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07.

 マデリーンはいつも勝者だった。

 どれほど美しいと評判の令嬢も、どれほど気品があると持て囃された令嬢も、マデリーンがひとたび夜会に姿を見せれば、たちまち背景と化してしまう。


 生まれ持った美貌を指して『顔だけ女』と揶揄する人間もいた。

 けれど生来負けん気の強かったマデリーンは、そんな運だけで決まる要素に満足していられるような性分ではなかった。


 淑女としての振る舞いや礼儀作法を身に着けるため、どんなに体調が悪い日でもレッスンを欠かすことはなかった。

 踊ったこともないダンスを、履いたこともない高い踵の靴で優雅に踊るため、文字通り血が滲むほどの練習を積んだ。


『平民であることがもったいない』

『身分さえ高ければ』


 そんな声すら黙らせるほどに、壮絶な努力をしてきたのだ。

 それなのに。必死の努力すら無意味だと思えるほどに、マデリーンはどう足掻いても、とうとう最後までリデルにだけは勝てなかった。


リデル王女(プリンシア・リデル)の暮らす離宮は、壁紙も調度品も白で統一されていた。こちらでご用意する部屋も、同じ雰囲気で整えておこう。住み慣れた場所と内装が似ていれば、きっと彼女も安心して過ごせるだろう」

「リデル王女は生まれつきお身体が弱い。少しでも無理をすれば、三日間は寝込むほどだと彼女の腹心の侍女が教えてくれた。基本的には侍女たちが身の回りの世話をするが、皆もよく気遣うように」

「結婚式の際に聖堂へ飾る花は、リデル王女の一番好きな白薔薇で揃えるように。温室中の白薔薇をかき集めるんだ」


 長いこと空のままだった城主夫人の部屋が、リデルのためにめまぐるしく変わっていくさまを、マデリーンはただ突っ立って眺めることしかできなかった。


 国王から結婚の許しを得てからのオスカーは別人のように浮かれはしゃぎ、まるで幼い少年のようにきらきらと輝く目をしていた。

 王女と結婚するため、死に物狂いでオルディア山脈の紛争を制圧したのだ。天にも昇る心地だっただろう。


「これから王都に行って、改めてリデル王女に求婚をしてくる。薔薇の花束を、喜んでいただければいいのだが……」


 父の死後、身を粉にして働き疲労困憊しているにも拘わらず、王女のためにと手ずから温室の薔薇を摘み、小さな花束にしたオスカー。

 王女に頷いてもらえたと、嬉しそうに報告したオスカー。

 間もなく始まる新婚生活に胸弾ませていたあの時期の彼は、マデリーンが知っている中で、最も生き生きしていた。


 そして、婚礼衣装に身を包んだリデルと、そんな彼女を切なげに見つめるオスカーを目にした瞬間、マデリーンは完膚なきまでに打ちのめされた。

 光降り注ぐ聖堂で永久の愛を誓うふたりは、神の祝福を一身に受けているかのごとき神々しさだった。なんと満ち足りた、幸福な夫婦なのだろう。

 負けた、と。あれこれと頭の中で理由を考えるより先に、心で理解していた。


「マデリーン、君もリデルを支えてやってくれ。女主人としての仕事は、彼女の身体には負担がかかってしまうだろう。リデルがこの城での生活に慣れるまでは、君に任せることになってしまうが……」


 ――それを、わたくしに仰るの?


 偽物の笑顔は得意だ。けれどこの時ばかりは、表情が凍り付いていなかったか、声が震えていなかったかどうか自信がない。


「いいえ、どうぞお気になさらず。わたくしがこちらでお世話になるのも、あと一年ほどですもの。せめてこれまでのご恩返しに、喜んで奥さまをお支えしますわ」


 あと一年で、マデリーンはアーサーと共にアッシェンを離れることが決まっていた。

 兄の婚約者となった子爵令嬢のはからいで、彼女の屋敷で共に暮らすことを許されたからだ。


『わたくしには、老いて視力のままならなくなった母がおりますの。マデリーンさまには母の相談役となって、本を読んだり話し相手になっていただきたいのです。それだけでなく、これまで社交界で培った経験を生かし、外出先へ介添人(シャヴロン)として同行していただけたら助かりますわ』

 

 もちろん、それに見合った手当も出すし、結婚するつもりがあるのならいずれ地元の名士でも紹介しようと。子爵家にいる限り男爵が関わってくることはないだろうし、結婚すれば尚更手出しはできないだろう。

 いずれにせよ、このままアッシェンに残ることはできない。子爵令嬢の申し出を断る理由は、マデリーンにはなかった。


「ありがとう。助かるよ、マデリーン。きっとリデルも喜ぶだろう」

 

 柔らかな笑みは、マデリーンに向けられたもののように見えて、決してそうではない。


 ――なぜ、その表情を向ける相手がわたくしではいけなかったのですか?


