第14修 衝突
ソルリアの鼻血は早く落ち着いた。ユースティが最後にティッシュを渡し、エトワールたちが出ていった先を見つめる。
「……“また”、ってなんだろうな?」
ソルリアは鼻血を拭き取って、憂鬱げにこぼす。
「多分、お前がここに来る前に見たような怪物がいたんじゃないかな。二人を追いかけて間に合ったことがないから、俺は何も知らないんだ」
確かにソルリアは先の一件でも、怪物が倒された後にユースティに追い付いて来ていた。__彼は授業から逃げる際には旅人たちの流れを利用し、じいやの追跡を上手く掻い潜っている。しかし体が小さい分歩幅が取れず、他より遅いのは確かであった。彼は純粋に速いというより、小回りのきくすばしっこさが強みだ。
「んー、じゃあおれがヴァリータみたいに君を抱えて走れば間に合いそうだよな? ある程度目線も高くなるし!」
何気なくそう言ったユースティに、ソルリアの少し不満げな顔が向けられる。
「ぁ……遅いっていってごめん、ソルリア」
「そうじゃない」
「じゃあ胸か。胸だね? 悪かったな、そういう方面の魅力がなくて。あの膨らみが恋しいなんて、変態さんめ!」
ユースティは一方的に解釈し、ソルリアを無理矢理抱えて持ち上げた。そのまま役所を出たユースティの視界の先、直線上にかなり進んだ道を曲がったヴァリータとエトワールの背中が見える。
「……いや、違うから。小さいって言外にいわれて腹立ってるだけだからっ」
「あっごめん?!」
「許さないっ」
やり取りもそこそこに、彼女たちが走って行った道を追いかけていく。別の大通りへと出れば、既になにかを囲むようにして集まりだしている民衆が見受けられた。
彼らの視線の先にはアイシャとスィームがいる……が、スィームは俯き、ふらふらとしていて様子が明らかにおかしい。その肌はまるで乾燥しきった地肌のようにひび割れ、剥がれた所から紫色が覗いてきていた。その上、アイシャがひどく取り乱している。
「夫は敬虔な信者なのにっ、あぁ、どうして……!」
「アイシャさん、早く安全な所へ」
「スィーム、スィームっ……!」
ユースティ達より先に着いていたエトワールが、彼女をスィームから庇うように立ちはだかっていた。一方ヴァリータがアイシャだけを連れてその場を去っていく。……これじゃまるでスィームが彼女らの敵であるようだ。何が起こったというのだろうか。
──否、それは今から起こるのだ。そう気付いたのは、ユースティがスィームのさらなる体の異変を目にした時だった。
「ァ……あィ……しゃ…………」
「スィームさん。出来れば、あなたにこんなことはしたくなかった」
エトワールが俯きながら魔法陣を作り出す間にも、不安定なスィームの体が震えていく。その首がカク、……カクと素早く曲がって。ゆっくりと、しかし確実に。その全身から、聞いたこともないような軋みと呻きをあげた。
だんだんと間隔を速め高まったその異音は、頂点を迎えるとともに沈黙して。
──……パンッ。
目の前で弾ける肢体と舞う鮮血。
「ガ……ァ…………ぁ……!」
力なく倒れる本体。その首がへし折れ、噴き出す紫色の液体と、弾力を持った得体の知れない物質。内部から芽生えてきたそれは一瞬で枝分かれし、丸い複数の核をぶら下げているそれを上へ、上へと伸ばしていく。……それは不規則に脈打って収縮を繰り返し、一つ、また一つと大きくなっていった。
「っスィームさ……、? ?」
喉に引っ掛かり出切ることのない声が、ソルリアからこぼれた。目の前で、見慣れた親しい人が異形へと変貌していく。
夢ならよかった。いや、これは夢だ。嘘だ。だって彼はつい先日まで、あんなに優しい微笑みをこちらに向けてくれていたじゃないか。
噴き出し脈打つそれはスィームの亡骸を着々と飲み込んでいき、大きな怪物……輪郭のない不定形が誕生していく。その全てが終わる前に、エトワールが手を天に向け。
「“炎よ”」
魔法陣から放たれた大きな炎。それは瞬く間に彼を包みこんだ。
「ァ……ア…………………………」
スィームだったものは、叫び声さえあげないまま灰になる。
──沈黙の中に舞う、黒く焼け残った煤。
それさえも霧散し消えていく。塵一つ、残りはしない。
「う……
うぉおおぉお! 流石長様だー!」
それを見ていた民衆の一人を皮切りに、たちまち歓声があがっていく。エトワールを褒め讃える言葉が飛び交い、そしてその誰もが安心しきった笑顔を浮かべ、スィームへの安寧を祈り、黙祷を捧げる。
人々はいつものようにその一通りを終えると、興味を失ったかのように去っていくのだ。
「…………」
理解など、したくもない。
ユースティとソルリアは言葉を失い、しばらくその場から動けずにいた。集まっていた民衆がほとんど居なくなった頃、エトワールがそんな二人に気が付き、一瞬苦い顔をして歩みを進める。
「来てしまったのですね。
この街では近頃、民が異形となって怪物化する事件が頻発しています。様々な声は上がっていますが……根本的な原因は突き止められず。神の“お迎え”だとされています」
彼の反応からして、前日に見たあの怪物も同じように元はこの国の民──そして学校生徒の一員だったということなのだろう。考えれば考えるほど繋がっていく一連の物事に、ユースティは何も言えず腕の中のソルリアを見る。俯いているその顔がどのような表情をしているのかも、どのような言葉をかけるべきなのかもわからない。ただ落ち着かない心を抱き、改めてエトワールの方へと顔をあげた。
