第33修 おんじん
体に伝わる、ゆらゆらと暖かな熱。……ソルリアは瞼を開く。
視界に広がったのは丸太の天井。厚めの掛け布団を持ち上げて起き上がれば、広い小屋の、いくつかあるベッドの一つに寝かされていたことがわかる。
部屋の壁の中央付近にある暖炉では薪がぱきぱきと音をたてて燃えており、隣のベッドにはユースティも寝かされていた。
二人が今着ているのは、雲のようにもこもことした、熱を内側に留めやすい素材で出来た服。元々着ていた一式は暖炉の近くにある二人がけのソファに、丁寧に畳まれて置かれていた。
川に飛び込んでからの記憶がないソルリアは、ぼんやりと両手の少し湿った黒のミトンを見つめる。
「お目覚めになったのですね、よかった」
「!」
しっとりとした丸みを帯びた声。そこで初めて、鮮やかな紫のお団子の髪の毛に、着物と羽織を着ている女性がベッドの側の椅子に座っていたことに気付く。その長い睫に飾られた金色の円い瞳に、ソルリアの大きな瞳がかち合った。
__彼女はまるで、端正な人形のようだ。
「お体に違和感などはありませんか?」
胸がきゅっと締め付けられたような感覚に、少年は思わず彼女をじっと見つめてしまう。女性はきょとんとした様子で首を傾げた。
「……もしもし?」
「あ、だ、だだだ、大丈夫。ですっ」
声をかければあからさまに体を跳ねさせた少年。そんな様子にくすりと笑みをこぼし、あるものを振袖から取り出した。
「よければお近づきの印にこれを。わたくしのお屋敷のお庭で見つけた、とても綺麗なものですわ」
その白い華奢な手から渡されたのは、魔法でコーティングし保存されている、一枚のもみぢの葉。細く分かれて広がるその紅色は見事なものだ。
しかしそれを手渡された少年の脳裏には、彼女の金の瞳と笑顔が強く脳裏に焼き付いていく。痺れと熱がじんわりと心の奥に広がる感覚。くすぐったく思いつつ、彼女へ返事をする。
「ありがとう」
そんな彼の様子を知ってか知らずか、笑顔で立ち上がる女性。彼女は幼さと大人びた雰囲気を両方持ち合わせていた。
「折角ですから、他の場所にも何か問題がないか、確認してもよろしくて?」
「お願いします……って、」
するり、ソルリアの左手のミトンを外そうとする。思わず身を任せてしまっていた少年は、ミトンを外せば自身の異形が見えてしまうことに気付き、慌てた。
「まっ、まって! 俺エントマって言う種族だから、君からしたらびっくりするかも……っ」
黒く細い二手に分かれる、人間とはかけ離れたその手。遅れながらも自分から距離を取ろうとした、その動作に重なるように穏やかな声が返ってくる。
「いいえ、素敵な形ですわよ」
ミトンから現れたその手に、彼女が驚いた様子はない。……ソルリアは言葉を失った。彼の異形を気にしない者が居ないわけではなかったが、それはあくまでも小さい頃からの自分を知っていたからこそだった。初対面で拒絶されないのは、これが初めて。
「その手、怖くないの」
「ええ、全く。それにお着替えをお手伝いした際、少し見えておりましたわ」
「ぴっ……」
問いかけに何事もないかのように答えた彼女は、手先から、肩まで。両手でしっかりと触れて様子を見る。しばらくして大丈夫そうだと頷くと、そっと元の位置に戻した。
「終わりですわ。ご協力感謝いたします」
「こ、ちらこそ。ありがとうございます……っ」
ますます赤くなった少年は、目線を惑わせつつ手をすぐにミトンへおさめた。隣のベッドからユースティの起きぬけの唸り声が聞こえると、すぐさま逃げるようにそちらを向いた。
「お、おおっ起きたか、ユースっ」
「ん……ソルリア……?」
真っ赤な顔となった彼にユースティは寝ぼけつつも、きょとんとして。隣にいた女性を見て目を見開いた。
「っそうだ! おれたち、たしか川で溺れて動けなくて……!
