13.
集まったのは、全部で二十名ほどのメイドたちだった。いずれもジュリエットと同年代の娘たちで、中には夕食会の晩にロージーと共に給仕をしてくれていた者もいた。
いずれも、新しい家庭教師とその『小間使い』に興味津々の様子である。
「ほら、先生とメアリさん。これ料理長自慢のシチュー。とっても美味しいわよ」
「こっちには焼きたて熱々のパンもありますよ。バターたっぷりの炒り卵をのせて召し上がれ」
「あら、駄目よ。お料理ばっかり食べていたらすぐにお腹が膨れるわ。デザートのために取っておかないと」
「ちょっと、こっち葡萄酒がないわよ。早く瓶をちょうだい!」
使用人専用食堂は、食器の擦れる音や娘たちの声で大賑わいだ。
ジュリエットとメアリの席は長い食卓の中央に用意されており、食卓の上にはどこかから摘んできたであろう、野花が可愛らしく生けられていた。
所狭しと並ぶ皿に盛り付けられているのは、かぼちゃのシチューとパン、ふかした芋に炒り卵。
――懐かしい。
ほかほかと湯気を立てるかぼちゃシチューは、料理長の自慢の逸品だ。
決して贅沢な食材を使っているわけではないが、食材の持ち味を生かしたこのシチューは、リデルも大好きな献立だった。
「皆さん、ありがとうございます。わざわざ歓迎会を開いていただけるなんて。それに、わたしだけではなくメアリまでご招待いただいて」
ジュリエットの給金はアッシェン伯爵家から支給されるが、メアリの給金はこれまで通りフォーリンゲン子爵家から支払われることになっている。
メアリの仕事はあくまでジュリエットの世話であり、アッシェン伯爵家の人々に仕えることではないからだ。これに関しては、マデリーンの侍女ペネロペも同じような立ち位置らしい。
つまりアッシェン城の使用人たちにとって、メアリやペネロペのような独立した立場の人間は、『よそ者』といっても過言ではないだろう。
「あら、当然です。メアリさんだって、このお城で一緒に暮らす仲間であることに変わりはないんですもの。ねえ、みんな」
「そうそう。先生もメアリさんも、せっかく同年代なんだから仲良くしたいわ」
「それにメアリさんとお近づきになっておいたら、そのうち先生の秘密をこっそり教えてもらえるかもしれないし!」
メイドたちの気安い態度や冗談めかした言葉に、ジュリエットはそれまでかしこまっていた事も忘れ、つい吹き出してしまう。
メアリも、皆の言葉が嬉しかったのだろう。
「お嬢さまの秘密は高いですよ」などと、彼女にしては珍しく冗談を言いながら応じている。
――よかった。
ジュリエットは誰にも気取られないよう、安堵のため息をついた。
ただでさえ家庭教師という微妙な立場である上、オスカーに平手打ちしたという噂が広まっていたというのだ。使用人たちと上手くやっていけるか心配していたが、少なくともここに集まったメイドたちはジュリエットやメアリのことを好意的に見ているようだ。
他の使用人たちがどうかはわからないが、ひとまず歓迎してくれている人間がいるというだけでも、十分心強い。
「それじゃあ今日は、先生に食前のお祈りを唱えてもらいましょう。さあ、先生。お願いします」
「え、ええ」
ひとりのメイドに促され、ジュリエットは両手を胸の前で組んだ。
そっと目を閉じ、祈りの言葉を口にする。
「〝天に座します我らがフォラ・スピウス。我々に生きる糧をお恵みくださいましたこと。また、素晴らしい友人たちと共に食卓を囲む幸せをお与えくださいましたこと。そして平和の内に一日を終え――〟」
「ちょ、ちょ、長い長い!」
「えっ」
祈りの言葉は各家庭や、その日の出来事によって多少変わることはあっても、基本的な内容は同じだと思っていた。馴染み深い祈りの言葉を途中で遮られたことに驚きつつ目を開けると、メイドたちが思いっきり呆れたような顔をしていた。
「先生の実家って敬虔な信者さんなの? そんな長ったらしいお祈りなんか唱えてたら、夜が明けちゃうわよ」
「貴族の正餐じゃないんですから、もっと気楽にいきましょうよ」
「ご、ごめんなさい。祖母が厳しい人だったもので……。やり直します」
