表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/17

15 夕暮れの川辺

 わがままを言ってしまった。

 タロウは図書館で本を読みながら、深く溜息をついた。

(ちょっと本が最後まで読めなかったくらいで……)

 詩季が悩んでいたのは、タロウが彼の勘違いを正さなかったせいなのに。

 それに以前詩季は、紫がタロウに似ていると言っていた。タロウが考えている以上に感情移入しているのかもしれない。


 日差しが傾いてきた。目元に届く光が眩しい。

(……僕も思い入れがあったんだな。あの映画)

 季節の移ろいと、緩やかに表情を変えていく二人の主人公。

 確定したことを何も言わず、景色のように流れる時間が、タロウには心地良かった。

 詩季と二人で観た映画。

(別のものを見ていたのかな)

 あの時も感想を言い合ったのに、詩季との違いに気づかなかった。

(でも……、楽しかった)

 多分僕はあの日に帰れるとしたら……、何度でもただ楽しんでしまう。

 だって詩季が隣にいて遊んでくれるのだから。



 スマートフォンを気にしていると、通知が入った。

 グループメッセージに詩季が写真をあげている。

(唐橋かな)

 ジョギングコースにある大きな橋だ。広い川原だが、水量が少なく歩いて渡れる日も多い。その川原から見上げている写真。橋の向こうは夕焼けしていた。

(ジョギングしたんだ)

 詩季の予定を乱したわけではないようで、少しほっとする。

 なんと反応しようか色々考えたあげく、きらきらしたスタンプを送っただけになった。




 次の日も図書館で過ごした。本を読む時間は落ち着く。

 お茶にしようと談話室に入ったら、夏休みのためか他にも学生が何組かいた。友だちと机を囲んでいて、少し羨ましい。

(詩季と会えるのは、明後日)

 友だちや恋人とはどのくらい会うものなのだろうか。生活圏が重なる相手なら、もっと誘っていいのだろうか。

 会いたいけれど、なんとなく先延ばしにしている。



 空が黄味をおびてきた頃、いつもより早くバスに乗った。

 川沿いを走り、しばらくして降車ボタンを押す。

 初めて降りる停留所。

 詩季が写真に撮っていた橋のすぐそばだった。


 川原に降りて、詩季が撮影したポイントを探す。

(……色と雲の形が違う)

 当たり前のことに気づいたが、それでもタロウは詩季がいたことを感じたかった。

 少し背伸びして、手もやや上に構えて、詩季の手の高さを想像する。

 一枚撮っては確認し、少しでも近づけたくて何度も撮り直す。


 せせらぎの向こうから、砂利を鳴らす音が聞こえた。

「変な撮り方」

「響」

 ラフな格好の響がいる。そういえば家、このあたりか。行ったことはないけれど。

「すれ違った近所の人が噂してた。見ない顔の高校生が、一人で川原をうろうろしているって」

「うろうろ……」

 少し撮影ポイントと角度にこだわりすぎたか。

「……それだけで来たの?」

「夏城が昨日写真上げていたから、お前かと思った」

「なっ、また詩季かもしれないだろ」

「夏城ならイケメンという情報が出てくる」

「ううっ」

 たしかに詩季の格好良さはこの距離でも伝わるだろう。

「また夏城と何かあったのか」

「また?」

「急に仲良くなって、そうかと思えば避けたり、こそこそ行動を真似たり」

(こそこそ……)

 否定できない。



 響とタロウは川辺を歩きながら話した。

「僕って変かな」

「別に友だちしていられないくらい変なとこはないよ」

 交差する川筋。乾いた部分を選んで歩く。歩いたり、飛び移ったり。同じ岸から離れたと思ったら、先の方で繋がっていたり。

「響はどうしてゆらりんと付き合いたいと思ったの」

「ゆらから訊いていないのか」

「そこまで筒抜けじゃないよ」

「……言いたくない」

「そっか」

 言いたくないなら仕方ない。

「じゃあ、告白したりされて、困ったことある?」

「別に実際にされて困ったことはないけど」

 橋の影で立ち止まった。暑さが緩和される。

「友だちにそういう空気出されると、面倒に感じることはあった」

 面倒か……。

 それは詩季に対しては感じていない気がする。それともこの、困惑する気持ちがそれなのだろうか。

「響、そういう経験あったんだ」

「いや、俺の勘違いだったっぽい」

「そう」

 ここにも勘違い。やっぱり分かりにくいのかな、恋って。

「……悩みがあるなら聞くぞ、一応」

「珍しい」

 いつも素っ気ないのに。

「うるさい。今言わないなら聞かない」

 一瞬にもほどがある優しさだ。


 タロウは頭を巡らせる。

(詩季との問題なんだよな)

 響に訊いても仕方ない気がする。詩季に直接言わないと。詩季に……、何を言えばいいのだろう。

(このまま詩季に会って大丈夫かな……)

 彼の優しい笑顔が曇るのを、もう見たくない。傷つけたくない。



 ――まだ僕は、詩季の中で恋人?

