第13修 魔素の池
ユースティは中庭の中心にある大きな窪みに目線がいく。それに近寄って覗けば、墨のように真っ黒な池だということがわかった。
「うわ、これは何だい……?」
「魔法の源、魔素の池です」
「この真っ黒なのが?!」
周囲の地面と色合いを比べると、池の底の前に表面さえもかなり見辛い。それでも日光の反射があるのか、周りがきらきらと虹色に輝いている。
ユースティはそんな池の前にしゃがんで前のめりになり、後から歩いて来たエトワールを見上げた。
「更に言えば、普通の液体でもない」
すると隣で片膝をついた彼に突然、腕を流れるように掴まれて池に浸される。
「うわぎゃぁ?!」
細かな粒子が一気にまとわりつくような感覚。ひどく身震いし、すぐに腕を振り解いて引き上げたユースティ。指の間からは掬われた黒がさらりと砂のように流れ落ちていく。
わざとらしく鼻で笑ったエトワールへ抗議の目を向ける。
「な、何するのさ!」
「そんな反応もされるとは。もっとわざとらしく、きらきらしたものが返ってくるかと考えていましたよ」
「そりゃずっときらきらはしないぞ……!」
頬を膨らませて怒ったのも束の間。ユースティは自分から触れようとすることはないものの、その不思議な池へ輝かしい目線を向けていた。
「──結局、きらきらしてらっしゃいますね」
「だって気にならないかい、この触り心地、どういう仕組みなんだろうって!」
「何故このような触り心地なのか、ですか。それに関してはわかりませんが……他であればある程度お話ができますよ」
エトワールは目の前の旅人の顔から目を逸らしつつも訊ねる。
「__はるか昔、地上では今よりも文明が栄えていた時代があった。
それが滅びる原因となった争いで散っていった、生物の様々な感情。それがこのような魔素の池を作り出したといわれている……というのはご存知ですかね?」
対して旅人は彼を見て口を開く。
「本で読んだことがあるよ!
確か感情の種類によって池の色が変わるんだよ。暖色は怒りや喜び。寒色は安心や悲しみ……みたいな感じで、はっきり分離してるんだ!
……だから真っ黒なのは聞いたことがなくてさ、びっくりしちゃった」
「へえ。旅の者の中でさえ、魔素の池を知らない方がいると言うのに。あなたの国では随分進んだ研究がされていたようですね」
返答に大人しく頷き肯定していたが、そこまで言うとはっとしたような表情をユースティへと向ける。
「まさかあなた」
「ん?」
「……いえ、なんでもありません」
再び顔を逸らすが、明らかな動揺が見て取れる。その様子にユースティから言及することもなかった。
「これは色々な魔素が偶然混ざり完成した、異質で珍しい奇跡の池。魔素の質も量も、他のものとは段違いだと言われています。
先祖はこの池を神からの贈り物として信仰を始め、フッブの国が建てられました」
話を続けながら、エトワールは自分から両手をその池へと入れて黒を掬い。その両手の5本指の間からさらさらと流れ落としていく。
「魔素の池は水と呼ぶには異質、けれど同じように大気に蒸発し、生物が正常に体へ取り込める魔素へと変わります。
そして魔法使いは魔素を持てば持つほど、魔法の威力も更に底上げ出来るようになる」
「……もしかして、魔素の池を一人占め出来たら最強になる?」
「使い方次第ですが、理論上はそうなりますね。
実際に魔素の池を我が物にしたり、狙ってくる者は絶えませんよ」
彼は物憂げな瞳で、その黒を見つめていた。
「けれど噂では、個人の許容量を越えた魔素を継続して取り入れれば、逆に魔素に食い破られてしまうとも聞きます」
「えっ……」
さて、ここで先日の話に戻りますが。そう切り替えて、エトワールは立ち上がる。
「魔法は基本、周囲の魔素を溜めて並べ、起点を作って体内から撃ち出していきます。
一方ソルリアは新たに取り込める魔素の量が壊滅的に少なく、勢いが足りず魔法の起点が体内で作れない。無理をすればそれこそ、命に関わる可能性があるんですよ」
……ソルリアが魔法を使えない原因、わかってるんじゃないか。ユースティは内心で突っ込む。
「それなら体外で魔法の起点を作るような、そんな方法が思い付けば。ソルリアはいつでも魔法が使えるようになるってことだよな?」
「……出来もしないことをよく言えますね」
どうやら話はそこまでらしい。踵を返したエトワールの背中が、ひどく儚いものに見えて。ユースティもつられて立ち上がった。
