第55修 しらゆり
「おーいユース、どっかに隠れてるのかー?」
小屋の中を見回しながら、とたとたと歩くソルリア。
「ここか?」
ぴょこんと飛んで、ベッドの下を滑り込み見る。
「こんなところかっ?」
はたまた、タンスの裏までのぞいて。
「なーんて……はあ。むしろこっちに居たらびっくりするけど」
ため息をつくと幸せが逃げてしまうよ、と兄に言われたことを思い出し、慌てて吐いたものを吸い込んだ。
「ったく、あんなことがあったのにまだ飛び出すのかよあいつ。危機感ないし不注意で滑り落ちるし、それなのにこんな夜中にどっかでていくなんて。
ウォロスに来てから生き急ぎすぎだろっ」
ソルリアはささやかな、しかし彼が確かに感じていた不服を吐き出せるだけ吐き出していく。……ウォロスに来てから? 自分の発言に疑問を抱き今までを思い返す。
そもそも人間は遥か空から生身で飛び降りたという。それに師匠の発明品があったとはいえ、魔法を使える複数の狼男が居るところに単身で割り込んできた。
「わりと最初からか」
__はは、君をおいて死ぬわけにはいかないよ__シャンデリアが落下したあの時、ソルリアに告げられた言葉。そこに偽りは感じられなかったが、どうしても初めて出会った直後に感じた儚い印象が思い起こされる。
「成り行きで俺や兄貴を助けてくれたけど、あいつも一人の人間、なんだよな。……こうしてるうちに、また変なことに巻き込まれてたりして」
人間の食いしんぼうが夜中に息を吹き返し、一人でこっそり労いの場にでも行ったということであってくれ。ソルリアは祈りつつ小屋を出た。
少し冷たく、からりとした空気。偽りの夜空に浮かぶ虧月に照らされて歩く。紅い落葉に彩られた道が石畳へと変わる頃、目を凝らせば揺らめく魂の微かな気配。訪れたいという気にはなれど、未だに足を運んでいない建物たち。そしてショーウィンドウに佇む一本のバラをモチーフにしたオルゴールにも再び出会い。一人の人間を探して、ソルリアは歩き続ける。
「…………あれ」
ふと気付いた時には、足元さえも上手く見えない真っ暗な道にいた。
「ここって」
労いのお店からの帰りにこの暗い道を歩き、ユースティと共に蝙蝠の形の魔物と戦闘した後。絡繰り仕掛けの、不思議な場所へと出ることになる。改めて思い出したソルリアに、次々と抜け落ちていた記憶が浮かび上がってくる。
「あのスライムと、案山子の二人。ノルムとラルムの声を真似して、俺たちにもう来ちゃ駄目だって言ってたよな。
どうしよう、行きたくて来た、わけじゃないけど……」
呟きながらきょろきょろしたソルリアの頭上に、影が落ちる。
「!」
「見られて、しまいましたわね」
見上げれば傘のように広がった、空の紫を透かす透明な膜が、スカートの揺らめきのごとく動きながら降りてきていた。その膜から伸びる人の上半身。美しくたなびく紫のツインテール。言葉の通り青味がかった肌に、艶めかしい唇。
「こんな夜には、何が起こるかわかりませんのよ、ソルリア。子どもが一人で出歩いてはいけませんわ」
見た目は少し違えど、その声と仕草ですぐにわかる。
「……プセマ?」
「ふふ。正解ですわ」
そう告げた彼女の薄い膜はたちまち変化し、下半身は鱗のついた魚の尾となっていく。泳ぐようにしてソルリアの目線と揃うように自分の位置を合わせ、吐息が当たる距離まで近付いた。
人魚の端正な顔が目の前に広がる。いつものソルリアなら飛び退いてでも慌てそうなものだった。しかし今は照れよりも、プセマの姿や様子への違和感が勝っていて。
「俺、旅に出ることを兄貴に許してもらえたんだ、立派な大人だから、心配はいらないよ」
「そうですの?」
真っ直ぐ見つめるソルリアに、プセマは一度儚げに笑った気がした。しかしすぐに彼女の細い腕が両肩に添えられる。
「なら……オトナが出来ること、他にもご存知?」
「え……」
「せっかくの夜ですもの。わたくしと踊りませんか、ソルリア。
わたくし、あなたなら____」
