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15.

 声の出所を辿るように、皆の視線が一斉に同じほうを向く。

 食堂の出入り口に立っていたのは、部屋メイドの制服を身に着けた少女だった。

 浅黒い肌をしており、髪をすっぽり覆う形のメイド帽から、僅かににんじん色の赤毛が覗いている。

 年齢は、この場にいる他のメイドたちとそう変わらないだろう。

 

「ふうん、アンタが先生? あのエミリアお嬢さまや旦那さまがお認めになったってくらいだから、どんな素敵な方が来るのかと思ってたけど……。案外普通なんだ」


 このような大きな城ではあまり珍しくもないことだが、郷里が遠いのだろう。ほんの少しの西部訛りと細い目が印象的な少女は、目尻をきゅっとつり上げジュリエットを睨みつけている。


「ちょっとスーザン、あなた歓迎会には来ないって言ってたじゃない。いきなりやってきて、その言い草は何よ」

「そうよ! 先生に失礼じゃない」

「何さ、別にちょっと顔を出すくらいいいじゃない。それに、あたしは〝案外普通〟って言っただけ。別に失礼なことなんか言ってないよ?」


 同輩たちに窘められるが、スーザンと呼ばれた少女は意にも介さない。

 靴の踵を高らかに鳴らしながらジュリエットの元までやってくると、不敵な笑みを浮かべながら右手を差し出した。


「初めまして、先生。あたし、部屋メイドのスーザン。よろしくね」

「ジュリエット・ヘンドリッジです。こちらこそ、よろしくお願いします」


 さすがのジュリエットも、城中の人間が自分を歓迎するなどと考えるほど楽観的ではない。

 伯爵令嬢に気に入られた庶民の家庭教師。それだけでよく思わない使用人がいることもわかっていた。

 それに加えて城主への平手打ち騒動や、小間使いの帯同である。ジュリエットにしてみれば、むしろ歓迎会にこれほどの人数が参加してくれたことのほうが驚きだ。

 しかし、これほど早い段階で『歓迎』を受けるとは思ってもみなかった。


 握手に応えるため同じく右手を差し出しながら、ジュリエットは冷静に思索する。

 人が他者へ敵意を抱くには、理由があるものだ。それが道理に適っていようと、理不尽なものであろうと。


 ――スーザンの場合はどうかしら。


 考えられる理由はいくつかある。

 ぽっと出の平民女がエミリアに気に入られたのが癪だとか。

 自身の主人であるオスカーを叩いたのが赦せないだとか。

 あるいは、庶民が小間使いを同行していることが気に入らない、単に新人いびりが趣味という可能性もある。

 

 いずれにせよ、スーザンの態度があまり褒められたものでないことは確かだ。

 家庭教師を見下すということは、その延長線上に存在する教え子を貶めるということでもある。スーザンの場合、それは敬うべき主人の娘、エミリアのことだ。

 殊更敬ってほしいなどと言う気は毛頭ないが、貴族に仕えるメイドとして最低限の礼儀は心得ていてもらわなければ、エミリアの教育にもよくない。


 ――などと考え事をしていたのがよくなかった。

 握手に応えようとしたジュリエットの右手を、スーザンがやたら強く握りしめたと気づいた時にはもう遅い。やや乱暴に手を引っ張られ、ジュリエットは大きくよろめいてしまった。

 咄嗟にメアリが腰を支えてくれなければ、間違いなく床に転げるという醜態をさらしてしまっていただろう。


「お嬢さまに何をするんです!」


 ジュリエットが何か口にするより、メアリが抗議の声を上げるほうが早かった。

 普段口数の少ない侍女の初めて聞く大声に驚くジュリエットだったが、スーザンはやはり薄ら笑いを浮かべたままだ。

 赤味の強い茶色の目を魚のようにぎょろぎょろと動かし、不躾にジュリエットとメアリを見比べている。


「あははっ、お嬢さまだって! 何度聞いても笑っちゃう。うちの城にはれっきとした〝お嬢さま〟がいらっしゃるのに、その呼び方。すごい根性してるよね」

「ちょっと……転ばせようとしといてあんまりじゃない。先生に謝りなさいよ」

「どうして? まさかわざとだって言いたいの? ちょっと力加減を間違っただけなのに」


 相変わらず、同輩から注意されても悪びれもせず肩を竦める姿に、ジュリエットの眉根に皺が寄る。

 つい今しがた指摘された通り、先ほどのスーザンの力は、明確な悪意を持って相手を転ばせようとするものだった。わざとでないと言い逃れできるようなものではない。


「ねえ、先生。アンタもどうせ今までの家庭教師と同じで、ご主人さま狙いなんでしょ?」

「……どういう意味ですか?」


 ぶつけられた問いの意味が本気で理解できないわけはなかったが、こういう自分の中で勝手に答えを決めつけている相手には、何をどう答えても無駄だとジュリエットは知っている。

