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17.

 これまでの話を聞いている限り、オスカーがアーサーへ罪の意識を抱くような要素は、別段なかったように思える。

 マデリーンの実家の凋落も、彼女が兄の代わりに金満家の貴族と結婚したことも、原因はオスカーとは関係のない部分にあるはずだ。彼が責任を感じるようなことではない。


「先生は、〝マーシー峡谷の悲劇〟という言葉をご存じですか?」


 考え込むジュリエットの様子に、横から問いかけてきたのはロージーだ。

 すかさず、首を横に振る。

 マーシー峡谷という地名自体には覚えがあった。

 オスカーに嫁ぐ前、リデルはアッシェンについていくらか勉強している。風習や伝統、歴史だけでなく、もちろん地形についても。 

 マーシー峡谷は、アッシェン領で最も長大なマーシー河を挟むような形で切り立った崖がそびえる、深い谷間だ。

 

 『某の悲劇』と呼ばれるような大事件は大概何らかの記録として残っていそうなものだが、少なくともリデルが読んだ物の中にマーシー峡谷の悲劇、という言葉はなかったはずだ。


 十二年前の話なんですけど、と前置きし、ロージーをはじめとするメイドたちは口々にその事件について教えてくれた。


 ――それはアッシェン騎士団の騎士たちが、領主夫人であるリデルを別荘へ送り届けた帰り道に起こった悲劇である。

 彼らは領主夫人護送の帰り道、もうひとつの役割を命じられていた。

 それは、マーシー峡谷へ赴き、古くなった吊り橋を新しくするための下見を行うということ。

 一般的に橋を作るのは大工の仕事だが、崖と崖の間に吊り橋を架ける際は、まず初めに弓矢を使って紐を向こう岸まで渡す作業を何度か行わなければならない。

 そのため吊り橋作りには武に長けた騎士団の協力が必須であり、地元民からの依頼を請けたオスカーは、副長であるアーサーにその役目を一任したのだそうだ。


 無事にリデルを別荘へ送り届けた後、アーサーら護送隊の面々は任務をこなすため峡谷へ向かった。

 しかしそこで運悪く崖崩れに巻き込まれ、全員が谷底へ落下してしまったらしい。


「特に悪天候ってわけじゃなかったらしいけど、元々地盤が緩んでいた場所があったんでしょうね。崖は急だし、河の流れが速くて、遺体はひとつも上がらなかったそうよ」

「そんなことが……」


 十二年前と言えば、ジュリエットはまだ四歳。両親から事件の話を聞いていたとしても、覚えているか微妙な年齢だ。

 だが、別の領地で生まれ育ったジュリエットと違い、アッシェンで暮らす人々にとってそれは『遠いどこかで起こった昔の出来事』などでない。


「アッシェンではかなり有名な話よ。何せ奥さまの訃報と重なるような形で、一気に五十人以上の騎士や準騎士が亡くなったんですもの」

「今騎士団に務めている方や、ここで働く使用人の中にも、その事件でお父さまを亡くした方が何人かいらっしゃいますしね……」

「当時のご主人さまは、そりゃ大変だったみたいよ。奥さまを亡くしたばかりで、部下の合同葬儀やら事件の後処理やらで寝る間も惜しんで働いてらしたって」


 なんと惨い事件なのだろう。

 護送してくれた騎士たちの顔が次々と脳裏をよぎり、ジュリエットは胸を詰まらせた。

 普段はあまり接点がない人々だったが、アッシェン城を出立してからエンベルンの森で休息を取った際、リデルを退屈させまいと色々な話をしてくれた。

孫が生まれたと嬉しそうに語ってくれた老騎士。結婚したばかりだという準騎士。子供たちの肖像画をいつも大切に持ち歩いているという、家族思いの騎士もいた。

 皆、リデルを無事に別荘まで送り届けてみせると頼もしく笑って――。


(……あれ?)


 ふと、何か得体の知れない違和感が胸をよぎった。

 しかし自身の中でそれを追求しようとするより早く、メイドたちが言葉を紡ぐ。


「で、男爵夫人のお兄さまは、その護送隊の隊長を務めてたんです。つまり直接的な原因ってわけじゃないけど、ご主人さまの与えた任務がきっかけで亡くなったことになりますね」

