第15修 虫の知らせ
「──……あぁ、どうしよう……」
ユースティは大きなため息をついた。
エトワールと衝突し、思いきって飛び出してきたところまではまだいい。しかしこの国に来たばかりである人間には調査手段も、辿れる手がかりもない。魔法も使えなければ、すぐに空の国に帰れるわけでもない。これから自分自身がどうするべきかも考えなくてはいけないのである。脳内には今さら、必死に二人を止めようとしていたソルリアの顔がはっきりと思い浮かんだ。
「だけど言わなきゃ、何も変わらないと思ったんだ。こんな調子で歳上気取りだなんて、出来るわけないんだよな……」
誰にいうでもなく呟き、俯きながら重い足取りで歩き続ける。何歩目かに突然暑さが増し、息苦しさが込み上げてきた。街の中心からかなり離れてしまったからだろうか。目の前をみると、前方には砂漠が広がっている。……こういうときは一度考えを止めるべきだ、そう切り換えるように辺りを見回した。
頭上の清々しく、高い空。日光の照りつけは光を集めずとも焦げて燃えそうなほどには暑い。砂が広がる視界の先は波打つようにゆれていて……点々と生える植物や、何かの生き物であったのだろう白い骨が、その中で唯一の彩りだといったように存在している。
「……」
ただ目を凝らせば、立ったまま後ろ足でぴょんぴょんと飛んでいく小さなネズミがいたり、二本の鋏と特徴的な尾針を持つ虫が所々に闊歩していることも確認出来る。早々に逃げていった生き物たちに強い興味をひかれ、ふらふらと歩きだそうとした……が、すんでのところで立ち止まる。こんな灼熱の砂漠を渡ることが出来るような準備は一切出来ていない。それに、
「まだ何も解決してない」
このままではエトワールの言葉通り、本当に頭を突っ込んだだけになってしまう。彼の反応もあり、それだけは避けなければいけない。
そのとき、ユースティは足元になにかがあることに気付き持ち上げた。砂がこぼれ落ちていき姿を現すそれは、衝撃でひび割れて電源もつかなくなった黒く細身な液晶のタブレット。
「──……ブラックボードくん、?」
それは、人間が地上に来る際に落とした発明品の一つ。これがあれば遠い相手との通話や写真の撮影、調べ物が出来るといった優れものだ。……今通話が繋がればまず連絡が遅れたことで叱られ、自身の状況を報告しなければならなくなる。しかし理解者である師匠……コッペリウスから直接助言が聴けるのならば、それは何よりもありがたい。側面にある電源ボタンを押してみる。
現実はそう上手くいくものではないらしい。何度ボタンを長押ししても、音沙汰がなかった。
「まあ、そりゃそうだよなあ」
絶対に地上へ無事に降りて報告するつもりだったか……と聞かれれば、返事を濁らせるであろう人間。発明品も全て最新版ではない古い物を選んで持ってきた為、壊れて当然の代物である。
それが見事に裏目に出た今の状況。自虐気味に笑ったが、突然背筋を突き抜けるような痛みが襲った。
「うぉぁぇっ?!」
痛みは足元、尾針を持つ虫。人間くらいなら平らげることが出来る獲物だとでもいうように襲いかかってきていた。幸いその尾は小さく、虫が使ったのは鋏の方だ。
「わ、わぁ、ごめん、ごめんって!」
しかしユースティは焦り、その手からブラックボードくんを取り落としてしまう。気が動転したこともあり、それを拾うことなくフッブに駆け戻った。
建物が立ち並ぶ道に帰って来るとすぐに足元を見て、きちんと虫を道中で振り落とせたことを確認する。
「っあれ、尾針が毒の虫だよな。あれで刺されなくてよかったぁ!」
たったそれだけ、されどそれだけ。何事もなく街に戻ってこれた安心感に満たされていくが、……状況が振り出しに戻ってしまっただけ。大きなため息をつきかけた人間の背後から、かけられる声。
「研修生!」
それに振り向くと、そこにはヴァリータとショウの二人が揃っていた。
「ユースティ様、浮かない顔をされておりますな。よければこのじいやに話してみて下され」
──ふぉっふぉっと笑うショウの優しい笑みが、ふとスィームを彷彿とさせる。……あぁ、おれだって、なにも出来なかったのに。エトワールに心ない言葉を放ってしまった。ユースティは改めてそれらの憂鬱へ目を向けることにした。
「実はさっき、ソルリアのお兄さんと喧嘩してしまったんだ」
「エトワと喧嘩したの?! ど……どうして?!」
「例の、怪物化のことでね」
