敵軍を前にしてシャルロッテは神様にお祈りを捧げる
「敵はおそらく軍を二つに分けてハーマンベルに侵攻してくると思われます。
一つはグランハッハからミュゼ河の北側から、もう一つはミッターゲン。これはミュゼの南側を進軍してくるでしょう」
私は地図上のグランハッハとミッターゲンの町を示し、ミュゼ河にそってハーマンベルまでの道筋をなぞる。
「なんでそんなことが言えるの?
僕は一度軍をひとつに集めて攻めてくるように思うけど。大勢で攻めた方が強いじゃないか」
セドリック様は不思議そうな顔で言った。
「勿論、その選択肢もないわけではありません。軍をひとつにしてグランハッハ方面、つまりミュゼ河の北側を進軍するのとミッターゲンから河の南側を進軍する選択もありにはあります。それではその選択をした場合の問題点を検討してみましょう。
まず、グハンハッハから進軍する方法。
この場合、敵軍は私たちの今いるところの西に布陣することになりますが、私たちの西は丘や林が随所にあって、大軍で陣を張るのに適しておりません」
「ああ、そういえば最初にここに来たときにそんな話をカールやヴォーゼルたちとしたね。
西は見通しが悪い上に湿地なので陣地をつくるのが難しいとかいう話になったよ」
納得と言うようにセドリック様はこくこくと頷かれた。
それを聞くとカールとか言う無能も全くの無能って訳じゃなかったみたいね。
まっ、どうでも良いけど。話を続けましょう。
「でしょうね。どうしても布陣したければさせれば良いです。つけ入る方法は幾らでもあるので、それはそれで好都合です。
次に、もうひとつのミュゼ側の南側、ミッターゲンから侵攻してくるルート。
こちらの方は丁度私たちの正面に布陣することになります。私たちの陣の北ですね。ここは手頃な平地がありますから大軍を布陣することもできます。
もしも、ボナンザンが軍をひとつにして攻めてくるならこちらのルートを取るでしょう」
「やっぱり、こんなところに集まって一気に攻められたら一溜まりもない気がするよ。なんといっても敵は僕らの3倍もいるんだよ」
「まあ、まあ、落ち着いてください。
実際のところ、人を配置することはできますが、だからと言ってこの平地は決して大軍を配置するのに適しているとは言えなのですよ」
「そうなの?」
「仮にここに布陣したとしましょう。
西はミュゼ河で行き止まり。
南は私たちの陣の正面。
東は高台で、ここも今は私たちが占拠しています。
つまり進軍してきた北以外の3方向が全て塞がれているのです。
彼らの攻撃正面となるのは私たちの陣のある南方向となりますが、この侵攻方向の幅はおよそ3000ムゥ。1ムゥに1人配置しても正面の実行兵力は3000人しか配置できないのです」
「……えっと、どういう意味?」
「1万居ようが3万だろうが1度に戦えるのは双方3000人ずつということですよ、陛下」
急にカルディナが割り込んできた。むぅ、私のセリフを取るではない。口を尖らせて睨み付けたけど、カルディナはどこ吹く風と表情ひとつ変えない。
「セドリック様へのご説明もそのぐらいになされるのがよろしいかと思いますが?」
もう!カルディナうるさい。良いのよ。私はセドリック様とお話がしたいんだからね。もっとももう少し艶のあるお話がしたいけれど、今は我慢する。
「つまり、相手はここに布陣すると折角の大兵力を生かせないということになります。
彼らが自分達の兵力を生かそうとするならば、大兵力を一点に集中させるより、戦線を広げた方が得策なのです。よって、部隊を分けて、北側から私たちに圧力をかけつつ、西側を占拠して、退路の遮断と牽制を目論むと考えるのが妥当でしょう」
「な、なるほど!
すごいよ、シャルロッテ。いや、本当にすごい。そんな戦略眼があるなんて思ってなかった!!」
セドリック様がぐっと手を握って、キラキラした瞳で私を見つめてきた。
照れる~。あぁ、もっともっと私を尊敬の眼差しで見つめてください!
「あっ!お嬢様の顔が変態顔に(ビシッ!)
