第32修 あざむき
フッブの国で出会い、新たに外の世界へと旅に出た人間ユースティと、少年ソルリアの二人。
彼らが“歪み”という、ワープホールのような存在のそれを使って移動した先はゴツゴツとした青い岩で構成された、天井も高く広い洞窟の中だった。
薄暗く冷えたその景色の中で、周囲に映える茸の胞子が発するほんわりとした光が光源となり、幻想的な空間を演出している。……ユースティは目を輝かせながら腕に抱えていたソルリアを降ろすと裸足の砂を軽く払い、靴を履きなおす。そうして自分のケープの内側を確認するように手で探った。
「……よし、じゃあまずは荷物確認からだな!」
「ここで?!」
通常なら旅に出る前に行うべきである行為を始めようとする相方に驚きの声を抑えられなかったソルリア。その声は静かな洞窟内に大きく響き、すぐに口を抑えて辺りを見回す。
幸い魔物の気配もなく、声によって何かが来るようなこともなかった。
「……今更すぎるだろ、ユース」
「何を準備したらいいかわからないまま今日をむかえちゃったんだよ。マーケからもらったミミゴロシと退魔の薬、コッペリウスの発明品と……さっきエトワールにもらった筆記用具とか、それぐらいでさ」
実際にケープから出して確認していく中、ユースティの手首にはフッブの学校で貰った、名札がわりのブレスレットもある。……ほとんどが現地調達したものだ。それを聞いたソルリアは驚きを通り越して呆れた声をあげる。
「お前嘘だろ、準備の時間がなかったわけじゃないのに」
「はは、だからソルリアは何を持ってきたのかな、と」
「俺達自分で魔法さえ使えないんだぞ。外には危険な魔物もいるし、歪みに入った以上ここがどこかもすぐにわからない。何かあったら笑い事じゃすまないんだぞっ」
肝心なところで無計画というか、行き当たりばったり。そんなユースティを、ソルリアはわかっていたような、わかっていなかったような心持ちで嘆く。しかし出発してしまったものは仕方ない。そのまま上着をめくり、腰につけた茶色いウエストポーチを回しつつ収納部分の留め具を外す。人間の前では隠す必要のない、彼の六本ある複数の腕が、器用に動いていった。
「俺が持ってきたのは、最低限使えるもの。緊急食料のデーツの袋。ボトル入りの水、救急セット、兄貴にお願いしてもらった炎の魔法陣の紙とか!」
「炎の魔法陣?! すごいじゃないか、いつの間に!」
「ちゃんと呪文もおしえてもらってきたよ。これを使うと火球を出せて、それを俺が操って使うんだってさ。
後はお前の師匠の発明品の一つ、データベースのやつな!」
「ブラックボードくんだね!」
「そうそうブラックなんちゃら……じゃなくてだな」
一通りしっかりと見せてからポーチへと仕舞うと、頬を膨らませてしっかりと苦言を呈する。
「食料とかは大食いなお前の分もちょっとは考えて入れて来たけど。お前がこんなに無計画なら、もっとでかいリュックでも持って来たらよかったなっ?」
「ごめんって!」
「許さないっ。あーあ、見送りもしてもらったのに、すぐフッブに帰ることになったら、かっこ悪いどころじゃないぞ。それにまだお土産もできてないのになーっ」
「ごめん……」
そうして拗ねるように先を歩いて行くソルリア。ユースティは申し訳なさそうに早足で追いついて、二人で洞窟を歩いて行く。
「あー。いざお前と二人だけでってなるとこれから不安だなーっ」
「で、でも、おれは君との旅が良いものになるって信じてるぜ!」
相変わらず肯定的なのは良いことだが、その肯定がきちんと裏付けされた状態であることも必要なのだ。少年は人間の存在を認識しつつも、洞窟の先を見つめて歩く。
「信じてるとかそういうのは、安全が保証されてからの話で……。……ん?」
ふと会話を止め、目を瞬かせる。
「ソルリア?」
「おしえて、研修生。あの先にあるのは、森ってやつ?」
ソルリアがそう判別できた理由は、歩く先に葉の生い茂った木々の集まりと草むらのようなものが見えたためだった。ユースティもその場所をみるが、全て周りの岩肌と同じような青一色。形は森そのものだが、色に違和感を覚える。
「森が洞窟の中に……しかも、青い?」