大きな青の瞳に、いつもよりも少し鈍くなった金色の瞳がかち合う。……ソルリアを映しているのかさえ定かではないその瞳孔に、底知れぬ恐怖を感じた──彼女が、彼女でないような感覚。このままここにいれば、自分が何かを奪われてしまうような危機感。
「や、」
恐怖に似た寒気に駆り出されるように彼女を押しのけ、肩に置かれた手が離れる。
「ふふ、どうしました、ソルリア?」
「っ……おねがい、やめて」
明確に拒否を示したソルリア。プセマは特に驚いた様子もなく、すぐにいつもと同じようにふわりと笑った。
「安心してくださいまし、嘘ですわ」
それと同時に空気が緩み、少年から安堵の息が漏れる。しかしプセマの様子にそれ以上触れてはいけないような気がして、話を切り替えた。
「俺、ユースティを探してるんだ。しらない?」
「ユースティさん、ですか。先程帰っていくところを見たような。……少なくともこちらではなく、あちらですわ」
彼女が指先で示した方向には、ネオンがより強く輝く道がある。それに背を向けて前に進もうものならばおそらく、あの不思議な場所……歯車がある場所へと出てしまうのだろう。
「そっか。ありがとうプセマさん! ……あっ」
「ふふ。まだ呼び捨てには慣れないようですわね」
「ごめんっ」
「いいんですのよ……道中、お気を付けて」
プセマの言葉に素直に頷いたソルリアは、踵を返して歩き出す……その時。何者かに声をかけられたような気がした。
「……?」
声のままにネオンの輝く場所へ行けば、元のウォロスへとたどり着いていた。改めて振り返ってももうあの暗い道はなく、人魚の姿をしたプセマもいなかった。
ソルリアの意識は引き続き耳に入る誰かの声に奪われ、導かれるまま、小屋とは正反対の方向へと歩いて行く。前に立ちはだかったのはウォロスを囲む高い壁。同じように斜路があり、登り切ると目の前に家が建っていた。
「ここって」
そこはかつてソルリア自身が、壁がないように見えると言った家。ユースティの予測通りそこには分厚い硝子が重なって張られており、二重窓となっていた。家の側面の扉は施錠されていないようで、ソルリアが押せば容易く開く。
家の中に生活感は一切なく、本棚に囲まれた中央の白い椅子には、初めに視えた何者かもいなかった。しかし椅子の足元には、拭き取りきれなかったのか強く擦られた黒い汚れがこびりついて残っていて……そこから強く訴えるような、誰かに祈るような声が聞こえてきている。
「はじめまして」
ソルリアがそう呟けば、何処からかの光に照らされて、声の主が再び浮かび上がった。硝子の正面へ向くその白い椅子に座る、黒髪の女性。かつては酷く恐ろしい顔をしているように見えたが、今は眠るように目を閉じており、聞こえる悲痛な声とは裏腹に纏う空気は酷く穏やかで。
その女性は実際にその場には居らず、触れることは出来ない。これは微かな魔素がその場に残っていて、共感しやすいといわれたソルリアだからこそ視えた幻影だ。
少年自身も直感でそれを理解したが、初めてのことに思考がついていけず突っ立っていた……その時。
「おい。ここで何してるんだ、ソルリア」
自身の名前を呼ぶその声に身構える。が、その姿を見ると脱力した。
「アルム」
隣まで歩いてきたアルムに目線と体の向きで椅子を示し、言葉を紡いだ。
「俺、ここに呼ばれた気がしたんだ。でも、何を言われてるのかまでは、わかりにくくて」
「『ごめんね、アルム。でもどうか、……どうか黒く染めないで』」
耳に手をあて、そう告げたアルム。途端にソルリアにもその声がはっきりと聞こえるようになって、驚いたように彼を見つめた。
「……って声は聞こえるけどな」
「それだっ。じゃあここに、本当に居るのかっ」
「気の所為にでもしようとしたのか? ……それにしても、一人だけの幻じゃなかった辺り、オレもまだマトモだったか」
一転して低くやるせない声を滲ませて目線を逸らし、アルムは耳にあてていた手をおろす。
