第六話 業火と氷獄の間で
……パキン、パキッ。
薄く軽い氷が、炎弾を打ち返し鋭く割れる。大きく鈍い破裂音を立てて、炎弾はかき消える。水滴の一つもこぼれない、煙一つ上がらない。
エトワールは何度魔法を放たれようと、どれだけ巧妙に追い詰められても。ひらりひらりと躱し、ただひたすら目の前の弟を冷ややかな目で見つめている。
「どうしたのソル、俺を倒すんじゃなかったの? これじゃ単調で退屈だよ」
「……っ」
ソルリアも全く疲れる様子がない。しかし兄の見透かすような瞳、発言が気に障ったのだろう。一段と魔素の量を増やし勢いよく放たれた新たな炎に、周囲にずしりとのしかかる魔素の重圧。
地を這うように向かってきた炎のカーテンを舞うように軽々と避け、マントが蝶の羽のように靡く。見ていることしかできないユースティはその余波に圧倒されながらも叫ぶ。
「煽ってどうするの、エトワール!」
「本当の事を言っているだけです。まあ、こちらも彼を止める方法は思いついていませんけどね」
ええ?! ……と、ユースティから驚きの声が漏れる。エトワールのことだ、何か策があるものとばかり信じきっていた。
「えっとじゃあその……魔素切れを狙う、とかは?!」
「ソルリアに魔素切れはありませんよ」
「えっ」
「彼はフッブの魔素の池そのもの……〝カギ〟。
他の場ならともかく、今の彼に勝る魔力保持者など存在しません!」
そうして話すうちにも炎は宙に浮いたエトワールの四方を囲み迫る。大きな魔法陣と共に氷の槍が現れ、一方の炎を切り拓いて抜け出した。
「わかってるくせに随分余裕じゃん、兄貴」
攻撃は止まない。エトワールに避けられ、打ち返されたそのどれもが、フッブの街を傷付ける前に消えていく。
「高慢で未熟な魔法使いに負けるほど、腐ってはないからね」
「あは、言ってくれるな」
ようやくその空間に体が慣れてきたユースティの意識は、最初にソルリアの近くで倒れていたヴァリータへと向かう。
幸い業火が直接向くことはない。しかし彼女は特に間近で魔素の影響を受け続けている。このままでは悪影響が無いとは言い切れない。魔法戦をする兄弟の距離がなるべく離れるタイミングを確認し、ユースティは壁から手を離して彼女へと近付く。
__しかしそれは少々浅はかな行動であった。公衆距離より内側への侵入者に、戦闘中のソルリアはぐるりと首を向ける。
見据える瞳に暖かく穏やかな光は無い。彼の魔法が灯りだす指先が、再び怯むユースティへ向けられて……
「駄目だよ」
静かな声とともにエトワールが割り込み、その体に乗り上げて首に手をかけ石畳に引きずるようにした。ソルリアの体は仰向けに倒れる。
暫しの沈黙の後……うめき声を上げて、拘束を逃れるために六肢でもがく。彼の顔は見えないが、苦しげに震える声は確かな動揺が読み取れた。
自分は今少年を苦しめることが出来ても、それ以上は何も出来ない。確かに表情を歪めたユースティに、エトワールが叫ぶ。
「早く離れて、ユースティさん!」
「うん……!」
ヴァリータの体を抱えて離れていく人間を確認し、腕を離したエトワールはすぐにソルリアに向き直る。その目の前には小さく赤黒い魔法陣が生み出されていた。
「__ああ。一気に上手くなったね」
ユースティの背中でぽつり、呟いた声を掻き消すような勢いで吹き出す大きな火炎。熱と大きな影を認識し再び振り返る頃には、炭になった黒い塵が微かに舞い、青年の姿はかき消えていた。
「はは、ひっ……はは、ははは」
ソルリアは荒い息を吐いて、ぐしゃぐしゃと頭を掻き抱く。
「どこにいったエトワール、まさか燃え尽きたわけじゃないだろ!!」
「そうだね」
答えとともに、遥か頭上で青の瞳が細められた……刹那。少年を押さえ込むには大きすぎる氷山の一角がいくつも生成され、辺り一面を白銀の世界にする。その威力は明らかにこれまでとは違い、遠慮など微塵も感じられない。
周囲の温度が急激に冷えて白い息が漏れた。その直後に全てを一瞬で溶かす業火が巻き起こり、広がる灼熱に肺を焼かれそうになる。
そんな中でソルリアはゆらり、無傷で立ちあがった。片手を上げ、赤黒い魔法陣の生成速度は増えていく。撃ち合えば撃ち合うほど、エトワールの繰り出す青白い魔法陣の数を容易く上回っていく。
酷く嗚咽を漏らし笑みを浮かべ、狂ったように笑い影を落とす少年のその姿は____
「__苦しい、……」
ユースティはヴァリータと共に役所の壁に凭れても、視界が揺れて立っていられない。周囲の石が軋む音だけが、やけに耳に響いて意識を蝕んでくる。心臓を鷲掴みにされているような圧迫感、痛みが断続的に襲う。意識を保つのがやっとだが、ソルリアはきっとこれ以上の苦痛を味わっている。
そんな確信を持ってしまったユースティは、目の前の事象に対面し続けようと必死に抗っていた。そんな中でふと、エトワールは口を開く。
「アイシャさんの歌魔法を覚えているかい。再現してごらん、ソルリア!」
呆気にとられた表情で固まる弟の返事がないのを良いことに、兄は笑んだ眼差しで挑発する。
「まさか、出来ない?」
「っ、それくらい出来るよっ」
ムキになって、意識を最大限に向けた歌声が発される。それは大きな魔法の衝突で溢れんばかりの魔素をまとめ、瞬く間に形を成していく。
エトワールはその目の前に降り立ち、相対する。
「魔法によってイメージのしやすさ、軌道は異なる。ただでさえ他人、しかも格上の魔法だ。
得意分野と少しでもズレが起こっていれば……」
順調に魔法を生成していたが、ソルリアは歌うのをやめ、段々と焦りを見せていく。
「まって、これ。消えないっ」
困惑とともに放たれたのは、黒ずんだ魔素の濁流。形作られた直後に暴発したそれは、確かな質量を持ってエトワールへと向かっていく。
いいよ。……そう彼は呟いた。
「おいで」
少し手前から大きな氷山が現れ、受け止める。今度はびくともせず押し合っていたが、ソルリアの魔素からさらに黒い炎が巻き上がる。
勢いが急速的に増し、氷山は水蒸気を上げながら溶けきってしまった。
「嫌だ____兄ちゃん!!」
そのまま炎は無情にもエトワールの体を包みこんだ……直後、炎となった魔素の濁流は様々な方向へと弾けて消える。
意識が朦朧としながらも目の前の予測できない光景に息を呑んだ、ユースティの隣で。一人の女が立ち上がる。
「……ありがとう、研修生。そしてエトワール、また無茶したわね?」
「ごめん。でも君がいてくれるから、尽きるつもりは更々なかった」
穏やかに微笑むエトワール。女は彼を咎めるように顔を顰めてから、すっかりその場にへたり込んでしまっていたソルリアを見て安心したように一息つく。
「……ワタシはヴァリータ。それをあなたが望むなら、いつでも応えます」