 ――恋人とか、友だちとか考えずに会いたい


 詩季が保留にしてくれて、少し気持ちが楽になった。


 ――……映画の最後、結ばれなかったから……


 あの言葉が、悲しくなった。

 悲しいということは、僕は詩季と結ばれたがっているのだろうか。


 ――友だちじゃなかったの……?


 でも、告白された時は、体が冷たくなった。あんなに一緒にいて楽しい友だちは初めてだったのに、その繋がりが消えてしまったような気がしたのだ。

 そして、


 ――恋人とか、友だちとか考えずに会いたい


 今はどっちつかずの状態だ。



 ぐるぐると考えがまとまらず、立ち尽くす。

「タロウ、今じゃなくても別に」

「恋をする人の」

 譲歩しようとする響の言葉を遮った。響は沈黙して静かに先を待ってくれた。

「……恋をする人の側にいるには……、恋するしかないの?」

 タロウは独り言のように呟いた。

「恋って、僕にはよく分からない」

 よく分からないというのは真綿に包んだ表現だ。本当は……、空想にみえる。



 友情もよく分からないといえば分からない。ただ、一緒にいて居心地良ければ友だちと、生きていく中でなんとなく実感してきた。

 詩季は、初めてタロウのための時間をくれる人だった。最初は戸惑ったが、嬉しくて楽しくて、これが親友というものなのかとさえ思った。


 ――けれど告白されて、詩季から伸ばされた手が、恋の相手へのものだと知った。

 自分の居場所だと思えなくなった。


 あの時、紫のように構わず自分自身を表すべきだったのだろうか。

 二人で過ごした時間そのものが大切なのだと。


 タロウは、離れないことだけを選んだ。

 詩季の想いと同じものを持っている振りをして、詩季の顔色をうかがって、そして――。



「恋していないの、バレたんだ」

 響は意外そうな顔をする。

「お前、夏城のこと好きに見えたんだけど、それは友だちとしてってことか」

「……多分」

「恋愛って別にドラマチックじゃなくていいんだぞ」

「そんなライン自分では分からなくって、ただ詩季が喜んでくれたらいいと思っていた。……でもバレたんだ。詩季は、友だちだと駄目みたい」

 ちゃんと隠しておけなかった。

「……僕が、友だちになりたいせいでバレた」

 僕の望みを。


 幻として忘れられなかった。

 友だちの”特別”に、心の底から囚われてしまった。




 夕陽が遠くなり、橋の影が薄くなっていく。雲の隙間の藤色の空が綺麗だった。

 そろそろ道路に戻らないと、足場が見えなくなる。穏やかだった風が、音を立てだした。

「夏城にそう言え。友だちでいたいって」

「……詩季はそういうの考えないでいいって言ってくれた」

「何も知らないからだろ。好きなやつに我慢させたいわけじゃないぞ、きっと」

「我慢なんかしていない」

「しているだろ」

「今のままでいい」

「じゃあなんで一人でここに来た。夏城に会いたいけど顔合わせづらいんだろ」

「……っ、違う!」

「友だちとして会いたいって、いつかは言わないといけなくなる」

「無理……」

「あのな……」

「だって、言わなければ一緒にいられるのに……」


 ――ああ……。

 自分の心の奥で渦巻いていたものが、ようやく見えてきた。

 打算だらけで嫌になる、純粋な気持ち。


「詩季がずっとずっと僕の隣にいないと嫌だ!」

 空っぽの仮面だろうと、絡みつく蔓だろうと、何を利用しても、――離れたくない。


 響が驚いた顔をした。その顔はこちらではなく横に向けられていた。

「……?」

 タロウもそちらを見て、息を飲む。

「詩季――」

「タロウ、えっと……」

 詩季が立っていた。その頬が、徐々に赤くなっていく。

「ごめん。二人を見掛けて、喧嘩しているように見えたから……」

 そうだ。この橋は日課のジョギングコースだった。


 今のひどいわがままを、詩季に聞かれた。

「か、帰る」

 混乱したタロウはそれしか言えなかった。

「タロウ?」

 名を呼ぶ声を振り払い、走ろうとして、

「水持っていないか!」

 唐突な詩季の言葉に立ち止まった。

「え……」

「喉が渇いて死にそうなんだ」

「! 大丈夫っ?」

 走り寄って、バッグから水筒を取り出し、コップを渡す。

 受け取った詩季は嬉しそうに笑った。

(あれ……?)

 水を注ぐと、

「ありがとう」

 と言ってゆっくりと飲んでいる。脱水症状でも起こしたかと思ったが、そんな深刻そうな様子はない。顔色は少し熱り気味だろうか。

「俺、帰るな」

「えっ、響……」

 二人きりは困る。

(でも水筒、蓋を置いていくのは変だし、もし本当に体調良くなかったら……)

 タロウは焦ったが、詩季が飲み終わるのを待つしかない。

 響はそのまま歩き進み、詩季とすれ違う。

「格好悪い」

「うるさい」

 二人は小声で何か言葉を交わしたようだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