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16.

「ここだけの話だけど」


 ジュリエットの経験上、こういった前置きをする時に用いられる話は、大抵『ここだけ』では収まらないものだ。その証拠に、メイドたちが次に口にした言葉はこうだった。


「――この城では有名なのよ。男爵夫人が若い頃からご主人さまに懸想してたって」


『有名』という言葉と『ここだけの話』という言葉は、決して同居できないもののはずだ。


 ――でもフォーリンゲンの葡萄農園でも、ジョンソンさんが若い後妻に家財道具全部持ち逃げされた話は半日も経たずに町中の噂になってたし……。


 近頃巷では、結婚詐欺というものが流行っているらしい。独身、あるいは寡夫をたぶらかし、結婚の約束を交わして懐まで入り込んだ挙げ句、財産を奪い去る。恐ろしいことだ。

 気のよい禿頭(とくとう)の農夫が項垂れていた姿を思い出し、ジュリエットは人知れず胸を痛める。

 しかし、それは今ここで思い出すべき話ではなかった。

 案の上、もっと別の反応を期待していたらしいメイドたちが、明らかに不満顔をしている。


「――先生、あんまり驚かないんですね」


 どうしてそんなに反応が淡泊なのか、と言わんばかりだ。

 ジュリエットにしてみれば、今更マデリーンがオスカーを好きだという話に新鮮味など一切ない。だが、ここは嘘でもいいから驚いてみせるほうが自然だった。

 ジョンソン氏の悲しみに寄り添っている場合ではない。


「お、驚いて声を失っていたんです!」

「……そう?」


 ジュリエットの言い訳に対し、メイドたちは少し怪しむような素振りを見せたが、それ以上の追及はしなかった。

 そんなことより、早くこの新人家庭教師に自分たちの知る噂話を打ち明けたい、という欲求のほうが勝ったようだ。


「まあいいわ。ええと、男爵夫人は元々平民のご出身でね。亡くなったお兄さんが正騎士で、ご主人さまとは見習い騎士時代からのご親友だったんですって。で、男爵夫人はその頃からご主人さまに片思いしてたのね」

「お兄さまがアッシェン騎士団に配属されたからって、わざわざ一緒に付いてくるくらい熱烈だったみたいですよ。ご主人さまに振り向いてもらうため、わざわざ城の帳簿や領地の穀物台帳の管理まで覚えて、甲斐甲斐しく仕えていたそうです」

「でもご主人さまのほうにはその気はなかったし、別の女性――それも王女さまと結婚しちゃったじゃない? それがよっぽど悔しかったんでしょうね。ご主人さまの目のないところで、奥さまをいびりにいびり倒していたそうよ」


 噂話をする時の人間というものは、どうしてこうも生き生きとするものなのか。誰かが口を閉じるとまた別の誰かが口を開くといった風に、ジュリエットが口を挟む暇もない。

 先ほどスーザンに水を差されたことなど、すっかり忘れた様子だ。


「そのせいで奥さまはご心労がたたって、お身体を壊されたんだとか。あの気の強い男爵夫人にいじめられたら、そりゃ病んでもしかたないわよねぇ」

「中には、奥さまのお食事に毒を盛っていたんじゃないか……なんて噂もあるくらいだし。まあそれはさすがにないとしても、〝種がなければ苗も育たぬ〟って言うでしょう。かなり当たりがきつかったことは間違いないわね」

「奥さま、穏やかで控えめな気性のお方だったらしいですものね。最期のほうはすっかり弱り切って、療養先でお亡くなりになったって……お可哀想に。ご主人さまは奥さまの死後にようやく男爵夫人の悪行を知って、相当後悔なさったそうですよ」


 前提条件が間違っていることは、この際無視しよう。リデルが亡くなった原因を王家が公式に『病死』として発表している以上、メイドたちが真実を知る由もない。

 しかし彼女たちが口にした噂話と、自身の知る事実との間で生まれた齟齬はあまりに大きかった。ここまでで得た情報を頭の中で整理するのに、ジュリエットは若干の苦労を要する。


「あの、つまり奥さまが男爵夫人に殺されたようなものだというのは――」

「だってそうでしょう? 男爵夫人が嫌がらせなんてしていなければ、奥さまが亡くなることはなかったんだから」

「それは……ど、どうでしょう」


 メイドたちの様子は、ひとりの悪女が想い合う夫婦を引き裂くという筋書きの悲恋小説を楽しんでいるかのように見える。

 その言い分は若干言いがかりと取れなくもなかったが、もしリデルがあの時命を落としていなくても、いずれ心労でなくなっていたかもしれないことを思えばあながち否定もできない。