「いや、幻とかじゃなくて、ほんとにちゃんと聞こえてて──」
「リリー。その呼び名が特にお気に入りだった。彼女はただ、家族の研究の手伝いをしていただけだったんだ。……こんな海の中で故郷に帰ることもなく、殺されて……」
そこまで告げた時、アルムは明るさを意識しようとして、逆に複雑になってしまった表情で続ける。
「そういえばさっき、ユースティは小屋に戻ったぜ」
「! ほんと?」
「ああ。あいつも疲れてたみたいで、先に寝たよ。
そしたら今度はお前が小屋に居なかったから、それっぽい気配を追ってここにたどり着いたんだ」
その言葉の後少し間が空いてから、不思議そうな顔をしたソルリアと向かい合った。
「あの魔法陣の紙、貸してくれるか?」
「?! まさかここを燃やすとかしたりしないよなっ」
「するわけないだろ、仮にもリリーが居るんだ」
外に出るとアルムは目的地を定めているようで、更に歩き出す。ソルリアもその背中についていき、問いかけた。
「……リリーって人が、アルムがウォロスに来た理由なのか?」
アルムの歩みは止まらなかったが、呟くように返事をする。
「それもあるし、ウォロス周りの魔法がウォルター以外の奴らの出入りを不自由にしてることも含め、今もここに居る理由でもある。
ユースティが持ってたデータベースがあるだろ? 彼女はそれに記録する情報を自分の足で集めてたんだ。オレはそんな彼女と出会って、一緒に旅をした。ノルムとラルムにも、ウォルターにも。その旅の中で出会って、仲良くやってたんだ」
「ってことは、リリーさんはユースティの師匠の、妹さん……?」
「そうなるかな。あれは丁度、ウォロスでウォルターと何回も交流があった後だ。オレが買い出しを頼まれて外に出ていて……その間に、全てが始まって、終わった」
そのまま二人は旅人の小屋を通り過ぎ、壁は坂道を登って越えて行く。アルムが立ち止まったのはかつてユースティとソルリアも座った、石が並んだ場所。そうして十字架の添えられている盛り上がった土を見たが、すぐに目を逸らすように背を向けた。
そしてソルリアに手を伸ばし、魔法陣の紙を丁寧に手に取る。自分の五歩ほど前の何もない場所を指差すと、改めて明るい声で告げた。
「よしソル坊。あの辺りにイメージして使うから、よーく見とけよ」
「っ……うん」
「『我が祈りが 全てを裁く業火とならんことを 炎獄』」
そう呟いた途端、辺りに生えている木々よりも遥かに高く大きな火柱が巻き起こる。……その後に今までソルリアがこの魔法陣を使った際に扱っていた炎の弾がようやく生まれたが、アルムが暫く操らなかったことで、それらは静かに霧散していった。
「今の火柱、その魔法陣から出たのかっ」
「ああ。これをちゃんと扱えたらかなり強いだろうが、……魔法を使えないやつに託す魔法のレベルじゃない。呪文をぼかして伝えることでわざと威力を抑えさせて、まずは実物の魔法に慣れることが出来るようにしていたんだろうな」
「それほんと?! すげー、兄貴……っ」
魔法陣の紙を返してもらい、それを見つめてソルリアは目を輝かせる。
「ま、意味を知った以上、もう威力の調整は使用者次第だがな」
「……アルム、これってもう少し魔法の回数を重ねてから教えてくれるっていってたやつじゃないのか?」
投げかけられた純粋な疑問に、アルムは微笑んだ。
「お前ならこれをどう使うべきなのか、自己判断出来るだろ? ちびっ子だけどさ」
「はぁ? ちびっ子は関係ないだろっ」
「っはは。とにかく今日はちびっ子じゃなくても寝る時間だ、早く帰って寝ろよ。明日も訓練するんだから」
「なんか腹立つけど……っ。でもそうだな、俺は帰るよ。ありがとう、アルム」
「ん!」
……不服そうにしながらも素直に家路につくソルリアを、静かに見送ったアルム。
「ほんと酷なこと言うよな」
虚ろな瞳で再び耳に手をあてると、呟いた。
「オレだってこの儚い幻を、少しの希望を。ずっと、見ていたかったんだぜ……」