 否定も肯定もせずあくまで冷静に問い返せば、スーザンは益々したり顔で言いつのった。


「しらばっくれなくてもいいのに。知ってるんだから、下手な演技でお嬢さまに取り入ったこと。夜会の日、涙を流してお嬢さまの気を引いたんでしょ?」

「……」

「黙ってるってことは図星なんだ? でも残念。ご主人さまにはもう、素敵なお相手がいらっしゃるんだから。横取りしようったってムダムダ」

「スーザン、いい加減にして! さっきから一体なんなの?」


 メイドのひとりが、テーブルを大きく叩いて立ち上がる。

 気づけば先ほどまでワインに舌鼓を打って盛り上がっていたメイドたちも皆、白けた表情でスーザンを睨んでいた。


「邪魔するつもりで来たんなら出て行ってよ。迷惑だわ」

「あなたのせいでせっかくの楽しい雰囲気が台無しになったじゃない」

「はいはい、わかったわかった。邪魔者はもう消えるから安心しなよ」


 どう見ても納得した様子ではなかったが、スーザンも大勢を相手にこれ以上喧嘩を売るのは得策ではないと判断したのだろう。


「アンタ、奥さまの邪魔をしたらタダじゃおかないよ」


 しかし凍り付いた空気の中、最後にジュリエットへそんな捨て台詞を残す辺り、ものすごい度胸をしていることは間違いない。

 おかげでスーザンの去った食堂はしばし重い空気に包まれ、水を打ったように静まりかえっていた。とんだ置き土産である。

 やがて居心地の悪いさに耐え切れなくなったのか、ひとりのメイドが、大げさなほど明るい声を上げた。


「ごめんなさい、先生。あの子ったらいつもあんな調子で。地方出身でみんなに馴染めないからって、普段からギスギスした態度ばっかり取るんです」

「そ、そうそう。誰にでも突っかかるおかげで、ついたあだ名が〝ひねくれスーザン〟なんてね」


 無理をして絞り出したような笑い声が響く中、いつもあんな風なんですか、と呆れたように呟くメアリの声が聞こえた。ジュリエットも同意だ。  

 よそ者であるジュリエットを警戒しているだけならまだしも、同輩たちにまであのような態度をとるというのは、自ら孤立の道を選んでいるようなものだ。嫌われるのが趣味、なんて人間がいるとも思えないし、そんなことをして彼女に何か利があるとは思えない。

 それに――。


「あの、奥さまというのは? 閣下は奥さまを亡くされた後、ずっと独身だと伺っていたのですが……」

「ああ、あれ。気にしなくてもいいですよ。スーザンの妄想みたいなものですから」

「妄想」


 目をしばたたくジュリエットに、メイドたちは楽しそうに含み笑いを浮かべる。互いに意味深な表情で目配せをする様子は、井戸端会議をする女性たちが、共通の内緒話をする際特有のそれに似ていた。


「あの子、男爵夫人がご主人さまと再婚なさるって信じてるのよ。だから男爵夫人のこと勝手に奥さまなんて呼んで慕ってるの」

「やたらと強気だったでしょ? 自分はいずれ、この城の〝奥さま〟付きの侍女になれるって信じてるから、私たちのこと見下してるのよ。同じメイドのくせにね」

「でも……。スーザンさんがそう思い込んでしまうほど、おふたりは仲がよろしいということなんでしょう?」


 実際にオスカーとマデリーンがどうであるかはともかく、相思相愛の男女を見て、いずれ結婚するだろうと考えるのは何もおかしなことではない。

 リデルが生きていた頃から、マデリーンは城の女主人として振る舞っていた。今もそうであるなら、スーザンの発言は一概に妄想とも言えないのではないだろうか。

 しかしメイドたちの寄越した答えは、ジュリエットのそんな考えを真っ向から否定するものだった。

 

「それは絶対にないわ。ご主人さまは男爵夫人のこと、なんとも思ってないもの」

「むしろ憎んでいるんじゃないかしら?」


 なんとも思っていないというだけならともかく、憎んでいるとはあまり穏やかでない発言だ。物語の中ではよく『愛と憎しみは紙一重』なんて表現が用いられるが、文脈的にそういう意図があるとは思えない。

  

「だって奥さまは、男爵夫人に殺されたようなものだもの」

「そんなばかな」


 ――なんですって?


 驚きのあまり、心の声と口に出した言葉が反対になってしまった。


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