シャルロッテは真夜中のクッキーを我慢する
「これがハーマンベルの城内の見取り図です。
反乱前のですから、多少変わっているかもしれませんよぅ」
ミゼットは鞄から地図を取り出して机の上に置いた。私はその見取り図を舐めるように見る。堀や壁などの防衛施設が複雑に絡み合っていた。これでは例え外壁を破壊して侵入しても本丸にたどり着くのは容易ではない。さすが、難攻不落の城塞都市といわれるだけあった。
「これは一筋縄では行かないわねぇ」
私は腕組みをする。無理攻めすれば兵力が幾らあっても足りない。都市を囲っての兵糧攻めが一番手堅いのだけど……
「兵糧は一年ぐらい備蓄しているようですぅ」
と、私の考えを察するようにミゼットは言った。となると一年近くここで野営することになるのね。セドリック様とのんびり、お茶を飲みながら過ごす一日を一年……
悪くないかも……
いや、いや、いや。
ぐずぐずしていると第二、第三のハーマンベルを誘発するかも知れないし、隣国のボナンザンがちょっかいを出してくる可能性もあった。
残念だけど手早く終わらせるべきなのだ。
「ところで反乱の首謀者は誰なの?」
「えっと、グッグール・ドルベルマン男爵です」
ミゼットはすらすらと答える。見た目はぽやんとしているけど、この娘の記憶は百科事典なみだ。
「ドルベルマン?あまり聞かない名前ね。カルソナの地方貴族?」
「違います。もとはボナンザンの軍人らしいですぅ。7年ほど前に亡命してきた見たいです。それをハーマンベルの市長だったケルビン伯爵に拾われて、防衛組織に組み込まれました。
最近、防衛の最高責任者になったらしいですぅ」
「隣国から亡命。
ふーーん。トップになったとたんに反乱って訳か」
計画的だな、と思った。となるとグッグールの後ろに黒幕的な奴が控えていると考えるべきか。ちょっと揺さぶりをかけてみるのも面白いかな。
私とセドリック様は並び立ちハーマンベルの城門を眺めていた。セドリック様は一身にハーマンベルを注視している。
その顔色は少し蒼く、憂いを含んでいた。その美しさに胸が高鳴る。
ほんの少しだけセドリック様に近づく。セドリック様はその動きに気づかない。ほっとするような、少し寂しいような。出来ればハーマンベル何かより私に熱い視線をなげかけて欲しい。
……
…………
も、もうちょっとだけ近づいてみようかな。
そうだ!
城門を指すふりをして手と手が、ぐ、偶然触れてしまった!みたいな、状況で。
ジリジリ
ジリジリジリ
そっ~っと、そっ~っと
「シャルロッテ様、準備整いました」
耳の直ぐ後ろでカルディナの声がした。
「うきゃあ~あぁ」
あられもない声が出た。
「お嬢様、なにを蛙が踏み潰されたみたいな声をあげているのですか?」
カルディナが冷ややかな目で見つめていた。
セドリック様も目を真ん丸にして私の方を見つめていた。見つめてほしかったけれど、それはなんか違う。
「いえ、なんか足元に虫がいたみたいで、それでちょっとビックリしたというか。
ホホホホホ……
…………
あー、砲撃準備できたのね。
よし!ならば攻撃を開始しなさい!!」
ばつの悪さを誤魔化すように私は無駄に大きな声で攻撃命令を下した。
やがて……
ドーン、ドーンと遠くで雷のような音が連続して起こる。少し間を置き、ハーマンベルの壁の向こうから煙が幾条も立ち上ぼり始めた。
「近くの高台から砲撃とは考えたね。城門も軽々と越えて城内を直接攻撃できてる」
セドリック様がニコニコ笑いながらそういった。久しぶりに見る、その眩しい笑顔に見惚れてしまう。やはり、セドリック様の笑顔が私は好きだ。
「……だね」
はい?し、しまった。見とれていてセドリック様の言葉を聞き逃した。
「はい?す、すみません。今、砲撃の音がすごくて、聞き逃してしまいました。
ホホホホ」
「ああ。すまない。
これだけ激しい砲撃をすればすぐに降伏するだろうね」
セドリック様は少し大きな声で言い直してくれた。頬を紅潮させ、ぐっと拳を握って喜んでいた。そんな姿を見ると自然と顔がニヤニヤしてしまう。
「ああ、はい。ハーマンベルが降伏するかどうかですね?
