第20修 万能長様、ついに休む
──……次の日の朝、まだ日差しが優しい時間帯。家の玄関で首をかしげるヴァリータと、その前でぷるぷると震えるソルリア。
「あ、……あのね、協力してほしいことがあって来たんだ、ヴァリータさん」
「なあに?」
「今から一緒に、役所に行こう」
この会話を聞いた者は、恐らく何か他の勘違いをしてしまうのではないだろうか。ユースティはそう思いつつ横から口を開く。
「ソルリア。何をするのかとか、説明がないと」
「あっ。兄貴がいつも急がしそうだから仕事を……相談所とかをまず三人で見学して、代理が出来そうなら代わって休ませてあげたいんだっ」
「ふふ、そういうことね」
ヴァリータはくすりと微笑むとソルリアが逃げる前に抱き上げる。
「ぴ?! あぁああ……~」
「良いわよ。ワタシもエトワールにたまには休んで貰いたいって思ってる。けどワタシやソル君だけじゃ、嫌だって押しきられちゃうのよね。
研修生も加わって三人いるなら、とっても頼もしいわ!」
ヴァリータはユースティにも向くと、すっかり腕の中でのぼせあがったソルリアをそのままに、ウインクをした。
「よっ、美人さん! 昨日は最高だったよ!」
「ふふ、ありがとう。これからももっと頑張って最高を更新し続けるから、また観に来てね!」
三人で相変わらず賑やかな朝の大通りを歩く。ヴァリータは昨日のパフォーマンスのこともあり、そこら中から声をかけられている。彼女は謙虚に対応しつつ、ユースティに話を続けた。
「ねぇ、研修生。彼は正面からいっても普通には仕事を見せてくれないわよ。『あの、別に大丈夫ですから!』『個人情報にかかわりますから出て行ってください!』とかいって、追い出してくるの!」
話し方までエトワールそっくりに真似てみせるヴァリータに、ユースティは得意気に告げてみせる。
「大丈夫さ。実は昨日、いい覗き穴を見つけたんだ」
「覗き穴?」
「ほらここ、よく見てくれ!」
そうして人通りから離れて小道に入り、役所である建物の壁に空いた小さな穴を指差す。一度本人に見つかったので心配していたが、幸いにも穴は閉じられていなかったようだ。……ソルリアが一度覗いて確かめると、振り返る。
「すごいなユース、こんなの見つけられるなんて。これならいつもの兄貴が見られるわけだ」
「静かに覗かなきゃばれちゃうけどな」
そうして三人揃ってこそこそと、その穴から執務室を覗き込んで仕事を見守ることになる。
「俺も仕事中に入ったことは何度もあるけど、わりとすぐ出されてたからなぁ……」
「まだソル君は対面時間が長い方なのよ? ワタシとかになると、相談者が入って来て内容を知る前に強制退場。じいやも必要以上は居られないみたいだし。ほんとに隙を見せてくれないのよね。
たまには覗きくらい許されなきゃ」
「いーや、これは覗きじゃなくて立派な調査だよ、ヴァリータさん」
「それもそうね!」
一方エトワールといえば、先日のおかしな様子は一切ない。執務室の机に向かい、難しい顔をしながら点灯した黒い板を触っていた。
「んー……まぁ動きだしたし、一旦置いておこうかな」
そう呟きつつ黒い板の裏面から、その中身をいじっていたようだ。人間はその黒い板の形状に覚えがある上に、直近で自ら投げ捨ててしまったものであると気付く。
「あれ……おれが落としたやつだ」
「え。もしかしてユースの師匠の発明品?」
「そう!」
ユースティにソルリアが訊ねた、師匠の発明品という言葉。それにヴァリータも反応する。
「へぇ、研修生にもお師匠様がいるのね」
「うん。あれはその人が発明した道具でね。離れている人と会話出来たり、物の成分を分析したり。内部データベースで検索とかも出来る優れものなんだ!」
「名前はあったりするの?」
「ブラックボードくんだよ!」
……なんとも言えない沈黙の後、ソルリアは目を細める。
「なーんか相変わらずだなー……」
「えぇ、どういう意味さ!」
「ワタシはすきよ、そういうの。……ふふ、面白いものも見られた。高等技術のものに戸惑うエトワール!」
黒い板改めブラックボードくんを側に置き、エトワールはその場の書類に取り組みだした。しばらくしないうちに何者かが入って来て、その仕事は中断されることになる。
