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09.

 レッスンが始まって一時間ほどが経ったところで、キティとジェーンもジュリエットたちのいる場所まで戻ってきた。


「きょうもおうまさんにのるの、とってもたのしかった!」

「たのしかった!!」


 息を弾ませるふたりの背後では、アダムを始めとする騎士たちがぐったりと疲れ切った顔で馬を引いている。

 まだ三歳のふたりは、ひとりで馬に乗ることはできない。まずは大人が手綱を引く馬に乗り、柵の内側をゆっくり回って平衡感覚を鍛えるところから始めるのだが、どうやら双子は騎士たちが馬を引く速度に不満があったようだ。


『もっと早くはしって!』

『ゆきソリくらい早く!』


 そんな声が聞こえてくるたび微笑ましく思ったものだが、当の騎士たちからすれば笑い事ではないだろう。

 子供たちが落馬しないよう安全に配慮しつつ、不満を抱かせない程度の速度で馬の手綱を引き、広い訓練場内を何周も回る。いくら常日頃から身体を鍛えているとはいえ、無尽蔵ともいえる子供の体力に一時間も付き合うのは至難の業だろう。


「皆さん、お疲れさまです」

「いやぁ、ははは……。このくらいなんてことないですよ」

「我々は鍛えてますからね、はは……」


 とても「なんてことない」とは言えない顔で力なく笑う騎士たちとは裏腹に、双子たちはまだまだ気力も体力も有り余っているようだ。

 エミリアの両腕にしがみつき、その場でうさぎのように元気よく飛び跳ねている。


「おねえちゃま、おねえちゃま! みててくれた!? キティ、おうまさんのレッスンがんばったの」

「ジェーンもー!」

「そう、よかったわね」


 エミリアは眉間に皺を寄せ、あからさまにそっけない返事をするが、やはり通じない。それどころかふたりはますます興奮し、更に強くエミリアの腕を引っ張る始末だ。

 年の離れた彼女を姉のように慕っているのは強く伝わってくるが、あれでは本末転倒だ。といっても、一方通行の気持ちが相手にとって重荷となることを、ふたりが理解できるかどうか。


「早くおねえちゃまみたいに、カッコウよくおうまさんにのりたい!」

「のりたーい!」

「ちょ、ちょっと……! そんなに引っ張らないで、痛い! 痛いったら」


 ぶら下がるように体重をかけられ、エミリアの身体は右へ左へ大きく傾ぐ。

 なんとか踏みとどまってはいるが、細く小さな身体で、三歳児ふたりぶんの体重を受け止められるはずもない。

 あのままでは三人とも危険だ。


「キティさま、ジェーンさま――」

「おふたりとも、エミリアお嬢さまがお困りですよ」


 ジュリエットが足を踏み出すのとほぼ同時に、見かねたミーナが少々厳しい声で注意するも、興奮した双子の耳には届かなかったようだ。

 

「おねえちゃまだいすき!」

「だいすきー!」


 空気がひりつくようなものに変わったのを肌で感じ、歩みを速める。

 しかしジュリエットが三人の許へ辿りつくより早く、甲高い叫び声が響いた。


「――っもう! 痛いって言ってるでしょ!?」


 体重をかけて腕を引かれる痛みにとうとう耐えかえたのだろう。エミリアが感情を爆発させながら、双子の手を大きく振り払う。

 ジェーンは多少よろめいただけで済んだが、キティのほうは、手を払われた衝撃でころんとその場に転がってしまった。


「あっ……」


 エミリアの唇から、後悔と驚きが滲んだ小さな声が零れる。まさか自分のせいでキティが転んでしまうとは、つゆほども考えていなかったのだろう。

 幸いにして軽く尻餅をついただけで済んだようだが、このくらいの年頃の子供というのは、小さなかすり傷ひとつでも大騒ぎするものだ。

 キティは地面に腰をついた状態で数秒、きょとんと目を見開いていたが、やがてその表情を大きく歪め、火が付いたように泣き始める。


「わ、わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「キティさま!」

「キティさま、大丈夫ですよ! ほら、痛いの痛いのとんでいけー!」


 騎士たちが慌てて助け起こし、不器用に宥めようとするも、キティは泣きながらいやいやと首を振るばかりだ。

 やがてジェーンまでつられて泣き始め、ふたりぶんの号泣が響き渡る。

 いっぽうエミリアはといえば、先ほどまで浮かべていた怒りを完全に収め、呆然と目を見開きたじろいでいた。

 

