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02.

 マデリーンは自分の容姿が優れていることを知っていた。

 町を歩けば誰もが美しいと褒めそやし、パーティーに参加した際はその場のどんな令嬢より男性の注目を集めた。結婚を申し込まれた回数など、もう覚えてはいない。


 その内の幾人かは、脂の乗った父の商売にあやかろうという考えの者もいただろうが、それだけが理由でないことは男たちの熱っぽい眼差しを見ればすぐにわかった。

 いっぽう女性陣はといえば、年の割に成熟した雰囲気を纏い、常に男性陣の注目を集めるマデリーンを毛虫のように厭悪(えんお)した。


 ――貴族令嬢でもない成り上がりのくせに。

 ――父親の商売相手を籠絡し、のし上がったという噂よ。

 ――まあ。道理で、ご年齢のわりに大人びていらっしゃると思いましたわ。

 ――きっと色々(、、)と大人の遊びをご存じなのね。


 マデリーンが夜会へ顔を出す度、嘲笑混じりの陰口が挨拶代わりのように飛び交う。

 初めの頃は酷く傷ついたし、何度耳にしても慣れるようなものではなかった。中には信じられないほど残酷な中傷もあったけれど、マデリーンは気にしないふりをした。

 

 彼女たちがあんな酷い言葉を口にするのは、嫉妬しているからだ。自分が幸せではないからこそ、他人を攻撃して優越感に浸りたいのだ。

 

 だから外ではいつも艶然とした笑みを貼り付け、どんな陰口も気にしないよう振る舞った。

 陰口を叩いてた女性たちにとっては大層皮肉なことに、そんな堂々たる様子は益々男性たちの関心を引き、マデリーンはますます夜会の華として持て囃された。


 けれどどんな男性から愛を向けられようと、マデリーンの心を占めていたのはただひとり。


「オスカーさま、ごきげんよう! いらしてくださって嬉しいですわ。さあ、紅茶とお菓子をどうぞ」

「マデリーン。いつもありがとう」

「おい、マディ。いつも言ってるがそれはメイドの仕事――」

「お兄さまは黙ってらして! わたくしの淹れたお茶は美味しいと評判ですのよ!!」

 

 やや強引にティーカップを並べると、オスカーが控えめな苦笑を零す。

 年齢の割に成熟していると言われるマデリーンだが、オスカーには敵わない。彼はまるでいくつも年上のような顔をして、困った娘だと言いたげな目でマデリーンを見るのだ。


『あいつは気を許した相手にしか笑わないんだ。特に女性が苦手みたいでな。まあ、あの顔だから色々と面倒も多いんだろう』


 初めの頃は無愛想だったオスカーが『マデリーン』と親しげに呼びつけるたび、徐々に打ち解けた様子を見せるたび、兄がこっそり教えてくれたその言葉を思い出す。

 やはり自分は彼にとって、特別な存在なのだ。たとえそれが兄を介した付き合いであったとしても、今はまだ妹のように思われていたとしても、このまま交流を続けていけばいずれは。

 密かに胸を熱くしていたマデリーンの希望は、しかしある日突然、打ち砕かれた。


 嫌な予感はしていたのだ。

 女性に贈り物をしたいと言ったオスカーの表情を見た時から。

 そして、それがどんな女性か聞かれた彼の言葉を耳にした瞬間――。


『……月の光を浴びた、妖精のような女性だ。砂糖菓子のように儚げで、ガラス細工のように危なげで、花びらのように繊細な……。見ていて放っておけないと、つい手を差し伸べたくなるような』


 マデリーンは、己の恋が終わったことを悟った。


 ――一体、これは誰ですの?


 こんなオスカーを、マデリーンは知らない。

 こんな優しげな眼差しで誰かのことを語る彼を。

 愛おしそうな口調で、迷うように言葉を選びながら、柔らかな詩を紡ぐように話す彼を。


 ――わたくしは……知らなかった。


 どうして自分が特別だなんて、恥ずかしい勘違いをしていたのだろう。

 驕りにもほどがある。終わったのではない。この恋は、始まってすらいなかったのだ。

 自分ひとり浮かれ、思い違いをし――。

 オスカーにとって自分はあくまで『友人の妹』で、それ以上でもそれ以下でもない、アーサーがいなければ相手にすらしてもらえない存在だったのに。


 だけど、こんなにも好きなのだ。

 初恋だった。

 彼しかいないと思ったのに。


 瞬く間に頭に血が上り、気づけば、マデリーンは挨拶もせずに客間を飛び出していた。

 

 ――ひどい、ひどい、酷い……!!


 悲しさと、悔しさと、羞恥と怒りが胸の中で渦巻いている。

 醜い感情が腹の奥に澱のように溜まっていき、熱い涙となって零れていく。


 マデリーンは自室に立てこもり、それから一週間、身体中の水分を出し切るかのように泣き続けた。恋に破れたばかりの十六歳の少女にとって、荒れ狂う自身の心は手に余るもので、誰かが部屋を訪ねてくるたび怒鳴って追い返していた記憶がある。


 理不尽な怒りだと、頭の片隅でわかってはいた。これでは、欲しかった玩具が手に入らなかった子供の癇癪と変わらない。

 皆、心配してくれていたのに。


 オスカーだって、何も悪くない。彼はただ、己の愛する人を見つけただけだ。

 それがただ、マデリーンではなかったというだけ。

 悪いのは、告白もせずただ『その時』が来ることを勝手に期待していたマデリーンだ。

 せめて己の思いを伝えてさえいれば、こんな悔しい思いはしなかったかもしれない。けれどマデリーンにはその勇気さえなかった。


 それから一年も経った頃、社交界ではとある噂がまことしやかに囁かれるようになっていた。

『氷の騎士』と『はずれ姫』の婚約が間近らしい――。


 正式な社交界デビューは果たしていないものの、準男爵である父のおかげでさまざまな夜会に参加していたマデリーンの耳にも、当然その噂は届いていた。

 王家の落ちこぼれと呼ばれる第四王女リデルと、将来有望な騎士オスカーとの縁談。

 元々は、オスカーのほうから国王へ願い出た話だという。

 

 けれど元々貴族たちの間で評判が悪かったこともあり、噂にはさまざまな尾ひれ羽ひれが付き、当時は無責任な噂ばかりがひとり歩きしていた。


『国王が貰い手のない娘を無理矢理押しつけた縁談』

『王女が権力を嵩にきて強引に婚約を結ぼうとしている』

  

 しかし、マデリーンはそうではないと信じていた。

 正騎士となったオスカーが実家を訪ねてくることは少なくなっていたけれど、わざわざ彼本人に聞かなくてもわかる。きっとそのリデル王女こそが、オスカーが贈り物をしたいと言っていた相手なのだろう。

 だとすれば、彼があれほど愛おしげな目で語っていた女性が、貴族たちから噂されているような落ちこぼれであるはずがない。

 きっとオスカーの言っていたような、美しく清らかな女性なのだろう。

 まだ、心から応援しようと思えるほど心の傷は癒えていないけれど、それでオスカーが幸せになれるのだとしたら。


 ――わたくしにできることは、おふたりの結婚が上手くいくよう祈ることだけだわ……。


 そうして、この傷ついた心も徐々に癒えていくのだろうと――己の未来も知らずに。

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