「それで、責任を感じて……?」

「そ。まあ、ご主人さま本人から伺ったわけじゃないけど、そうなんじゃないかって噂されているわ」


 そのまま話題はまた、マデリーンやスーザンへの愚痴に戻ってしまう。

 賑やかな空気の中、ジュリエットは会話に参加することもできず黙り込んでいた。


 アーサーの死が、マデリーンのその後の運命を左右した。

 その原因を知っても、オスカーの責任だとは少しも思わない。

 崖崩れは不幸な事故だ。誰かが予測できるものではない。

 けれどオスカー本人は、きっと誰からそう言われても、なんと慰められても納得はしなかっただろう。


 自分が、マーシー峡谷へ行くよう命じなければ。

 せめて日程をずらしていれば、アーサーや騎士たちが命を落とすことはなかったかもしれない。

 リデルの知っているオスカーなら、きっとそう考える。少なくとも妻に関わりのない部分で言うならば、彼は他人に優しく情に厚い人間だった。

 部下たちの死に、どれほど心を痛め苦しんだだろう。

 当時のオスカーの心境を考えるだけで胸が締め付けられるようになり、ジュリエットはなんともいえない息苦しさに口元を押さえた。

 

「お嬢さま、大丈夫ですか? 顔色が……」

「まあ、本当。ごめんなさい、事故の話なんてしたせいね。人がたくさん亡くなった話題なんて、ショックだったでしょう」

「すみません、先生。歓迎会に相応しい話じゃなかったですね」

「いいえ、そんな……」


 メアリの言葉でジュリエットの顔色の悪さに気づいたメイドたちが、口々に謝ってくる。

 心配ない、と微笑みを向けようとしたが、恐らく相当歪んだものになってしまったことは間違いない。


(風邪かしら)


 こんなに具合が悪くなるのは久しぶりだ。頭の中で、たった今得たばかりの情報がめまぐるしく渦を巻き、治まっていたはずの頭痛までもがまた頭の奥で燻り始めたような気がする。

 

「申し訳ございません、皆さん。私たちは一足お先に失礼して、休ませていただきます」 


 気を利かせたメアリがジュリエットの背に手を置き、ふらつく身体を支えるようにしながら廊下へ連れ出す。

 お大事にね、という声がいくつか聞こえたが、それに反応する余裕もないまま扉が閉まった。


「きっと慣れない環境で、疲れているんです。早くお部屋へ戻りましょう」

「でも、新しいお部屋は――」

「場所はお嬢さまがお休みになっている間に、ロージーさんから教えて頂いてます」

「……ごめんなさい、メアリ。あなたがいてくれて助かったわ」

 

 慣れない環境にいるのは彼女も同じなのに、ジュリエットよりずっとしっかりしている姿に、情けなさや罪悪感が込み上げる。

 ジュリエットより更に小柄なメアリにとって、肩を貸すという行為は随分と負担がかかることだろう。

 具合は悪いが、自分で歩けないほどではない。

 少しでもメアリに重みをかけないよう身体を離そうとしたが、肩に回された彼女の手が、それを許してくれなかった。


「具合が悪いのに余計な気を回さないで下さい。主人のお世話をするのが侍女の仕事ですよ。……謝らないでください」 


 普段はほとんど平坦なメアリの声が少し怒りを帯びていることに気付き、ジュリエットは小さく笑みを零した。


「そうよね。ありがとう、メアリ」

「――別に、仕事ですから」


 メアリの言葉には突き放すような響きがあるが、不思議な温かみもある。

 懐かしい。彼女が少し怒ったような早口でこうした説教をするのは、昔から照れ隠しをしている時だと決まっていた。 

 それを知っているジュリエットは、遠慮なく甘えることにする。


「お部屋に戻ったら、さっき飲んだ薬草茶をまた飲みたいわ。気分がすっきりするもの」

「すぐにご用意致します」

「一体どういう配合で作ったら、あんな美味しい薬草茶になるのかしら」

「詳しいことは聞いておりませんが、アッシェンでは近頃、薬草茶の開発に力を入れ始めているようですね。貴婦人たちの間では、密かな流行の兆しを見せているのだとか」

「まあ。紅茶だけでなく薬草茶も? アッシェン伯閣下は商売がお上手ね」


 他愛もない会話をしながら廊下を歩いていると、徐々に息苦しさがなくなっていくような気がする。

 そうして辿りついたのは、最初に用意されたものより二回りも三回りも小さい、こぢんまりとした二間続きの部屋だった。

 食卓兼作業机であろう四角いテーブルの上にはピンク色のガーベラが飾られており、ジュリエットはそこでようやくエミリアの言っていたことを思い出す。


『今朝、お庭で摘んだお花を飾ったの。どんなお花かは見てのお楽しみだけど、ジュリエットが気に入ってくれると嬉しいわ』


 ガーベラを生けた花瓶の側には二つ折りのメッセージカードが添えられており、それを読むなり、口元が自然と綻んだ。


『ガーベラの花言葉は、希望と前進。これからのジュリエットとわたしに、ぴったりの花言葉でしょう? エミリアより』 

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