表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/17

【4章】14 散歩道の二人

「なー、行こうぜ海」

「行かない」


 今日は山村と一緒に、詩季先生の夏期講習を受けていた。詩季の家のリビングの広いテーブルを使わせてもらっている。例によって山村の声がにぎやかだ。

「さのっちたちなら平気だって。お前が恋愛興味ないってんなら押してこないよ」

「何を言われても行かない」

(狭野さんのグループか)

 女子グループと海に行く計画なんて、どういう話の流れで持ちあがってくるのだろう。想像がつかない。

「うう……。ところでタロウは来るの?」

「えっ」

 僕も誘っていたんだ。

 山村たちと海は楽しそうだが、交友のない狭野たちとは気後れする。タロウが迷っていると、

「タロウは俺と行く約束しているからだめ」

 と詩季が断ってしまった。

 ほっとした。行くなら少人数がいい。詩季と別行動になったりしないように。

「なにそれ。俺も行っていい?」

「タロウ、どうする?」

「いいよ。ヤマくん二回行くの?」

「それ含めて三回」

「すごい」

「ただし俺たちと行きたかったら、日曜までに数学の宿題終わらせような」

「鬼!」



「休憩ー」

 山村がラグの上に寝転がる。

「昼寝したいです、先生」

「どうぞ」

 詩季は壁掛け時計を見て、すぐ許した。

(人の家のリビングで眠れる?)

 と思っていたらもう寝息が聞こえてくる。

「タロウも楽にしていて」

 そう言って詩季は立ち上がり、リビングから出ていった。タロウがもらったお茶を飲んでいると、詩季が戻ってきた。

「俺の部屋来て。今、マメがいる」

 ついていくと、詩季のベッドで可愛い黒猫がリラックスしていた。

「おやつあげてみて」

 ジャーキーのようなものを渡された。美味しそう。

「目の前に出して待っていればいいから」

 ベッドに肘をついて手を伸ばす。マメはすぐには来ないが、おやつは気になるようで、ちょっとずつ近づいてきて、やがてタロウの手から食べた。

「……っ」

 可愛らしさに震えそうになるのを抑える。マメのおやつ係を全うしなくては。

 おやつを食べ終わると、マメは再びベッドの中央に寝そべった。

「詩季、ありがとうっ……」

「すごいな。凝視されていたのに食べた」

「え、何か悪いことした?」

「大丈夫だよ」

「ほんとかな……。ヤマくんはあげたことあるの?」

「ないよ。あいつうるさいからマメが近寄らない」

「そっか。僕は運が良かったのかな」

 タロウの撫でる手から、マメは逃げないで触らせてくれた。ふかふかの手触り。

 詩季と二人でベッドに頭を預けて、マメの様子を観察する。

「かわいいねー……」

 タロウもいつのまにか眠ってしまっていた。


 起きた後、リビングで人間用のおやつもくれた。美味しかった。




「じゃあなー」

 山村が原付バイクで帰っていく。

「詩季はこれからジョギングなんだ」

「うん。タロウはまっすぐ帰る?」

「図書館でも寄っていこうかな」

「あ、ちょっと待って」

 詩季が家の中に入り、少しして出てくる。

「これ、ありがとう。返すの遅くなってごめん」

 詩季が手にしていたのは、『恋はねむる』の小説だった。

「そういえば貸していたね。どうだった? 映画と同じ流れだけど、ところどころ心情が言葉に起こされていたよね」

 作者が映画脚本家、原案が監督なので、かなり映画に近い小説だった。

「うん。綺麗な文章の人ですごく合っていたね。……でも、ごめん、最後まで読んでいない」

「え……」

 意外だ。癖のない文体だし、詩季の本棚に並ぶ本の趣味からしても、苦手だとは思わなかった。

「ゆっくり読んでもいいけど」

「いい。ありがとう」

 読む時間がなかったわけではないようだ。細かな趣味があるのだろうと、タロウが本をしまおうとしたとき、

「……映画の最後、結ばれなかったから……」

 詩季がぽつんと呟いた。

「それで、読まなかったの?」

 詩季が頷く。

「読めなかったんだ。ページがだんだん減っていって、もうすぐあのシーンだと思うと、読むのが遅くなった。それとその頃……。……いや、なんでもない。ごめん」

「紫は……断ったわけじゃない」

 声が震えた。

「でも長房は、もうあの場所に来ない」

(もう来ない?)

 映画のラストシーン。主人公の長房は列車に乗って都会へ帰り、彼の愛する紫はその姿を見送った。列車が見えなくなる前に、映画の幕は閉じた。

 紫はもう二度と、長房が乗る列車を迎えることができないのだろうか……。


「ちがうっ」

 タロウは詩季に本を押し返した。

「読んで」

 ぐいぐいと押しつけて、詩季に無理矢理持たせた。

「タロウ?」

「この本の最後で結ばれなかったのは、そうだけど……」

 それだけじゃない。

「紫の心は、動いたよ」

「――……」

 詩季はきっと、困った顔をしているだろう。

(僕は、自分の気持ちも決まらないのに……)

 言うだけ言って、タロウは走ってその場を後にした。




『恋はねむる』

 物語の語り手で主人公の長房は、都会と仕事から離れて、山を越えた先の地に静養に訪れた。

 近くのあぜ道を散歩して、診療所へ顔を出す。

 広々として素朴な庭。藤の花が盛りで、その下で長房は、紫に出会った。


 とても綺麗に、柔らかく微笑む紫。

 朴訥な長房が恋に戸惑う様子を、気にもしない。

 乏しい体力で、凛と軽やかに、紫は一人の時間を楽しんでいた。

 長房は彼女の散歩についていく。心配と同時に、敬愛の気持ちで。

 彼女の歩く先は、どこも美しく見えた。


(映画では……)

 異郷の客人に対するお人形のような微笑みが、やがて陽の光のような表情に変化した。

 恋に戸惑っていた長房も、戸惑いは薄れて、ただ愛しい人との散歩を楽しむようになった。

 他の人とのエピソードもあったけれど、二人を変えていったのは、お互いの存在だった。


 映画と小説のストーリーは同じ。

 最後に、長房は都会へ戻る。また君に会いに来る、そう言って抱きしめようとした長房から一歩離れた紫。

 紫は、その季節に集められるだけの野の花を長房に贈った。




 ――映画の最後、結ばれなかったから……。

(違う。あの二人は……)

 長房はきっと何度でも来るし、紫は手紙を送る。

 タロウはそう信じている。

 詩季の方が細かい心情を……、特に長房の心情を読み解くことが上手と知っているけれど。

 それでもタロウは信じている。


 小説に答えがあったわけではない。ただ、読み進めれば進めるほど、二人の幸せな気持ちが溢れかえってくる文章だった。

(紫は……)

 紫の好きを表現した。

 素朴な花を、朴訥な青年に贈った。

 近くにしかいけない紫の散歩に、楽しそうに付き合ってくれた特別な人に……。




(友だち……、好きな人……)

 どちらと思えばいいのか、よく分からないけれど、

(詩季……)

 タロウの胸を、特別に温めてくれる人だ。

(……詩季の目には、やっぱり別れるように見えるのかな)

 映画の感想を言い合っていたときは出てこなかった。今度は、詩季の本の感想を訊いて、タロウの感想も訊いてほしい。


 次の約束は三日後。あの丘で会う。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