シャルロッテ、カルディナと密談する
「ハーマンベルの北の城壁から降りる人影を確認しました」
天幕に入ってくるなりカルディナが言った。
「あらまっ、早いわね」
昼間の砲撃も、降伏勧告も籠城側にプレッシャーをかけて黒幕を炙り出すのが目的だったのだけど1日も経たずに伝令を放つとは余程びびっちゃったってことかしらね。まあ、思惑取りでこちらとしてはありがたい限りだけど……
「ふーん。それで、伝令は何人ぐらいなのかしら?」
「報告では5人。2人は捕まえて他は計画通り見逃しました」
「見逃した伝令の向かった方向は西?東?」
「東ですね」
「東かぁ」
「予想が外れましたか?」
カルディナの質問に私は、う~ん、と曖昧に答えた。外れた訳ではない。ただ、6:4の確率で西に行くと思ったので意外だった。
東に向かったとなれば行き先は国境。さらにそれを越えてのボナンザン入りだろう。
すなわち今回の反乱の黒幕は隣国のボナンザンの公算が高い、となるわけだ。たが決めつけるには情報がまだ足りていない気もした。
「果して黒幕が誰なのかは今は置いておくとして。
ミゼット! グランハッハとミッターゲンに配置している密偵に連絡を取りなさい」
「ほえ?」
ミゼットはクッキーを口一杯に頬張ったまま、きょとんとした顔をする。
こいつわ!
あれほど言ったのに、大皿のクッキーを一人で食べてしまいそうな勢いだ。皿を取り上げると、ミゼットはこの世の終わりのような悲壮な表情になった。
「ああ~、わたしのクッキーがぁ……」
「わたしのクッキーがぁ~、じゃない!
すぐにグランハッハとミッターゲンの様子を探らせなさい」
「うぇえ……ふぁ~い。わっかりましたぁ」
ミゼットはガックリと肩をおとすと、外へ出ていった。
ため息をつき、ポットからカップの紅茶を注ぐ。それをカルディナへ差し出した。
「いえ、お構いなく」
「いいから飲みなさい。唇が青いわよ。
そこの毛布にくるまって暖炉の火にあたって体を少し暖めなさい。
ほら、早く!」
カップを受け取ろうとしないカルディナの手をとると強引に暖炉の前に引っ張っていく。予想通り、カルディナの手は氷のように冷たかった。どうせ、陽が暮れてから今まで吹きさらしの中、ずっと城壁を見張っていたのだろう。
「私、見張りは小まめに交代でやるようにって言ったよね」
ティーカップをカルディナに押しつける。
「そのつもりでしたが、存外に兵士たちが頼りなく、指導も兼ねて見ていたらこんな時間になってしまいました。
やはりこの近衛兵団は寄せ集め部隊です。練度が根本的に足りません」
痛いところをついてきた。その通り、この部隊は下から上までガタガタなのよ。
「ごめんなさい。苦労かけてます」
毛布をかけながら謝ると、カルディナは小さく首を横に振った。
「私のことは良いのです。お嬢様のやりたいようにしていただければ良いのです。
それより、セドリック様とはお話しできたのですか?」
「あーー、それねー」
叫びとも嘆きともつかない声を上げながら、自分用の紅茶をカップに注ぎ、毛布にくるまったカルディナの横に座る。
ため息をつくと紅茶を啜る。
紅茶は思った以上に熱かった。
「アチッ、アチチ
……ふぅ。
なんというのかな。
『私との婚約を元に戻すことはできない!』……
だ、そうよ」
「そもそもの婚約破棄の理由はお聞きになりましたか?」
「聞いたわ。
やっぱり、戦場に駆り出されたのが婚約破棄の理由だった。
『明日の命も分からぬ身に成り果てたから、もう自分は貴女に相応しくない。自分のことは忘れて幸せになって欲しい』だそうよ。
それから、『会えたことは嬉しいが戦争は貴婦人の遊びではないから、何もないうちに帰って欲しい』だって。
どう思う?」
「貴婦人のお遊びですか。
この戦域の最重要拠点である、あの高台に砲兵を入れるどころか、何週間も放置していた無能の集団が?