その光景に目を奪われるまま、木の一本に触れる。するとユースティは驚いた顔をして他へもどんどんと触れていく。……なんとそれらは、この洞窟内の岩肌と同じように角ばって固く、冷えた感触を返してきていたのだ。
「なにこれ、岩でできた木の森なんて初めてだ!」
そうして触れるうちに、とある1本の木が違う質感を返してきた。ざらざらした表面、中が詰まってしっとりとした心地。一般的な木の触感にはこちらの方が近く、音もしないが──
「しかもこれに至っては、呼吸してるぜ!」
「えっ」
ソルリアもユースティを追いかけながら同じように森を確かめていたが、その言葉に一本の木へと駆け寄った。するとそれは途端にざわざわと揺れ始める。
「うわぁあ動いたっ」
「下がってソルリア!」
驚いて跳び跳ねるソルリアを咄嗟に庇うユースティ。そんな二人をよそに、細長い一本の蔦が上からゆっくりと伸びてきた。
それはその木の葉に紛れていたらしい、みずみずしく丸い赤い実を1つ、ユースティへと見せてきた。
「「……?」」
二人とも呆気にとられたが、ソルリアはそれを見つめると、言葉をこぼす。
「……ユースに、どうぞだって」
ユースティは目を瞬かせ、ソルリアを見る。
「そう喋ってるのかい?」
「何だろう、そんな気がした」
植物……かは曖昧だが、木との会話など初めてだ。困惑のまま顔を合わせる二人を、蔦は静かに待っている。しばらくの沈黙を破ったのはユースティだった。そのまま一口で食べられる大きさの果実を受け取る。
「まぁ、折角だしもらおうかな」
「えっ大丈夫なのか……ってもう食べてるしっ」
ソルリアが引き止める前に口に入れ、好奇心のままといった表情で咀嚼していたその顔が、途端にとろける。
「甘くて美味しい! もしかしておれがお腹空いてること、知っててこれをくれたのかい、すごいな!」
ユースティの言葉に謙遜をするかのように、触手はぶんぶんと揺れつつ元の位置に戻って行く。それは二人の好奇心をかきたて、緊張を解くには丁度良い出来事だった。少年も目を輝かせると人間の服の裾を引っ張る。
「ユース、もっと先に行こっ」
「うん、勿論さ!」
真っ直ぐ細く伸びる草のような岩。それだけでなく、自然物なのか疑うほど白く綺麗に象られたレース柄を模した岩が、岩の森を彩っている。奥に歩いて行くほど洞窟の天井は高くなり、呼吸をしている木の数も増えていった。
高揚する二人の息づかいが鮮明に聞こえる。近くに水場があるらしく、足音が湿ってきた頃。今度はより大きく重なった音で、木がざわざわと揺れる。
「わわっっ」
突然のことにまた驚いてしまったソルリアに、その木の揺れはピタリと止まる。辺りを見回すが、そこからの進展はない。
「びっっくりしたぁ……もしかして、今度は皆で驚かしてきたのかな」
すっかり顔見知りのような気分で彼らのうちの一本に近付き、くすくすと笑う。
ユースティはふと、その背後に先程の蔦が忍び寄っていることに気付く。それは彼をめがけて、大きく振り上げられて──
「待って……ソルリア、危ないっ!」
「え」
ベチンッ。鞭のように下ろされたそれは、ユースティがソルリアに飛び込んで転がることによって避けることができた。抱きしめたまま他の木に背中からぶつかる。痛みはあるが、衝撃が吸収された感覚がした。
「っ……てて……」
「待って……ユース、こっちも生きてる……っ」
「っ嘘、」
間を置かず上から飛んできた何かを、再び転がって避ける。その一つがユースティの目の前に突き刺さった。
……青色の葉。
しかしそれは鋭い刃物のように岩肌を裂き、深く突き刺さる。硬さは普通の葉とは比べ物にならず、場所が悪ければ致命傷になりかねない。ソルリアの焦りを滲ませた声が続く。
「次は前からくるぞっ」
間を置くことなく、葉があちこちから放たれて来る。避けると同時に地に片手をつき体を斜めに起こして、ユースティは走り出す。
「な、なにっ。おれ、なにかしちゃったかなっ?!」
ソルリアは背後へ向いてその肩から顔を出し、耳をすませた。彼には変わらず、声が聞こえているようだ。
「効いてない、折角の餌なのに……とか、聞こえる。とにかく逃げないとっ」
「わかった、歩いて来たのは確かこっちだけど……!」
