第25修 喪失と対話
詰めが甘い、そんな言葉で済む状況ではない。眩暈さえ感じる憂鬱に俯き、暫く動けないでいた。しかし何を言うでもなく、ユースティは自らの両頬を手のひらで叩き顔を上げる。
──初めて執務室の覗き穴を覗いた時。奥の部屋から戻って来たエトワールは、明らかにまともな行動が出来ていなかった。……後日覗き穴のことも覚えていなかった辺り、記憶にも多少影響が出ていると考えられる。これは今まで怪物化した者たちとは明らかに異質だ。そこをまず突き止めるべきだろう。
「記憶と意識の混濁に、幻覚症状」
故郷の空の国でも、似た症状を引き起こすものがある。頭を鈍らせて心地よくなれる代わりに、効果の切れ目とともに次の摂取への激しい欲求が襲い来るような劇薬。
「……」
ユースティは何者かの支配から解放されて倒れたショウと、まだひくひくと痙攣し笑い続けているエトワールの体を一度壁に寄りかからせるようにして。……執務室の机後方にある部屋、エトワールが寝泊まりしていた休憩室へと入る。
お香のシェードが乗ったラウンドテーブルと、ベッドがある。ベッド横にある引き棚を一つずつみていけば……隠すようにしまわれた一枚の写真が見つかった。
さらさらの髪をお揃いの三角ピンで留めた男女の子どもたちと、すらりとした黒髪のエントマの父親、ふわりとした赤茶の髪を持った母親──……少し端が焦げた痕がある、家族写真。子どもの一人は恐らくエトワールだ。そうなると、この女の子は? ソルリアはまだ、産まれていないのだろうか。
……これは今探しているものではない。そう判断し写真を元に戻すユースティ。改めて捜索を始めようとした時、静かに歩いて来たソルリアが問いかける。
「ユース、何を探してるの」
「エトワールの症状の元凶を探してる。大分幅広いんだけど、主に錠剤や粉、注射器とかがないかなって」
「探すってことは、予想はついてるんだよな」
声の調子を変えないまま、追及してくるソルリア。その声に軽く圧がかかったのを感じ、ユースティは思わず探す手を止めて振り返る。
「……すごく言いづらい話なんだ」
「それでもいい。おしえて、研修生」
そのソルリアの目からはなにも読み取れない。ユースティはその様子を直視出来ず、そのまま捜索を再開した。
「あの症状は、そういう 薬 だと思ったんだ。空の国でもそれが問題視されててね。依存性と副作用がすごくて、一度摂取してしまうともう後戻り出来ない。エトワールの様子がそうした症状に似ていて──」
「……マーダ……だって」
「え?」
ソルリアは話を遮って、再び振り返ったユースティの目を見てはっきりと告げる。
「Mada。正式名称が、Magical damnation」
「…………それ、……どうして」
隠せなかったユースティの動揺を確認すると、ソルリアは自嘲するように乾いた笑みを溢し、俯いた。
「シェードの中身、見てよ」
「……わ、かった」
言われるままにシェードを開けたユースティが目にしたのは、あの白いフードの売り子がアイシャにも売っていたお香と同じ黒い塊。使うために燃やせばお香としての役目を果たしそのまま溶けていくが、これはそういった用途で使用された形跡は見当たらない。……代わりに、半分に割られていることがわかる。
「魔素の池と最近流行りの……そのお香の成分を調べてみたんだ」
ソルリアはユースティから借りていたブラックボードくんを取り出し、結果の画面を見せる。
「どっちも似た結果が出ただけじゃなくて、お香の方はMadaってやつと同じ成分も含まれてるんだって」
「なっ……」
「フッブのヒトたちに違和感を持たせないまま魔素を過剰摂取させるなら、お香の形をとるのが一番都合がよかった。
多分中毒性はそのままで、兄貴みたいに直接飲めば、他の作用も引き起こす。このお香は、既存のMadaにお香の成分と魔素を混ぜこんで作られた物なんだ」
ユースティの表情が、段々と強張っていく。
「……突然国中で流行りだしたお香が、怪物化の原因だった……?」
「あの蛇も、わざと自分のせいだって名乗り出たんだ。お香の売り子と共謀してることを隠し通して、確実にフッブを無茶苦茶にするために……」
「それだと、エトワールは? 彼はどうしてこれを飲むことに?」
「『嫌なことを全部忘れて、リラックス出来る薬にもなる』」
「!」
