第5修 くいしんぼうさん
「ソルリアのお兄さんに会いに行くのはいいけど、国の長って忙しいよな。会えるものなのかい?」
「タイミングを見て役所に行けば、ちゃんとした話も出来るよ」
「そっか、でも今日はもう暗い。行くなら明日がいいよな。
となると、どこで寝泊まりするか……」
話の流れのままに、二人は今の状況を確認する。ソルリアの家の中は焦げてびちゃびちゃ、布団なども今干したばかり。いくら結界の効果で居心地のよい気温が保たれていたとしても、濡れたそれらを寝具に使おうものなら風邪をひいてしまう。といっても代わりの案が出るわけもなく、ただただ微妙な空気が二人の間に流れた。
……そんな時隣の家の扉が開き、薄い黄色の毛並みに三角の耳を持つ女性が顔を覗かせ、声をかけてきた。
「何か騒がしいと思って起きたんだけれど……あら、お帰り! 洗濯物もわすれてちゃってたのねぇ、ソルちゃん!」
優しげな笑みを困り眉で曇らせつつ出てきた彼女は、ヴァリータとの話でも出てきた猫のような姿をした種族、ピスィカだ。しわがれてゆったりとした声をしており、年配の女性でもあるようだ。少年は彼女をみると目線を泳がせて悩んだ後、思い切ったように返事する。
「あっ、えっと……んんと、そんな感じですっ」
そして人間の方を向くと彼女を紹介する。
「ユースティ、彼女はピスィカのアイシャさん。夫婦で住んでるんだ」
「こんばんは、おれはカルディアのユースティさ!」
ユースティがアイシャへ向けてぺこりと一礼すれば、彼女もぺこりと一礼を返してくれる。
「こんばんはユースティさん、元気でいいねぇ。よかったら今日はうちに泊まるかい?」
「えっ、いいのかい?!」
大きく反応した人間へくすくすと微笑みつつ、アイシャは扉を開いて家に入り、二人を招いた。
「勿論よぉ。こっちにどうぞ」
ソルリアはぼんやりとそれを見つめていたが、ハッとしてアイシャのもとへ駆け寄る。
「あ……あの、ありがとうございます、アイシャさんっ」
「遠慮は要らないよソルちゃん。私たちは家族でしょう。勿論旅人として来たユースティさんも、この国にいるうちはみーんな家族なんだからねぇ」
あたたかなやり取りを見る限り、ソルリアと彼女の間には冷たさは一切感じられない。ユースティは安堵しつつ、小さな声でソルリアへと話す。
「ヴァリータもそうだけど、皆が皆君をいじめてるわけじゃないんだね、ソルリア」
「な……その言葉、どう俺は受けとればいいんだよ」
途端にジト目になったソルリアをくすくすと笑いながら、ユースティは手のひらを合わせて片手だけずらして一礼する。ヴァリータの真似だ。
「ばか、それは挨拶の時しかしないのっ」
「っはは、ごめんごめん」
「思ってないだろ、そんなのじゃ許さないからなっ」
「二人ともはやくおいでー。風邪をひいてしまうよぉー」
「あっ、はいっ」
「今いくよー!」
そうしてアイシャに導かれるまま家に入り、靴を室内用に履き替えると──ユースティはまず、部屋の香りの違いに意識が向く。先程ソルリアの家で噎せるほど焚かれていた物とはまた違うようだ。それは爽やかな香ばしさがありながらも、ふわふわと包まれるような感覚もする。
「これもお香だよな、ソルリア! なんだかふわふわって__」
ふと振り返った先の少年は、手で頭と口元を抑えて蹲っていた。
「……大丈夫かい?!」
「あ、えっと、だいじょ……」
前を歩いていたアイシャも振り返ると、しまったという表情をする。
「あっ……ごめんなさいっ。ソルちゃんはこの香りが苦手で……! ユースティさん、突き当たりのお部屋はソルちゃんも大丈夫なお香が焚いてあるから、連れて行ってあげてくれるかしら!」