「今の方法しか、なかったのかい?」
「昨日のあれを見たのならおわかりの通り、後は我を失った怪物として、無差別にヒトを傷付け、食い荒らすのみです。
極楽浄土や輪廻という概念があるのはあなたもご存知でしょう。……この世界でずっと生きることが、幸せだとは限りませんから」
彼の淡々と告げるように努めたその様子と、言葉の節々に諦めを感じたユースティ。目の前で起きた出来事への動揺も相まって、やりきれない思いが募っていく。
「……そんな考え方だけじゃ納得出来ない。誰かがこの怪物化を起こしてるかもしれないじゃないか」
その一言にエトワールの表情がぎこちなく固まり……すぐに拒絶の仮面が張り付いた。
「こんな酷い事をして誰に得があるというのです? 民に罪はない。この国のやり方に文句があるなら、僕に直接仕掛けてくればいいじゃないですか__あなたのように」
「……は」
「これは止めることも避けることも出来ない、神の定めた宿命なんですよ!」
思いが重なりに重なれば、やがて大きく膨れ上がり崩れていくだけ。それはユースティも例外ではなく、段々と言葉の語気が強くなっていく。
「……へえ。酷い死に方をさせられるのが、神の定めた宿命か」
「ええ」
「スィームは最期までアイシャを呼んでた。愛する人とあんな別れを強制させられることを、
君たちが崇める神様が定めた、宿命だって言うんだな??」
「__ええ」
「ユース、兄貴、待って。ここで言い合っても……っ」
一触即発の空気に、ソルリアが俯いていた顔をあげ。人間の腕から降り、二人を静止しようと言葉を発する。しかしその声が届くことはなかった。
「残念だよ、エトワール。いつからこんなことが起こりだしたのか知らないけど、このままじゃ犠牲は止まらないぞ。『原因がわからないのなら仕方ない』なんて、一切済まされなくなる」
「いつ、どこで入り込むのか。どこに潜伏しているのか。どこかの誰の思惑なのか……いくら探しても綻び一つ出てこなかったんです」
「だからって諦めていいことにはならない。もっと手を尽くせば、助けられたかもしれなかったよな?」
「何度手を尽くしても助けられなかったんだよ!
それならもう自然の摂理だと思うしかない。せめてもの弔いに、彼らが誰かを傷付けてしまう前に! その息の根を止めるしかない! ……乗り越えるしか、ないんだ」
「……それで、本当に乗り越えられたのかい?」
「っ」
「乗り越えたフリをしているだけだろ?!」
悲劇に慣れるために歪み、ひび割れた心。そこへ溢れた煮え湯が入り込むことで、二者の均衡が一気に崩れる。
「この国の神様は君達にとってどういう存在なんだい。良いように解釈して全部押し付けるための偶像でしかないのか?! その場に居たわけでもない者のせいにして、自然解決すれば御の字……そう考えてるようにも見えるよ!
この国の民も、君も! そうやって目の前の問題から逃げ続けるなら、形だけの神様を盾にする位なら! 一刻も早く防ぐ方法を探して、一人でも助けようと努力し続けた方がよっぽど良い!」
叫ぶような声を上げ止まらない喉が、ずきりと痛む。
「ここは慈愛の国なんだよな? 民も旅人もみんな引っくるめて家族みたいな、そんな場所だって言われてるんだよな?!」
その痛みに改めて自身を認識し直し、まともに相手の顔を見た時。……ユースティは細い息と共に唾をのむ。
目の前でこちらを見つめているエトワールの顔からは、表情が完全に失われていた。
「……ソルリアのことといい、こちらにかける言葉だけは本当に天晴れですね」
死んだ調子で吐き出されたその声が、空気を一瞬で凍りつかせた。
「……何、って?」
「お前みたいな奴はいつも、何も知らないくせに頭を突っ込むだけ突っ込んできて、独りよがりに場を荒らす。
ご立派な意見だけ押し付けて最後には逃げていくんだよ、この偽善者が!!」
「……!」
ユースティの瞳孔が開き、揺らぐ。
これ以上言い争ってもお互いを傷付け続けるだけだ。
「っ……本当は君もソルリアの言う通り強くて優しい長なんだろう。でも、そんな調子じゃ、このままじゃ! 慈愛だなんて誰も語れないし、大切なソルリアも守れなくなる……!」
「何でもわかったような口をきくんじゃない。ソルリアを引き合いに出すな!」
「こんなこと言わなくたって本当はわかってるんだろ、なあ……!」
いつしか懇願が籠もったユースティの叫びに、ようやく沈黙が訪れる。
間に挟まれたソルリアは必死に二人を止めようと声をあげていた。しかし互いを睨み合う彼らに届きはしない。たとえ届いていたとしても、既に二人とも、引き下がれないところまで吐き出してしまっていた。
……だんまりなら、おれが動くよ。そう言わんばかりにユースティは背中を向けて歩いていってしまう。
「ちょっと、どこ行くんだよユースっ」
……どうぞご勝手に、出来るものなら。エトワールもそれに目を細めると、踵を返して去っていった。
「あ、兄貴も待って、……ねぇっ、……」
泣きだしそうな顔になりつつ、その場に一人取り残されたソルリア。
「このままじゃダメ、なのに」
行き場のなくなった彼がふと目を留めたのは、アイシャの家の方向。__彼女のもとに、行かなくてはいけない気がする。
「……っ」
ゆらりと立ち上がって。何者かに背中を押されたようにしながら、少年は一歩ずつ前に、そして駆けだした。