「あの白いフードの商人が、兄貴だけに言ってた謳い文句なんだよ」
対して心此処にあらずといったような表情のソルリアの口は、過去を紡ぎだす。
「兄貴はそれから、隠れてこれを飲み込むようになった。そしたらさっきみたいな変な笑い方して、床をのたうち回る。暫くして落ち着いたら数日経たずに見えない何かに怯えるようになって、苦しそうにして。
それをまた、忘れるために飲み込んで──その繰り返しだった。あんなのが、体に害がない訳……」
そこまで言い切れず唇を噛むソルリア。ユースティがようやく絞り出した声も、酷く頼りないものだった。
「ソルリア、どうしてそれを」
「ごめん、ユースティ、……」
「ちがう。謝ってほしい訳じゃないんだ」
「ごめんなさい」
「お願いソルリア、どうか聞かせて。
前からお香がなんとなく、危ないものだってわかってたんだよな」
「……うん」
「分析した結果を知った後も。それをおれたちに言えなかったのは、どうして」
ソルリアはそう聞かれると、ぴくりと反応する。……動く口が言葉を探しながら、ゆっくりと音を紡いでいく。
「今までは、言えなかった。確証もなかったし、俺は劣等生だし、まず信じてもらえなかった。アイシャさんには何度もやめてみてって言ったり俺が苦手だって言ってみたけど、……部屋をわけられちゃっただけだった……」
奥底へ沈めていたものを掻き出し始めるようにそう告げると、何かのたがが外れてしまったように虚ろな目で続けていく。
「わかった後はどうして、なんだろう。……そうだよ。今までだって何か他のことが出来たかもしれないけど、それ以上、俺はなにもしなかった。
きっとあの蛇が言うことはもっともだったんだ。心の奥底で兄貴の破滅も願ってた。そしたらこの国だって、俺はどうでもよかったんだ。だから言わなかった。だからこうやって、今までなにもしなかったんだ」
「……それは、」
「でも、でもな。兄貴はそれを飲んだ時、それを口にした時だけ、心地よさそうな、ぼーっとした目……幸せそうな、苦しみから解放されたかのような顔で笑ってたんだ。皆もあの香りが本当に好きだって言ってた。いい香りだって。だから、だからさ。
……スィームさんや、他の人がいなくなる理由がこれだなんて。兄貴も、この国も、あの塊一つのせいでこんなことになってしまうだなんて……
思えなかった。わかっても、考えたくなかった……」
自分のせいで防げなかったといってもいい、今のフッブの異常事態。そんな状況で助けを自分から呼べるほど彼はまだ強くなかった。小さな体が人間に縋るように寄せられる。
「こんなの言い訳だ。今さらわかっても、止めようなんて思っても、おそいんだ。おそかった。俺がみんなを殺したも同然だ。
今だって良くわからない魔物が入って来て、国をめちゃくちゃにしてるのに。魔法も使えない俺じゃなんにも出来ない、ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。もう手遅れなのに、こうやってお前にやっと話せて、すごく安心してる俺がいて最低だ、馬鹿だ。どうしようもないのに、もうなにも出来ないのにっ」
「ソルリア」
静かに、しかしはっきりと呼び掛けるその声。自らを腕で絞めるように抱き震えていたソルリアの体が止まる。呼吸もろくに出来ていなかったようで、直後に荒い息をつきだした。
人間は少年の息がある程度整うまで待ってから、しゃがんで彼と目線をあわせる。
「確かに君は馬鹿だったかもしれない。けど反省は後だ。今はこれ以上、犠牲を出さないようにするのが先じゃないかい」
「っ……ゆー、す」
そうすると少年はぐちゃぐちゃになった顔を上げる。
「そんなこと、出来るの……?」
「出来るさ。なんたって君のとなりには研修中の探求者、ユースティがいるんだぜ?」
「……っ」
「ほら、心強いだろ!」
……ここから、どうやって皆を救うことが出来るのか。たとえ不可能に思えても、諦めなければ必ずいい方向に転ぶ。ユースティはそんな精神論を、前向きな言葉を信じていたかった。
そうして自信たっぷりな笑顔を見せた人間に、少年の目にも微かに光が宿る。
「……うん、……おまえが、いるなら……」
少し鼻にかかった声で、しかし彼ははっきりと応える。
「俺ひとりじゃなにも出来ない。お願い……手伝って、ユースっ」
「勿論さ!
君は、ひとりじゃない!」