「わ、わかった!」
階段の方を指差す彼女に応え、少年を抱えあげる。そのまま言われた通りに突き当たりの部屋に入って、以前にも嗅いだことがある香りに包まれた。落ち着く控えめな甘さのそれは、少年が焚いていた物の本来の香りであるようだった。
「ここでよさそうだな。ソルリア、ここならちゃんと休める?」
ベッドに寝かせてしばらくすれば、少年は気分がましになったようだ。力なく笑い返す。
「ん……驚かせちゃってごめん。ここ数年はさっきのお香が流行ってるんだけどさ。俺はこの昔からの香りしか、受け入れられなくて」
「あー。あんなに白くなるほど焚くくらいだもんなぁ」
「そ、それはまた別だよっ」
「っははは。でも確かに、おれもこっちの香りが好きかも」
「ほんと? ……そっかぁ」
少し切なげな表情で笑った。……なんとなく彼に相応しくないそれに、ユースティは少し複雑そうに目を細める。
しばらくしないうちに部屋の扉がノックされ、今度は背の高く、黒い毛並みのピスィカがお盆で食事を持ってきた。
「いらっしゃいソルや。気が利かなくてすまなかった。友人さんも今日は疲れただろう、遠慮せずいっぱい食べてくれ」
嗅覚に直接届いてくるスパイスの香り。柔らかく暖かいパンとお皿に注がれている、たくさんの野菜が入ったルー……ユースティのいた空の国でも馴染み深い料理、カレーだった。
「わー! カレーだ、ありがとう!」
「いつも迷惑をかけてごめんなさい、スィームさん。俺からも、ありがとう」
「ふぉっふぉっ。そんなこと気にするな、ごゆっくり」
スィームと呼ばれた彼がにこやかな笑顔を見せ、部屋の扉を閉めたことを確認すると、少年は明るい笑顔を再び濁らせた。
「……ソルリア?」
「二人は本当に、いつも優しくしてくれるんだ。だけど俺、ただでさえ何も出来ないしさ。皆が呆れ返ってるんだから、二人も本心では面倒に思ってたりだとか、嫌われてるんじゃないかとか……考えちゃったりして……」
「そうかな。少なくとも今の二人は、君を嘲笑ったりするようには見えないよ?」
「うん。でもやっぱり、……」
「なんだ。魔法を使えないこと、君が一番気にしてるじゃないか」
人間の言葉に少年は一度虚ろに頷いて──それを否定するようにすぐに首を横に振ってしまう。ユースティはもう少し進んで訊ねてみることにした。
「お兄さんにも原因がわからないか、聞いてみたかい?」
「わからないんだって。兄貴でもわからないなら俺には無理だったんだって思うしかない。何度試したって変わらなかったし……
あー、ごめん。暗い話は終わりっ。せっかくのカレーだし、いっぱい食べて明日に備えてもう寝ようっ」
少年はそれ以降なにも言わず、カレーに向き合うと手を合わせて目をつむる。それがいただきますの合図だ。郷に入っては郷に従え。人間は一度追及をやめて同じような動作をし、手で千切ったパンの一切れですくい、食べはじめる。……静かに味わう口が、ふと止まった。
「え。なにこれめっちゃおいしい」
そのお皿は、気づけば空っぽになっていて。
「え、もう食べおわったのユースティっ」
「うん、そうみたいだ。ごめんなさいスィームさん、アイシャさん! おかわりくださーい!」
その後も、ユースティはカレーのおかわりを満足するまでいただいて、ベッドの上で心地よい睡眠を謳歌することになる。自分から話題をそらした当人のソルリアでさえ、その変わりように拍子抜けしたことは言うまでもない。
「まぁそれぐらいでいいけど……。
いや、ちょっとムカっとするな……?」