「長様! 助けてくださーい!」
「はい。どうしました?」
対応には慣れている様子で、筆を止めて扉の方を見るエトワール。入って来た来客はソルリアとよく似た羽を持っていたため、エントマだとわかる。なんと帽子から靴まで全身虹色のコーディネートをしており、見ていると目がちかちかしてしまいそうだ。その者は黒いサングラスをつけたまま小走りでエトワールの元へ進むと、銀色の二つのものが絡まった模型を手渡す。
「この知恵の輪が全然解けなくて困ってるんでーす!」
「わぁ、前より難易度を上げましたね? 貸してみてください」
知恵の輪。それは明らかに仕事中の国の長に対して渡すものではない。
「ちえのわ……ってなんだ?」
「絡まった複数の模型をうまく分解するパズルさ。あれはその中でもキャストデビルって言って、特に難しいとか、なんとか……」
「仕事中の兄貴にパズル?! おいそこのエントマおまむぐっ」
「ソル君気持ちはわかるわ、でも抑えて!」
「む、むむむ……っ」
思わず声をあげかけたソルリアの口元を二人がかりで封じ、なんとかことなきを得る。そうした外野の騒ぎを知る筈もなく、当事者たるエトワールは真剣な顔でその二つの絡まりを触り、回し、……ふと嬉しそうに顔を上げるだろう。
「見ててください。……この二つを、こう持てばいいんです」
そういうと鎖のように互い違いの状態にしてみせる。一つを固定しながらもう一方を動かす。細いところを丁寧に通して……あっという間に分解してみせた。
「えっ?! 流石長様! ありがとうございまーす!」
「いえいえ、どういたしまして」
知恵の輪を返された来客は満足したのか、お礼を言うなりすぐに帰って行った。……余りにも平和な光景とやりとりに、思わずユースティも声に出してしまう。
「今の、彼が今ここでやる必要はないよな……」
「ここからどうなるのかしら。実は現時点で、ワタシが風の噂で聞いたことのある内容よりはマシなのだけれど」
「え?」
ユースティがヴァリータの言葉について訊ねる前に、再び扉が開く。人間の平均身長より少し大きめの鳥──直立二足歩行で、翼と同化した腕と黄色い嘴を持ったアウィスが入って来る。
「長様どうしましょう、突然足が痛くて、血が出てきて……!」
「これは……爪を伸ばしすぎです、大きく剥がれちゃってるじゃないですか! しばらくはくっつくまで固定するように、落ち着いた後は細かく爪を切るか削っておくように!」
今度はなんとか自分から口を抑えるソルリア。叫びを飲み込んでから、小声で告げる。
「兄貴は医者も兼ねてるのか? 保健室の先生か……? いや違うから……っ」
「ということは、保健室の先生っていう立場の人もちゃんといるんだね。あの学校少人数制だったし、ちょっと心配だったんだよなぁ」
「どこの心配してるんだよユース、今大事なのはそこじゃないだろっ」
次に来たのは、マントに身を包み頭にゴーグルをつけた、猫のような特徴の……アイシャと同じピスィカの来客だ。彼女は若い旅の者のようで、きょろきょろとしながら部屋に入って来た。
「初めまして。お困りですか?」
「初めまして長様、わたくしはこの国に来る際、ゴーグルを失くしてしまったようなのです。お心当たりはありませんか?」
「っははは、またまたご冗談を。……ほら、頭に触れてみてください」
「あっありましたね、すみませんっ」
その娘はてへ、と笑って見せる。対してエトワールもほんわかとした笑顔になり、和やかな空気が流れる。……のは良いことなのだが、その間彼がしなくてはいけない作業がまったく進んでいない。ヴァリータは少し眉を潜める。
「ねぇ二人とも。あの子、わざとらしくないかしら?」
「わざとらしい?」
「……いいえ、なんでもないわ」
旅の者は話が終わったというのに、しばらくその部屋に居座って。もじもじと体をくねらせて、……自分のお尻の方に手を持っていって、空気を掴む。
「そうだ長様、実はもう一つ聞いていただきたいことがあって…………わたしのこれ、嗅いでみてください!」
なんていって、その場の握りっ屁を彼の目の前に出した。
「? わかりました」
しかもエトワールも大人しくそれを嗅いでいるではないか!