来た道を走ろうとするが、かつてそこには居なかった筈の木が立ち塞がっていた。間に細い隙間はあれど、そこを通るために減速すれば恐らく狙い撃ちをされてしまう。
「……集団で協力してるな。面白い生態だね!」
「全く面白くないよっ」
ユースティは冷や汗と共に笑みを浮かべつつ方向転換し、咄嗟に飛んで来る葉の方向を調節する。一方ソルリアは黒いタブレット改めブラックボードくんを取り出し、分析をするためにカメラに収めた。しばらくの読み込みの後、何度も見た生きた青い木の写真──幹の場所に大きな口とギザ歯がついている異質な生物が出る。
「カクレヤテベオ。得物を仕留めるため、群れで岩を自分達に似せて加工し、まるで森のような狩り場を作る……肉食の魔物だってっ」
「あー……おれの勉強不足だ。自分から危険な場所に足を踏み入れたってことか」
──ヤテベオたちの狩り場はかなり広かった。二人が木々の形をした岩々を抜けて逃げ込んだ先には、対岸に泳ぎきることも難しいであろう、幅が大きい川。
せめて川に沿って走ろうとするが、伸びて来たいくつもの蔦でどちらも塞がれてしまった。逃げ道が絶たれていくうちに、重いものが移動するような、鈍く響く音が近付いて来る。
「ゆ……ユース、兄貴の魔法陣、使う時かなっ」
「ううん。ヤテベオが燃えるかもわからない上に、きっとキリがない。見て」
二人で改めて走って来た方向に向き直れば、森を形作っている葉が一斉に動く。カクレヤテベオの大群が自分達を狙っているのだ。もし彼らが一斉に葉を飛ばしでもして来たら、到底勝ち目はない。
「ぴっ」
「__逃げ場は、この川しかないかな」
早々にユースティが川に飛び込む準備を始める中、ソルリアは不安げな声をあげる。
「俺泳げる自信ないよ、発明品とかも大丈夫なのかっ」
「おれも自信ないな。だけど師匠の発明品はそこまで脆くないさ!」
「川の中にも魔物がいたらどうするんだっ」
「その時は川の中で逃げ続けるしかないね!」
「そんなの無茶、うわっ」
鋭い葉が飛びかい、新たな蔦も勢いよく伸ばされて来る。腕の中のソルリアを守りつつ避けたユースティだが、ケープの一部が引っ掛かって破れた。
「確かに無茶だ! けど、捕まるのも時間の問題だよ、どうする!」
舞う布切れ。次第に追撃も増えていき、無事で避けきるにはかなり厳しい。ソルリアは覚悟を決めて叫んだ。
「わかった、わかったからっ。川に飛び込んでっユースっ」
「……ありがと!」
ユースティはその声に頷き、ソルリアと共にその川に飛び込む。……幸い水中には異変も脅威も見当たらない。一つ大きな問題を挙げるとすれば、その流れの速さだった。
たちまち体を強く引っ張られ、二人は引き離される。そのまま進む先は滝だが、流れる先が見えるため高度はない。確認した後ユースティは一度水面へ浮き上がると、ばたばたしつつも同じように浮いたソルリアへと声をかける。
「っぷは、……ソルリア、ここは流れに逆らうほど、苦しくなる! たとえ深くまで沈んでも、流れに体を任せきるんだ!」
「や、ってみるっ」
二人で息を吸い、それぞれが潜る。流れのまま滝を落下し大きな水の力に振り回されつつも、先へと進むことができた。真下に沈み、そこから下流へと流れていく。
……水の叩きつけられる音と流れの速さが緩んだあたりで、ユースティはソルリアの方に向かって泳ごうとした。
しかし、体が上手く動かない。
「……?!」
服の重みとは別の何か、どこかへと引き込まれるような力が感じられる。再び水面へ上がることが出来ず、徐々に酸素を失い焦りだけが募っていく。
ユースティの目線の先には、同じように上手く動けず苦しそうなソルリアの姿。その口からは白い泡が立ち上ぼっていった。
「ガボッ……」
なんとか腕を伸ばそうとしても、届きはしない。全身が冷え、痛み、凍りついてしまいそうな水の中で……白い泡を子守唄にして溶けていく意識。
その時ふと、水面を通る微かな光を背にして真っ直ぐ泳いで来る何かの影が見えた。
長い紫色の髪、白い肌。人の顔と上半身に、一本の尾ひれの下半身。生え揃った鱗が、光を反射して輝いていた──御伽話に出てくる、人魚を思わせるその姿。
脱力したソルリアの体に辿り着くと、抱えるように支えていて……ユースティはそれをなんとか見届けたが、直後に意識を手放してしまった。




