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10.

 しかしその後の授業にエミリアが現れることはなかった。

 茶会を想定したマナーレッスンのため、ティールームで待っていたジュリエットの許へやってきたのは、いかにも気弱そうな年若い侍女だ。最近になって雇われたばかりなのか、侍女服は真新しく、まだ着慣れていない印象である。


「申し訳ございません、ジュリエット先生。お嬢さまは気分が優れないと仰っていて……」


 おどおど視線をさまよわせながらそう口にした彼女の言葉には、地方出身者独特の訛りがあった。

 貴族令嬢に仕える侍女は、下働きのメイドと違って一定以上の教養が必要である。そのほとんどは下級貴族、及び豪商など裕福な家柄出身の女性に限られ、幼い頃から高い水準の教育を受けているはずなのだが。


 ――発音の矯正をしなかったのかしら?


 社交界では、端正で品のいい純正エフィランテ語で会話することが求められる。

 しかし彼女の場合は言葉だけではない。貴族令嬢の侍女にしては、立ち居振る舞いも少々粗雑に見える。ロージーたち給仕メイドのほうが、よほど洗練されて見えるほどだ。

 しかし、ジュリエットはすぐにその考えを追い払った。今はエミリアの話が優先だ。 


「もしかしてお風邪を召されたのかしら。ハリソン先生には? もうお診せになりましたか?」

「その――」


 新人ということに加え、生来嘘をつくことや誤魔化すことの苦手な(たち)なのだろう。言葉に詰まりながら目を伏せる侍女の様子で、ジュリエットはぴんと来る。


「男爵夫人のお嬢さまたちの一件、ですか?」

「いえ、はい……。ええと、あの……。乗馬のレッスンから戻られて、ずっと寝台に伏せっておいでで……」


 本来であればあまり他人に漏らしてはならない類いの話題だと、一応わかってはいるようだ。体調不良ならまだしも、一介の侍女が、主人の心の弱みを他人に握らせるなどあまりに軽率である。

 リデルに仕えていた侍女たちと比べると、未熟さが際立つ。

 オスカーは面接をしなかったのだろうか。


 基本的に使用人の人事は執事やメイド頭に一任され、主人が携わることはないが、侍女や乳母、家庭教師となるとそうもいかない。

 主人や奥方自らが面接を行い、その人となりを見極めるのが普通だ。


 ただ、ジュリエットはそれを詮索したり指摘したりする立場にはないし、エミリアが落ち込んでいることを知れたのは、侍女の口の軽さゆえだから一概に非難ばかりもできないのだが。


「よろしければ、エミリアさまのご様子を窺いに行っても? お話ししていたら、少しは気が紛れるかもしれませんし」

「ええ! それはもちろん。先生に来ていただければお嬢さまもきっと喜びます」


 主人が落ち込んでいるというだけで気を揉むのだろう。ジュリエットの申し出に対し、侍女は渡りに船と言わんばかりに大きく頷いた。

 侍女としては未熟でも、純朴な様子には素直に好感が持てる。よく見ればジュリエットより更に年下のようだ。エミリアとそう変わらない年齢だ。


「それじゃ、準備をするわね」


 自然と、子供を相手するような口ぶりになってしまう。

 さすがに失礼だっただろうかと思いきや、彼女ははにかんだような安堵したような笑みを浮かべていた。この城で、こんな風に気安く話しかけてくる相手はこれまでいなかったのかもしれない


「お茶とお菓子をエミリアさまのお部屋まで運ぶの。手伝ってくれる?」


 きつね色に焼けたスコーンも、一口サイズのチェリーパイも、お抱え菓子職人が腕によりをかけて作ったものだ。手をつけないなんてもったいない。

 ふたりでせっせと菓子を籠に詰め、エミリアの部屋へ向かう。


 西棟を拠点として生活するジュリエットが東棟を訪れるのは、ひと月前のエミリアの誕生日会以来のこと。少し緊張しながら階段を上っていると、ふと、最上段に覚えのある人影が見えた。

