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サウンドスコープ  作者: 春埜 天
1stライブ 「桜と月」
9/21

M6 楽器屋のピアニスト

 駅ビルの七階にある楽器屋。ワンフロアの半分が販売スペース、もう半分が音楽教室になっている大手楽器チェーンのテナントに湊音はいた。

 目的は言わずもがな、ベースボーカルの情報を探すために。


 チェーン店を優先に回っているが、どこも空振りに終わった。そしてそれは、この店舗も例外ではなかったようだ。


「知らないなあ」


 ベースコーナーの担当者は、湊音の質問に困惑の色を浮かべながら答えた。


 駅前広場で路上ライブをしていた、黒髪のベースボーカルを探している――と突然聞かれても困るだろう。時間を取らせてしまったことを、湊音は申し訳なく思った。


「そうですか……」

「力になれなくてすまないね」

「いえ、ありがとうございます」


 店員に軽く礼を告げた湊音は、とぼとぼ歩き出す。


 近隣の大型店舗は制覇してしまった。肩を落とした湊音は、戦法を変えて個人経営の店に攻めることにする。

 ちょうど近場で知り合いが経営している店があった。少々気は進まなかったが、悠長なことは言っていられない。時間がかかればかかるだけ、さくらが暴走する可能性が上がる。

 散々振り回された湊音は、ステージを駆け回る小さな猛獣の姿を思い出した。


 書類審査で目をつけていた応募者と電車で乗り合わせた偶然が、楽器店を梯子してバンドマンを探すことに繋がるなんて、誰が想像できただろうか。つくづく女に頭が上がらない性格を後悔する。


 ――ベースボーカルを見つけるまでだ。ベースボーカルを見つけたら、きっぱり縁を切ってやる――


 強い誓いを立て、階下に繋がるエスカレーターに歩を進める。



 ふいに軽快なメロディーが耳に入ると、湊音の足を引き止めた。


 聞き覚えのある曲だが、ピンとこない。数十秒かけて思い当たったのは、ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」だった。

 思い出すのに時間がかかったのは、湊音の知識が薄かったからではない。ファミコンのような電子音で奏でられていたからだ。


 方向を変えた足先は、吸い込まれるようにキーボードコーナーへ向かう。こっそり覗き込むと、小学生が饒舌にクラシックを奏でている。


 一曲弾き終えたと思えば、ベース、クラリネット、トランペット、木琴と、次から次に音色を取っ替え引っ替えして、無邪気に鍵盤を弾く。

 三十分ほどリサイタルを楽しむと、満足したのか少女は鍵盤から指を離した。楽しませてもらった感謝を拍手にのせると、彼女は照れたようにはにかんだ。

 

