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【1章】1 木漏れ日の丘

 風に揺られて擦れ合う葉音。時折ウグイスのさえずりが聞こえる、穏やかな陽気。

(寝てた……)

 薄っすらと目を開けると、晴れた空が広がっている。その視界の端を覆うように囲う緑。

 いつもの昼寝場所だ。

 タロウはまた目を閉じて、眠気にたゆたう至福の時を過ごす。

(眩しいかも)

 日の眩しさを避けるために顔に掛けていたハンカチが、いつのまにか無くなっていた。日が傾いたのかやや陽は柔らかくなっていたが、それでも睡眠を阻害するには十分な光だ。目をつむったまま手を動かしてハンカチを探す。

「……?」

 左に伸ばした手に何かが当たった。温かい感触。

「ん……、起きた?」

 眠気を帯びた若い男の声。眠る前はいなかった存在。

(好きな声)

 まだぼんやりする頭で、タロウはそう思った。顔を声の方へ向けつつ、重い瞼を開けた。


 春の若葉は芽吹いたばかりで、まばらで薄い群れは木漏れ日をふんだんに透き通らせている。

 そこにいた彼は優しく微笑んでいた。

 完璧な美貌に占められた光景は、見たこともないほど美しかった。


「おはよう」

 完璧な唇が動いた。

 タロウが答えられないでいると、

「佐藤くん?」

 不思議そうな表情に変わった。タロウはやっと硬直が解ける。

「どうして夏城くんがいるの」

 体を起こし、辺りを確認する。いつもの昼寝スポット。ふもとから十分ほどの丘陵の見晴らし台だ。寝る前と同じ場所である。ただ、やたらと美形な同級生が現れただけで。

 夏城も身を起こし、二人が寝ていたベンチに座る。大きな正方形の木製ベンチは、高校生の男二人が一緒に寝ることも可能なようだ。

「ジョギングの途中。家この辺?」

「違うよ。バスで図書館に来て、ついでに散歩と昼寝してた」

「そうなんだ」

 夏城は木々の開けた方向に目をやった。丘の下には住宅地と田園が広がっているのだが、雑木林が野放図に伸びているので、見えるのは遥か向こうの山並みだけだ。

「俺はふもとから家まで五分くらいだけど、来たのは小学校以来だ」

「確かにここ、人がほとんど来ないね」

「山道って感じで少し入りにくいかもな。他の山はジョギングできるくらい整備されているけど」

 山ってジョギングしていいものなのだろうか。

「静かだから昼寝にはいいよ」

「うん。俺もぐっすり寝てた」

 風が穏やかで、またうつらうつらとしそうになる。

(話さないと)

 会話は苦手だから、今、脳と口を休ませたらだめだ。沈黙から抜け出せなくなる。

「……久々に来たなら今日はすごい偶然だね」

「そっちは今日はたまたま?」

「僕は週に一回くらい」

「それはたまたまじゃなくて頻繁だと思う」

「このベンチ寝やすいんだよ」

 とんちんかんなタロウの言葉を、夏城は心地良い声で笑った。

「気持ちよさそうに寝ていたもんな」

 そうか。寝顔見られたのか。恥ずかしい。

「俺も好きになったよ」

 ――とくんと心臓が鳴った。

 夏城はタロウに向けていた顔を空に向けた。

「良いところだね。空と森だけで、のどかだ」

「うん」

 返事をしながら、タロウは浮かれる心を抑える。ここはタロウのものでもなんでもない公共の緑地だ。それでも夏城の声が奏でる好意は、耳をふわふわと魅了した。


 夏城は見た目通りもてる。

 それどころか、学年トップの成績、バスケットボール部では一年からレギュラー、穏やかで優しい性格も相まって、この見た目さえ通り越してもてる。

 タロウも綺麗で優しいものは好きだから、ひそかに夏城を目の保養と心の潤いにしていた。

(近くで見ても整った顔……)

 座っていても分かる長身と長い手足は、しっかりと筋肉をまとっている。その存在感がタロウのパーソナルスペースを圧迫しているのに、胸の中はくすぐったく喜んでいる。


 タロウと夏城は、高校のクラスメイトだ。

 この春、二年になり同じクラスになったばかりで、友人とはいえない距離感。私服も初めて見た。

 今日の夏城は無地のTシャツとスポーツ向けのハーフパンツというシンプルな格好だが、どうしてこうおしゃれな雰囲気になるのだろう。タロウも同じような格好なのだが、地味以外の何ものでもない。

 まじまじと観察していたら、夏城もこちらを見ていた。目が合って慌てたが、彼が笑いかけてくれて、こちらも思わず頬が緩む。……彼はこうしてファンを増やしていくのか。


(でも……)

 教室で友だちと話している様子に比べて、今日は静かな感じがする。

(やっぱり、僕といても話すことないよね)