「……え、なんですかこれ。いい香りですね、チョコレート?」
「でしょ、良い香りなんです! 商品化とか出来そうじゃないですか?!」
今度はヴァリータが飛び出して行きそうになり、ユースティとソルリアで抑えた。
「────……いやほんと、何を見せられてるの、ワタシたち?」
「そういやおならをいい匂いにする薬の作り方が空の国の文献にあった気がする。どこかの絵本でも、良い香りのするおならをする男がいたようないなかったような……あれ、でもあの子は女だな……」
「だから突っ込むところそこじゃないんだって、ユースっ」
ソルリアの言葉にハッとして、ユースティは深刻な顔をする。
「光景がかけ離れすぎててつい。
長ってなんだっけ。仕事ってなんだっけ。なんでエトワールはあんないい笑顔で、てきぱき対応出来るんだ。というか最後の子はおれと同じ旅してるヒトだよね? おれの時の対応と全然違うよ、あんな圧の無い笑顔見たことなかった!」
「……それもそうなんだけど。ワタシからすれば、まだ初対面そこそこで彼と喧嘩出来たっていう研修生に驚いたのよね。何か悪いことした?」
「してないぞ?!」
ヴァリータの言葉にソルリアも頷き、ふと首をかしげて呟く。
「そう、ほんとならその筈なんだよな。ただ最近になって……でもユースの時は、……うーん……」
「とにかく彼は普段はこんな風に、自分が頭から血流してても気付かず他人を優先してるのよね」
「エトワールって案外天然……?」
ヴァリータの言葉にユースティがそういった瞬間、エトワール当人がくしゅんっ、とくしゃみをする。彼は不思議そうな顔をして周囲を窺ったが、まだこちらには気付いていないようだ。ゴーグルと握りっ屁の旅の者はあと数回エトワールと言葉を交わすと、気が済んだようで普通に出て行った。
「さて、今で一段落したかな。どうだいソルリア、ヴァリータ」
「んー……いつも大変そうに皆部屋に入って来てたからさあ。兄貴しか出来ないことばっかりなのかなって思ってたのにさあ。あれぐらいなら俺にも出来るなぁって思ったっ」
「ワタシもよ。ええ、心からそう思うわ」
「よし、これは満場一致で出動だね」
丁度来客の流れが止まったため、一気に仕掛けることにした。連絡もなしに三人で揃って執務室へと入って行ったため、なにも知らないエトワールは驚くしかない。
「たのもー!」
「はーい、……って、どうしたんですか皆さんお揃いで」
「エトワール、今日は君の休日だ!」
「はあ?」
かなり鋭い声と険しい表情が、先陣をきったユースティへと向けられて。……心にかなり深く刺さったが、めげずに切り返した。
「き、君も休みを取ろうってことさ! お願い、さっきまでの依頼者たちへの優しさをおれにもくれないかな、泣いちゃうぞ!」
「いや、その今のは誰だってこうなりますって……なに、なんですか突然っ」
エトワールも指摘されるとばつが悪そうに、しかし遠慮はなく椅子ごと後ずさってユースティから距離を置く。ヴァリータもそんなユースティとエトワールの言動を見て目をぱちくりとして……何とも言えない沈黙の空気に耐えられなくなったソルリアが、説明役をかって出た。
「ええと要するに、兄貴の仕事を俺たちが代わりにするから。兄貴には一度休んでほしいってことだよっ」
「ああ、そういう」
言い直してようやく伝わったが、エトワールの表情は難しいままだ。
「でも、どうしてですか。僕は立場上、お休みだなんて取れませんよ」
「おれたちを頼って任せてくれないのかい? ほらもう泣いちゃうぞ、うわぁああん!」
ユースティの迫真の泣き真似も、彼の眉間にシワを寄せるだけに留まってしまう。
「あなたに嘘泣きされてもどうにもなりませんって、ええっと…………僕個人としては、そのご提案は嬉しいのですが……」
「「「!」」」
個人としては嬉しい。その言葉に、全員で期待の目を彼に向けた。ようやくヴァリータも当初の目的を果たすため、エトワールと机越しに向き合い、乗り出す。
「国の長だからこそヒトを使うべきよ! 今回は研修生たちも居るから、ワタシも引き下がらないんだからね!」
「その研修生さんが変になっちゃってますけどね……。どちらにせよ一日全部の仕事を任せるなんて出来ませんよ!」