「ご清聴ありがとうございました」

「ピアニストなのか?」

「たしなむ程度ですわ」


 白いワンピースを着た少女は、ゆるくウエーブのかかった髪を揺らす。いかにも良家のお嬢様といった印象だ。

 愛し気に鍵盤をなぞる。所作ひとつひとつから、音楽を愛する気持ちが伝わってきた。


「話には聞いておりましたが、とても面白いですわね。七色の音がでるなんて素敵ですわ」

「八十八鍵のバリエーションが、ボタンの数だけ変わるからな」

「あら、よくご存知ですのね」


 彼女は感嘆の声をあげた。

 首のゆるんだTシャツとジーンズ。締まりがない恰好の男に、音楽の知識があるとは思わなかったのだろう。


「時々、弾きにくるのか?」

「今日は要件が……、あっ!」

「どうしたんだ」

「ピアノの調律をお願いしたいのだけれど」


 先の会話で湊音を店員だと思ったらしい。

 一般客だと伝えると、おつかいが失敗した子供のように目を潤ませた。


「お父さんとお母さんはどこだ? 初めてのおつかいか?」

「失礼な。わたくしは20歳ですのよ。お酒も飲める年齢でございますわ」


 頬を膨らませると、更に小学生のように見える。

 仕草が子供っぽいのだが、と口を滑らせそうになり、湊音は慌てて口を縫った。


「私は斎紡満いつきつぐみ。あなたの名前は?」

「湊音。鳴海湊音だ」


 少女――いや、レディは手を差し出す。

 ぎゅっ。

 彼女の手のひらに、湊音は手のひらを重ねた。


「何をしていますの?」

「握手」

「ふざけてますの?」


 理解できないとでも言いたげな顔で、紡満は下から覗き込んだ。

 その顔をしたいのはこっちだ。


 頭を抱えた湊音の行動を更に勘違いしたお嬢様は、子供に諭すようにはっきり告げた。


「店員のところに、案内してほしいのだけれど」


 つまり、エスコートしろという意味だったらしい。残念ながら、湊音に社交界の知識などない。

 問題児《お嬢様》を店員に押し付けるわけにもいかず、手を握ったまま目線をあわせた。


「それで何が欲しいんだ?」

「買い物ではありませんわ。ピアノの調律をお願いしようと思いまして」


 詳しい話を聞くと、愛用しているピアノの調律がすぐに狂うのだと紡満は話した。

 不調は一年ほど続いているが、一度調律すれば二か月程度はもつので、その場しのぎで依頼に来たそうだ。


「本来ならお父様の秘書が対応するのですが、会社の繁忙期で時間が取れないそうなの」

「そのピアノ、どれくらい使われてるかわかるか?」

「母が生まれた時に買ったと聞きましたわ。四十年弱でしょうね」


 ピアノの寿命は六十年ほどだが、早ければ三、四十年で買い替えのタイミングを促す職人もいると聞く。


「買い替えたりはしないのか?」

「どうにも今のピアノから、乗り換える気になれないんですの」


 調律しても原因が見つからなければ、今後も困るだろう。何よりこれから向かう店は、紡満の需要にマッチしている。

 目的地は同じなのだから、彼女が同行したって湊音に不利益はないだろう。


「腕のいい調律師を知っているんだ。今からその店に行くから、一緒に行くか」

「まあ、素敵なご提案ですわね。ぜひご一緒させてくださいな」


 もう一度、紡満は手を差し出した。

 湊音は少し考えると、子供と歩くときのつなぎ方をした。


「一般庶民がエスコートする時は、こうやって手をつなぐんだ」

「あら、そうでしたの。それは失礼」


 どうやら外見だけでなく、中身も小学生だ。


 エスカレーターを下っていると、壁に設置された鏡が目に入る。反射する二人の姿は、親子か誘拐犯のどちらかだ。


 職務質問されたら、なんて答えればいいんだ――必死に言い訳を考えながら歩くが、湊音の懸念が紡満に伝わることはない。

 軽率に彼女を誘った過去の自分を恨む。湊音の頭二つ小さい紡満が、鉄道会社運営ゲームの貧乏神に見えてきた。


「なんでキーボード弾いてたんだ」


 優雅にスカートの裾を翻す紡満に、湊音は取り繕った質問を投げた。

 無言だと怪しまれる――と、女児を誘拐する犯罪者の思考回路に陥った湊音が、必死で絞り出した奥の手だった。

 楽器屋まで間がもてば何でもいい。とにかく浮かんだ無難な質問に、紡満はすんなりと回答を告げる。


「店員が声をかけてくるのを待っていたの」

「え?」

「やはり予約していくべきでしたわ」


 自分から声をかけるという選択肢は、もとより彼女の中にはなかったようだ。


「困っていたら、目の前に鍵盤があったので遊んでみたの」

「そうか。遊んでみたのか……」


 彼女を異世界人か何かだと思うことにした。そうでもしないと、湊音の庶民的感性では理解できない。


風見かざみ楽器店。ここが目的地ですの?」


 紡満はクリーム色の看板に書かれた、黒い文字を読み上げる。


「よく読めたな」


 つないだ手を離し、紡満の頭を撫でてやる。少し嬉しそうに頬を染めた紡満は、すぐに「子ども扱いはやめなさい!」とキンキン声が響かせた。

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