「出来ないとかじゃないよ。やっていく間に突然出来るようになるかもしれない! とにかくソルリアなら、絶対に魔法を使えるようになるからさ!」
「……あなたも存外頑固なお方だ」
「でも少しの可能性位、感じてくれてるんだよな? ……でなきゃこんな話してくれないしさ!」
「勝手に都合のいいように解釈されるお方でもあるようですね。彼に魔法を使わせようとするのは迷惑だ、と。僕が最初にお伝えしたことをお忘れですか」
応接間への扉の取っ手に手を掛けたエトワールへ、ユースティが駆け寄った。
「っなあ、エトワール。君もまだ子どもだって聞いたよ。それなのに一国を治めて、すごいな」
彼は手を止め、息を飲み込んでから口を開く。
「……。今度は歳上気取りときましたか」
「違うよ、本心から驚いてる。……国を治めるなんてこと、本当に大変だと思うんだ。だからさ、おれに何か手伝えることはないかな」
ユースティの言葉に顔だけ振り返り、複雑そうな……いや、いっそ呆れきった表情を向けた。
「適当な同情を言わないでください。あなたはあくまでも他所の国の旅人で、育った環境や種族も違うんです。わざわざこのような小国で何かしようとしたって、出来ることはありませんよ。
あなたが僕らより歳上だというのなら、口を出す前に分別を得るべきなのではないでしょうか?」
ユースティは図星だといったように乾いた笑いを見せる。しかしそこで引き下がることはしなかった。
「確かに分別ってやつは君たちの方がちゃんとわかってるかも。色んな経験も、苦労したことも、現実を思い知った回数だって君達のほうが多いかも知れない。
でも、だからこそなんだ、エトワール。きっとソルリアもいつまでも守られる側じゃいられない」
「……」
「何か事情があるのはなんとなく感じてるよ。それでも、ソルリアには諸々知る権利があると思うんだ。君の……国の長の、弟として!」
「僕はそう思いません。まったくもって不必要です」
エトワールはそれ以上聞き入れはしない、というように扉を開く。会話は絶たれたものの、その背中を追いかける形でユースティも応接間へ入る。同時に魔法陣が起動し、扉は消えて壇上の椅子が帰ってきた。
すると話し声が聞こえ、ユースティの目線がそちらへと向く。そこには鼻を押さえながらぱたぱたと暴れるソルリアと、彼を抱えて立っているヴァリータがいた。
ソルリアは離してくれと抗議をしているのだが、既にその動きは弱々しい。……よくみれば彼に再びヴァリータの豊かな膨らみが当たっていた。これはまた鼻血が流れることになりそうだ。ユースティはぼんやりとそう思った。
「わわっ、ちょ、兄貴たち来ちゃったよヴァリータさん、俺まだ入っちゃいけなかったんだってっ」
「ふふ、そんなこと言って二人がどんな話してるか気になって、役所の前でうろちょろしてたくせに。
それにあのミトン、一応手縫いで時間がかかってるんだからね。燃やしちゃったんだったら誠意を見せてください~」
「ごめんなさいっ、でもあれはあの時、絶対必要だったんだっっ」
「燃やすためだけにでしょ?」
「うっ」
「まぁお弁当もらったから、全部引っくるめて許しちゃうけどね」
ミトンの件は謝る前にバレてしまっていたようだ。ユースティが彼女たちへと声をかける前に、エトワールが問いかける。
「お待たせしました。何かありましたか、リータ」
ヴァリータは真剣な顔をしてソルリアを床へ下ろし、一転深刻そうな顔で告げた。
「──……エトワ、『また』かもしれないわ」
『また』。その言葉に、部屋の空気が静まる。エトワールは少し考える仕草を見せるとユースティに振り返った。
「ユースティさん、今日はどうもありがとうございました。では、僕はこれで失礼します」
ソルリアたちの前ということもあるのか、ぺこりと一礼をしてさっさと行ってしまう。
「リータ、そこまで連れていって貰えますか」
「ええ、わかったわ。ソル君、研修生とちゃんとお留守番するのよ!」
「う゛ん」
ソルリアは鼻を押さえたまま大人しく頷いたので、留守番は日常でよくあることらしい。エトワールたちが部屋を出て行くと、すぐに下を向いて鼻血を止めようとしている。
「ちゃんと止まりそうかい?」
「うん、もう慣れてるから……」
……慣れちゃいけないような気がする。とりあえずユースティはソルリアの隣にしゃがみ、その背中を撫でた。