「……スィームさんのこと、見てしまったのね」
ヴァリータの表情が暗くなる。ユースティは頷き、続けた。
「おれ、あれが“お迎え”だなんてものだと思いたくない。確かに彼にも立場があるのはわかるんだけど、義務的というか、無理矢理片付けようとしているように見えてさ。このままじゃ、駄目だと思うんだ。だから衝突して、喧嘩になった」
その言葉を最後まで聞き、ヴァリータもゆっくりと頷き返す。
「確かに彼はそうね。頼もしいから、民の皆も何かあればすぐに長様、長様っていっちゃうし」
「そうだったね、怪物の件だって、誰も動けなくてエトワールに頼るしかなかったみたいだ」
「実はね、今は亡き先代──エトワの両親も、それ以前の長もすごい人たちで、彼は余計に背負ってしまっているの。民衆の声に全て完璧に応えることが当たり前だと思ってるわ。
幼馴染みであるワタシも、何も出来なくって……強がってるけどずっと、彼もいっぱいいっぱいなの。今の状況が駄目なこともちゃんとわかってる。
だから、彼があなたに当たってしまったこと。ワタシに代わりに謝らせてくれないかしら。……ごめんなさい」
そう頭をさげるヴァリータ。彼女の伏せられた瞳には、深い自責の念がこもっている。
それがエトワールに会って欲しいと言ったり、その後も彼と仲良くなったのかを尋ねてきていた、ソルリアの様子と重なったのをユースティは感じた。
「誰のせいでもないさ。顔をあげて、ヴァリータ。
とりあえずおれはもう一度、エトワールに会おうと思ってる。おれも一方的に彼を責めてしまったし……こんな問題を一人で考えるのは、辛いだろうから」
「! ありがとう、研修生っ」
「ならばじいやも、とっておきのお茶でもご用意しましょうかのう」
ショウがそうにこやかに告げると、ヴァリータも明るく笑う。ユースティも微笑みかえしてから、すぐに顔を引き締めた。
「その前に、このままだと会わせる顔もないんだ。怪物化の原因くらいは掴みたいな」
「ワタシも手伝うわ。あれは体の持ち主を食い破るように、出てくるのよね」
「うん。飲み込まれて、やがては我を失って暴走するだけになってしまうって……あれ?
ねえ、エトワールから聞いたんだけど。魔素を取り入れすぎても、似たことが起こるんじゃなかったっけ?」
ユースティが思い付いたようにそう告げれば、ヴァリータも驚いた顔を向けた。
「ほんとだわ!」
「しかし身体の仕組みによって、大気中にある魔素を取りすぎることはない筈なのじゃが」
考えるように俯きそう告げたじいやが、はっとして顔をあげる。
「魔素の濃度があがった状態で一度に摂取するのであれば、話は別かもしれませんな」
「濃度を?」
「空気中に酸素だけが多くなると、体が上手く受け入れられなくなるように。魔素の受け入れや排出機能にも、限界はあるのですじゃ」
そうした方法が人為的に可能なものだとしたら、かなりたちが悪い。情報源として被害者の怪物化に立ち会った……特に距離が近かった者がいるならば、真っ先に頼るべきだ。
「ヴァリータ、ルリちゃんとアイシャさんは?」
「ルリちゃんは友人とお散歩に出たって。アイシャさんは……あの後別れてからもう一度、ワタシが家まで行ったんだけれど、すぐに一人にして欲しいと言われてしまったわ。
その二人がどうしたの、研修生?」
もし犯人がいるとするのならば、その者達を放っておくことで得られるメリットはないともいえる。……ユースティはなんとなく、嫌な予感がしてきていた。
「どうしても二人に会っておきたい。まずアイシャさんのところに行ってみるよ!」
「! なら、ワタシもつれて行って!
じいや、エトワにこのことを伝えておいてくれるかしらっ」
「かしこまりました、ヴァリータ様」
そうしてヴァリータと共に、アイシャの家の方面へと駆け出して。
二人が道を曲がるそのときまで見届けたショウは、伝言を伝えるためにエトワールがいる場所へと歩を進めることにしようとして……ふと告げる。
「さて、先程から何をみていらっしゃるのかのう?」
瞬間、鎌に魔法を纏わせ氷の衝撃波を打つ。その先に潜んでいたある者は、軽々と飛ぶように、柔らかく体をしならせてそれを避けた。
「流石長の側近というべきか。どうやら平和ボケはしていないようだが……予想内だな」
相手はそのまま流れるように、構える間さえ与えず一気に距離を詰めた。
「……、っ!」
「身体を借りるぞ────」
__________