あいたたた……」
不遜なことを口走るミゼットを渾身のデコピンで黙らせると、気を取り直しセドリック様の方を向く。
「ホホホホホ。ゴホン、ゴホン。
そこで私たちがとる戦術は機動戦による各個撃破です。
騎兵2000、歩兵4000をもってミュゼ河の北側に進出して、まずグランハッハの軍を叩きます。場所はここ。ガンゼホンという村の少し手前です」
ハーマンベルとグランハッハのほぼ真ん中に位置する小さな村を指差した。ハーマンベルから40クラム。およそ2日の行程だ。
「グランハッハを撃破した後、ハーマンベルにもどってミッターゲンの敵と戦います」
「えっ、こちらから攻撃するの?
でもさ、前にグハンハッハの兵力は1万とか言ってたじゃないか。こっちの兵力は騎兵、歩兵合わせて6000じゃ、やっぱり僕らの方が兵力が少ないから各個撃破なんて簡単にはできないんじゃないの?」
「都市の防衛の為にある程度兵力を残さなくてはなりませんからグランハッハが出せる兵力をおよそ5000から多くて8000まででしょう。
その内、何割かは砲兵です。行軍中の砲兵は戦力になりませんから、総兵力は同等かこちらが上になるでしょう」
「う~ん、そんなに上手くいくのかな」
「大丈夫。全てはこのシャルロッテにお任せください」
と、言ったのは3日前の話。
「寒いなぁ」
北からの身を切るような風に身を震わせる。既に真冬の風だ。藪から顔を出すとすぐ横を走る街道に目を向けた。街道というと聞こえは良いが、むき出しの地面を人や荷馬車が歩いているうちに自然と踏み固められた獣道のような代物だ。少し黄色っぽい筋がずっと北東の方角へと伸びていた。緩やかな登り坂なのか視界は1クラム程度で途切れているけど、街道を10クラムも行けばガンゼホンという名の村に出る。
日没が迫る中、一騎の騎兵が近づいてきた。
カルディナだ。
「グランハッハの司令部はガンゼホンに夜営する模様です」
馬から降りるとカルディナが報告した。
「前衛はガンゼホンからハーマンベル寄り1クラム付近に小隊単位で夜営する模様です」
「規模は?」
「騎兵が1000、歩兵3000位でしょうか。
後方に砲兵が2000か3000程います」
遭遇戦になれば砲兵は死兵になる。なので向こうの総戦力はおよそ4000。対してこちらは6000。計画通りだ。
「報告通りね。
ミゼットからの報告だと、ミッターゲンの部隊は総計1万5千位。丁度ミュゼ河の対岸のところにまで到達したとさっき伝令が来てたわ。
二、三日でハーマンベルに到達するって感じね。
戻りの時間を考えるとやっぱり、こっちの戦闘に時間をかける余裕は無いわね。かけれて1日ってところかしら。
計画通り、明日の夜明けに前衛に攻撃を仕掛けます。
先駆けは私が勤めます。
カルディナはセドリック様の補佐をお願いします。本隊の攻撃のタイミングはあなたの判断でしてください」
「了解いたしました」
カルディナは無表情で頷くとすぐに騎乗する。では、と短い挨拶をして去ろうとするのを呼び止めた。カルディナは黙って私を見つめてきた。
「万が一の時は、セドリック様のお命を一番に考えて頂戴。無理に戦うことを考えないで。セドリック様は、命令は絶対とか、命をかけるとかグダグタ言うと思うけれど首に縄をつけてでもつれて逃げて頂戴」
「嫌です。そんなめんどくさいこと」
予想外の回答に私は口をあんぐりとさせた。
「もう!カルディナ。私は真面目なのよ」
「私も大真面目です。青臭い坊やのお守りなど私の性分に合いません。
心配でしたら、なにがなんでもお嬢様がご自分の手でおやりください。
では、また明日お会いしましょう」
あっ、行っちゃったよ。
相変わらず、つっけんどんな。まぁ、彼女流の死なないでって意思表示なんだろうけどね。
分かってるよ。私だって、死ぬつもりはこれっぽっちもないからね。