 だが、メイドたちの話には明らかな矛盾があった。

 先ほど彼女たちは、オスカーがマデリーンを憎んでいると言った。その理由が、妻を死に追いやった元凶だからと。

 それを信じているのなら、マデリーンがなぜエミリアの家庭教師をしているのか、まず真っ先に疑問を抱くはずではないか。普通の人間ならば、愛する人を殺した相手の顔など、一生見たくもないと思うだろうだから。


「もし仮に……、仮にそのお話が本当だとすれば、男爵夫人が今もこのお城にいらっしゃるのは妙ではありませんか?」

「それはほら、あれよ。親友への罪滅ぼしっていうか」

「罪滅ぼし? おふたりの間に何かあったんですか?」


 記憶のオスカーとアーサーはいつも仲が良く、そんな物騒な言葉が持ち上がるような間柄では決してなかった。純粋に『友人』と呼べる相手のいなかったリデルにとって、気の置けないふたりの関係はいつも憧れだったのに。


「おふたりの間に問題があったってわけじゃないのよ。ただ、男爵夫人のお兄さまって若くして亡くなってて。そのせいで彼女のご実家、随分と大変だったんですって。なんでも、すごい借金を抱えてたんだとか」


 予想外の一言が脳まで届き、それを理解するまでかなりの時間がかかった。

 石のように固まったままジュリエットが思い出すのは、マデリーンの実家のあれこれだ。

 彼女の家は王都に商店を構える大きな商家で、父親は準男爵の称号を授与された一代貴族である。かなり羽振りがよく、王家にもいくつか献上品を納めていたはずだ。

 だからこそマデリーンも、自身は『ディエラ(令嬢)』の称号を持たないながらも、まるで生粋の貴族のような立ち居振る舞いをしていた。

 

「ご実家は大層なお金持ちだったけど、お父さまが事業に失敗してからというもの、転落する一方だったみたい。だから資金援助と引き換えに、跡継ぎのいない子爵家の婿養子にって、お兄さんがその家のご令嬢と婚約を結んだの」

「だけど当人が亡くなった以上、話を白紙に戻すしかなくなるじゃない? それで男爵夫人は急遽、親子ほど年の離れた相手へ嫁ぐことになったみたいなのよ。その相手がつまり、先代のエヴァンズ男爵ね」


 マデリーンの実家の経済状況なんて、リデルは少しも知らなかった。アーサーが婿入りする話を聞いた時も、単にめでたいことだと思うだけで、そんな事情があったなんて考えもしなかった。


 ――でも、そういえば確かに、あの時のアーサーさまのご様子は少しおかしかったわ。


 結婚が近いと知ったリデルが祝いの言葉を述べた時、アーサーはなんとも言えない笑みを浮かべていた。いつも朗らかな彼のそんな表情はとても珍しかったため、その含みのある表情がなんとなく気にかかったことを、今でもよく覚えている。

 当時のリデルは、それをちょっとした照れや気恥ずかしさなのだろうと、深く考えもしなかった。アーサーは男性だが、結婚前に気分が沈む花嫁の話は珍しくもない。もしかすれば相手との身分差に気後れしている可能性もあった。

 だが、彼の事情を知った上で改めて思い返してみると、どうもそうではないようだ。

 

 ――アーサーさまは、結婚したくなかったんだわ。


 それでも実家を救うため、親の決めた相手と結婚することを受け入れるしかなかった。しかし彼はこの世を去り、その役目を妹であるマデリーンが背負うことになったのだろう。

 あれほどオスカーを慕っていたのに、残酷な運命だ。

 マデリーンに傷つけられた記憶は鮮明に残っているが、それでもいい気味だと溜飲を下げる気にはなれないのは、リデルの中に悲しみはあっても、憎しみは残っていないからかもしれない。

 エヴァンズ男爵との結婚はマデリーンにとって間違いなく、意に染まぬ結婚だったはずだ。金と引き換えに後妻となることを強いられた彼女に、ジュリエットは自然と哀れみの気持ちを抱いていた。


 けれどここまで聞いても、まだ納得はできなかった。なぜその話が、オスカーの『親友への罪滅ぼし』という言葉に繋がるのか。


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