君が助けてくれたんだよな! ありがとう、助かったよ!」
強く前のめりな様子に、女性はたじろいだ様子を見せる。
「ええと。多分わたくしではありませんわ。お二人をお見かけしたのは、このウォロスの入口に倒れていたところでしたから」
「え、でも……。……あれ、ほんとだな……」
そう言う通り、見た記憶がある尾ひれも鱗も彼女には見当たらない。不思議そうにしたユースティに、女性も首を傾げて悩んだように見せた。
「恐らくあなた方も、歪みでここ……ウォロスへと転送されて来たのではないでしょうか。
かつては迷い込む方も沢山いらっしゃいましたから」
「かつてってことは、今は違うのかい?」
「ええ。ここに望まない形でいらっしゃる旅の方は、最近はめっぽう減りましたわ。一時はこの小屋が常に埋まる位にはいらっしゃいましたが……」
広々とした小屋の空間を埋めていたという旅の者達を、彼女は手振りで表現しようとして__やんわり姿勢を正し、話し出す。
「すみません。先にご挨拶でしたわね。……わたくしはプセマといいます」
「おれはカルディアのユースティ。研修中の探求者さ。よろしく!」
ヴァリータの時のように跪くことは出来ないものの、同じように気取った挨拶をしようとしたユースティ。
「俺はエントマのソルリアですっ」
なんとソルリアが二人の間に咄嗟に転がり込むことで遮り、自己紹介も済ませた。ユースティはソルリアの突発的な行動に驚いたが、その場は何も言わずに留まる。
「ユースティさんと、ソルリアさん。素敵な名前ですわね」
プセマと名乗った女性はそんな二人のやり取りに微笑みつつ立ち上がり、役目は終えたと言わんばかりに小屋の玄関へと歩いていく。
「こちらの小屋は滞在中、是非ご自由にお使いくださいませ。もし町中でお会いしましたら、声をかけてくださると嬉しいですわ」
そうして一礼すると、靴箱にあった物を履き、扉を開いて出ていった。ぼんやりと見とれながらその姿を見送ったソルリアを、ユースティが覗き込む。
「ソルリア、何か様子が変だぞ?」
「っえ、な、なにもないよっ」
目線を逸らし、また顔を赤くする。わかりやすいソルリアの様子に、ユースティは微笑みつつも何も言わなかった。そのまま辺りを見回すと、呟くように告げる。
「……それにしても不思議なこともあるんだね」
「不思議……?」
「彼女、ここがウォロスって言ってただろ。その名前はブラックボードくんでも出て来るんだけどさ。
……ってそうだ、おれたちの荷物、大丈夫かな?」
同時に二人は顔を見合わせ、荷物の安否確認をすることにした。布団から抜け出してソファに置かれた自分たちの服の方へ向かい、素足がフローリングに引っ付いては離れる。ソルリアはそれに気が付くと、わざと足踏みしてぺたぺたと足音を立てた。
「わ……あはは、なんか楽しい」
「フッブは家の中でも靴だったもんね」
荷物は無事だったようだ。ユースティは早速ブラックボードくんを起動し、覗き込んでくるソルリアに見せながら画面を指でなぞる。ウォロスという言葉を検索にかければ、一つのデータが出てきた。しかしそれに関しての画像はなく、たったの四文字で解説は終わっている。
「“泡沫夢幻”って……それだけ?」
「うん。……ブラックボードくんの分析データって、おれの師匠が仕組みを作ってから、師匠の妹さんが中身を積んで作られたらしいんだ。
名前の登録がある上で情報が無いページって、俺が見た中でここしかないんだよ」
そういってユースティはソルリアの故郷である国、フッブのページを見せる。砂漠の気候や結界のこと、特産品や魔素の池のこと……さすがに池の色が黒いことまでは書かれていないが、一冊の観光書並みには詳しく記されていた。
「本来ならこんな風に登録されてるんだ。もしかしたらウォロスの調査は、十分に出来てなかったのかもな」
「いきなりそんな所に来ちゃったのか俺たち」
「是非とも沢山冒険したいね、ソルリア!」
興味津々といった声色の人間に、少年は怖さ半分、興味半分。おそるおそる頷いた。