トーマスの娘たちから平民の常識を一通り習ったつもりでいたが、どうやらまだ、ジュリエットの知らないことがあったようだ。
冷や汗を掻きつつ言い訳を口にし、改めて簡略化した祈りを唱える。
「〝本日の御恵みに感謝します――マーシル・マース〟」
本当にこんな簡素な祈りでいいのかと不安だったが、どうやら問題なかったようだ。
「マーシル・マース」
「イタダキ・マース!」
「ちょっと、おじさんみたいな冗談を言うのはやめて!」
皆、口々に結びの聖句を唱えながら料理に手を伸ばしている。
なるほど、またひとつ、庶民らしい振る舞いを覚えることができた。
――今後は気を付けないとね。
ジュリエットは匙を手に取りながら、「祈りの言葉は短めに」と心に刻み込む。そしていざシチューに手を付けようとした時、メイドたちから思いも寄らぬ質問をぶつけられた。
「ねえ、先生ってエミリアお嬢さまのお誕生日会の時、騎士団の若い人と一緒にいたでしょう? 彼と恋人同士なんですか?」
「あ、私も見た見た! 確か準騎士のアダムさんだったわよね。いつからお付き合いしてるの?」
『パートナー』は『恋人』と同義ではないが、周囲はどうしてもそういう目を向けてしまうものだ。そしてこの年頃の娘たちは、身分問わず恋の話が好きなものである。
ここではっきり否定しておかなければ、変に誤解され、アダムにとっても迷惑になるだろう。
「い、いえ。アダムさんとは単なる友人同士で、お付き合いしているわけでは――」
「それじゃ、彼の片思い? なぁんだ。なれそめとか、お惚気話を聞きたかったのに!」
すかさず否定すると、メイドたちはさも残念そうに肩を落としていた。
それでも、恋の話で盛り上がりたいというだけで、ジュリエットとアダムの関係性に関してそこまで興味があったわけではないらしい。
「先生がお付き合いしているわけじゃないって言うんなら、あたし、アダムさんに言い寄ってみようかな」
などと言い出す者がいれば、それを茶化す者が現れる。
「やーだ。アンタああいうタイプが好みだったの? 可愛いけど、ちょっと頼りなくなぁい?」
「そこがいいんじゃない。甘やかしたいっていうか、守ってあげたくなるというか。彼って、蚊も殺せないような弱っちそうな顔してるんだもの!」
どっと、娘たちが笑いに湧く。まるで小鳥の大合唱を聞いているようだ。
食卓から身を乗り出し、途切れることない会話の応酬に勤しむ娘たちの様子は『かしましい』という表現がぴったりだ。
会話の速度についていくのがやっとで、ジュリエットは食事に手を付ける余裕もない。
スピウス正教の教えでは、食卓もまた女神への祈りと感謝を捧げるための場だ。
ジュリエットの両親は信仰に対しても大らかな考えの持ち主だったが、それでも、基本的な教えは自然と守っていたように思う。
家族三人で囲む食卓はいつも落ち着いた雰囲気だったし、会話もそう多くはなかった。
それに比べて、ぽんぽんと言葉が頭上を軽快に飛び交うここの食事風景は、なんと賑やかなことか。
「うるさくてごめんなさい、ジュリエット先生。この子たち、いつも大体こんな感じなんです」
左隣に座っていたロージーが、小声で謝ってくる。ジュリエットが少々気圧されていることに気づいたのだろう。
「お気遣いありがとうございます。でも、とても楽しいですよ」
「それならいいのですが……」
ジュリエットが遠慮しているとでも思ったのか、ロージーはまだ少し心配そうだ。
けれど同年代の少女たちと交流する機会が滅多にないジュリエットにとって、こういう気の置けない雰囲気は非常に新鮮だ。
貴族同士の茶会ではどうしても互いに遠慮がちになってしまうし、最悪、腹の探り合いでぎすぎすした空気になることもある。
フォーリンゲンの葡萄農園で働く農夫の娘たちは皆、ジュリエットに親切にしてくれたが、どうしても『領主さまのお嬢さま』という扱いは抜けない。
――こんな体験、滅多にできるものじゃないわ。
オスカーの口にした「逞しい」という言葉は、やはり当たっているかもしれない。
ジュリエットは真実、この非日常的な状況を心から楽しんでいた。




