第16修 油断大敵!
──……ヴァリータとユースティは、アイシャの家の扉をこんこんと叩き、声をかける。
「アイシャさんすみません、いらっしゃいますか」
そのまましばらく待ってみるが、返事はない。ひと段階音量をあげて、もう一度。
「アイシャさん、おれだよ、ユースティ!」
さらに扉を叩こうとすれば、キィ……とひとりでに開いていく。中は照明もついておらず、やけに静かだった。
「確かに、一緒に帰ってきたのに」
不安そうな踊り子の声と共に家の中へと進むが、他の誰かの気配が全くといえるほど感じられない。ただお香が焚かれている香りがする。頭がふわふわとするような、香ばしいあの香りが────
その時、後方の玄関の扉が勢いよく閉まる。
「「!」」
二人が振り向き入り口の様子を見れば、その扉に刻まれていた魔法陣が目に入る。それを認識した途端、部屋の空間がぐわりと歪んだ。
「うわ、ぁ、あ?!」
「な、なにこれっ」
たちまち居間の家具や壁が消え、瞬く間に景色が変わっていく。二人の足元もぐにゃぐにゃとし、倒れそうになる体をお互いで支え合い、揺れが収まるまで待った。
そこは一面マーブル状の禍々しい色彩のみが広がる異空間。足元が安定したと同時に、震えた声が二人を呼ぶ。
「っゆーす、りーたさ、どうしてここにっ」
「! その声、」
そこには、何かに巻きつかれるように捕まった小さな体。……ソルリアだ。
「おーおゥ、餌が増える増えるゥ」
そのまま彼を巻いているものへ視線を移せば、長い巨体に異質な頭……昨日エトワールと何かの交渉をしていた、あの蛇がいた。ユースティたちの方に向いて細長い舌を伸ばすと、下衆じみた笑い方をする。
「誰かと思えば生意気な長サマの周辺共かァ」
「あなたは、魔物?! その子を今すぐ離しなさいっ!」
ヴァリータが手を翳せば、大きな水が塊となってどこからともなく放たれる。濁流のような勢いで蛇にぶつかり、怯ませることが出来る……筈だった。
「うぉおおぉおおォー……?! ふっ、ははははは! 効くかよォ~!」
「きゃっ」
なんと蛇の鱗にあたったそれは途端に形を歪められ、威力を強めて跳ね返ってきたではないか。
咄嗟にユースティがヴァリータの方向に走り、手を引き寄せるようにして連れ、避ける。すると水はこの空間の足場にぶつかって弾け、激しい音を立てて消滅した。あれだけの威力は、人体が耐えられない。
「大丈夫かい、ヴァリータ!」
「あっ、ありがとう研修生っ……ま、まさか跳ね返ってくるなんてっ」
「うん。あの鱗、頑丈どころじゃないな」
──蛇の鱗に魔法は効かない。風船斧も試すつもりではあるが、とても勝てる相手ではなさそうだ。このままではソルリアが、この場の全員が危ない。閉じ込められた状態をどうやって切り抜けるか。ユースティが思慮する間にも蛇は余裕ぶり、大きな羽を翻しては笑っている。
「っはははは、カルディアなんてよわっちィよわっちィイ!」
「この空間はなんだ、お前はなんでここにいる! アイシャさんをどこにやったんだ!」
「ここは我の作り出した領域。連れて来さえすりゃ、誰にも感知されず殺せるんだよなァ。オマエらも分かってんじゃねぇのかァ?
ほら、ショーコインメツってやつだよォ!」
「っ、ひっく…………」
愉しげに喋るその蛇とは対照的に、捕まっているソルリアが震えながら涙を流す。その様子からして彼がここへ来た時には、もう──
「証拠隠滅……怪物化はお前が仕組んだのか。どうしてそんなことを!」
「ホンモノの我の力を使えば全員容易く、一瞬で壊せるが。一匹ずつやってやる方が無力感を煽れて愉しいだろォ?
次はオマエらをバラバラにしてから、あの長サマの目の前に並べてやるよォ。せいぜいこの“神の定めた運命”の裏側を見た自分を恨むんだなァ!」
「──!」
「じゃあまず一匹目といこうかァ!」
蛇が愉悦の笑みを浮かべ、ソルリアを頭から啄もうとした時だった。蛇の言葉に顔色を変えた彼はその口に向け、自分の細い左手を翳す。
バシャッ。
赤と黄が混ざった、橙色のドロリとした液体が、その関節から吹き出して。
「?! っ、くっせェ!」
「ふざけるなっ……兄貴をこれ以上苦しませて、たまるかよ……!」
震える声のまま睨み付ける。
蛇の口の中に直接かけることが出来たためか、拘束が緩まる。……動揺のままに首をふるう蛇からユースティの方に、草っぽい青さを含んだ刺激臭が香った。
「今のは……?」
「あれもエントマ……そして、ソル君ならではの能力よ!」
ソルリアは拘束を自力で抜け出し、人間達の足元に転がり込む。蛇はかけられた液体を何とか取り除こうと努力しているが、その苦味と臭みは簡単に取れそうにない。
「ウェッ、小癪なァ!」
その間に立ち上がり、ソルリアは涙を袖で拭い口を開く。
「なぁユース、お前の師匠の発明品を使えば、雷魔法をあいつの体内に直接喰らわせられないかっ」
「! 確かに、あめーじんぐカプセルくんなら鱗を無視して電撃を体内に流し込むことが出来るかもしれない!」
試すが勝ちだ。ユースティはポッケからその球体を取り出し、指示を待っていたヴァリータに告げる。
「ヴァリータ、ソルリアが合図したら、おれにむかって雷の魔法を頼めるかな」
「得意なのは水魔法だけど、雷魔法も使えなくはないわ。やってみる!」
「ちょっと待って、合図が俺でいいのユースっ」
「大丈夫、君なら出来る!」
「!」
──人間は今回も出来ると言いきり、敵に対して飛び出した。……その無責任な期待に応え、うまく合わせてやるのも一興だ。それにあんなことを聞かされてしまった後は、もうあの蛇を野放しに出来ない。少年は確固たる意思を持ち、敵を見据えた。
「ウェ、まだ取れねぇぇぇェ……
どうしたァ、何をするかと思えば、自暴自棄にでもなったのか?! 自ら喰われに来るとはいい度胸だな!!」
「はは、はたしてそうかな!」
迷いなくその懐へぶつかっていく人間。その瞬間を、見極めて。
「──今だ、ヴァリータさんっ」
「ええ、“雷よ”!!」
そうして彼女から放たれた雷はユースティの周りを囲むように敵のもとへ到達し、その体内に直接、通った。
「アビバババババババッ?! …………ァ、」
油断していた蛇の体はのけ反り、しばらく痙攣すると……
バタリ。
倒れて動かなくなった。
「──……! やったな、ユースっ」
「っへへ、と、……っ、~……!」
ユースティも少しふらつきながらもきちんと着地し、ソルリアの嬉しそうな声に安堵の息を吐いた。
それにしても、大変なことになってしまった。今の状況を整理するにはまだ情報が少なすぎるため、一度ヴァリータとソルリアの方に戻らなければいけない。
……ユースティが歩こうとしたその背後で、先程動かなくなった筈の巨体が起き上がってきていた。
「待って研修生、後ろっ……!」
「え」
人間が振り返った時には既に、大きく開いた嘴と凶暴な牙がその視界いっぱいに広がっていた。