陣地構築も斥候もまともにできない素人集団が、お嬢様のことを貴婦人のお遊びですか……
片腹痛いですね」
「あははは。だよね。
だから、言ってやったのよ。セドリック様は私が守ります、とね。どのような大軍が相手でも髪の毛ほどの傷もつけさせません。だから、婚約破棄を撤回してくださいとお願いしたわ。
でも、それは出来ない、早々に帰って欲しい。の一点張り。
あーあ、嫌になる」
「ですが、お嬢様。
セドリック様のお言葉は至極真っ当な考えだと思います。
本来ならば、第三王子であるセドリック様が、こんな地方都市の奪還戦に駆り出されるということは考えられないことです。
それが起きている、ということはつまり、宮廷はセドリック様を身限ったということです。
仮にこの戦いにセドリック様が勝利できたとしても、また別の戦場に送られるか、良くて臣籍降下後、辺境に移封されて冷飯生活に甘んじる可能性が高いです。
そのような殿方に嫁がれても幸せになれるとは思いません」
「カルディナは反対なの?私がセドリック様に嫁ぐのが」
「反対と言うより、なにゆえ、これ程お嬢様がセドリック様に拘るのかが分かりません。
明日をも知れぬ命だから一緒になれない、ではなく、必ず帰るから一緒になってくれ。あるいは一緒に死んでくれ。
どちらかと言えば、そう言われるほうがお嬢様の御気性的には好ましく写ると思いますが?
あのセドリック様の態度を見ますと、失礼ながら、私にはセドリック様はお嬢様の器としては少々見劣り……
いえ、相応しいとは思えません」
「はっきり言うなぁ~。
まー、歯がゆいっちゃ~歯がゆいんだけどね」
苦笑するしかなかった。
正直、自分が好きな人のことを悪く言われるのは辛い。それが、一番の味方と思う人物からの言葉ならなおさらだ。
「でもね。セドリック様は私が一番苦しかった時に、私の生きたいように生きて良い、と言ってくれたの」
両膝を抱えて昔を懐かしむように囁く。カルディナは一口紅茶を含むと言った。
「ただ、それだけですか?」
「うん?なにが?」
「セドリック様がやられたことは、ただお嬢様に声をかけただけですか?とお聞きしているのです」
カルディナの声は不満と不信に満ちていた。それが少し悲しかった。
「それだけよ」
「それだけならば。お嬢様の今はお嬢様自らが切り開いたものです。セドリック様は全く関係なかったと思われます。だから私は……」
カルディナの言葉を聞いているとなんだか鼻の奥が熱を帯びてくる。泣きたくなった。
膝に顔を埋めた。なんと言ったら分かって貰えるのだろう。そう考えていたら、不意にカルディナの言葉が止んだ。顔をあげると、困ったような表情のカルディナと目があった。
「……いえ、もういいです。
お嬢様がそうしたいのであれば、私は何も申しません。
お嬢様を悲しませたいわけではございませんので」
カルディナは紅茶を一気に飲み干すと、立ち上がった。
「それでは、私は見回りと捕まえた者の尋問をいたします」
「毛布とクッキー持っていて」
出ていこうとするカルディナにさっきミゼットから取り上げた皿を手渡す。カルディナは少し困ったような顔をした。
「毛布はともかくクッキーはお嬢様が食べられるのが良いかと存じます」
「もう、クッキーは食べないのよ」
「ダイエットですか?お嬢様はただでさえ胸とか貧相ですのでダイエットなどしない方が良いかと思いますが」
「うっさい、誰が貧相だ!
余計なお世話よ、べーだっ!」
あっかんべーをして、さっさと出ていけと手をヒラヒラしてやる。
カルディナはほんのちょっとだけ口元を微笑ますと一礼をして皿を小脇に出ていった。
2020/05/16 初稿