えっと、駄目ですね」
私はニコニコしながら答える。
私の返答にセドリック様は意表を着かれてポカンと口を開ける。
「えっ?駄目なの」
「はい。駄目ですね~。
城内に届いてますが、所詮は盲撃ち。
相手の継戦能力を奪うことはできません」
セドリック様の初々しい反応もツボにはまり、私は顔をニマニマさせながら、淡々と答えた。
「けいせんのうりょく?」
聞き慣れない用語にセドリック様は聞き返してきた。説明しようとしたが、カルディナが割って入ってきた。
「戦闘を継続するために必要な能力のことです。兵力だったり、武器弾薬や士気です。
今回の砲撃では、これらにダメージを与えることは難しいですね。
お嬢様、そろそろ頃合いかと」
むう。カルディナのお邪魔虫!いい感じだったのに。
「そうね。カルディナ。砲撃を中止してちょうだい」
「えっ、もう攻撃をやめるの?」
「はい。弾薬の無駄遣いですから」
「弾薬の無駄遣い?
じゃあなんで攻撃をしたんだい?」
「威嚇ですね。一発ガツンとびびらせてから、使者をたてるのが目的です。
今、降服するなら命は助ける。そうじゃなければ3万の兵力で一気に叩き潰すって脅すためですよ」
「3万?
3万もの兵力なんてどこにあるの?
この兵団の全力は1万に足りてないよ」
「いいんですよ。こっちの正確な兵力なんてそうそう簡単にはわかりませんから。
それに、昨夜からできるだけ多く見えるようにはったりを仕掛けてますから」
「じゃ、じゃあ、そのブラフで僕らが3万いると思って降服するというの?」
「それも望み薄ですね」
「えっ?えっ?それも駄目?
それじゃあ、なにがしたいのかさっぱり分からない!」
「それにつきましては、話せば長くなりますし、上手く行くとも限りませんので、またの機会にご説明いたしますわ」
パチリと手を叩き、私は話を打ちきった。
セドリック様の手を掴むと天幕へと引っ張っていく。
「ちょ、ちょっとシャルロッテ嬢、どこへいくつもりですか」
「もう、今日は特にすることもないのでぇ、今後の私たちのことについてご相談いたしましょう」
「えっ、なに。今後の僕たちのことって?
作戦会議?」
「はぁ、作戦会議?
もう!嫌ですわ。私たちの復縁についてですわ!」
「復縁!いや、駄目だよ。僕は明日をも知れぬ身なんだ。だからわざわざ婚約破棄したのに復縁なんてとんでもない!」
私はセドリック様の方へ顔を向ける。
「そこんところ。よ~~く、話し合いましょう」
私は一層強くセドリック様の手を握りと天幕へと歩いていく。途中、兵士たちが妙な顔で私たちをチラ見していたようにも思えたけど、きっと気のせい。うん。気にしたら負けね。
「いや、ちょっとそんなに強く引っ張らないで。だから天幕に引き込むのは、やめて~」
セドリック様が涙目みたいだけど、うん。気にしたら負けね。
□
うーー、寒いわ。
天幕の隙間から冷たい風が吹き込んでくる。日中も肌寒いけれど日が落ちるとぐんぐんと気温が下がる。こんな真夜中となると格別だわ。
「お嬢様ぁ、お夜食持ってきましたぁ」
と、ミゼットが入ってきた。白い布を頭から肩までぐるぐると巻き付け、くりくりした目だけを出していた。
「なに、ミゼット、その格好。まるでミイラ男、いえ、ミイラ女ね」
「だって外はものすごく寒いんですよ。雪が降るかもです」
「雪?まだ、10月の半ばよ。雪はちょっと大袈裟でしょう」
「いえいえ、今年の冬は早いようですよ。
お嬢様もお風邪など召しませぬように、十分お気をつけ下さい。
と、言うことでぇ、あっつい紅茶と甘いクッキーをお持ちしましたぁ!」
ミゼットは抱えていたお盆をテーブルに勢いよく置いた。そこにはティーポットとクッキーが山盛りになった大皿が載せられていた。
「まあ、さすがミゼット。気が利くわね」
私は山盛りのクッキーに手を伸ばすけれど、直前で思い止まった。
「クッキーはいいわ。紅茶だけにして」
「えっ、えーーっ。そんな。
三度のご飯よりクッキーが好きなお嬢様がクッキーを食べないなんて!
体の具合が悪いんですか?
なにか、変なものを拾って食べたとか」
「あんた、私をなんだと思っているの?
私はこれでもね、伯爵令嬢よ!
どこの世界に拾い食いする伯爵令嬢がいるのよ。
もうクッキーは食べないって決めたのよ」
「えーーっ。でも、勿体ないですよぉ」
「ああ、もう。あなたが食べれば良いじゃない」
「本当ですか?
やったー!だから、お嬢様大好きですぅ」
ミゼットはクッキーの皿を掲げて小躍始めた。
「独り占めは駄目よ。カルディナや見張りの兵士にも分けてあげるのよ」
「お嬢様」
と、カルディナが入ってきた。
「お嬢様。動きがありました」
2020/05/15 初稿
2020/06/10 誤記訂正(公爵→伯爵に訂正。もうダメダメです)