 壁に掛けられた丸い額縁を手に取り、隠すように胸元へ抱え込んでいる。


「――スーザン?」


 ジュリエットが名前を思い出すより早く、隣にいた侍女が声を上げた。

 赤毛を翻しながらばっと振り向いたその顔は、間違いない。マデリーンを勝手に『奥さま』と呼んでいる、あの底意地の悪そうな部屋メイドだ。

 ジュリエットたちが近づいていることに、声をかけられるまで気づいていなかったらしい。驚愕して額縁を取り落とし、あたふたと拾い上げている。


「どうしてあなたがここに? その肖像画は――」

「よ、汚れてたから拭いておこうと思ったの」

「今は清掃に入る時間じゃないでしょう」


 侍女の言う通りだ。なぜ、定められた時間外に主人一家の私的な空間に入り込んでいるのだろう。

 それに、単に額縁を拭こうというには、先ほどの彼女の態度は不自然すぎる。あれではまるで、額縁をこっそり別の場所へ持ち出そうとしていたようにしか見えない。


「お嬢さまも、キティさまとジェーンさまにもっと優しくしてあげればいいのに」


 追求に対し、スーザンは舌打ちをこぼした。

 答えになっていない上に、使用人には過ぎる言葉だ。主人の態度を批判することによって生じる不利益を、彼女が甘んじて受ける覚悟があるのなら話は別だが、きっとそこまで考えてはいないのだろう。


「寂しいのはわかるけど、ご主人さまの再婚を邪魔するなんて、酷いでしょ。そりゃ、早くにお母さまを亡くされたのは可哀想だけどさ。奥さまが新しいお母さまになってくれるんだから幸せじゃない? いつまでも死んだ母親にばかり固執してないで、奥さまと仲良く――」

「口を慎みなさい、スーザン」


 気づけば自分でも驚くほど冷えた声を発していた。

 スーザンの言葉は自白と同じだ。死んだ母親(リデル)に固執せず、父親の再婚を応援しろと。そのためには、リデルの肖像画が邪魔だと考えたのだろう。

 捨てるつもりか、あるいは燃やすつもりだったかはわからないが、どちらにせよ、それが母を慕う娘にとってどれほど残酷な仕打ちか。

 想像力の欠如から独善の虜となり、他人の心を慮ることができないのは、それだけで重罪だ。


「それは他人(ひと)の想いを踏みにじる言葉よ。あなたは自分が何をしようとしたかわかっているの?」

「なんでアンタにそんなこと言われなきゃいけないの!? たかが肖像画くらいで〝想いを踏みにじる〟とか、大げさなんだよ! 偉そうに。ただの絵じゃない!」


 もはや嘘で取り繕うつもりもないらしい。スーザンは真っ赤な顔をして喚き散らしている。

 たかが肖像画というのなら、こうして躍起になる必要もない。彼女自身、自分がどんなに矛盾した言葉を発しているのか気づいてもいないのだろう。


「あなたにとってはただ紙に絵の具を塗っただけのものかもしれない。でも、故人を偲ぶエミリアの、心の拠り所を貶す権利は、誰にもないはずよ」


 赤子の頃に母を亡くした彼女が、毎日どんな思いでリデルの肖像画を見ていたか。

 けれどやはり、ジュリエットの言葉はスーザンの心に少しも響いていないようだった。


「うるさいっ。こんな絵があるからいけないんだ! これさえなければ、お嬢さまも目が覚めるはずよ!」

「いい加減にして、スーザン! あなたの言ってること、恥ずかしいわ!」

「年下のくせに生意気な! あたしは奥さまのために――っ」


 見かねた侍女が悲鳴のような声で制したが、スーザンは聞く耳持たず即座に反論する。


「……お前の言う奥さまというのは誰の話だ?」 


 しかしその場に割り込んだ静かな声に、彼女は鋭く息を呑み込み、たちまち青ざめた。

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