「出来るわよ、あなたの方が目元とかすごく疲れてるじゃない、いつか寝込んじゃったらどうするの!」
「その時はその時です、分身でもつくって何とかします!」
「駄目よ! 休みなさい!」
「嫌です! 休めません!」
「やーすーみーなーさーいー!」
「休みませんー!!」
「……ふっ、ふふ、……」
駄々をこね合う子どものように言い合う二人。思わず迫真の泣き真似を止めて笑ってしまったユースティに、二人揃って向き直る。
「「笑うな、そこ!」」
「ははっ、ごめんなさーいっ」
息がぴったりだ。なんとしてもエトワールに休息をさせるため、ソルリアもエトワールの隣に行く。
「なあ兄貴、俺たちも兄貴に任せっきりにはしたくないんだよ。俺たちひとりじゃないしさ、ある程度なら代わりも出来ると思うんだ。駄目かな……?」
「うっ……」
弟の愛くるしさに流石のエトワールも揺れ動いたが、ハッとして首をぶんぶんと振る。
「えっとその……書類だけは! 書類だけは僕にさせてください!」
「駄目よ、今日は全部休んで!」
「嫌です!」
「どうして!」
「どうしても何も物事には順番やスケジュールを組んでいて一日抜けてしまうと状況の把握が難しくなりますよね効率が余計に悪くなって一生終わらないんですよただでさえ民や旅の方の声を聞き一日のほとんどを費やしているんですからっっ!」
と、一息で言いきられる。その気持ちもわからなくはない。しかし今のまま続けても現状の回復に至らないのは事実だろう。ヴァリータも同じ考えのようで、その上で彼の本音を逃さなかった。
「そう。相談所があなたの仕事の大半を占めているのね。実はさっきも見てたのよ。あれ、あなたじゃなくても解決出来る問題だわ」
「見てたって一体どこから?! ……っというか、確かに自覚はありますけど、あれはコミュニケーションも兼ねているんです、終わらせてしまったら僕と民、旅の方達とのつながりがっ」
「なら昨日みたいなお祭りに出た方がきっともっと大勢に触れあえるわよ! あなたは歌もうまいんだから披露してくれたっていいのに!」
「そうだぞ兄貴! いつも歌ってくれてた子守唄、すっげー心地よかったんだからな!」
「そ、そんなこと、ぅ、…………」
既にユースティが話さなくとも、幼馴染みと弟の二人がどんどん彼を圧してくれている。……流石に身内は強い。今まで追い返されていた、というヴァリータの言葉が疑わしくなるほどだった。
「まぁ最悪書類は任せてくれなくてもいいわ、エトワール。その代わりワタシたちが相談所を受け持ちます。その後で書類の対応の仕方もワタシたちに教えて。いいわね?」
「っくうぅ……
はい、…………ありがとうございます────……助かり、ます……」
なんだろう。彼の仕事を手伝いたいだけなのに、まるで大切なものを奪ったような感覚になってしまう。しかし決意を事前に三人で固めていたユースティたちに動揺は無い。
「あの、書類さえこなせばきちんと休ませていただきますが……もう一つ、いいですか」
「ん、なんだい?」
「僕に、ソルリアへ魔法を教えさせてください」
しかしその言葉を聞いた途端、ソルリアの表情が驚いたように見開かれる。……ユースティも思わず、エトワールに訊ねてしまった。
「どういうお心変わりかな?」
「驚き方が失礼ですね。でも確かに、急な心変わりです。僕は今まで彼に魔法を教えようとさえ、していませんでしたから」
どうやら聞き間違いではないらしい。ソルリアは少しおろおろとしながらも、言葉を紡ぐ。
「兄貴、ほんとに魔法を教えてくれるの? 俺でも魔法、使えるようになるってこと?」
「すぐとは言えないよ。でも僕が教えることで、何かのきっかけになることを願ってる」
真っ直ぐと告げるエトワール。それはどこか覚悟を決めたような目だった。
「僕が書類を終わらせた後──お昼以降には終わりそうなんだけど、ソルがよければすぐに、どうかな」
兄のその瞳にソルリアも頷き、ユースティとヴァリータの方を向いて話し出した。
「二人と共に相談所を手伝うこともしたいけど、お昼からは任せることになっちゃうな」
「ふふ、いいわよ。ワタシたちに任せて! ね、研修生!」
「勿論さ!」
「ありがとうヴァリータさん、ユースっ」