 理解はしているのだ。

 相手はひとりの人間で、マデリーンの思うとおりに動いてくれる人形ではない。

 けれど気味の悪い老人に人生を台無しにされた挙げ句、手痛い失恋を経験したばかりの十七歳の娘が、この局面でどれだけの冷静さを保てただろうか。


 愛おしくて堪らなかった。だからこそ、それ以上に憎らしかった。

 マデリーンの気持ちに少しも気づかず、無神経にも目の前で楽しげに王女のことを語る彼のことが。


 リデルが嫁いで来てからというもの、オスカーは何においても彼女を優先するようになった。

 口を開けばリデル、リデル、リデル。

 王都からの長旅で疲労しているであろう身体に負担をかけたくないからと、恐らく彼が最も心待ちにしていたであろう初夜にすら、妻の寝室を訪ねることはしなかった。

 そして側にいれば抑えが効かなくなるかもしれない、少しでも冷静になるためにと、二週間にも亘る領地の視察へ赴いた。


「本日は奥さまの体調が優れず……」

「朝からお具合が悪いようです。きっと、環境の変化にお身体がついていかないのでしょう」


 リデルの侍女からそう言われるたび、オスカーは厨房を訪ねて滋養によい食事を用意させた。少しでも気分が明るくなるようにと、お抱えの職人に作らせた小さな硝子細工や、庭で摘んだ花を届けていた。

 跡継ぎの誕生を待ち望む声が早い内に止んだのも、ふたりの結婚が長いこと白いままだったのも、明言はせずともオスカーの強い意志があったからだ。


 リデルの弱い身体では、出産に耐えられないかもしれない。

 何もしなくていい。ただ側にいてくれるだけでいいのだという、オスカーの究極の愛は――無言の想いは、リデルには届いていたのだろうか。


 マデリーンの目には、とてもそうは見えなかった。


 ――だってあの方は、いつも不幸せそうなお顔をなさっていた。どうしてなの?


 結婚当初からリデルはいつもおどおどして、自信なげに振る舞っていた。

 愛しているのはオスカーのほうだけで、リデルにとってこの結婚は不本意なものだったとでも言うのか。


 ――いいえ、違うわ。


 マデリーンの目には確かに、リデルもオスカーを愛しているように見えていた。

 彼女が手作りのサンドウィッチを振る舞おうと、厨房に入った日のことを今でも覚えている。両手一杯に傷を作ったリデルを心配したオスカーが、珍しく料理人たちを叱りつけていたから。


「彼女に何かあったらどうするんだ!? もう二度と、厨房への出入りはさせないように!」


 たかがあの程度の切り傷と、小さな火傷程度で心配してもらえるリデルが羨ましい。

 それなのに彼女は、マデリーンがどれほど願っても手に入れられなかったものを既に手にしているのに、まるで自分こそがこの世で一番不幸だとでもいうような顔をして。


 その時のマデリーンの目に、リデルは、目の前の幸せにさえ気づかない愚か者として映っていた。


 ――こんなに愛されているのに。こんなに大切にされているのに……! 


 だから『はずれ姫』などと呼ばれるのだ、と無性に腹が立った。

 けれど元々両想いの夫婦だ。そんなすれ違いはすぐに解消され、これから一生、幸せに暮らしていくのだろう。


 だから、こう考えたのだ。 

 リデルはこの場所で幸せを掴み、自分は退場する。だったら、最後に少しくらい意地悪してもいいではないか。

 オスカーの想いを無下にして悲劇の主人公のような顔をしているあの女に、軽い罰を与えてもいいではないか。


 そう考えた自分こそが一番の愚か者なのだと、気付きもせずに。 

 

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