。
「な……何を言ってるんだい。お願い二人共、意識をしっかり!」
ふとソルリアが、二人の核に刺さった棘を抜こうとした。なんとそこからは鮮血が吹き出していく。恐らく抜いてしまえば二度と留まらないであろうそれに、ユースティが驚いた顔を向けて。
「っソルリア」
「ごめんユース。二人が、こうしろっていってる」
ソルリアの言葉にユースティは呆然と見ることしか出来ない。そのまま棘を引き抜けば、消えゆく命は穏やかに笑うように、動いていた口を結んで。直後に全身から黒い煙が勢いよく上がり、その体は絶命の元となった棘だけを残して、霧散した。
ようやく見つけたと思ったのに、それ以上を許されない。 血の痕跡さえも残らず消えたその場所を見つめ、ソルリアが口を開く。
「おしえて、研修生。
この黒い棘はウォルターが、プセマを襲った魔物を倒す時に出したものと同じだよな?」
返事がない。そのままもう一度、人間の意識を呼び戻すように名を強く呼ぶ。
「ユースティ」
「……ああ。確かに見た目は同じものだ。だけど、ウォルターはもうアルムに……」
「それが、見せかけだったとしたら」
「へ」
「ウォルターがわざと、これを自分が使ったように見せかけていたとしたら?」
静かな空間に響いた少年の言葉は、この場の全ての命を奪った黒い棘の主がプセマであると。そう告げているものだった。
「……なにをいって、彼がそれをする利点もないし、彼女がこんなことするはず」
「俺だって何言ってるかわかんないよ。でもウォルターが居ないのに黒い棘が彼らを襲った。ウォロスへ引き込む魔素の流れだって止まってない。
……そうだ、これを使ったらわかるはずだよな」
ソルリアが出したのはアルムから渡された、魔素に反応をする水が入ったガラス管。きゅぽんと音を立ててコルクを抜く。すると中の水はたちまち透明になって。
そのまま迷いなく黒い棘の一部を折り、そこへ落とす。
「ソルリア」
ユースティが止める間もなく、透明な水はたちまち、はっきりとした桃色へと戻ってしまった。
「…………!」
ソルリアが口を開く前に。
「違うよ、ソルリア。この黒い棘をもう一度同じ所から、今度は逆方向に最後まで辿れば。こんなことをした本当の犯人がいるはずだ!」
一人で走り出そうとした体を、ソルリアが裾を掴み引き留めた。
「……俺も行くよ」
静かな青をたたえたその瞳。ユースティはあからさまに顔を悲痛に歪ませたが、やがてゆっくりと頷いた。