「ジェーンさま、キティさま、ほーら面白い顔ですよー」

「べ、べろべろばー! いないいないばー!」

「いーやぁぁぁぁぁぁー!! あっちいってよぉぉぉ!!」

「おかあさまがいいー!! こっちこないで!」


 赤子に対するような接し方は、明らかに子供慣れしていないそれだ。騎士たちの懸命の慰めは完全に逆効果となり、泣き止ませようとすればするほど、双子はますます意固地になって泣きわめく。

「おかあさまがいい、おかあさまじゃなきゃいやだ」と頑なに主張するばかりのふたりを前に、ミーナのため息が聞こえた。

 彼女はそのまま踵を返し、静かにどこかへ去って行く。


 蜂の巣をつついたような騒ぎに包まれる中、自分も加勢に行くべきだろうかと考えつつ、しかしジュリエットはむしろ、エミリアの様子のほうが気にかかっていた。

 唇を固く引き結び、何かに耐えるような睨むような顔でじっと、大泣きする双子を見つめている。


「エミリア――」

「キティ、ジェーン。そんなに泣いてどうしたの」


 エミリアの肩にそっと触れようとした時、マデリーンが侍女(ペネロペ)を伴って現れる。

 少し後ろにはミーナの姿があり、見かねた彼女がマデリーンを呼びにいったであろうことが窺えた。

 自分たちのほうまで半泣きになっていた騎士たちは、救世主が現れたとでも言いたげな顔でマデリーンへ視線を向けた。


「おかあさま……」

「おかあ、さま……っ! うあぁぁぁぁん!」

「あらあら。わたくしの娘たちは泣き虫さんねぇ。二階のお部屋まであなたたちの泣き声が聞こえていたわよ?」

「だって、だっておねえちゃまが……っ。おねえちゃまがぁ……!」

「ほら、泣かないの。可愛い顔が涙でぐちゃぐちゃになっているわ」


 風邪が完治していないためか顔色は優れないが、彼女はそんなことをおくびにも出さず、優しい笑顔で娘たちの顔をハンカチで丁寧に拭き、ひしと胸にしがみつくふたりの頭を優しく撫でる。

 母のぬくもりに安心したのか、キティたちは嗚咽を上げながらもたちまち泣き止んだ。


「ミーナさんから聞いたわ。あなたたち、またお嬢さまにわがままを言ったんでしょう? お嬢さまのことが好きなのはわかるけれど、困らせてはだめって約束したでしょう?」


 娘たちが落ち着いた頃、マデリーンは改めてふたりに注意する。あくまで優しい口調だったが、双子はしゅんと眉を下げあからさまに落ち込んだ。自分たちが母との約束を破るような行動を取った、という自覚はあるのだろう。


「ほら、お嬢さまに謝りなさい」

「はい……。おねえちゃま、ごめんなさい」

「ごめんなさい」


 促され素直に謝罪するふたりを見つめるエミリアは、相変わらず唇を引き結んだままだ。

 氷色の瞳に浮かんでいるのは、小さな子供を転ばせたことに対する後悔や反省だけではない。


「別に……。気にしてないもの」


 長い沈黙の末にようやく紡がれた返事は、普段の彼女からは信じられないほど平坦なものだった。

 けれどそれが、彼女の中で膨れ上がった感情を押し殺すためであることに、ジュリエットは気づいてしまった。


「――行きましょ、ミーナ。ジュリエット先生も、また後でね」

 

 嫉妬と、羨望と、寂寥と。

 マデリーンと双子のやりとりを見つめるエミリアの顔は、まるで親とはぐれてひとりぼっちの、迷子のようだった。 

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