 そう思うと、さらに言葉が出てこなくなる。


「佐藤くんは……」

 夏城が言いかけて止める。こちらの話し下手が感染したのかとタロウが戸惑っていると、彼はもう一度口を開いた。

「下の名前で呼んでいい? 佐藤ってクラスに他にもいて、部活にもいるから少し言いにくい。太郎くんだっけ」

 意外な申し出だった。

「うん。あだ名だし呼び捨てでいいよ」

「ありがとう。俺のことも詩季しきって呼んで」

「分かった」

 棚からぼたもちだ。会えて話せただけでも嬉しいのに、仲良しみたいな呼び方までさせてくれるなんて。

「詩季」

 顔立ちや物腰の柔らかさに合った綺麗な名前。

「タロウ」

 呼び返された。どうしよう。頬が熱い。

「タロウはよく教室でも本読んでいるよね。バスでわざわざ図書館来るくらい好きだったんだ」

 ベンチに置いてあるハードカバーに目を落として詩季が言う。

「好きだよ。でも図書館は定期区間内だからふらっといけるだけ」

「通学、バスなの? バスいいなと思ったけど、電車しか朝練の時間と合わなくないか」

「部活してない」

「あれ、結構ジャージ着ていない?」

「それは楽だから」

 学校は制服があるが、運動着は指定外可、教室や登下校時の着用も可だ。そのため生徒によっては私服校状態になっている。

「そっか。そういうのも有りなんだ」

 詩季は素直に感心しているが、こう……、今の私服のセンスの差を考えると、詩季に服について感心されるのは恥ずかしい。話題を変えよう。

「タロウは休みの日もジャージっぽいんだな。ここで見つけた時も分かりやすかった」

 話題を変えよう。

「その、何で一緒に寝ていたの」

 口に出してから気づいた。この話題はむずむずする。

 タロウは人がいるとくつろげないタイプで、誰かの前で眠るなんて修学旅行くらいしか記憶にない。

(詩季は僕よりずっと社交的だけど、こんなに距離が近くて平気なのかな)

 自分で訊いておいて、返答が予想できなくて混乱する。

 だが詩季は、なんてことないように答えた。

「これ拾ったんだ」

 詩季の手には薄紫色の短冊型の紙が揺れていた。藤の花と女性が写った映画のビジュアルが印刷されている。タロウが使っている栞だ。

「タロウの?」

「そう。ありがとう」

 そういえば眠る直前、何かが顔に当たった。木の葉か何かと思っていたけど、栞を挟みそこなっていたのか。

「階段の辺りまで飛んでいたよ」

「そっか。ほんとありがとう。無くすところだった」

「どういたしまして」

 本屋でもらったものだけど、今も配っているかは分からない。気に入っているから無くさないで良かった。

 受け取ったら手触りが埃っぽかった。土を払ってくれた跡があるが、自分でも表面を撫でる。手元に見え隠れする映画のビジュアルを見ているうちに、タロウは昨日あったモヤモヤを思い出してしまった。

「土取れない?」

 詩季が覗き込んでくる。難しい顔をしてしまっていたようだ。

「ううん。金曜日、この映画にひびき……野田を誘ったんだけど断られたこと思い出して」

 野田響はタロウといつもクラスで過ごしている友人だ。

「野田はこういうの観ないんだ」

「違う。”恋愛物だから彼女と行ってくる”って言われた」

「ん、うーん……」

「野田がこの写真の役者さん好きだから誘ったんだよ。僕が教えるまでチェックしていなかったくせに」

 ムスッとすると、

「じゃあ俺と行かない?」

 と誘われた。

 タロウは呆けた顔で詩季の顔を見返す。相変わらず人好きのする笑顔を浮かべている。

(詩季と映画……)

 嬉しいけど、いきなり二人きりで出掛けるって、ちゃんと会話できるかな。

「この監督の作品、退屈なことが多いよ」

 見たい映画なのに、つい予防線を張ってしまう。

「そうなんだ。落ち着いた感じなのは想像できるけど」

「でも絵作りはすごく綺麗。特に、ヒロインの空気感が」

「なんとなく分かる」

 詩季は小さな栞を見つめている。そしてタロウに視線を合わせて、

「観てみたいな」

 と優しく微笑んだ。

「――……」

 心臓が掴まれた感じがして、戸惑いながら下を向く。

「詩季はこういう映画好きなの?」

「いや、アクションたまに観るくらい」

「……本当に、のんびりした映画だよ」

 タロウの趣味に合わせてくれているのだろうけど。まだ親しいとはいえない友人だ。楽しめないと申し訳なくなる。

 タロウの様子をみた詩季は、少しの沈黙の後、

「じゃあいいや。気が向いたら一人で行く」

 なんでもないような明るい声で言った。


 詩季はジョギングに戻り、タロウは読書を続けたが、あまりページは進まなかった。

 丘陵を降りてバス停へと向かう。辺りの田んぼには水が張られて、夕日がきらきらと光っていたが、タロウの胸中は暗かった。

(詩季、すごく優しかったのに)

 クラスメイトと話しているだけなのに、急に怖くなることがある。善意や好意に見合っただけのものを、自分が返せているか。

 多分、途中まではそれなりに話せていた。けれど二人きりで約束と思ったとたん、後ろ向きなことしか言えなくなった。

「……行きたかった」

 これを詩季に言える勇気があればいいのに。

 長い影が足元に落ちていた。

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