大丈夫
大丈夫。きっと大丈夫……
あーー、大丈夫だといいなぁ……
ぶるぶる。弱気はいかんぜよ。
バチンと自分の頬を思い切り叩いて気合いを入れなおした。
真っ暗な夜が開けようとしていた。
私は鞍上から東の空をじっとみていた。墨を溶かしたような真っ黒から濃藍、そしてゆっくりと紫色へと変わっていく。もう程なく夜が開ける。
顔を少し北へ向ける。やや広目の平野が広がっている。薄闇の中、点々と篝火が焚かれていた。グランハッハ前衛の夜営だ。
少し深呼吸をすると左右に控える騎兵達へと目を向ける。
その数150。私がセドリック様のところへ来る時に連れてきた騎兵たちだ。
みな深緑の地に襟元が深紅のファーセナンの正規陸軍の制服に身を包んでいるが、その実態はベルガモンド家の私兵と言って良い。
けれど私兵と言ってもならず者の集団にはあらず。むしろ先祖代々ベルガモンドに仕える、忠誠心と勇猛を体現した一騎当千の猛者ばかりだ。そんな彼らが1人残らず私の一挙手一投足を見つめていた。私の進軍の合図を待っているのだ。
目を閉じると静かに息を吸う。肺が払暁の冷気に満たされていく。
ああ、神様。
どうか、セドリック様をお守りください。
カルディナをお守りください。
ここにいる皆を戦場の悪意からお守りください。
私は知っています。
どこからか飛んできた流れ弾やもぐらの穴に躓くだけで人は簡単に命を落とすことを。
だから、どうか皆にそんな悪意を遠ざけるささやかな幸運をお与えください。
私の生涯のクッキーを捧げますゆえ。
どうか、どうかお願いいたします。
祈りを終えると静かに息を吐き出す。
そして、もう一度深く息を吸い込み、手に持つファーセナンの国旗を高らかに掲げた。
大声で叫ぶ。
「全軍突撃!!」
2020/05/19 初稿
[おまけ]
カルディナ「ムゥとは私たちファーセナンの長さの単位です。以上。終わり」
ミゼット「はやっ!早いよ、カルディ!それじゃあ、みんなに何にも伝わらないよぅ」
カルディナ「カルディとか言うのは止めなさい。
伝わるもなにもムゥは長さの単位、という説明以外に何が必要?」
ミゼット「うんっとぉ、もっと具体的にどのくらいの長さなのかとか、そういう情報がないと役に立たないよ」
カルディナ「ふうん、10ムゥは3フェルトで、6フェルトが1ヒエルとか?」
ミゼット「いや、全然ダメだよぅ。どれもこれも馴染みのない単位を並べても何にも変わらないから!」
カルディナ「おかしなことを。フェルトもヒエルもお隣のボナンザンの長さの単位だから馴染みはあるでしょう。それにたかが長さの名前にそんなに話すことなんてあるかしら?」
ミゼット「あるよ。どんなものにもちゃんと由来というものがあるんだから。
フェルトはボナンザンの神聖王ジクラムントⅠ世の腕の長さから決まったの」
カルディナ「それ、聞いたことあるわ。ジクラムントが両手を広げた長さが1ヒエルと決めたとか。つまり、ムゥも誰かの腕の長さな訳?だとしたらすごい大男だわ」
ミゼット「ちがうよぉ。
ムゥは北極から赤道までの子午線の長さが元なんだよ。その1千万分の1を1ムゥと決めたの。
世界で初めて北極地探検を成功させたムマンゼン・ハイセルバーク男爵(@ファーセナン)に因んでつけられたんだよ。
因みにクルは1000という意味。だから、1クルムは1000ムゥのことだよ。
逆に1/1000はメル。1メルムゥは1/1000ムゥなの。
ついでに言うと、1辺が1ムゥの四角を1スクルム(=1ムゥ^2)。
1辺が1ムゥの立方体を1キュビム(=1ムゥ^3)というの」
カルディナ「なるほど。ところでミゼット。あなたはさっきからどこを向いて話しているの?」
ミゼット「えっ?そ、それは……」
カルディナ「それは……?」
ミゼット「うんと、内緒だよぉ」